第39章 ― 天と地の狭間で
世界が止まった。
木々は揺れることなく、風も沈黙した。
まるで、この瞬間を見守るためにすべての存在が息を潜めていた。
戦の女神ヴァルサが、静かに歩みを進める。
その一歩ごとに、大地が沈み、空気が張り詰めていく。
彼女の前に立つのは――
棺を引く男。
彼は動かない。
剣を握る手は沈着で、右目の封印は閉ざされたまま。
だが、その周囲の世界が震えていた。
—
ジョアナは遠くからその様子を見つめ、呼吸が浅くなる。
> 「これが……神の威圧……」
だが、それでも彼は膝を折らなかった。
アリアは彼のすぐ傍で立ち、緊張した面持ちで見守る。
彼が先に攻撃することはないと、彼女は知っていた。
だが――動けば、何も残らない。
—
ヴァルサは、十メートル先で歩みを止める。
儀礼槍がその手に浮かび上がり、彼女の掌に収まる。
彼女がそれを一振りすると、空が鈍く鳴った。
> 「血と炎に刻まれし者よ。
お前は、人類の命脈を蝕む亀裂。」
> 「貴様の覚醒は不要だ。
今ここで――我が手で滅ぼす。」
彼女が動いた。
—
その動きは目視できないほど速く、地面が砕けていた。
槍の穂先が男の胸元へ一直線に伸びる。
しかし、衝撃音は鳴らなかった。
彼は、ただ手首を動かし――
剣で受け止めていた。
—
大地が鳴動し、木々が倒れ、地表に亀裂が走る。
だが彼の足元は、一歩たりとも動いていなかった。
ヴァルサが、二歩退いた。
> 「……力任せに動かしても、びくともしないとは。」
—
彼は答えなかった。
ただ、静かにその瞳で女神を見据えていた。
怒りも恐れもない――
ただ、冷たい“観察”だけがそこにあった。
—
女神は再び槍を回し、空間に無数のルーンを刻む。
天と地から光の剣が現れ、空中に浮かび始める。
その数、五十、百、二百を超える。
> 「秩序の光よ、この穢れを浄化せよ。」
> 「――ルーチェ・サンクトゥム」
—
光の剣たちが流星のように降り注ぐ。
そして彼は――ようやく動いた。
走らず、跳ばず、
ただ、滑るように足を動かした。
落ちてくる剣の一つひとつを、
無駄のない動きで斬り払う。
—
アリアは瞬きを忘れる。
ジョアナは言葉を失う。
> 「神の攻撃を……斬っている……?」
—
ヴァルサは再び攻撃に移る。
今度は巨大な戦斧を携え、雷の如き一撃を繰り出す。
だが、彼はそのすべてを――
剣で受け止め、その場から動くことなく反撃した。
—
女神が一歩引く。
> 「ただの“刻まれし者”ではない……
貴様は、神への反逆そのもの。」
—
彼がついに言葉を発した。
その声は低く、風に溶けるように小さかった。
> 「この力を望んだわけではない。
だが、進む道を阻む者は――
神であろうと斬る。」
—
女神は唇を噛み、わずかに顔をしかめた。
> 残り時間――あと二十七分。
彼女は初めて、自らの不安と向き合う。
—
> 神と“刻まれし者”の戦争が、静かに始まっていた。
---




