第22章 ― 焼かれた世界の残響
ナレスの山脈と南の谷を繋ぐ道は、かつて魔法戦争で砕けた岩の隙間を縫うように続いていた。
ジョアナは無言で馬を進める。
イーリアスは少し後ろに従い、警戒を怠らない。
急ぐ必要はなかった。
急ぐのは、生を急ぐ者たち。
彼らが歩むのは、死者たちが静かに語る土地だった。
「ここが昔、交易路だったなんて信じられませんね」
崩れかけた塔を見上げながら、イーリアスが言った。
「『四つのギルドの谷』。かつて、あらゆる地方の冒険者たちがここに集い、
魔獣と戦い、術士を護衛し、名声を求めていた場所よ」
ジョアナが答える。
「今は?」
「今は、かつて祈られた神々の名に、地がもう応えなくなった」
岩陰から、何かが彼らを見下ろしていた。
それは、小型のドラクのような存在。白い鱗はひび割れ、螺旋状の角を持ち、目だけが異様に深かった。
しかし襲ってはこなかった。
ただ見つめ、そして霧の中へと消えていった。
「もう奴らは肉を食わないの」
ジョアナが呟いた。
「今は感情を喰らう。恐怖、罪悪感、喪失…」
「それは…自然なことですか?」
「この世界に自然なものなんて、もう残っていないわ。
私たちも含めてね」
イーリアスは言葉を失った。
それでも、問いが胸に残ったままだった。
先に進むと、焼け落ちたキャンプ跡に辿り着く。
地面には『星槍のギルド』の旗が、焼け焦げたまま残っていた。
かつては天の竜すら討つと噂された、幻獣専門の狩人たち。
骨の山。破られた魔導書。
そして、一本の矢が土に深く突き刺さっていた。
ジョアナは馬から降り、矢の近くで膝をつく。
二本の指で、土に印を描いた。
円と三本の縦線。
「これは…?」
「聖十字が整う前に使っていた古い祈りの印よ。
信仰が制度になる前、意志だけが信仰だった頃の記憶」
イーリアスは矢を手に取る。
螺旋状の軸。黒く硬い木材。
「…ミルラの木。霊体に効く矢ですね」
「そう。でも、それでも彼らは敗れた」
道はさらに続く。
南に行くほど、表面上は生命が戻ったように見えたが…
土の下には、燃えたケンタウロスの骨、鬣が燃える蛇の残骸、
そして人間の心臓を抱いた石像が埋もれていた。
「この世界の魔物は、ただの獣じゃない。
それは“罪”そのものが、形を得て歩き出したもの」
イーリアスは何も言えなかった。
だが、彼の沈黙の中に、少しの理解が宿っていた。
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夜、彼らは朽ちた神殿の下で野営をとった。
石壁には、古の言葉が刻まれていた。
> 「天は何も守らぬ。
地は何も赦さぬ。
燃えるものだけが、純粋である。」
ジョアナは指先でその文字をなぞる。
彼女の瞳は、敬意と警告の光を宿していた。
「昔、ギルドたちは均衡を守ろうとした。
でも、それでも彼らは人間だった。
そして、野心を持つものはいつか…焼かれるか、焼き尽くす」
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空には、一つの流れ星が赤い空を切り裂いて流れた。
イーリアスは静かにそれを見送った。
この世界は広い。
だが闇の方が、祈りよりも速く走っていた。
そしてその闇の中で——
鎖は、まだ破られていなかった。
…今のところは。
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