#8 サクラチル
――百月殿への報告を終えた俺は、春の暖かな日差しを受けながら、邸宅の庭の桜を見上げていた。
「鉾田。お前も陸軍に志願したんだって?」
大柄な男が、俺に声をかけた。奴は鹿嶋。俺と同じ、この百月家の食客だ。
「……ああ。こんな情勢の中にあっては、どの道召集がかかるのは時間の問題だろう。だったら俺は自分の意思で戦地に向かう」
「なんか、消極的な理由だな……愛国精神が足りんのじゃないかァ?」
「……お前みたいに前のめりなヤツの方がおかしいんだよ。俺たちは人間じゃない。……『精鬼』だぞ?」
鹿嶋は、ふんっと鼻で笑う。
「だからこそ、だろうが。百月殿には大恩もあるが、刻一刻と移り変わる情勢に対し、消極が過ぎる」
「う……む……、まあ、な」
少し言葉に詰まったが、俺は奴の言葉を追認した。俺は、今しがた百月殿に、軍に志願する都度を伝えて来たばかりだ。
百月殿は、今日にいたるまで俺が軍に入ることに反対した。ただ一言「人間のために、殺生の世界に進むことはない」と、俺を止めた。
「俺たちだって『人間』だろ。……それでも、だ。この国において俺たちは『居ない者』扱いの日陰者……。同じ帝国臣民として人権を享受するためには、誰にも増して国に尽くす姿勢を見せねばならん」
鹿嶋は、鼻息を荒くしてそう言った。……確かに、今この国難の中にあって、俺たちの「力」は、国にとっても得難きものであると言える。
百月殿は、産まれたばかりの俺達を育て、屋敷で匿い護ってくれた大恩人だ。だからこそ、そんな素晴らしい人が、人間扱いされない日陰者であるということは、俺にとっても悲しくてやるせない現実だ。
「わかるだろ?鉾田。この戦争で戦功を立てるんだ。軍で成り上がり、俺たちが精鬼の英雄になる。俺たちの手で、精鬼の権利を、勝ち取るんだよ!」
……そう上手くいくものだろうか、俺は懐疑的だ。
だが、国家への貢献を己の行動で示せる今、俺たちを狩る浄忍衆に対し牽制をするには、またとない機会とは言える。奴ら浄忍衆は首都の対怨魔防衛のための組織。対外戦争には消極的だ。
逆説的に、戦地であれば俺たちは浄忍につけ狙われることなく、国家への忠誠を示すことが出来る。それにより、俺たちの存在を認めさせ、待遇を改善させることも叶うかもしれない。
……こいつのように「この国を変える」とまで大きなことは言えないが……俺たちの働きで、これから生まれてくる精鬼の暮らしに、僅かであっても安寧がもたらされるなら、僥倖だ。
そうだ。しっかりと結果を出せれば、百月殿も俺たちのことを、きっと認めてくれる。そのためには、精進あるのみだ。
「……俺たちが『人間』として認められれば、お前だって誰にも遠慮せず、カフェーの女給の『シズちゃん』に求婚できるぜ?……この色男がよ!!」
「殴るぞ」
「はは、悪りぃ悪りぃ。……でもまあ、なんだな。今生の別れになるかもしれねぇんだから、文のひとつぐらいは渡しておいてもいいんじゃねぇか」
鹿嶋は、一瞬だが、不似合いにも真剣な表情を見せた。俺も一瞬考えこんだ。
……いや、駄目だ。後ろ髪を引かれながら戦場に向かっては、早死にする。自分の幸せを考えるのは、俺のやるべきことをやり切ってからだ。
「……必要ない。生きて帰るんだからな」
「そうかよ。……まあ、そうだな。俺たちは、死なねぇ」
俺と、鹿嶋は拳を合わせた。
絶対に、生きて帰る。俺たちの幸せは、俺たちの手でつかみ取る。
穏やかな日の差し込む百月邸の庭には、桜の花びらがひらひらと舞っていた。
――俺たちは若かった。
自分たちが世界を変え得る最強無敵の存在なんだと、すっかり信じ込んでいた。
