page4 その隣
ゾンビの生態の一つに、『嗅覚以外の五感の鈍化』がある。
鼻が利く代わりに目や耳で情報を取りづらい、というわけだ。
その為、調達者は撤退がスムーズにいくよう、催涙ガスを常備している。
『催涙弾命中。そこから南西の方向に元・仮拠点の民家がある。青い屋根が目印だ。そこのクローゼットとか、とにかく密閉できる場所にサラちゃんを隠しておけ』
『了解っす』
『血は拭き取って、そこらに捨てろ。匂いを少しでも攪乱させるんだ』
『了解っす。青い屋根、見えました。あそこに隠せばいいんすね』
『ああ。そろそろ催涙弾の効果も切れる。急げよ』
元・仮拠点の中には緊急の医療キットや食料、水などが置かれていた。
内装は殺風景だが小綺麗で、人ひとりなら住めそうだ。
「クローゼットは...あった」
人ひとり分は押し込めそうな空間。
目覚めたときに白珠が混乱しそうだが、それは申し訳ない。
「悪い、白珠。少しだけ待っててくれ」
一回だけ深呼吸をしてから、小屋を出た。
★★★
「グオ”オ”オ”オ”オ”オ”!!!!!!」
大ジャンプしてからのプレス。
このゾンビはその攻撃を得意とするらしい。
地割れと土煙、そこから伸びてくる掴み攻撃に気を付けながら、奴の行動パターンを探る。
「(腕力がえぐすぎて攻撃受け止めるのは厳しいな。攻撃をさせないか、後隙を狙う方が大事だ)」
クロー攻撃は必ず右手からの振り下ろし。
そんでもって左手を水平に。
それが終わったら俺に近づいてからの右ストレート。
全部外したら大ジャンプからのプレス攻撃。
そして土煙に紛れて不意打ち。
時々イレギュラーはあるものの、大体その行動パターンだ。
まるでNPCみたいだな。
「(来た、大ジャンプ!)」
「グゴオ”オ”オ”オ”オ”!!!」
接地の瞬間舞い上がる土煙。
思わず目を閉じてしまいそうになるのをぐっとこらえ、ゾンビの動きを見極める。
黒い影が見えた。
ここだ。
「ガッッッ............!」
「その足貰うぞ」
ゾンビが突っ込んでくることを見越し、あえての突撃。
すれ違いざまに左足を斬り落とす。
緑色の血が辺りに飛び散った。
「もういっぱあああつ!!」
次は懐から小型ナイフを取り出し、首めがけてぶん投げる。
こっちは外したものの、振り向き際の頬には命中した。初めてにしては当たっただけマシだ。
「グゴッッッッ......」
再び薙刀を構え直し、ゾンビと向きあう。
右足分のバランスを失ったゾンビは機動力も大幅にダウンするから、先ほどと同様の攻撃も逃走も難しいだろう。
形勢逆転だ。ここから攻める。
「(いける......勝てる!)」
★★★
「............は?」
次の瞬間、俺は瓦礫の山にいた。
『新入り、大丈夫か!?』
『も......最上川さん。今...何が起き...まし...た?』
視界がぐらついたまま戻らない。
というか、体全体が動かない。脳が動くことを拒んでいる。
辺りの瓦礫には鮮血がびっちゃりとついている。
赤色だから俺の血か?
『そのゾンビ......動きが鈍いように誤認させてたんだ。多分今のが100%のスピードだったんだ』
超スピードの不意打ちから繰り出された超パワーの一撃をもろに食らった、と言った感じか。
十数メートルは吹っ飛ばされているようだ。
衝撃の影響か、左半身の感覚が薄い。痛みか、出血か、あるいは両方か。
『予備の催涙弾を今撃ち込んで時間稼ぎしてるが、さっきよりも効き目が薄い。立てるか?』
『何とか......ギリギリ』
薙刀を杖代わりにし、よろよろと立ち上がる。
血が足りないのか頭が痛い。
『不幸中の幸いだが、吹っ飛ばされた方向はちょうど基地だ。そのまま逃げてこい』
『白珠......は』
『一度体勢を立て直し、後日救助するのが最善だ』
先程とは打って変わり、冷酷な口調で最上川さんの撤退命令が下される。
確かに、今の大怪我じゃまともに戦えないし、勝つなんてなおさらだろう。
撤退指示は極々当たり前だし、筋も通っている。
......でも。
『......嫌です』
後で怒られるかな。
それとも後なんて無いのかな。
既に姿を見せているゾンビに、向き直る。
『おいやめろ! 死ぬぞ!』
『俺が死んでも今はまだ誰も困らねえっす。最上川さん、今から白珠の救助お願いします』
それだけ言って、俺は無線を切った。
「ふう......」
ふと、空が目に入った。
さっきまで濁ってたのに、清々しくなるくらいの青空だった。
改めてゾンビの動きを観察する。
左足を斬り落としたはずだが無理やりくっつけるように、引きずるようにして移動している。
