#4 営業仮面は何処の誰?
「あの、少々よろしいでしょうか」
「……なんだ、若造」
朱弘さんは、歪な笑顔と話しぶりで「将校さん」に話しかける。
「いやぁ、立派な勲章ですね。きっと先の大戦で戦功をあげられた、高名な方とお見受けします。若輩者ですが、お国のために尽くしてくださった方には、頭の下がる思いです」
「うむ」
……あからさまにお世辞だ、と思ったけれど、「将校さん」は満足げに頷く。今日の彼は酒に酔っているから、それに気づいていないようだ。
あれで、よく営業職務まるなぁ。見ていて冷や冷やする……。
「しかしながら、その、言いにくいのですが……お耳を拝借してよろしいでしょうか」
「……日本男児がこそこそと耳打ちなどするな。言いたいことがあるならハッキリ言わんか」
「では、その……」
朱弘さんは指さした。彼の、ズボンの、一点を――
「社会の窓が、開いております……」
「!!」
彼の言葉に、「将校さん」は赤面し、慌ててチャックを上げた。周囲から、くすくすと笑い声が漏れる。
「恐れ多くも、陛下より賜った勲章を身に着けながら、そのようなご格好で、婦女を泣かせるような真似をされては、遠い地に眠るご戦友も悲しまれます。ここはどうか……」
「貴様……ッ!!」
「将校さん」は朱弘さんに、平手打ちした。朱弘さんはその場に倒れ、ぽかんと口を開けて彼を見た。
……倒れ方が自然過ぎて、お客さんは素直に驚いてる。けど、あれは「自分で」倒れてる。大げさに振舞っているようだ。
「誰が、この国を護ったと思っている!!あの地獄で戦ったと!!私を……我々を……っ!!」
彼は杖を振り上げた。それと同時に、後ろから近づいた店長が、彼の杖を掴んで止めた。
「鳴嶋さん」
「……鉾田」
「当店の従業員のみならず、他のお客様にまで手を上げる方は、いくら旧知の間柄とは言え、看過できません」
店長は、私に目配せをした。警察を呼べ、ということだろう。手を上げられたのが他のお客様だったら、私もそうしたけれど――
朱弘さんは、「いてて……」と口にしながら立ち上がった。もちろん、怪我なんてしていない。
「いいえ、店長さん。私は大丈夫です。最近倒れて警察の厄介になったばかりでして、穏便に済ませて頂けますと……」
……そう、私が送り届けた。このあたりだと、またあの派出所のお巡りさんの世話になると思う。あれは、本心から嫌がっている顔だ。
「……ご迷惑をおかけしました、お客様」
店長は、朱弘さんに一礼し、「将校さん」……鳴嶋さんを睨み付けた。
「鳴嶋さん。あなたは、今後当店への一切のご来店をお断りさせて頂きます。今まで、ご愛顧ありがとうございました」
「……ふん。言われずとも、こんな店、二度と来るものかよ」
彼は、不機嫌そうにドアを開け、店を出ていった。
一瞬の静寂の後、店内には安堵の声と、恥ずかしげにしているヒーローを励ます雰囲気に沸いた。
* * *
「……忍びにしては、なかなかの大立ち回りでしたね」
会計に伝票をもって来た朱弘さんに、私は小声で話しかけた。
「言ってくれるなよ……慣れない小芝居で、こっちは顔から火が出る思いなんだ」
朱弘さんは顔を赤らめ、不機嫌そうに俯いた。
……彼の描いた台本はこうだ。「通りすがりのサラリーマンがヒーローを気取り、老人の返り討ちで情けない姿を見せて、それを冷静な店長が助けに入る」といったもの。
明確な体格差のある店長が、老人の鳴嶋さんを叱責するより、他のお客さんの心証も良い。先に朱弘さんに手を上げた鳴嶋さんも、ある程度溜飲がおり問題が長引きにくい。
本人の言う通り演技力には難ありだけど、それは「ヒーローを演じたがった若者」として説得力を持ち、他のお客さんにとってもある種の喜劇となった。もう恐怖や不安は感じられない。「お兄さん、がんばったね!」と声をかける人もいた。
