#5 敗残兵たち
――ふざけるな。
悪しき欧米列強からこの国を防衛し、東亜を解放するために戦った私を、言うに事欠いて、婦女に狼藉を働く痴漢扱いなどと。
私を……、栄えある帝国陸軍の曹長をも務めた私を……、奴らは、一体なんだと思っている。
鉾田は……、戦前より私のことを知る、奴だけは、今の私の憂いも理解していると思っていた。
共に、この国の独立を、東亜の秩序を護ることを誓い、あの地獄の中を駆け抜けた、我が国の今を憂う同士であると。
今の奴は、もはや見る影もない。この国をひとたび焦土に変えた、憎むべき欧米の文化にかぶれ、尻尾を振る有様。
あまつさえ、戦友たる私の言葉より、年端もいかぬ小娘の言葉に重きを置くか。
往来には、五輪の旗が翻っていた。
――何が平和の祭典か。何が国際協調か。何が経済成長か。全ては、彼奴らの「お恵み」で生かされているだけではないか。
強者の顔色を窺い、力の裏付け無き安寧の上に惰眠を貪ることの、どこに大義がある。
立つべき時に立つことも叶わぬ、この皇国に産まれ落ちた男として、これほど情けないことがあるか。
私は、懐から煙草を取り出した。陛下より賜った恩賜の煙草。あの地獄の中での数少ない慰めとなった嗜好品。
残り本数も少なくなった。誇りを失ったこの国で、私の心を安らげる、数少ない拠り所。
……ふと、路地裏に座り込む人影が目に入った。軍帽の横から伸びた長い白髪、白い着物を羽織り、地べたに座り込んでいる。
その両足は既に無く、横に缶を置いて物乞いをしている。……傷痍軍人か。
「お、おお……その勲章……共にお国のために戦った、我が同胞……」
傷痍軍人は口を開いた。彼奴の横には小瓶と注射器が見える。……ヒロポンの中毒者か。
「貴様、なんと惨めな姿だ」
「その煙草、陛下より賜った、恩賜の煙草では……どうか、どうか一本、自分にも、お恵みいただけませんか」
「……黙れ。貴様などと一緒にするな……近寄るな下郎が!!」
私の足に縋りつく男を、私は蹴り飛ばして追い払う。
「ぐっ……」
「何が同士か!!恥を知れ、この馬鹿者が!!そのような惨めな醜態を晒し、何が国士かっ!!」
私は、男を杖で殴りつける。私はこのような者とは違う。違うのだ。
「……国のためというのなら、なぜあの戦場で死ななかった!!おめおめ生き伸び、敵に目溢しを受ける辱めを受けて、なお命は惜しいか!!なぜ立たぬ……この痴れ者が!!」
杖で殴りつける。そうだ。私は惨めな敗残兵ではない。この国を本気で憂いでいる。暴力を偽善で隠す、恥知らずな諸外国などに屈するものか。この男も、鉾田と同じだ。私の崇高な理念を介さず、私を乞食にも等しい存在と貶める、「敵」なのだ。
「真に国を思うなら、今すぐ腹を切って死ね!!散って行った英霊の元で詫びてこい!!この、負け犬が……っ!!」
殴りつける。……なんだこれは。殴っても殴っても、……惨めさが晴れぬ。何故だ。なぜ私の前に現れた。目障りだ。消えろ。私の前から、今すぐに……
「この――」
――私の杖が、消えた。
杖だけではない。私の右手首から先は、宙を舞い、地に落ちた。
うつ伏せにうずくまる男。その片手には、見慣れた一本の刃物が握られていた。陛下より賜った、三十年式銃剣。
「おれは、犬じゃ……ない。俺は……俺は……人間だっ!!……人間なんだよぉッッッ!!」
嘆きのこもった咆哮。戦場で幾度も向けられることになった、飢えた獣の眼光。
――この時、ようやく私は実感した。今、「この時」に至るまでに、私の戦争は既に終わっていたということを。
* * *
――昨日、午後五時過ぎごろ、東京都在住無職の男性、「鳴嶋 功三さん」五十二歳が、下半身を失い、血塗れとなった遺体となって発見されました。
遺体は刃物によって傷つけられており、現場に残った足跡から、犯人は身長百九十センチほどの男性であるとみられています。
現在、警察は殺人事件と見て、目撃証言を集めるとともに、逃走したとみられる男の行方を調査しています。
* * *
「………………」
「………………」
深夜の街、俺と綾夏は暗い表情で、無言で向かい合っていた。
昨日、俺たちが喫茶店で別れた後。彼は殺された。
「お気になさらないように……なんて、……言えませんよね」
「……そうだな。けど、心配するべきは、俺じゃねぇよ……」
俺はため息をついた。……後味が最悪だ。喧嘩別れが、今生の別れか。それなら、俺がしゃしゃり出たりせず、ぶつかり合うのだって当人たちに任せるべきだったんだ。
……それを、ろくに相手を知りもしないのに、忍びの力で恥をかかせて、責任も取らずに退散か……。猿芝居どころの話じゃねぇ。ヒーロー気取りのとんだ恥知らずだ、俺は。
「……店長も、事件のことでひどく落ち込んでしまったようで、一週間ほど店を閉めるって、そう言ってました」
「そうか……」
「警察の聴取も受けましたけど……アリバイは固まっているので、疑いはかからないと思います」
「………………」
良かった、とは言えないな。旧友が死んで、疑いまでかけられたんじゃ、たまったもんじゃない。
「……多分、下手人は怨鬼だろうな」
「おそらく……そうですね。欠損が大きいというあたりからも……」
「発生した時間帯が夕方なのは珍しいが、前例がないわけじゃない。そのせいで、怨対の情報統制も行き届かなかったんだろう」
怨魔被害が「殺人事件」として報道されるのは珍しい。大抵の場合は、夜間に警邏を行う浄忍衆と巫術師が、その隠蔽を行い、目撃者の忘却措置などを行う。
だが、今回は犯行時間と発見が日中だ。この場合、目撃者なども多く、これらの措置が間に合わない場合がある。その場合は「変死」として世に出てしまう。
……憎むべき相手がいると知れることは、果たして、店長にとって幸せなのだろうか。
多くの怨魔による事件は浄忍によって隠蔽される。そこには、真実を知ることのできない遺族の、行き場のない悲しみがついてまわる。
だが「行き場」があれば、人の心は癒えるのか?……そうとばかりは言えないだろう。むしろ、今回の場合は……
「……最悪の場合、店長が……鉾田さんが、弔い合戦を挑み、怨鬼に殺される可能性がある」
「………………」
「俺たちが、彼より先に怨鬼を見つける。そして、始末する。闘いは俺がやる。綾夏は、捜索に協力してくれ」
「……はい」
綾夏は頷いた。
……本心では、戦闘能力は高いとは言えない彼女を、戦場に出したいわけではない。だが、彼女は明確な関係者として、この一件を知っており、精鬼としての力もある。
ならば、一人で動かれるより、こちらも状況を見られる範囲で協力した方が安全だ。後ろ暗い気持ちを持ちながらも、俺は彼女に頼ることを決めた。
「……怨鬼と浄忍、どちらかと遭遇したら全力で逃げろ。危険になったらすぐ駆けつける。くれぐれも無理はしないでくれ」
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