プロローグ 昭和三十七年 十一月 八日 深夜
最下級の怨魔の群れ相手に、満身創痍で休息の場を求め忍び込んだ、建設中の高速道路の高架下。
――そこに、「彼女」はいた。
丁寧に畳んだ洋服を脇に置いた、一糸まとわぬ姿の黒髪の女は、両手いっぱいに赤黒い「肉」を抱え、それを貪る。……これは、怨魔の、死肉だ。
悍ましき肉塊から、したたり落ちる緑色の体液。彼女は、目をつぶってそれを啜っていた。
人のものとは思えぬほど「完成」されたその肢体は、月の光を浴びて、白く妖しく輝く。
女は、俺に気がいて、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに平静を取り戻したように、そっと肉を大地に置いた。
血のように赤い瞳、きらめく虹彩に囲まれた、射貫くように鋭い瞳孔は、ピクリとも動くことなく、じっと俺を見つめている。
この女は人間ではない。「怨鬼」だ。
知性を持つ最上位の怨魔。俺の力の及ぶ相手ではない。
この、美しい鬼に、今から俺は、喰い殺される。俺は確信していた。
――だが、それも悪くないかもしれない。
誰からも求められず、惨めに生き永らえて何になる。考え方によっては、天の配剤とも言える。
たとえ愚か者の末路と笑われても、もう構わない。せめて、自分の中でだけであっても、華々しく戦って散ったと、そう思い込んで、死んでしまえばよい。
俺は、小太刀を抜き、女に向かい合った。僅かだろうと手傷を負わせられるなら、「あいつ」に繋げられるなら、それだけで十分だ。
――来るなら来い、怨みの鬼よ。
「今宵は、綺麗な月、ですね――」
女は、俺の獲物から目を逸らし、ただ無防備に、月を見上げていた。寂しげな表情で、別れを惜しむように。
強者ゆえの、余裕の振る舞いかと思った。だが、彼女はそっと目を閉じ、俺に向かい合った。そして、一切の警戒もなく、全てを受け入れるように、頭を垂れた。
さながら、己の首を差し出すように――
「覚悟は、出来ております。どうか、一太刀の下に――」
俺は、小太刀を握り締め、彼女に、一歩、また一歩と、歩み寄る。
そして、力なく、握った、小太刀を、足元に、落とし、
その場で、倒れ込み、意識を、失った――
――――――――【第一章:忌者喰らいの姫君】――――――――