page27 異変
サラの特別訓練という名の遊びに付き合いつつも、時は移ろいゆく。
夏の暑さはとうに消え失せ、悴む指に苛立ちを覚えるようになる季節だ。
「そろそろ一か月が経つね」
「ああ。次こそは負けねー」
身をよじりたくなるような空っ風だが、訓練後の汗をかいた今なら心地よさが勝る。
階段に座ってゆっくりお茶を飲む、というのもこの世界じゃ贅沢の部類に入るだろう。
ブルーとの再戦は一か月後。
ぴったり合わせるなら、あと三日でその日が来る。
ここまで特別訓練と同時並行して、他調達者に摸擬戦を申し込みまくってきた。
勿論、一対一ではなく複数人に。それもこちらにハンデをつけて。
例えば武器をいつものとは変えてみたり、その場から一歩も動いてはならないルールを設けてみたり。裸足で戦ってみたこともあった。
目的は対応力の底上げ。そして単純な身体能力の強化。
このやり方があっているかは分からないし、まだまだ通用しない可能性だって大いにありうる。
それでも、この世界では行動そのものに意味があるのだ。
「武器の調子もバッチリ。あと三日、やれるとこまでやるぞ」
今日は武器屋に愛用の薙刀をメンテナンスしてもらった。
もしもの時用として拳銃やその弾、耐久性のあるベストなどの装備を色々購入していたらいつの間にか空が朱く染まりかけていた。
「......あ、うん。そうだね」
「どうした、何か考え事か?」
サラが途中から遠くの空を眺めていた。
最初はぼーっとしているのかと思ったが、その割には瞳の輝きが失われていない。
「うん。ブルーちゃんの事でちょっとね」
「話してみろよ。笑わないから」
「あのさ、ブルーちゃんってなんで私たちの元にやってきたのかな」
......そういえば聞いてなかった。
研究所が名古屋にあるらしいから、偶々こっちの方面に逃げてきたのだろうと勝手に決めつけていた。
だが逃げるだけなら内地側のほうが身を隠しやすいだろうし、人を求めるなら東海道を伝って関東方面へと出たほうが遭遇する確率も上がる。
それに、俺達のために滞在し続けるのも妙だ。
面白いから、というしょうもない理由で彼女は近くの海岸に拠点を張っているが、復讐を考えてる奴がそんな悠長な事をするだろうか。
「つまり、別の目的があって俺達を誘っているという事か?」
「考えすぎかもしれないけどね」
「いや、そんなことは無いだろ。ちょっと俺も考えてみる」
言われてみれば気になってくる。
別の目的が仮にあるとして、それはいったい何なのだろう。
「俺達を誘う理由が戦力以外にある、と考えてみるか」
「つまり私達に特別な何かがある、という事だね。それなら分かりやすいかも」
俺達の共通点を挙げるなら、その一つは言うまでもなく『別世界から来た事』だろう。
他に『同じ基地で暮らしている』『年齢がほぼ同じ』『武器を使い、ゾンビを殺すことができる』など色々思い付きはするが、恐らくは関係ないと思われる。
とするとブルーは俺達の過去を知っていることになるのだが、ならばどこでそれを知ったのか、という疑問が浮上する。
その辺に俺達の出自が書かれた紙が落ちていた、なんてご都合主義が無いのなら、恐らく研究所で知ったことになる。
じゃあ研究所にいる人物は何の目的で、どこでどうやってそれを知るに至ったのだろう。
「目的から探ってみるか。転生者を見つけて何がしたいのか」
「私だったら、『転生の方法を聞き出す』とかかなぁ」
「俺なら『転生前の世界を知りたい』だな」
いずれにせよ、他の世界が存在している事を知っている、という前提になる。
それをどこでどうやって知ったのかも気になるが、流石にそこまで思考を回してもきっと満足いく結論は出ないだろう。
「じゃあどうやって俺達の存在を知ったと思う?」
「うーん...私達にGPSを仕掛けている、なんてこともあるわけないし......」
