第48章 ― 観察という道
広間には沈黙が満ちていた。
ジョアナの最後の言葉は、まだ空気に重く漂い、まるで霧のように心を覆っていた。
その時、白い大理石の玉座に座っていた聖十字の長が、静かに立ち上がった。
「今は――」
その声は静かだが確かな響きを持っていた。
「――ただ、観察する。」
その場にいた全員の視線が、彼に向けられた。
「この新たな刻印者は……敵意を見せてはいない。味方も求めず、戦争も仕掛けてこない。
ただ一人で歩いている。旗も、軍もなく。
彼が何を目指して歩いているのか、それを見極めるのが、今の我らの使命だ。
もし彼が滅びを望むのなら――その時こそ、聖十字は正義で応じよう。
だが、それまでは……我々は静かに見守る。」
幾人かの聖騎士が互いに視線を交わした。
予想外の判断に驚きはあったが、異を唱える者はいなかった。
「ジョアナ」
長が彼女に視線を戻す。
「傷が癒え次第、ガルック・ホロルダン騎士の援護に向かってほしい。」
その名が広間に響くと、空気が一層張り詰めた。
ジョアナは血の染みた聖衣の上から、拳をゆっくりと握り締めた。
「彼は、ドワーフの大地・グラニスにて、第一の刻印者の軍勢と戦っている。
あの地を失ってはならぬ。
鍛冶を司り、我々に武器と防壁、同盟国の住まう家を築くドワーフたち――
彼らは人類にとって、かけがえのない盟友だ。
グラニスを奪われれば、我らは土地以上のものを失う。
――基盤を、失うことになる。」
ジョアナはゆっくりとうなずいた。
まだ傷は癒えていなかったが、使命に背を向けることはできなかった。
「了解しました。回復次第、すぐに出発いたします。」
「よいだろう。三日後にはガルックの故郷へ向けて出立する。
準備を整えよ。神々は我らの代わりに戦ってはくれぬ。
我らこそが、彼らの意志を剣に変える者だ。」
そう言い残し、会議は静かに幕を閉じた。
空高く鳴る修道院の鐘が、午前の終わりを告げていた。
ジョアナはアーチ状の窓から空を見上げながら、ふと想う。
――あの少年の瞳の奥には、一体何が眠っているのだろうか。
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