第40章 ― 退かぬ者
地面には、先の戦いの余韻がまだ残っていた。
聖なる剣の破片が突き刺さり、岩は砕け、
空気は薄く、世界が息を潜めていた。
そして、彼は歩き始めた。
—
ゆっくりとした一歩。
その足取りは、まるで太鼓のように静かに響く。
焦りもなく、迷いもなく――
目の前に神が立っているというのに。
ヴァルサは動かない。
ただ、じっと彼を見つめている。
その姿は、山の如く威圧的で、崩れかけた王座のように崇高だった。
彼は、数センチの距離まで歩み寄り――
顔を上げて、彼女を見つめた。
—
彼の瞳は、怒りも憎しみも持たない。
ただ、冷静に、感情を持たずに女神を見つめていた。
まるで、像でも観察しているかのように。
あるいは、神でさえも、恐れるに足らぬ存在であるかのように。
女神もまた、目を逸らさなかった。
だが、その眼差しは明確に語っていた。
> 「私はお前より上だ。」
—
次の瞬間、
彼は――剣を納めた。
ジョアナは目を見開き、アリアは息を呑む。
ヴァルサの表情が一瞬だけ動いた。
そして、沈黙を破ったのは――拳の音だった。
—
肉が肉を打つ音。
男の拳が、女神の胸を打ち抜く。
ヴァルサは一歩も退かず、すぐに腹部に重い拳を返す。
彼はよろけ、一歩後ろに下がり、血を吐いた。
だが――笑った。
—
戦いは変わった。
拳、肘、膝、蹴り――
洗練された技ではなく、本能と力のぶつかり合い。
神に対し、人が拳を交える。
女神は怒りを、
彼は無表情を、
拳に込めた。
—
神の鎧がひび割れた。
肩、胸、そして全身へ――
ついに、黄金の鎧は砕け散った。
だが彼の肉体も、無傷ではなかった。
顔は腫れ上がり、
体中に血が流れ、
満身創痍。
—
それでも、彼は――立ち上がる。
血を吐きながら、ふらつきながら、
また歩く。
一歩、一歩――
再び女神の目前まで。
先ほどと同じ場所に立ち、
再び顔を上げて、見つめる。
—
女神も同じ距離で立ち、見返した。
もはや言葉は不要だった。
互いに、ただ存在し、ただ立ち尽くす。
—
遠くでジョアナがつぶやく。
> 「……彼は退かない……」
「あんなに傷ついているのに……」
「……一歩も退こうとしない……」
—
アリアは黙って見守る。
彼女は、その戦い以上のものを感じていた。
> 「彼は神を憎んでいない。」
「だが、神にも屈しない。」
—
世界はまだ震えている。
だが、その二人は、山よりも揺るがぬ存在だった。
そして――
女神の残された時は、確実に減っていた。
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