第28章 ― 最初の聖騎士(パラディン)
焚き火の火は小さく揺れていた。
ジョアナは、その炎の奥に、イーリアスには見えないものを見ていた。
遥か昔の記憶。失われた時代の名残。
「イーリアス」
ジョアナは静かに言った。
「私たちが“聖騎士パラディン”と呼ばれる理由……知っている?」
イーリアスは彼女を見つめた。
その声には、祈りにも似た響きがあった。
「聖十字によって生まれた存在……ではないのですか?」
「聖十字は、形を与えただけよ。
本当の始まりは……もっと前。世界がまだ絶望の底に沈んでいた頃」
ジョアナは外套をめくり、腕の一部を見せた。
そこには、四本の槍が中心に向かって交差する焼き印があった。
「三種族が滅びかけていた時代——
神々ですら沈黙し、祈りも虚しくなったその時、
一人の男が立ち上がった」
「……誰?」
ジョアナは、まるで神聖な名を唱えるように口にした。
> ジュリアン・ベルフォード。
信仰を捨てなかった、最初の者。
「ジュリアンは人間だった。弱く、短命で、無力な種族の一員。
エルフは森へ隠れ、ドワーフは山にこもり……
彼だけが祈り続けた」
「そして、神々は応えたのですか?」
「応えたわ。
——沈黙という形で。
だがそれは拒絶ではなかった。
彼の中に、“何か”が降りた」
こうして彼は最初の聖騎士パラディンとなった。
魔法を唱えるのではなく、神意と共に歩む存在。
「聖騎士は、祈りに応じた神から力を得る。
状況に応じて力を変化させ、
時に“刻まれし者”と同じ舞台に立てるのよ」
「……でも、彼は勝てなかったのでしょう?」
「その通り」
ジョアナの声が、わずかに沈んだ。
「彼の相手は、“最初の刻まれし者”——
ハンドロヴク・デルテリク。
言葉を話さず、眠らず、衰えることのない存在。
一人で街を焼き、森を枯らし、種族ごと消した」
「それでも……ジュリアンは戦った」
「七日七晩、彼は退かなかった。
でも最後まで、エルバラトフ(Elbalatov)を使わなかった」
「それは、神の顕現ですよね?」
ジョアナはうなずいた。
「エルバラトフ(Elbalatov)——
それは、神をこの地に呼ぶ禁断の祈り。
己の命と引き換えに、神が**“人の肉体を通して”顕現する**」
「その代償は……?」
「命そのもの。
その瞬間、聖騎士の肉体は器となり、燃え尽きる。
神は数分しか地上に留まれないが、その時間だけで奇跡が起きる。
だが、その祈りを使う者はほとんどいない。
なぜなら——その一歩が、自らの終わりを意味するから」
「ジュリアンは、なぜ使わなかったのでしょう?」
ジョアナは答えなかった。
炎だけが、静かに音を立てていた。
「理由は誰にも分からない。
準備ができていなかったのか、
それとも——まだ戦いを終わらせたくなかったのか」
だが結局、ハンドロヴクは生き残った。
そして三種族は、かろうじて生き延びた。
「その後、種族は初めて手を取り合った。
エルフも、ドワーフも、人間も。
言語を合わせ、技術を共有し、魔術と鍛冶を繋げた」
ジョアナは、焚き火を見つめながら言葉を続けた。
「その結束が“聖十字”となり、やがて私たちの秩序が生まれた。
聖騎士は、ジュリアンの祈りを受け継ぐ存在なの」
「……でも、それでも倒せなかったんですね」
「いいえ。
そして時が経つごとに、他の“刻まれし者”たちが現れた」
「彼らは……?」
「まるで、ハンドロヴクが落とした影が、時の中で形を得たように。
新たな“刻まれし者”たちが世界に混乱をもたらし、
再び世界を混沌へと導いていった」
イーリアスは、木々の隙間から見える空を見上げた。
「その“十一体目”も……ハンドロヴクのようになると思いますか?」
ジョアナは答えなかった。
その沈黙が、答えそのものだった。
遠く、ひとつの岩が音もなく割れた。
空中に、見えない鎖が震えた。
谷をさまよう影が、
少しずつ、自分が何者かを思い出していた。
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