#1 珈琲とレコード盤
「……『ジュークボックス』、ですか?」
課長によって机の上に置かれた資料の束。来週から、俺達が販売を担当する商材らしい。
「はあ……レコード盤の再生機ですか……やけに嵩張る大きさですね。ふつうのプレーヤーと何が違うんですか?」
「レコードプレイヤーは盤面に針を落として聞くものだろう?これは複数枚のレコードを内部に格納できるんだよ」
「はあ、なるほど……喫茶店や、ダンスホールみたいな、業務向けの商材ってことですかね」
俺はパンフレットの写真を眺めた。パッと見た印象としては、足のついたデカい箱だ。テレビジョンと比べると、いかんせん何の機械か伝わりづらい。
これなら、最近増えた有線放送で音楽を流し続ける方が、店側としても便利な気もするが……。
「有線ラジヲと違って、『硬貨を入れて客に選曲させる』のが独自性だな。かける音楽のジャンルを決めて、店の雰囲気を作ったり、とかな」
「ははあ、なるほど……」
言われてみれば、ジャズ喫茶とか、ロック喫茶とか、そういう店も最近は目にするようになったな。こういうところが狙い目というところか。
「これまでは輸入品が主だったそうだが、今回は代理販売ではなく国内生産だと。ステレオ音声にも対応しているらしい」
「えっと、『ステレオ』……って、何ですか?」
「左右別に音が聞こえる機能だよ。片方だけは『モノラル』だ。そのぐらいは勉強しておけよ」
「はは、すみません……。しかし、これだと私の開拓してきた事務所なんかじゃ、契約取り辛そうですね。執務室で音楽を流す会社はないでしょうし」
課長は、ため息をつきながら少し席を外し、戻ってきた。そして、俺の机に十数個ほどマッチ箱を並べた。どれも小洒落たデザインで、喫茶店の名前が記載されている。
「俺が外回りしてた頃に集めたもんだ。もう閉まってる店もあるかもしれんが、ひとまず総当たりで回ってみろ」
そう言って、課長は適当に手に取った箱から一本マッチを取り出し、煙草に火をつけた。俺は、机の銀の灰皿を差し出し、マッチの燃えカスを受け取った。
「……明松。お前は、口はてんで回らないが、その脚は他にない持ち味だ。東京に喫茶店なんていくらでもある。虱潰しで当たってけ」
……口下手についてはぐうの音も出ないな。セールスマンとしては、もっと会話力を磨くべきなのはわかっているが、なまじ体力があるばかりに、そこに甘えてしまってるんだろう。
「お前には期待してるからな、明松。都内全部回るつもりで、契約取りつけてこいよ」
「承知しました」
……期待っていうのは世辞だろうが、言われて悪い気はしない。
俺は、課長の命令に従い、マッチ箱の店を地図と照らし合わせ、巡回経路の計画を立てることにした。
* * *
外回りの結果から言うと、俺が期待して向かった、ジャズ喫茶などといった音楽分野特化の喫茶店では、ジュークボックスの導入について取り付く島もなかった。
というのも、ジュークボックスは「曲の選択」「客の好きなタイミングでの再生」という点が強みであり、「店主の音楽への造詣」「店の雰囲気の構築」にこだわる音楽喫茶からすると、むしろ忌避される傾向があるようだ。
じゃあ、普通のレコードプレイヤーの契約なら……と持って来ていたパンフレットについても、少し見て「間に合ってる」と返された。……考えてみれば当然だ。音楽にこだわってる喫茶店なんだから、最新の機材の情報には敏感なのだろう。
……「音楽のことをまるでわかってない営業」と鼻で笑われた感覚がある。悔しいが、その通りだ。やっぱり世情について、もっと勉強は必要だな。
とは言え、「一件も契約取れませんでした」じゃ流石にばつが悪い。「音楽喫茶がいいって言ってたじゃないですか」なんて泣き言も言ってられないだろう。
ここからは考え方を切り替えて回って行こう。むしろ「店主にとって音楽にこだわりがあるわけじゃない」、それでいて「音楽需要自体はある店」が狙い目だ。
客層の若い店で、雑に選んだヒットチャートのレコードを流せるような……そういう形の方が、むしろ収益に繋がる可能性も高い。
