#2 純喫茶ピオニィ
私は、店長の淹れたコーヒーを彼のテーブルに置いた。
「はい、ブレンドコーヒーです」
「……どうも、いただきます」
「ジュークボックスの営業に来たらしいですね。この辺りは学生さんも多いですし、そういうモダンなものがあってもいいですよね」
「そうですね」
彼は、私とは目を合わせることもなく、気の入っていない返事を返す。
「……随分と、そっけないじゃないですか」
「……仕事中に邪魔するわけにはいかないでしょう、『百月さん』」
「敬語も、苗字にさん付けも、似合ってないですよ」
「うるさいですね……」
彼は、不機嫌そうに答えながら、コーヒーに口をつけた。
「……あんまり長く、私の席にいても仕方ないでしょう。持ち場に戻っては?」
「まだ、お客さん来てませんしねぇ……忙しくなるのは、学校帰りの学生さんや、仕事を終えた方がいらっしゃってからですよ」
「……そうなんですか」
「誰しもが、お仕事をサボってまで、珈琲を飲みに来てくれるってわけではないみたいです」
朱弘さんは、わざとらしく咳払いをした。
……夜の街では底意地の悪いことを言ってくる朱弘さんも、背広を着ている時はこんな感じなんだ。
勤め人としての哀愁に、労いの気持ちと、普段の仕返しとしてからかいたくなるような、そんな悪戯心も刺激される。
「ふふ、ゆっくりしていってくださいね」
彼は、ため息をつきながら、鞄から万年筆と革の手帳を取り出した。忍び装束に身を包んだ夜とはまた違った彼の姿。
……あんまり居心地を悪くしたら、もう来なくなってしまうかもしれない。それも少し寂しいので、私は意地悪はそこそこに、カウンターへと戻っていった。
* * *
「……彼と、知り合いなのかい?」
店長は、少し縮まったような姿勢になり、小声で私に問いかけた。
「ええ。経緯は少し複雑なんですが、お互い世話になった間柄でして……、悪い人ではありませんよ」
「そうか。まあ、お互い大人だから深くは言わないが、あまり店内で、特定のお客さんと仲良くし過ぎないようにね……」
「もう……、そういうのじゃありませんよ」
店長は若干疑いの目つきで私を見て、食器を磨き始めた。……そうか、傍目に私と朱弘さんって、「そう」見えることもあるんだ。
私たちは、年のころはそうも離れていない。冗談交じりの軽口を叩くことはあるけれど、私にはその気はないし、多分朱弘さんもそうだろうと思う。
もとより、「性別」に生物的な意味を持たない「精鬼」である私にとって、そういった恋愛感情の機微というのは今一つ理解できない所はある。
私の言葉は、同僚の女性給仕や来店した少女たちの真似事だ。無論、男性に好奇の目で見られることに不快感はあれど、それは「親しくない他人から欲望を向けられる」こと自体への感情に近い。
……自分で言うのはいささか謙虚さに欠けるけれど、私の容貌は殿方に好まれるものらしい。男性から「そういった」視線で見られることは少なくない。そういう意味で、「欲」を向けられることが少ない点でも、彼と居る時間はとても過ごしやすい。
そもそも彼は、女性……さらに言えば、その肉体に対する興味がそこまで深くないのだと思う。私が怨魔を食べる時、服を脱ぐそぶりを見せても、彼は下心らしいものを見せたことが無い。……だからこそ、無神経になってる面もあるとは思うのだけれど。
彼は、男も女も……そして「精鬼」も、等しく「人間」として扱っている。差しさわりのない範囲で境遇を聞いた心象だけれど、彼はこれまで女性中心の社会の中で生きづらさを感じていたようだ。周囲への劣等感や、向けられる好奇の目……そこから逃げた結果が、今の生き方だという。
それでも、自分で一から身を立てて暮らしを成り立たせているのは立派だと思う。それに彼は、私が「一番求めていた答え」を示してくれた。そこに感謝は尽きないし、私を恩人と呼ぶ彼もまた、私にとっての恩人だと、そう思っている。
……店長の思うような関係ではないけれど、私にとって朱弘さんは特別な人というのも、また事実だ。だから、今後も良い関係で、親しく付き合っていきたいとは思う。
そういう意味では、今後もこの喫茶店を御贔屓にしていただきたい。……怨魔討伐のために、寒空の下で現れるかもわからない待ち人と示し合わせるのも、大変だから。
やがて、学校帰りの子供たちや、早めに上がった勤め人が来店する。他の店員も出勤し、静寂に包まれていた店内には活気が湧いてきた。
喫茶店は静寂を好む者の隠れ家であると同時に、その地域に住む者たちの社交場でもある。地域に根差した「ピオニィ」も、そうした店のひとつだ。
私たちは、おしぼりやコーヒー、学生たちの頼んだ瓶ジュースをもって奔走する。忙しい仕事場だけど、「人の営み」の中にあることは、人ならざる私に居場所を与えてくれるようで、安堵を感じる。
――そんな中、「彼」が来店した。金鵄勲章を胸元に誇示しながら杖をつく初老の男性。
彼の来店に気づいたお客様から、伝播する様に表情がこわばっていき、店長の表情も険しいものとなった。
店内の空気ががらりと変わるほどの、招かれざる客。……彼は「将校さん」というあだ名で呼ばれる、この一帯では有名な退役軍人だ。
ただひとり、そんな事は知らない朱弘さんは、店内の雰囲気の変化に気付くこともなく、手帳と地図を広げて頭を抱えていた。
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