page23 ブルーちゃん
「なぁ、俺たちがゾンビに言語を覚えさせようとした理由ってなんだ?」
「......ゾンビに直接、研究所のありかを聞くためね」
「それってよ、『ゾンビは喋れない』という前提条件が無意識にあったからだよな?」
「......うん」
「じゃあ、今俺達の正面にいる女って、本当にゾンビなのか?」
俺の指差した方には、元簡易拠点だったろうと思われる瓦礫の山。
そしてその頂上に座りながらこちらを見下ろしているのは、到底ゾンビとは思えない姿かたちをした女性だった。
「喋れるゾンビに出くわしたからってビビりすぎ。アタシも他のゾンビとそれ以外変わんねぇさ」
ショートの黒髪に似合う、ボーイッシュな顔立ち。
少しくすんだミルクコーヒー色のダウンジャケットに黒いスポーツレギンスという格好は見栄えよりも実用性を重視していることが見て取れる。
身長は一六〇強くらいだろうか? 同じ高さにいないので少しわかりづらい。
これだけの情報ならばただの一般人と大差ないが、彼女には他と違う点があった。
それは肌の色。他ゾンビほどはっきりした色ではないが、朝日に照らされたそれは若干の腐敗感を見せるような緑色をしていた。
加えて顔や腕に見られる痛々しい縫い傷は、彼女の発言の説得力を更に加速させる。
「とりあえずお前がゾンビか人間かは一旦置いておく。お前に聞きたいことがあるんでな」
「ほう、何さ」
「その瓦礫の山、お前がやったのか?」
元々俺達は言葉を覚えさせるつもりで、昨日ゾンビを簡易拠点に閉じ込めた。
そして今日、どうしようかと悩みながらやってきたら、元々あった青い屋根が目印の簡易拠点は一夜にして瓦礫へと変貌を遂げたというわけだ。
「そうだ、と答えたらどうする?」
「調達者及び基地に仇なす者として拘束させてもらう」
脅すつもりではないが、こちらも戦えるぞという意思表示のために薙刀を奴へ向かって突きつける。
流石に距離があるせいか、彼女は眉一つすら動かさなかった。むしろこちらの出方を楽しんでいるような表情をしている。
「......流石に敵意見せすぎじゃない? もうちょっと友好的にできないの?」
奴にばれないように、ヒソヒソ声でサラが俺に耳打ちする。
「あいつがゾンビと名乗った以上は敵判定でいいだろ」
「でもさ、あの人から研究所の場所を聞き出せるんじゃない? 簡易拠点が死んだ以上はその方法が一番早いと思う」
「あいつが情報漏洩を恐れて壊した可能性もあるだろ。あと俺は殺すわけじゃないから」
「.........ぷっ」
流石にヒソヒソ話が長すぎたのか、それともずっと話を聞いていたのか、突然奴が噴き出した。
「あっははははははは!! アンタら面白いね!」
会話は聞かれていたっぽいが、一体どこが奴のツボに入ったのか分からない。
得も言われぬ恐怖感を俺達は覚え、瓦礫の上でゲラゲラと笑う彼女をただ傍観するしかなかった。
「ふーーっ。初めてだよ、アタシを見てすぐさま襲い掛からなかった奴は」
たっぷり一分間笑い転げた後、ヒーヒー言いながら彼女が瓦礫をひとっ飛びで降りた。
一瞬身構えたが、どうやら敵意はなさそうだ。眼に涙が浮かんでいるあたり、ガチで笑っていたっぽい。
「せっかくの情報を吐き出せるゾンビを殺そうとする人間がいるのかよ」
「もしかして『襲い掛かる』ってそういう......?」
サラが手で口を押さえた。顔が真っ赤になってる辺り、絶対的外れな妄想をしている。
そしてこういう時にふざけるのはやめてほしい。
「そうだ、アンタらアタシに名前を付けてくれよ。適当でいいからさ」
彼女がずいっと顔を俺達に近づけた。
その顔は縫い傷さえなければ、若しくは綺麗に縫合されていたらと思ってしまうほどに整っているように感じる。
イメージとしては女子高の王子様に近いだろうか?
「......サラ、つけてやれ。俺にはそういうセンスは無い」
「じゃあ『ブルーちゃん』で。『ちゃん』まで名前ね」
話を振ってサラが口を開くまで一秒も掛からなかった。
「どう見てもブルーじゃなくてグリーンなんだが。あと『ちゃん』まで名前にする必要性は?」
「私、青色が好きなの」
「会話になってないんだけど」
そしてサラ、お前名前の割に白とか銀じゃなくて青が好きなのかよ。
まあ俺も黒と金は別に好きじゃないけれど。
「いいねブルーちゃん。可愛くて気に入った。アンタらの名前も教えてくれ」
気に入ったんだ。
「俺は黒金京平。さっき変な事考えてたこいつが白珠サラ」
「考えてないけど...。誤解しただけだけど...」
「へえ、いいコンビじゃん」
とは言いつつも、ブルーは笑いを堪えきれないかのように口元が揺らいでいた。
多分だけど茶化しの意味合いも混じっていると思われる。
「さて、アタシたちは互いに名前を言い合ったわけだけど、これはもう知り合い同士と言って差し支えないと思わないかい?」
「......ちっ、何が狙いだよ」
こうやって敵意を解いて、話し合いの場でも設けようという気か。
或いは揺らいだ空気に不意打ちを決め込むのか。
わざわざ宣言したという事は後者はなさそうだが。
「飯を分けてくれ」
「......飯?」
飯って、食べ物の事か?