この状態なら先ほどの超スピードは出せないはずだし、出したとてこの瓦礫まみれの地形じゃ満足に動けないに決まっている。
一瞬の静寂の末、先に動き出したのは奴だった。
「グウ”ウ”ウ”ウ”ゥゥ......」
血が頭に回ってないからか、やけにゾンビの動きがゆっくりに見えた。
奴が右腕を振り下ろす。
さっき観察してた時の行動と全く同じ。
その右腕をあえて左に避ける。
次の左腕の薙ぎ払いはタイミングを合わせ、薙刀を投げてから右手を使って、奴の左腕を軸にして横っ飛び。
そして再度薙刀を掴んでから地面へ落ちる前に、
「一撃」
頬にできていた傷口に再度差し込むように、薙刀を通す。
最初のゾンビと同じように、頬を水平に切断した。
「やっ......た」
着地で頭を打って薄れゆく意識の中、俺はゾンビの体がまだ動いてるのを見ていた。
まずい、頭を切断されても少しだけ動けるのを忘れてた。
ゆっくりと俺にその右手が伸びる。
「斬られたなら大人しく死になさい」
白珠がその手を斬り落としたところで、俺の意識は完全に沈んだ。
★★★
「......はっ!」
「あ、起きた」
視界にはただの白い壁。いや、これは天井か。
気づけば俺は、ベッドの上に寝かされていた。
「ここは......基地か」
「ええ。ここは保健室よ。さっき大体の治療は済ませておいたわ」
ゆっくりと体を起こすも、特に左半身の痛みが凄い。
まさか初日にここまでの重傷を負うとは思わなかった。
窓から夕陽が見える。
あの巨大ゾンビと戦っていたのが正午くらいだったはずなので、結構な時間寝ていたことになる。
「ありがとうございます。えっと......」
「ああ、私の名前は美沢。美しいに軽井沢の沢ね」
長めの黒髪に厚めの唇と白い肌。そしてわずかに汚れのついた白衣。
若い女医さんのように見えるが、目の下のクマが結構ひどい。寝不足なのだろうか。
「美沢さん、他の調達者は......」
ふふ、と美沢さんが苦笑した。
「自分が一番の怪我人なのに、他人の心配が先とはね」
俺の右側にある仕切りカーテンをガラッと開ける。
「やっほー」
そこには左足を包帯でぐるぐる巻きにした荒川さんがいた。
「荒川さん、最上川さんから負傷したって聞いたけど無事だったんすね」
「頭、左手足、右頬を怪我した君の方がやばいよね......まあ、全員無事さ。
君が一人で倒した大型ゾンビを、こっちは四人がかりだから情けないよ。
俺以外はそこまで大した怪我もなく、今頃基地のどっかにいると思う。
サラちゃんも足とか怪我してたけど、美沢さんに治療してもらったから大丈夫だってさ。
それにしても黒金君、よくあのゾンビ倒せたね」
「最初の不意打ちを白珠に庇ってもらったし、勝てたのもまぐれみたいなもんなんで......」
正直不意打ちには最後まで対応しきれてなかったし、最上川さんの援護がなかったら確実に死んでた。
何より最後の一撃は体が勝手に動いた結果だ。こんなのまぐれ勝ちって形容しない方が無理がある。
「いやいや、まぐれでも戦闘未経験が倒せる敵じゃないよ、もっと誇りな」
「サラちゃんもびっくりしてたよ。信じられないって」
何かをノートに書きこんでいた美沢さんも話に混じる。
「あ、そういえば白珠ってどこにいます?」
最初に庇ってくれたことと、最後に守ってくれたことへのお礼を言いたい。
あれが無かったら俺はとっくに死んでいたから。
「あの子は今売店に行ってるよ。もうすぐ戻ってくるさ」
「あいつも怪我してんのに、ようやるなあ」
というか、足を怪我してるのに何を買いに行ったんだ。
美沢さんに頼めばいいものを......。
「サラちゃんね、黒金君へのお見舞い品を買いに行ったんだよ」
「え、俺に?」
にやにやと笑いながら荒川さんが説明を続ける。
「あの子ね、君が治療してもらってる間わんわん泣いてたらしいよ。終わった後もずっと付きっ切りで傍にいたし、何かと君の事を気にかけてるみたい」
「それは嬉しいっすね。なんだかんだ最初から色々世話してもらってるし」
あの時出会ってから、白珠には本当に色んなことを教えてもらった。
基地にだって、白珠がいなきゃ入ることすらできなかったかもしれない。
少しは恩を返せたかな。
泣かしたらしいから、むしろその逆か。
「......なんで二人とも睨んでくるんすか」
「いや君、見た目のわりに鈍感だなって......」
「何がっすか?」
廊下から足音が聞こえる。多分白珠だろう。
今の俺をみて、彼女は何を思うだろうか。
怒るかな、それとも泣くかな。