第10章 — 道のない道
世界は、二つの時間の狭間に吊るされているかのようだった。
大地は花咲かず、空は涙を流さず、
ただ風だけが、古いものを撫でていた。
そして、その風の中を彼らは歩いた。
道はもはや存在しなかった。
そこにはただ、「道だったもの」の記憶だけがあった。
三つの村を越えた今、彼らは誰にも知られず、誰にも迎えられず、ただ進んでいた。
「私たち、三つの村を通ってきたけど、誰もあなたのことを知らなかった。
でも、みんな…何かを感じてた。」
彼は聞いていた。
いつもそうだ。
たとえ視線が遠くを見ていても。
たとえその封印された瞳が、時折、脈打つように震えていても。
「あなたの名前、知りたいな…」
アーリアは静かに言った。
「でも…たぶん、あなたは忘れてしまったのよね。
あるいは、名前の方があなたを忘れてしまったのかも。」
彼女は足を止めた。
彼もまた、ぴたりと止まった。
「別に答えなくてもいいの。
でも…私の名前、言ってもいい?」
彼は彼女を見た。
それは質問に対する返答ではなく、
“言葉を持たぬ者が、言葉の重さを理解しようとする目”だった。
「アーリア。私の名前はアーリアです。」
風が彼女の髪を揺らし、その名を世界に刻んでいくようだった。
「特別じゃない。強くもない。
ただ…一人はもう、嫌だったの。」
彼は動かなかった。
けれど、その無表情の中に、微かに何かが揺らいだ。
ごく小さな、微かな変化。
けれど、それは確かに——
誰かが、彼を“人間”として呼び戻した証だった。
アーリアは笑った。
「話せなくてもいいの。
ちゃんと伝わってるから。」