page13 君となら安心さ
とても寒い。
身体から体温が奪われているのが犇々と感じる。
頭が回らなくて、身体が思うように動かない。
「はぁ...はぁ......強い」
目の前で私を見下ろすのは、かつて大好きだった先輩を殺して逃げたゾンビ。
全身が鉱石のようなものに覆われていて、二メートルを超す体格も相まって並みの攻撃じゃ歯が立たない。
この時のために訓練を積み、場数も踏んできた。
その結果がこの有様。結局は全て無駄な事だったのかもしれない。
「ウ”ウ”...ウ”ウ”ウ”ウ”.........!」
「化け物が......」
最上川さんから貰った催涙弾で動きを制限させてから銃撃で頭部を損傷させ、ナイフで首を刎ねるつもりだった。
しかし、まさか催涙弾が効かない個体だとは思ってもみなく、煙からの不意打ちで頭を思いきり殴られた。
体勢を立て直すために距離を取ろうとするも、血の匂いを敏感に感じ取って的確な追撃を行ってくるゾンビに対して何もできず、ただ殴られ続け、壁へと叩きつけられた。
見習いはいつの間にかどこかへ姿を消してしまった。
先輩のこんな醜態を見てしまっては、尻尾撒いて逃げるのも仕方ない。
「身体が......動かない」
あまりに血を流しすぎたせいで、うまく立つことすらままならない。
気づけば既に頭だけでなく身体のあちこちから出血していて、足元のアスファルトに鮮血が滲んでいる。
「(私...死ぬのかな......)」
失血で頭が思うように回らず、打開策も何一つ浮かんでこない。
一歩一歩近づいてくるゾンビをただ眺める事しかできなかった。
死。
今までに考えることはあっても、私自身が直面したことはなかった事。
絶体絶命の状況で、不思議と眼前に思い出が次々と移り変わっていく。多分これを走馬灯と言うのだろう。
神様にお願いして、この世界に転生してきたこと。
右も左も分からない世界で葛城さんに助けられて、基地に入れてもらったこと。
過酷な生活のなか、葛城さんや凛花ちゃん、留美ちゃんと話した思い出。
そして、やっと出会えた、私を救ってくれた人。
いつの間にか、ゾンビの腕に掴まれていた。
常識外れの腕力と私自身の出血で到底抜け出せない。相手もそれを分かっているから、ギリギリと握り潰して捕食でもするかのように大口を開けている。
あぁ、もうダメかな。
こうなるなら、ちゃんとお礼を言っておけばよかったな。
いつも後悔してばっかりね、私の人生。
ただゆっくりと、目を閉じる。
せめて痛い思いせずに、すぐにもう一度あの世に逝けますように。
「ウ”ガ”ア”ア”ア”ア”ア”!!!」
ゾンビの絶叫が聞こえたと同時に、私の身体が宙に舞う。
一瞬の浮力を感じた後、がっしりと誰かに受け止めてもらった感触がした。
「白珠、大丈夫か!?」
汗水垂らして私の顔を覗き込んだのは、ずっとずっとお礼を言いたかった人だった。
★★★
「だい......じょうぶ.........」
ヒュー、ヒュー、と血まみれの顔から風前の灯のような息をする白珠。
間一髪のところでゾンビの脚を刺して救ったものの、奴を倒してから保健室に運ぶまでの猶予は到底なさそうだ。
「最上川さん、お願いします!」
俺の声に応じて、基地屋上から催涙弾が発射される。
暗闇の中から放たれるその弾は当然ゾンビにも視認できるはずもなく、ぶち当たって煙が瞬時に広がる。
これで奴は一定時間動けないはず......
「うわっと!?」
煙の中から的確に俺を狙ってきたパンチを咄嗟に避ける。
普通のゾンビは嗅覚以外の五感が劣化しているのではなかったか?
白珠の血を嗅ぎ取ったか? それとも嗅覚以外も発達してる突然変異か?
どっちにしろ、この煙でも俺たちを補足してくるなら逃走は難しい。
となると、白珠に耐えてもらうしかないのだが...。
「おい、白珠を寄越せ」
煙に紛れて俺の背後にいたのは、北の防衛をしていた藤堂さん。
ここに来るまでには合流しなかったが、ちゃんと俺の行動を分かっていてくれたらしい。
「見習いに五分だけ粘るよう脅しておいたから大丈夫だ。さっさと俺に預けろ」
脅しておいた...?
そいつ後で逃げるのでは...?
