page15 傷つき傷つけ それでも生きる
皆が寝静まった学校。
物音ひとつない校舎の階段を一段ずつ上っていく。
コツン、コツンと靴の音だけが反響しているのが、やけにうっとおしく感じた。
打ち上げの片づけを終わらせて、屋上かどこかで見張りでもしようかと思っていた矢先。
話がしたい、と言い出したのは白珠の方だった。
「私の過去について、全部伝えたい」
これまでも、妙に思う部分はあった。
俺が転生してきたという事実を普通に受け入れたり、明らかにこの世界で形骸化したであろうものを知っていたり。
ここに来る前は一体どこで何をしていたのか、ほとんど教えてくれなかったり。
だから、誰にも聞かれないような屋上で話すことにした。
今日だけは見張りもいないので、大事な話をするなら今日しかない。
錆びついたドアをこじ開けると、暗闇と共に夜風が心身に染み渡っていくのを感じた。
今宵は満月。雲もないお陰で、夜だというのに周りが良く見える。
「あ、見て。星がキレイ」
開口一番に彼女が発した言葉がそれだった。
見上げると、満天の星空が広がっている。
これまでじっくりと星空を観察したことは無かったが、これまでに見てきたどの星空よりも綺麗だと思えた。
「確かに。俺がいた世界よりも綺麗だと思う」
「俺がいた世界、ね」
しばらく上空を眺めてから、さりげなく白珠が俺の正面に立った。
「黒金君。貴方、私の顔に見覚えはない?」
随分唐突な質問。
だが無視するわけにもいかないので、じっと白珠の顔を見る。
透き通るような白い肌に、人形のように整った顔立ち。
青みがかかった目と薄ピンクのハリがある唇は、ずっと見てると吸い込まれそうになる。
そして、そんな彼女の魅力を代表するであろう要素が、銀色に輝く髪。
ん、そういえば銀色の髪って......
「あぁ、俺が最期に助けた女の子か」
「あたりっ」
煌めく星空にも負けない、満面の笑顔。
トラックに轢かれる直前に、一瞬だけ顔を合わせたような気もする。あの時はショートだったうえに帽子を被っていたからよくわからなかった。
言われてみれば白珠っぽい顔だったような気もする。
それがこうして死後にもう一度顔を合わせることになるとは。
「......ん? 俺と今一緒に居るってことは、お前あの時助からなかっ......?」
「いや違うから! 青ざめないで!」
どうやら、あの後白珠はちゃんと天寿を全うできたらしい。よかった......。
死後、生前に俺を見習って沢山の人を救い続けたご褒美に、神様に何か一つだけ願いを叶えてくれると言われたとのこと。
そして彼女の願いが『私の事を助けて死んだ人に会いたい』だったため、俺がいるこの世界に転生した、というのが一連の流れになる。
「あれ、じゃあなんで俺より先にいたん?」
「さぁ......? 神様の気まぐれじゃない?」
白珠側からしても、三年も待たされたのは結構つらかったと思う。
因果律あたりをちょいっと弄れば俺と白珠の生年を逆転させることなんてわけでもないだろうし、まぁ神の悪戯とでも思っておこう。
そもそも善行のご褒美というシステムが何かキナ臭いが、一旦頭の片隅に留めておくことにする。
「それで、何で俺に会いたいと?」
質問しつつも、なんとなく答えはわかってた。
俺が彼女なら、そうすることを望んだであろうから。
「ずっとずっと、貴方にお礼を言いたかったの。
名前も顔も知らない私を助けてくれてありがとう。
私に生きる意味を教えてくれてありがとう。
そして、この世界でも私と一緒に居てくれてありがとう。
私を救ってくれて、本当にありがとう。そして、ごめんなさい」
そう言って、白珠が深々と頭を下げた。
最初、俺には『ごめんなさい』の意味が分からなかった。自分を助けてくれた相手に対して謝罪の言葉を向けるのはおかしいのではないかと思ったからだ。
だけどすぐに分かった。その言葉は、白珠の優しさと覚悟を表していたんだ。
自身を助けて命を落とした人間の前に再度現れるという事は、場合によっちゃあ殴られてもおかしくない。『お前のせいで死んだんだ、責任取りやがれ』と、逆に殺される可能性だってゼロではなかったはずだ。
それでも、白珠が打ち明けてくれたこと。俺にはそれが、たまらなく嬉しかった。
「白珠、顔を上げてくれ。俺は別にあの日を後悔してないし、お前を恨んでもいない。なんなら、お前を助けて死ねたことを誇りに思ってるんだ。
小さいときに両親が死んでから、俺はどこにも居場所が無かった。みんなが普通に持っているものが俺には無かったから。
世界中が俺を無視してるように感じたんだ。
だから、俺は生きる意味を探してた。
だけど、勉強もスポーツもできやしなかった。ただ生きるだけで必死だった。そんなことする余裕なんて無かった。
試行錯誤の結果、俺は『良い人』になろうとした。
とにかく他人を助けた。
お礼をいわれるたびに、俺が世界に肯定されていくような気がしたから。
別に後世に名を残したいわけじゃない。インフルエンサーになりたいわけでもない。
ただ、『ありがとう』が欲しかった。きみのお陰で救われた、って言ってほしかった。
そして今、俺が命を賭して救った人が、ここに現れて精一杯の感謝をしてくれた。
これほど冥利に尽きることがあるだろうか? これほど生きた実感を味わえたことはあるだろうか?
