#9 わかっちゃいるけど、辞められねぇ
……間違いない。あの夜の女の怨鬼だ。
「……おいおい。何のつもりだ」
俺は、懐から取り出した帯を傷に当て簡易的に止血を行い、立ち上がった。
――不可解、としか言いようがない。甲種怨魔の狡猾性、残虐性を、俺はまさに味わっていた所だ。
この期に及んで「私は善い怨魔です」とか、ふざけたこと抜かすつもりか、この女は。
「貴女ァ……人間じゃ、ないわねェ……どういうつもりィ?」
剣の崩れた口裂け女が、腕を押さえながら、こちらを睨みつける。不本意だが、俺もこいつと同じだ。何がしたいのか、理解できない。
黒髪の方の女……いや、それは両方か。ややこしいな。……あくまで便宜的に、「美人の方の怨鬼」は、俺の方を向き直った。
「今夜は、あなたに……用があって来ました」
「美人の方の怨鬼」は口を開いた。……まあ、そうだろうな。都合よく鉢合わせなんて、偶然というには出来過ぎだ。
「……ふぅん。派出所で聞いたのか。口の軽いお巡りさんもいたもんだな」
「その……、助平そうな男性だから、気を許すなと、釘を刺されました……」
くそったれ。こういう偏見に満ちた男こそ、手前にやましい所があるんだよな。
それと、目を逸らすな。くだらない小芝居しやがって。まともに恥じらい持った人間は、全裸で飯食ったりしねぇんだよ。
「まぁ、いいわァ……私のディナーを邪魔するなら、あなたも、コースに加えてあげる……♥」
口裂け女は新たに腕の先端から剣をはやした。
……怨魔の肉体再生において「質量」は保存される。相応の餌を食ってない限り、再生の度に体格は小さくなる。
だが、奴の四肢は剣……「金遁」の出力物だ。これはその法則に当てはまらない。ヤツの「巫力」が続く限り、剣はいくらでも作れる。
こいつの遁法が何かは知らないが、単に剣を壊すだけでは有効打にはなり得ない、ということだ。どちらが勝っても俺は死ぬ。俺に出来るのは、共倒れを願うぐらいだ。
「……明松さん」
教えても居ない俺の名前を呼ばれ、一瞬驚いたが、そういえば名刺を置いていったのは俺だったか。
返事をしようとした瞬間、俺の身体は突如平衡感覚を喪失し、謎の浮遊感に包まれた。
「逃げましょう」
女は、俺を抱き抱え高く跳躍した。狭い路地の壁を交互に蹴り、ビルの上まで駆け上った。
それを見て、口裂け女も、両手を鉤爪のような形状の刃物に変形し、蜘蛛のように壁を上り、俺達を追い始めた。
俺は、背中と膝に手を回されて、抱きかかえられていた。さながら、欧米の結婚式の花嫁のような、男としては何とも情けない格好で。
俺を抱えたまま、女はビルの屋上を飛び移る。……命を懸けの戦いの末に訪れた、地獄のような敗北感。その後にやってきたのは、なんとも俗な羞恥心だった。
* * *
俺を抱えていた女は、一度足を止め、俺を屋上に下ろした。
「大分……、距離が空きましたね」
いつの間にか、女の赤く輝く瞳は、チョコレイトのように落ち付いた暗い茶色になり、点のように縮小した瞳孔は、人間のそれと同じく、自然な大きさに変化していた。
女は、はあはあと息を荒げ、深呼吸をして調子を整えていた。こうしてみると、本当に人間と変わらない。その、幼さを感じさせる服装もあいまって、良家の女学生といった所だ。
口裂け女は数棟分のビルを挟んだ向こうにいる。奴は、四肢に生やした刃物をコンクリートに食い込ませながら、獣のような姿勢で俺たちを追う。
「……何のつもりか……は、この際置いておく」
俺の言葉を受けて、肩を上下させていた女は俺の方を振り返った。
「お前の目的は知らん。だが、今すぐ俺を殺す意図はないらしい。しかし、あの口裂け女が邪魔なのは、こっちも同じだ」
……怨魔との共同戦線など、莫迦げた話でしかないと思う。だが、俺にとっては北坂さんの仇討ち、この女にとっては俺への「用事」とやらで、奴が邪魔なのは一致している。
「お前も、遁法のようなものを使えるみたいだが……、近づけば、あいつを殺せるか?」
「……えっと、難しいと思います。さきほどは、あちらも明松さんしか見えていなかったようなので……」
……何となくそんな気はした。
この女、攻撃の後に追撃はかけない、対峙してすぐに逃げの一手を打つ、たかだか人間を抱えてビルを飛び移ったぐらいで息切れする……人間のそれとは言えないだろうが、バケモノと呼ぶには、まったくもってらしくない。
詳しくはわからんが……戦闘経験がほとんどないとしか思えない。……それで、強力な遁法を自由に使えるときたら、まさしく世の不平等を感じるばかりだ。
「……遁法での遠隔攻撃は?」
「その、私の沌法は手が触れたものにしか、作用しないので……」
「……手裏剣や弓では?」
「武器も持っていませんし、そもそも扱えません……」
「……使えねぇな」
俺の悪態に、女は不機嫌な表情を浮かべた。
……なまじ死にかけた時に出会った相手だったから、変な神秘性を感じてしまったのかもしれないな。どうにも、過大評価をしていたようだ。
これなら、追いかけてきている口裂け女の方が、はるかに凶悪だ。全てが終わった時に、コイツを始末するのには苦もないだろうが、この局面で口裂け女を殺すことには、まるで役に立ちそうにない。
