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第53章 — 彼が眠るとき

風が止んだ。


嵐は予告もなく、容赦もなく去っていった。

残されたのは、濡れた木の匂いと、湿った土の香り。

そして音…

沈黙の音だった。


目を開けると、朝の光は壊れた小屋の中にほとんど差し込んでいなかった。

一瞬だけ、時間が止まったように感じた。


彼はまだ眠っていた。


サエル。

不変なる者、常に在る者。すべてを切り裂く冷たい鋼——

その彼が、私の隣で静かに眠っていた。


筋肉の緊張もなく。

剣の柄を握る手もなく。

目には、見えない脅威を探る鋭さもなかった。


ただの彼が、そこにいた。


浅く静かな呼吸。

胸がやわらかく上下する様子。

まるで、たった一晩だけでも、世界が彼を放っておいてくれたかのように。


私はゆっくりと身をよじり、腕に顎を乗せて、彼を見つめた。


何度、彼の戦う姿を見ただろう。

何度、彼がためらいもなく命を奪うのを見たことか。

あの棺を……死への誓いのように引きずる姿を。


けれど今は——ただの少年のようだった。

私より少し年上の、

美しく、疲れた顔をした、傷だらけの少年。


けれどその顔には、覚醒時には決して見せない静けさがあった。


彼は夢を見るのだろうか?


それとも、夢さえも彼から逃げてしまったのだろうか?


私は、指先で彼の顔の近くをそっとなぞった。

触れないように。

ただ、濡れた髪を額から払ってあげたくて。

けれど——私は触れなかった。


きっと、この魔法のような瞬間を壊してしまいそうだったから。


この時間は、儚くて、壊れやすい。

命あるもの。死ぬ前に揺れる炎のように。


私はたくさんのことをささやきたかった。

誰に祈っているのか分からないけれど、毎晩彼のために祈っていること。

彼が怖いのではなく、この世界が彼に何を求めているのかが怖いこと。

血に染まった彼の道を、それでも一緒に歩みたいと思っていること。


たとえそれが死体の上であっても。


たとえ彼が一度も笑わなくても。

たとえ彼が私を、私のようには見てくれなくても。


私はただ、彼が存在し続けてほしい。


それだけ。


そして——もし、

もし彼がいつか戻ってこなかったとしても、

それでも、意味のある日々だったと思ってほしい。


誰かに愛されたことが、ほんの一瞬でも彼に伝わってほしい。

たとえ彼が理解しなくても。

たとえ彼が何も言わなくても。


だって、私を彼に繋ぎとめているのは——言葉じゃない。


沈黙なの。


彼の沈黙は、何よりも雄弁。


私はその声を聴いている。

いつだって、そうしてきた。


「……早く起きたんだな」

彼が目を閉じたまま、低くつぶやいた。


心臓が跳ねた。

彼は起きていた。

もしかしたら、最初から。

私のすべてを、沈黙の中で聴いていたのかもしれない。


私は微笑んだ。


「誰かが、あなたが風に消えないように見張ってないとね。」


彼はゆっくりと目を開けた。

そして——ほんの一瞬だけ、私を見つめた。


何も言わなかった。

けれど、その視線は……

まるで私の顔を記憶に刻もうとしているようだった。


それが、大切なことかのように。


その短い瞬間に、私は確信した。


彼がまだ理解していなくても、

最後まで否定し続けたとしても——


彼の中のどこかが、もう分かっている。


彼は、もう一人じゃないと。



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