だが、ここで加勢に来てくれたのはこの上なくありがたい。
「だ...め......」
「は?」
「私が......殺さ...なきゃ.........」
掠れた声で、まるで譫言のようにその言葉を繰り返す白珠。もはや意識さえあるのか分からない。
「お前の奴に対する恨みは分かるが、ここは大人しく引いて黒金に預けるのが最善だ」
藤堂さんが至極もっともな理論を語っても、なお彼女は同じ言葉を繰り返す。
彼がどうする、と言いたげな目線を俺に向けてきた。
多分ここで俺に任せろ、と言っても、彼女は納得しないのではないだろうか。
朧げにしかわかっていないが、少なくとも白珠はあの鉱石ゾンビと因縁がある。それを部外者である俺が、勝手に断ち切ってしまってはならないだろう。
だからこそ、ここで俺がやる行動は、謝る事と託してもらう事。
「悪い、白珠。アイツ強いわ。俺一人じゃ多分勝てない」
何言ってんだ、と藤堂さんが素で驚いた顔をした。
白珠に一歩近づき、頭を下げる。
「だから、お前の武器を貸してくれないか」
白珠の手がゆっくりと懐に伸び、黒く光る拳銃を取り出した。
ついでと言わんばかりに弾が四つ、ポケットから零れ落ちる。
「...助かった。ありがとう」
拳銃を受け取ったら、白珠の腕がだらんと伸びた。
一瞬死んだかと思ってヒヤリとしたが、息はあるっぽい。
「白珠が気を失ったようだ。俺は保健室に向かうから、危なくなったら遠慮なく言え」
「了解っす」
「じゃあ、健闘を祈るっ!」
藤堂さんが踵を返した瞬間、鉱石ゾンビの拳が煙を抜けて伸びてきた。
白珠狙いのソレを薙刀の柄でガッチリと受け止め、敢えて傾けてバランスを崩させる。
僅かに崩れたところを一撃。
が、それは月光に光る鉱石に阻まれてしまった。
「ちっ、やっぱ硬ぇな」
見た目通りの硬さと重さ。
新品の薙刀でもびくともしない。
「ウ”ガ”ア”ア”ア”!!」
「おっと」
コイツの拳はその硬さに加え、尖った鉱石が幾つも刺さっている。例えるなら画鋲の刺さりまくったボクシンググローブ。
一度殴られただけでも致命傷、下手すれば即死だろう。
ただブンブン振り回されているだけでも中々攻めづらいのが厄介だ。
一度距離を取り、薙刀を構え直す。
「さっきみたいに不意打ちすればいけるか...?」
奴の身体は非常に硬いが、一応生物な以上関節を固めるのには限界がある。なので可動域は鉱石でコーティングされてないのがわかる。
例えば、肘や膝。指とか脇。そして首。あとは関節ではないが体内。
そういった部分を狙えば充分勝機はあるはずだ。
ステップで誤魔化しながら引き気味に攻撃を受け流す。
初陣の時に出た大型ゾンビのような大ジャンプはしてこないぶん、腕に気を付ければ当たることはない。
薙刀を奴の拳に対して垂直になるよう構え、ヒットしたらわざと引いて体勢を無理やり崩させてから柔らかい部分を狙う。
が、奴も狙いに気づいているのか前のめりな攻撃をしてこない。
「カウンターはバレてるな...。とはいえこっちから攻めるのはリスクが高すぎる。どうにかして動かさないとジリ貧だな......」
こっちは疲労がじわじわ蓄積されるが、多分奴にはそういった概念が存在しないのだろう。
ある程度時間がたち、俺とゾンビが五メートル程距離を取り合う。
「どうした? かかってこいよ雑魚が」
わざとらしい挑発をするも、やはりゾンビには効果が薄い。
さてどうするか、と考えた途端、奴が俺に背を向けて歩き出した。
ここで逃亡か!?
若しくは役目を達成したと自己判断、あるいは諦めたか?
いや、それなら走って逃げるはず。これはただの歩行より遅い。
一瞬面食らったが、そのまま逃げられるわけには絶対にいかない。
「逃すか!」
思わず走り出して接近した刹那、奴の背中に生えていた鉱石が外れて勢い良く飛んできた。
予想外の攻撃ながらも間一髪でガードしてギリギリ致命傷は免れたが、鉱石の破片が容赦なく俺の皮膚を抉っていく。
何本かが俺の腹や足に突き刺さり、ドクドクと血が流れる。
「ウ”オ”オ”オ”オ”!!!」
今だと言わんばかりにゾンビが拳を握りしめ、俺のもとへ突っ込んでくる。
まるでトラックに跳ね飛ばされた時のような衝撃が全身を駆け巡った。
一瞬宙と意識が舞ったがギリギリで地面に受け身を取るも、脳にダメージが行ったのか視界がぐらつく。
「くそっ、舐めやがって......」
何油断してんだ俺は。
自分の情けなさに、噛み締めた奥歯ががちりと鳴った。
白珠を助けただけで満足かよ?
こいつを基地に入れるだけで、一体どれほどの人が死ぬか分かってんのか? どれほどの人が絶望するか分かってんのか?
なんとしてでも、ここで勝たなきゃいけない。
勝って帰らなきゃいけない。
動け、黒金京平。その体が動く限り、皆に応え続けろ。
「ウ”ウ”ウ”ウ”......」
ゾンビが目の前に立ちはだかる。
おそらく、慎重にとどめの一撃を決めようとしているのだろう。
自身の拳ではなく、自慢の武器で。
その手には先ほど飛ばして拾ったであろう鉱石があった。
ハンマーみたいな形状で、今にも振り下ろしてきそうだ。
「来いよ」
傷口のお陰で空気が過敏に感じられる気がする。
失血のお陰かやけに動きがスローモーションに感じられた。
ここだ。
「ガ”ッ”......?」
振り下ろしたその腕をギリギリで躱し、上から薙刀を突き立てて地面まで貫通させる。
地面に固定されて動けなくなったところに跳びかかって、戦友の銃弾を四発。
二発は喉仏の外側。もう二発は口の中に直接撃ち込んだ。
「ウ”ボ”ア”ア”ア”ア”!!!」
暴れたころで薙刀を引っこ抜き、柄を割る。ネジ式で真ん中が固定されてたから割って大丈夫なやつ。
石突の方にも折り畳み式の刃を開き、穂の部分とそれぞれ両手に持つ。
これが奥の手、二刀流スタイル。
「こっちが俺の分!」
奴の暴れを正確に見切り、右手にある刃をゾンビの首に突き立てる。
咄嗟の反応か、ゾンビが俺の右腕を掴む。
ボキボキと嫌な音が聞こえるが、なぜか痛みはなかった。
左手にあるもう一つの刃を握りしめ、
「そしてこっちが、白珠の分!!」
渾身の力で首を切り裂いた。