「体術による近接戦闘も……まあ、無理だろうな。鬼だけあって普通の人間よりは動けるようだが、それだけだ」
「………………」
「ふたり仲良くお陀仏か。せめて、墓は分けて欲しいもんだ」
女の怨魔は、恨めし気に黙り込んだ。……怨魔の年齢なんかわからんが、ガキみたいなもんだなコイツは。
………………。
間の抜けた女の顔を見て、俺はため息をついた。
「……もういい、助太刀なんかいらん。勝手に失せろ」
「……!?」
女の怨鬼は意外そうに俺を見た。……俺自身、自然と出てきた意外な言葉に、困惑する気持ちはあった。だが、俺はこの鬼を、どうしても斬る気にはなれなかった。
「私を、鬼を見逃すんですか……?」
「……お前なんか脅威にならん。浄忍衆に見つかったらすぐ殺される。人を食わないのなら、せいぜい息を潜めて逃げ回ってればいい。……食うなら、俺が今ここで殺すがな」
――この女には、色々と不可解な点が多すぎる。これまでの経緯を踏まえれば、こいつの生態は間違いなく怨魔のそれだ。
こいつが喰らっていたような怨魔の肉なんて、ただの人間にとっては、心身を蝕むただの毒でしかない。これを食って血肉に変えられるのは、同じ怨魔ぐらいのものだ。
だが、コイツが怨魔を食っていた時、遁法を発動する時、俺の目には「揺らぎ」を……「過重怨圧」による空間の歪みを、まったく見ることが叶わなかった。
怨魔が戦闘形態を取るとき、この現象は必ず付随する。「怨霊」を視認できる浄忍や巫術師が、人間と甲種を見極められるのも、この揺らぎを視認できるためだ。
「……そもそも、戦闘能力は皆無、怨圧の『揺らぎ』も、血の匂いも全くしない。お前、本当に怨魔なのか?」
「………………」
……怨魔でなければ何なのか。その答えを俺は持っていない。だが、浄忍衆にとって危険な存在なのは確かだ。
正直、コイツをみすみす見逃すなんて、何を手ぬるいことを言っているんだと思うところはある。百歩譲って、利害から一時的に手を組むのは良い。だが、全てが終われば始末するべきだ。最初から役に立たないのなら、脅威になる前に今ここで殺すのが正解だ。俺の浄忍としての感覚は、はっきりとそう言っている。
私情を捨て、災いの芽を残さず摘み取れる非情さを持つ者だけが、一人前として認められる。浄忍とはそういうものだ。
……だが、「人としての」俺は、それを制止する。こんな、無力で無防備な女を殺して、俺は本当に、自分を誇ることができるのか、北坂さんのように、怨魔の手で死んでいった者たちも、それを望むのか、と。
事情を知らない者……あのお巡りなんかには「恩知らずの恥知らずが」と誹りを受けるだろうな。課長にも娘さんがいたんだったか、来年就職するって聞いたな。本気で軽蔑されるかもしれん。
だが、そんなこいつの「子供のようなあどけない振る舞い」だって、人間を欺き、喰らうための擬態かもしれない。そう考えれば、やはり、殺すのが最善というところは変わらない。
……しかし、俺は愚かにも、この女を「信じよう」としてしまっている。……はは、浄忍失格だな。元々一人前とも呼べねぇのに。
「明松さんは……ここに残るんですか?あなただって……あの怨鬼と比べれば……」
女は、途中まで言いかけて言いよどんだ。……クソガキが。
わかってるんだよ。俺が、上位の怨魔にはロクに歯が立たない雑魚なんてことは、イヤってほどにな。
……それでもだ、曲がりなりにも「力」を持った俺が、「怖いし、危ないし、やめとこうっと」で芋を引いたら、人間だって失格だ。
あいつは、この女とは違う。明確に俺の、東京に生きる人々の、「敵」だ。やつを野放しにして犠牲者を増やしたんじゃ、奴に殺された人々も浮かばれない。
「……俺は戦う。死ぬまでな。浄忍になれなかったのに、未だに怨魔との戦いにしがみついている、半端物としての最低限の責任だ」
「………………」
「それでいいんだよ、俺は」
夜風が髪を揺らす。……こいつが何者であっても、やるべきことは何も変わらない。無駄死にになろうと、俺はあの口裂け怨魔を殺すために全力を尽くす。
また惨めに無念を叫ぶことになるのかもしれない。それでも、ここで逃げれば、俺は俺を許せなくなる。最後まで、足掻くだけだ。
「明松さん――」
俺が女の方を振り向くと、女は、俺の右手を、そっと両手で包んだ。
俺は、得体が知れないとぎょっとして、これを振りほどこうとした。
「あの怨鬼を倒す方法、あります。あなたが、あなた自身の力で――」
女は何か確信を持った目つきで、俺の目を見る。
……「俺の力」で?俺が、口先だけの弱っちい雑魚だってこと、もうわかってるだろ?何を言っているんだ、こいつは。
口裂け女は、がしゃ、がしゃと、金属音をたてながら、屋上を飛び移り、残り三棟ほどの距離に、迫る。
女は、俺の瞳をまっすぐ見つめた。
チョコレイト色だった彼女の瞳は、再びぼんやりと赤く発光し、虹彩が虹色に輝き始める……。
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