最初に彼女は自身の事をゾンビと称していたが、ゾンビって食物を摂取するものなのだろうか?
「ああ。丸二日水しか飲んでなくて死にそうなんだ。助けてくれ」
「あ、じゃあ私の非常食あるからいいよ」
★★★
「はー、食った食った。ありがとうな嬢ちゃん」
サラの持っていた携帯食を五本すべて平らげ、加えてボトル一本分の水まで飲み干しやがった。
久しぶりの固形物に満足したのか、ブルーは腹をさすって幸せそうな顔をしている。
ちなみにだが、携帯食は調達者全員に毎週五本ずつ渡される代物。若干塩味があるくらいで、お世辞にも美味しいとは言えない。
それでも長期保存と持ち運びの利く食料は大変貴重で、調達者以外が食べることは許されない風潮がある。
「あ、お礼はいらないので交換条件として私の質問に答えてくれませんか?」
さっきまでふざけていたはずのサラが急に真面目くさった顔をする。
「お、切りこむねぇ。いいぜ、何でも聞きな」
「一つ、貴女はゾンビだと自身で発言していたけど、その証拠は?」
例えば、腕を切断してもくっつくとか、嗅覚以外の五感が鈍いとか。
先程から彼女とは普通に意思疎通が可能だし、一般人と同じものを食するという点でも内面におかしさは感じられない。そのことには既にサラも気づいていたようだ。
「証拠も何も、この体を見りゃゾンビってわかんだろ。ああでも、ゾンビって言い方は悪かったか」
「どういうことだよ」
「アタシはゾンビはゾンビでも突然変異のゾンビだ。アンタらも心当たりあるだろ?」
突然変異。
大型ゾンビや鉱石ゾンビのように、一般種とは異なる特徴を有するゾンビの事を指す。
一言に特徴といっても、特殊能力が追加されているタイプや人以外の素体が使われているタイプなど、その分類は様々。
それなら確かに、突然変異で知性を持つゾンビが現れたとしても不思議ではない。
「じゃあ二つ目。貴女はどこで造られたの?」
「......研究所」
一瞬黙ったあたり、やはり研究所のありかは知られたくないのだろう。
「んなもん分かってんだよ。研究所がどこにあるかって聞いてんだ」
「愛知県の山奥。正確な住所は覚えてないが、案内ならできる」
言うんかーい。
そしてさらっと案内出来ると言ったが、覚えていないのに案内は可能ってどういうことだよ。
「...言って大丈夫なのかよ。お前を作った奴は知られたくなかったんじゃねーの?」
「嬢ちゃんの質問なら答えるが、アンタの質問にゃあ答えらんねーな」
どうやら飯をくれたサラの質問に、貰った食料の分だけ答えるという方針らしい。
渡した携帯食は五つなので、後三つ質問に応じるとのこと。
......一つ目と二つ目の質問は俺に応じたわけではないのか。
「じゃあ三つ目。なんで簡易拠点を壊したの?」
「アタシが壊したんじゃあない。追手と戦っていたらうっかり壊しちまっただけさ」
ブルーが指さしたところの瓦礫をどけてみると、ぐちゃぐちゃに潰れた緑色の腕があった。太さからして捕獲していたゾンビとは別種だ。
前の大型ゾンビとの戦闘で分かりづらくはなっているが、道路や民家の損傷が以前より増えているのも分かる。
そして、ブルーは恐らく研究所から追われている身なのだろう。少なくとも一つの研究所からは。
そうでなければ自分を造ってくれたであろう機関の在処を他人に教える訳が無い。
「じゃあ四つ目。貴女を造った人の事をどう思ってる?」
「ぶち殺したいに決まってんだろ。そのためにアタシは研究所から逃げ出してきたんだ」
明確な殺意。そこに嘘は無いとみてよさそうだ。
その殺意の理由も聞きたいが、今は別に置いといても大丈夫そうだ。
「最後。私達も訳あって研究所へと行きたいんだけど、協力してくれない?」
「...質問じゃなくて要求じゃねぇか」
ついさっきまで気怠いながらも質問に付き合ってくれていたブルーが、急に湿気たような顔をする。
「疑問形だから質問でいいだろ。んで答えは?」
「断る」
ここまで完全に協力ムードだっただけに、予想を裏切られて相当サラがショックを受けている。
勿論俺も驚いた。ここまで言っといて協力しないとかおかしいだろ、と。
「理由は一つ。アンタらじゃ弱くて使い物にならねぇ。案内してやってもいいが、多分道中で死ぬ」
「てめぇ喧嘩売ってんのか? 俺達がそんなに弱そうに見えんのかよ」
「ああ。なんならここで一つ戦りあってみるかい?」
ブルーが懐に差していた短刀を取り出す。
恐らく幾人ものゾンビを斬ってきたであろうそれは、朝日を受けて鈍く輝いていた。
「上等だ」




