第64章— グラニスの地
グラニスの街は、外見こそ整然としていたが、その内部は静かに崩れつつあった。
石造りの壁には細かな亀裂が走り、広場に並ぶ噴水の水は濁りを帯び、かつての輝きを失っている。
街を歩く人々の表情は硬く、笑顔はほとんど見られなかった。
サエルはゆっくりと通りを進みながら、その空気の重さを肌で感じ取っていた。
まるで街全体が、何かを隠そうとして息を潜めているようだ。
アーリアもまた、その雰囲気に気づき、彼の隣で小さく呟いた。
「…何かがおかしい。ここは、前に来たときとは違う。」
中央通りを抜けると、遠くで人々の言い争う声が響いた。
食料の分配を巡る口論だ。
ただの不満のぶつけ合いに見えて、その実、街の均衡を崩す裂け目の一つだった。
ジョアナは険しい表情でその場を通り過ぎながら、低く言った。
「これが、あなたたちが再びこの街に来るべきではなかった理由の一つよ。」
サエルは答えず、ただ前を見据えた。
この街に広がる亀裂は、石の壁だけではない――
人の心にも、深く入り込んでいた。
グラニス――それは大陸北方に広がる広大なドワーフの領土の名であり、その中心にそびえる都こそガラニスデル。
王の居城と鍛冶の大工房群が並び立つこの街は、古来より大陸の金属と武具の心臓部と呼ばれてきた。
だが今、その輝きは鈍く曇っている。
アーリア、サエル、そしてジョアナの三人は、ガラニスデルの重厚な門をくぐり、王城へと向かっていた。
石畳の道は整っているが、通りを行き交う人々の表情は沈み、どこか切迫した気配が漂っている。
市場では品物の数が目に見えて減り、商人たちは声を張り上げるよりも、互いの様子を探るように視線を交わしていた。
「……この空気、前に訪れた時とはまるで違う。」
アーリアが小さく漏らす。
サエルは無言のまま、その視線を先へと向けた。
やがて三人は王城の謁見の間に通された。
ジョアナは深く息をつき、そして口を開く。
「これが、私が強き戦士を求めざるを得ない理由……。
グラニスの地は今、外敵だけでなく内部からも蝕まれている。
もはや、選り好みをしている余裕はない。」
その瞳は、明らかな葛藤を宿していた。
サエルとの間には、未だ解けぬ因縁――かつての仲間、エリアスを失った痛みがある。
それでも彼女は、王と民を守るために、この“刻印持ち”と手を組まねばならなかった。
ガラニスデルの高い天井の下、三人の間に重い沈黙が落ちた。
それは城壁の亀裂よりも深く、そして修復の難しい、心の裂け目であった。
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