「まずその人物と直接出会ったことが無いんだよなぁ」
そもそもこの世界に俺達の出自を知る人間はいない。
不審に思う人間は一定数いると思われるが、それはあくまで基地内での話。研究所、つまり完全な外部で知っている人間などいるわけがない。
基地内の誰かをスパイとして送り込んでいる、という手もあるにはある。
だがネットワークがほぼほぼ死滅したこの世界では情報の送受信には直接のやり取りが必要になる。基地の内外を調査する調達者の俺達がそんな怪しい奴をみすみす逃すような事をするだろうか。
知性のあるゾンビを遣わして俺達の動きを観察するという手もあるが、基地の外でそんな易々と転生関連の話をしていないので俺達が転生者だとわからないはず。
勿論、基地内でも周囲に聞こえるほど明け透けにやっているわけではない。
となるとより外部、この世界の外から知っている人間という事になるのだが...。
「......神だな」
「え?」
「サラ、お前転生するときに神と会っただろ? どんな姿だった?」
「えーっと、私よりも少し幼そうな女の子だったかな。あと老人みたいな喋り方してた」
俺の見た神の姿と一致している。恐らくは同一。
人間ではないが、奴なら俺とサラの両方に接触して且つ出自を知っている人物。
奴ならここまでの話に矛盾点はない。
「じゃあ神様が研究所に居るってこと? なんで?」
「そこまでは分からん。だけど、この流れには多少なり神がかかわっているとは思うんだよな」
「......私達が神様に勝てるとでも?」
「別に戦う必要は無いんじゃね? 勝たなきゃいけないんならブルーは最初から諦めてるだろ」
だが、もし黒幕が神であるなら新たな疑問が生まれる。それはブルーの存在。
彼女は復讐がどうとか言ってたが、神がそんな存在をほったらかしにするだろうか。危険な存在故に真っ先に処分するのではなかろうか。
あえて逃がした、とするなら神は俺達が来ることを待っているのかもしれない。
まあここまで色々考えてみたが、とにかく分からない事が多すぎる。
もう一度ブルーと会ってその目的を聞いてみない事には何も始まらなさそうだ。
「もう暗くなってきた。そろそろ部屋に戻ろっか」
サラが腕をさすりながら立ち上がる。
空っ風が吹く中でずっと外の階段で駄弁っていたので、風邪でも引いてなければいいのだが。
「......」
「京平、どうしたの?」
一段と強い風が俺達の身体に纏わりつく。
流れていくのではなく、纏わりつく。
どうにも気に障る悪寒。そして心臓を突かれているような不快感。
烏が鳴き喚き、黒猫の死骸が目に映る。
動悸が激しさを増し、呼吸するのが苦しくなる。
「......来る」
「え?」
「全員、建物の中へと避難!!!」
ボスの怒号にも似た大声が基地中に響き渡る。
......ああ、すっかり忘れていた。
この世界は、とうに地獄だった。
「ゾンビが北西、北東、南東のバリケードを突破し基地内進入!」
「襲撃数、最低でも五〇〇!」
「調達者は建物入り口で交戦し、可能な限り殲滅しろ!」
「第一第二校舎と体育館に防御を集中し、それ以外は直ちに放棄せよ!」
「一般人も武器を取り戦え! 窓からの投擲でもなんでもいい!」
住民の恐怖、戸惑い、怒り、絶望の声があちこちから聞こえてくる。
「な...なんで急にこんな」
ずっと、ずっと忘れていた。
この世界はとうの昔に壊されていて、俺達はその中で寂しく生きる芥の一つ。
この基地で生きることに慣れて、その先を見ようとしていなかった。
突然の出来事で、身体が硬直してうまく動かない。
「京平、細かいことは後。今は襲撃を食い止めなきゃ」
サラの言葉ではっと我に返る。
そうだ、俺達はこの基地を守るためにいる。
だったらここで動けなくてどうする?
「...ああ。校門前に急ぐぞ」