……言ってしまえば、彼が自分から恥をかくことで、場を丸く収めたようなもの。大金星だ。
「……けど、理由があっても、勝手に『他人の服を脱がせる』なんて、ダメですよ。破廉恥です」
「……ああ。『それ』も見えてたのか。……あの手の輩は恥をかかなきゃ居座ってごねるだろうし、とっさに浮かんだのもあれぐらいだったんだ。当人も含めて誰も気づいてないし、警察に突き出すのは勘弁して欲しいな」
「お巡りさんに、『やはり助平な男だったか』って言われるでしょうしね。……『たまたま開いてた』ってことにしておきましょう」
朱弘さんは自嘲するように鼻で笑った。私も、苦笑いを浮かべる。
「……店長には挨拶していかないんですか?」
「礼を催促してるみたいだし、営業のために爺さんいじめてゴマすったみたいになるだろ」
「相変わらずお人よしというか……そういうところで損ばかりしてるんでしょうね……」
「不愉快だったから出張っただけで、得するためにやったんじゃねぇし、それでいいんだよ……」
この人のこういうところは、私も結構好きだ。けれど、それにしたって、もうすこし報われる立ち回りをすればいいのにと思う。
彼が道化を演じたことで、店に悪い印象をつけることなく「鳴嶋さん」との決着がついた。きっと、この一件は店長も感謝に尽きないだろう。
それなのに、店長が後処理と注文で手が離せない内に、さっさと帰ってしまおうというんだから、この人は。
「それに……俺にとってはただの不快な爺さんだけどさ、話聞く限り店長にとっては戦友だったんだろ?」
「!」
「別に決別したいわけでも、あんな姿を見たいわけでも無かっただろうさ。爺さんに必要以上に恥をかかせた俺にだって、複雑な心境だろうよ。……そっとしておいてやりな」
……驚いた。この人、荒っぽい言葉使いする人だけど、結構まわりのこと見てるというか、気を使う人なんだ。
いや、そうだった。この人は、私と……精鬼とも対話を諦めなかった人なんだ。……この人にとって、鳴嶋さんは「迷惑な老人」であっても、同時に「尊重すべき人間」なんだ。
結果として「排除」は避けられなかったけど、多分、この人の心の中にも、彼を貶めた罪悪感が残っているのだろう。……「勧善懲悪」に胸がすく気持ちのあった自分が、少し恥ずかしくなった。
でも、こういう「善い人」には、やっぱり感謝の気持ちを受け取って欲しいのが人の心だ。少しでも、報われて欲しい。
「……さっき鳴嶋さんに絡まれてた子。お礼言ってましたよ。『助けてくれてありがとう』って」
「そうか……まあ、これからは穏やかに働けると良いな」
彼は財布からコーヒー代を取り出した。私も釣銭を用意し、彼に渡した。
……「ヒーロー気取り」なんかじゃない。手を汚すことも、恥をかくことも厭わない……助けられた人にとっては、ちゃんと「ヒーロー」なんですよ、あなたは。わかる人は、ちゃんとわかってます。
「じゃあ、これからも当店をよろしくお願いしますね。店員一同、歓迎しますよ」
「えぇ……気まずいから、もう来たくねぇんだけど」
「天邪鬼ですねぇ……あなたに助けてもらったあの子だって、きっとまた朱弘さんにいらして欲しいと思ってますよ」
「ハイハイ、……わかったよ。気が向いたら、これからも顔出すから」
彼は、ドアに手をかけた。しかし、何かを思い出したように私の方を振り向いて、カバンを漁り始めた。
「……一応、念のため、ジュークボックスのパンフレット渡しておくよ。……その、違和感ない範囲で渡してくれると、助かる」
「まるっきり無欲ってわけじゃないんですね」
私は、少なからず恰好いいなと思った彼への評価を、下方修正した。
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