#1 法の番人、無法の守護者
「ご迷惑をおかけしました」
「……企業戦士は結構だけどね、自己管理だって仕事のうちだろう。他所様に迷惑をかけるものじゃないよ」
制服を着た警官は、社員証を確認して、鉄格子の鍵を開けて俺を外に出した。
ここは、派出所の保護室。喧嘩などの軽犯罪を行ったものや、酔っ払いを留置するための部屋だ。
彼は鉄格子の鍵を閉め、一杯の水を俺に手渡した。俺がグラスに口をつけると、彼はため息をつきながら、煙草に火をつけて煙をくゆらせ始めた。どうやら、俺は酔って行き倒れたと思われているらしい。
あの夜、俺は下級の「怨魔」を討伐し、満身創痍で気を失った。だが、その後の記憶について、多少混濁がある。俺が行き倒れる直前の記憶は――
――そうだ、たしかあの時、俺は身を潜めて休もうと、建設資材の置かれた高速道路の高架下のシートの中に入った。
改めて自分の格好を見る。しわまみれになった背広……これはおかしい。あの時、俺は、忍び装束に身を包んでいたはずだ。
ネクタイのしめ方も、いつもの俺のものとは違う。結び目もろくに形にならず、首元でぐちゃぐちゃだ。ネクタイのしめ方のわからない誰かが、途中で結ぶことを諦めたように。
そうだ、俺は昨晩、奴に出会った。若い女の姿をした……「怨鬼」に。
……ならば、なぜ俺は生きている?
「まったく、通報してくださったお嬢さんに感謝するんだよ」
ぐちゃぐちゃになったネクタイをほどいて、再び結び直す俺に、警察官は釘を刺した。……「お嬢さん」?
「……あの、すみません。私、昨日の記憶が曖昧なのですが……どこで倒れてたんですか?」
「向こうの公園のベンチだよ。行き倒れてるのを目撃した若いお嬢さんが、この派出所にやって来て、アンタを保護するように頼んでくれたんだよ。若いのに、しっかりした子だよ」
……現時点の情報で、その「お嬢さん」と「奴」が同一人物という確証はない。
だがそれでも、人目につかない高架下から俺を移動させて、ご丁寧に着替えまでさせたと考えると……いや、「他の心当たり」も無くもないが、やはり解せない。
「……その方は、どんな方でしたか?」
「はァ?……あんたねェ」
彼は、ガラスの灰皿に灰を落としながら、心底呆れるように俺を睨んだ。
……何故か、と一瞬考えたが、俺はその理由を察し、無性に腹が立った。
あのな、誰が怨鬼相手に助平心なんて持つかよ、冗談じゃない。
この日本で、東京で、毎年どれだけの人間が怨魔に食い殺されてると思ってる。経済成長やら五輪やらに浮足立って、無防備に遊び歩いてる酔っ払いなんて、俺だって辟易してんだよ。
浄忍は、毎夜命がけで闘って、それを徹底して秘匿してるんだ。アンタら警察の仕事を馬鹿にするつもりはないけどな、それにしたって好色漢の誹りを受ける謂れはねェよ。ましてや、化け物相手に欲情なんて……考えるだけでも鳥肌が立つ。
そんな内心を、俺は内に閉じ込め、愛想笑いを浮かべながら頭をかいてみせた。
「……ああ、ご迷惑をおかけした謝罪と、助けて頂いた御礼をすべきかと考えましたが……若い女性の素性を伺うのは不躾でしたね」
……相変わらず、俺の口は回らないが、それでも本音を隠して建前をそれらしく繕えるようになったのは、営業職で得たテクニックと言えるだろう。
「もし、その方がこちらにいらしたら、代わりにお礼を伝えていただけますか」
「はいはい、感謝の気持ちがあるなら、もう他人様に迷惑をかけるような真似をするんじゃあないよ」
俺はグラスを置いて警察官に一礼した。彼は適当に頷きながら俺を送り出し、駐在する警察官の私物と思われるラジオの電源を入れた。
ラジオからはかすれた音を絞り出すように、ソ連のミサイル撤去についてを報じていたが、ついにはザーザーと音を鳴らして、声は聞こえなくなった。
「当社では家庭向けのラジオも取り扱っていますので、ご入用でしたら」
「……あのねぇ、私らは公務員だよ」
警察官の呆れた声を尻目に、俺は名刺とパンフレットを机に置いて、派出所を後にした。
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