……問題は、店主に音楽へのこだわりがないなら、今度は「有線放送でいい」となることだ。ここに対する優位性をどれだけ伝えられるか、だな。
営業力と商品理解……やっぱり、重要だよなぁ。
……まあ、今から悩んでも仕方ない。
俺は、畳んだマッチ箱の中から、牡丹のイラストの描かれた物を取り出す。「純喫茶ピオニィ」。
出かける前に一覧にした手帳のメモの下の方に、該当の住所があった。……完全に音楽喫茶に絞らなくて正解だったな。
俺は、手帳とマッチ箱を鞄にしまい、次の開拓先を目指して歩きだした。
* * *
「……とまあ、レコードの再生に際してお客様がお金を支払うので、設置していれば副収入も得られるわけでして……」
「そうねぇ……とはいっても、この機材だけじゃなく初期投資がかかるだろう?私、レコードなんてそんな持ってないよ?」
「それに関しては、当社ではレンタルもやっておりますので、ヒットチャートに合わせた更新などもお任せいただけますよ」
「うーん……まあ、そうだね。検討させてもらうよ」
……「検討」か。期限のない検討なんてものは、実質断られたのと同じだな。俺は、肩を落とす。
本当に、こんなもの売れるのか……?とも思ったりはしたが、途中に寄った喫茶店では、既にジュークボックスが導入されている、あるいは契約して納品待ちというところもあった。
……つまり、需要自体はないわけではない。俺の営業力の低さや、店の選定に問題があるということに他ならない。……ああ、不甲斐ない。
「……それでは、お忙しい中でお話を聞いていただきありがとうございます」
「いや、夕方の営業再開まで時間が余ってたからね。気にしないでいいよ」
俺は一礼をした。店主は、穏やかで優しそうな表情をした大柄な壮年の男性である。体格もよく、年齢を考えると従軍経験もあるのかもしれない。
相手を見て、欲しいものを見極めるのも営業の能力だが……この発想から「軍歌のレコードも聞けますよ!」なんて、しょうもない営業文句しか浮かばないあたり、俺の発想の貧困さが伺い知れる。
……軍属だった人間だって、そこにいい思い出がある者ばかりじゃないだろう。もっと他人の立場を慮って考えろよ。
俺は腕時計を見た。今の時間からだと、あと何軒回れるだろう。希望を捨てるべきではないが、少し疲れた。体力の問題というよりも、結果が出ない現状に精神的な疲労を感じる。
……そうだな、ちょっとだけ休んでいくか。
「……あの、開店時間が近いようでしたら、お話を聞いていただけたお礼も兼ねて、コーヒーを一杯注文しても構わないでしょうか」
「ああ、構わないよ。もうすぐ給仕の子たちもやって来るから、それまで席にかけて待っていておくれ」
俺は、カバンを席に置いてソファに身を預けた。
落ち着いた色合いの照明に、アンティークの木とガラスの家具。今日は散々見た景色だが、客として身を預けると、心が癒される空間だ。
店主は、お冷とおしぼり、灰皿をテーブルに置いた。俺は軽く会釈し、水に口をつける。煙草は、今の気分ではない。
雑踏から離れたこの静寂。この「異界」とも言える非日常感もまた、喫茶店の醍醐味というべきか。音楽がないこともまた、店の特色なのかもしれない。……今日の俺の営業、全否定だな。
カラン、カランとドアチャイムの音が鳴る。店主が表の「CLOSED」の看板を返していないので、おそらく従業員の入店だろう。
「おはようございます、店長」
「ああ、今日も頼むよ。綾夏ちゃん。ちょっと理由があって、早めにお客さんがいらしてるからね、すぐ着替えておいで」
「はい、…………?」
……聞き覚えのある声と名前だった。
「まさか」と思った俺が顔を上げた先には、その「まさか」の人物がいた。……そういえば、純喫茶に勤めてるって、言っていたか。
業務用も含む家電販売の営業という職種を考えれば、遅かれ早かれ、この邂逅は必然だったのかもしれない。
「あ……朱弘さん……?」
「……やあ」
俺は、気まずい気持ちで半開きの手をふり、腐れ縁の女性に、軽い挨拶をした。
最後まで読んでいただけた方は、下にスクロールして☆を入れて頂けますと幸いです。
☆:いま一歩
☆☆:最後まで読んだ
☆☆☆:悪くない
☆☆☆☆:良い
☆☆☆☆☆:最高!