俺が満州から復員して知ることになった銃後の顛末。
首都大空襲で百月殿の邸宅は焼け落ち、軍需工場でシズちゃんは死んだ。
鹿嶋も南方から帰ってきたという話は聞かない。百月家で匿われていた精鬼の仲間たちの行方も全く知れない。
かくして、俺の「戦前」は終わった。
全てを無くしたその後も、俺は「昭和」を生きている――
* * *
鉾田さんからは、過重怨圧の揺らぎを感じ取れない。……この人は、精鬼だ。
まだ頭が混乱している。だが、彼は怨鬼ではない。その一点は確かだ。
「……鹿嶋。俺が、わからんか?鉾田……鉾田 賢作だ」
鉾田さんは、怨鬼に話しかけた。奴は、虚ろな目で俺たちを見つめていた。
「軍に志願して別れたきりだが、お互い、色々あったみたいだな。……悲しいよ。お前を、殺さなきゃならんとは」
俺は、鉾田さんに問いかけた。
「……ヤツと知り合い、なんですか?」
「ああ……、長らく音信不通でね。戦地で死んだと思っていたが……今日まで生き延びていたということだろう」
……俺は混乱した。彼は精鬼。奴は怨鬼。その発生過程が異なるという話を素直に受け取れば、二人はまったく異なる出自の存在だ。
彼は人に仇なす怨鬼に与する手合いの人間ではない。精鬼であり、綾夏の関係者。怨鬼に与する理由などまったくない。
にもかかわらず、旧知の間柄のような話しぶり……何故だ?
……少し考えた末、ひとつの結論が出た。納得は行くが、信じたくはない結論。
「精鬼は……後天的に、怨鬼になる可能性がある……?」
鉾田さんはゆっくりと頷いた。
「……私も、実際に目にしたのは初めてだが、奴を見る限りそうなのだろう。少なくとも、私の知る鹿嶋は怨鬼などではなかった」
彼は続ける。
「私とヤツは……戦前の百月家に世話になっていた食客のような者だ。当主は、自然発生した精鬼を保護し、教育や仕事を斡旋していた。私たちの恩人だ」
……なるほど、おおよその状況が読めてきた。綾夏の生家の関係者だったのか。であれば、彼が精鬼であることにも、納得はいく。
当の綾夏自身が、彼が精鬼であることを知らないことには、若干の引っ掛かりはあるが、そこについては後で聞けばいい。
俺の追ってきた「100」の目印。これはおそらく、「百」月を表したものだろう。彼が鹿嶋を呼び出すための、二人の間でのみ伝わる符丁。
鉾田さんは、おそらく最初からこの怨鬼に心当たりがあったのだ。だから、こうして奴をおびき寄せた。……自身の手で、葬り去るために。
「かつての百月家の当主曰く、精鬼は……『人を喰らえば怨鬼に変わっていく』そうだ」
「………………」
それを聞いた俺の胸中に去来したものは、悍ましき行いへの怒りでも、恐ろしさでもない。ひとまずの「安堵」だった。
「成長」に伴う変化等ではなく、「行為」による変化。
「現時点では、綾夏は怨鬼になる心配はない」という事実。
俺が彼女を殺す必要はないという事への、安堵。
「……私からも質問だ。君は浄忍なのか?」
彼の問いを受け、俺は現実に引き戻された。
「……綾夏さんに助けられるまでは。今はただの、夜回り警邏が趣味の家電営業です」
「そうか」
俺たちは、鹿嶋から視線を外さない。鹿嶋は銃剣を拾い上げて、俺たちを睨み付ける。
「……来るぞ。私の沌法の説明は必要か?」
「……闘いながら伺う形でよいかと」
「そうだな、頼りにしているよ」
鹿嶋は、銃剣を構え、俺たちの方へ接近を始める。
俺と鉾田店長は、構えを取った。
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