だから、きみの言葉は俺の生きた意味でもあって、俺が救われた瞬間でもあったんだ」
紡ぐ言葉全てに、嘘は欠片もない。
目を背けず、思っていたことを思っていた通りに。
ずっと黙って俺の言葉を聞いていた白珠の目に、いつのまにか涙が浮かんでいた。
「良かった......貴方があの日を後悔してなくて......」
嗚咽のような声とともに、白珠が膝から崩れ落ちた。
顔を隠す両手から零れるように涙が滴り、膝へと流れていく。
多分、彼女は俺が死んで以降、ずっと後悔しながら生きていたのだろう。自分が代わりに死ぬべきだったと。
死にたいと思う日だって数えきれないほどあっただろう。
もしかしたら、俺はその優しさに頼りっきりだったのかもしれない。
「後悔なんてしないさ。今までも、これからも」
辛い時だってあるだろう。悔しい時だってあるだろう。
深い絶望に飲み込まれそうになる時だってあるかもしれない。
それでも、君とだったら安心さ。意外と頼りにしてるんだ。
いつの間にか、東の空が白み始めていた。
★★★
少しずつ光が射していくグラウンドを二人で眺めていた。
一人、また一人と誰かが外に出てきて、体操をしたりランニングをしたり、あるいは何かの仕事にとりかかっている様子を見ていると、ついつい時間を忘れてしまいそうになる。
「そういえば、葛城ってどういう人だったんだ?」
俺が来る前にこの基地で調達者をやっており、去年の防衛戦で鉱石ゾンビによって命を落とした。
基地内最強の女性であったというのは知っているが、どんな人柄だったのかは分からない。
白珠の面倒を見ていたのだから悪い人ではないだろうが。
「えっとね、おっぱいが大きい人だった」
「この流れで乳の大きさを出す人間がいることが恐ろしいよ俺は」
「あ、真面目な話?」
「お前空気とか読めないタイプ?」
葛城紗友里。享年二十八歳。
白珠に基地での生き方を教えた人で、基地内の色んな人に尊敬されていた凄い人。藤堂さんのような気難しい人ともすぐに仲良くなれるようなコミュ力の持ち主だったらしい。
その長身と物干し竿のような剣を流麗に使いこなすその姿から、『水龍』という異名があったとか。
「そして、この学校の卒業生なんだって」
「へぇ、この学校の」
元は学校だったのを改造して基地に仕上げたんだ。OGくらいはそりゃあいるだろう。
とはいえここは結構色んな所から集まってきた人が多いから、案外OB・OGは見かけない。一応ボスがOBだったというのは聞いたことある気がする。
「私の命の恩人だった。大好きな先輩でもあった」
曰く、白珠が転生して最初に遭遇したゾンビから助けてくれたのも彼女らしい。
身元も明かそうとしない白珠の事を簡単に信じ、基地に何の躊躇いもなく入れてくれた。
少々危機感が足りてないような気もするが、白珠にとっては光のような存在だったろう。
「そんなに好きだった先輩が死んじまったら、復讐とか考えちゃうのも仕方ないのかもな」
「うん。だけどね、私の原動力はそれだけじゃないの」
葛城が死ぬ間際、白珠に遺した言葉。
『この学校は私の思い出なんだ、頼む』
つまり、白珠は葛城の言葉を守るつもりだった。
葛城が学生だった時に、当時の友達と過ごした何気ない日々。
その思い出を守っていた、ということになる。自分には一切関係もないのに。
「......まぁ、結局は私ひとりじゃ守れなかったんだけどね」
この前の事を思い出したのか、白珠がフェンスの手すりに突っ伏した。
「そうだな。あのままじゃ守れてなかっただろうな」
「うん。先輩の宝物を壊しちゃうとこ......」
「いや違うって。もっかい遺言思い出してみろ」
きょとんとした顔で白珠が俺の顔を覗き込む。
前から思ってたけどコイツ俺の顔見るの多くね? そんなに面白い顔してる?
「葛城って人にとって、この学校は学生時代だけのモンじゃないだろ。基地として過ごした日々も大切な思い出に決まってる」
そして思い出というのはモノや場所だけに宿るわけじゃない。
白珠やその他基地住民にも、葛城って人との記憶があるはずだろ。
「そういうの全部まとめて、その人は学校って言ったんじゃねーの?」
「......どういうこと?」
「要するに、お前や他の人との思い出全部ひっくるめて、『この学校』って称したんじゃないか、ってこと」
葛城という人は、多分だけど白珠に復讐してもらいたかったわけじゃないと思う。
藤堂さんや荒川さんのような仲間たちと一緒に、この基地で仲良く過ごしてほしかったんじゃないか。そんな気がする。そしてそんな居場所を、自分たちで守り続けながら。
それを少しだけ遠回しに言ったのではないか。正直に伝えるのは恥ずかしいから。
「そっかー......」
思ったことをそのまま言ったつもりだが、存外白珠は気にしてない風だ。
会ったこともない人の事なんて分かるわけないから、俺の言葉が響くことなんてあるはずないだろうが。
「......私も、前に進んだ方がいいのかな」
「前ばっか見てると死んじまうけどな。俺みたいに」
せめてこの世界では、彼女が幸せに生きれますように。
上りゆく朝日に、そう願った。