或る老技術者の再会と再開 (武頼 庵(藤谷 K介)様のの『25春 さいかい物語』企画 参加作品)
純水製造プラントの更新工事現場にて40年ぶりの再会を果たした私は、産業用機械メーカーの老技術者。定年を間近に控えた老兵だ。
高卒で新卒入社してから47年。小さな町工場に過ぎなかった勤め先は、社員数4000人を超えるグローバル企業に成長した。
現場叩き上げで沢山の経験を積んだ。
開発職に転属した時には戦中派の先輩技術者から指導頂き、設計者としての技術を身に着けた。
製品開発にも多数携わった。
役職が付いてからは若手の指導に尽力した。
今の会社を支えているのは、私が育てた後輩達だ。そう言える自負はある。
そんな技術者人生ももうすぐ終わる。
最終出社日も近くなってきたので、最期に後輩達の仕事ぶりを見せてもらおうと、今日は現場に同行させてもらった。
化学品製造工場の片隅にある純水製造設備の更新工事だ。設備稼働のスケジュールが決まっているので、都合1週間で設備一式を入れ替える必要がある。
今日は工事4日目。
工程は仕上げと試運転準備と言ったところか。
旧設備の解体で空けた基礎への新装置群の据付は終わっており、配管と配線も終盤。
後輩達が協力業者の方々と共に工事を進めるのを遠目で見ながら、私は解体撤去されて敷地端の作業スペースに仮置きされた旧型装置の残骸の傍に居る。
この旧型装置の据付工事は40年前。あの時も工期が短かったので、当時設計部署に居た私も電気工事士として工事に参加した。解体でバラバラにされた配線の大半は私が結線したものだ。
トラブルで工期が不足し、冬の屋外に徹夜で配線。
結線リストのチェックを終えたところで意識が飛んで、現場事務所のベッドで目が覚めた。
当時の社長が運んでくれたと聞いて、涙したのはいい思い出だ。
思い出に浸りつつ残骸の山からケーブルを引き出していたら、懐かしいモノに再会。
【圧力式液面計 耐酸2型】
かつて私が設計した部品。
純水製造装置再生剤の濃塩酸タンクのレベルセンサだ。
重量2kgと若干重いが、片手で持てるぐらいの小さな部品。
残骸の山から取り出して、手持ちのドライバーで配線の切れ端を外す。
同じく手持ちのウエスで外装を軽く拭いてやる。
40年間の屋外設置で銘板は若干朽ちているが、ステンレス製の外装は健在だった。
塩酸は金属やコンクリートを溶かす危険な薬品だ。
タンク下部に取り付けられたレベルセンサが破損したら、塩酸が装置外に流出して大事故になる。
だから、絶対に壊れないようにと頑丈に設計した。
その結果、この【耐酸2型】は非常に高価なものになった。
当時は技術の進歩も速く、発売直後ぐらいにセンサ専門メーカから安価な互換品が発売されたこともあり、発売開始から僅か2年で製造終了。
商品としては失敗だったかもしれないが、設計寿命の15年の2倍を超えても1台も故障しなかったのは成功と誇ってもいいだろう。
手に取った【耐酸2型】。
40年間、一度も壊れることなく役割を果たした私の作品。
ウェスで磨いた後、静かに残骸の山の上に置いた。
「【任務完了】だ。ご苦労だった。イイ金属材料に生まれ変わってくれよ」
私と同じで、役割を果たした老兵仲間。
別れを惜しみつつ、後輩達が仕事をしている新型設備の工事現場を見る。
白い車体の上に赤いパトライトを付けたバンのような車が停まっている。
「……救急車? 一体何が起きたんだ!」
…………
私が現場に駆け寄ると同時に、救急車はサイレンを鳴らしながら走って行ってしまった。
救急車を見送っていた電気工事業者のリーダーに声をかける。
「一体何が起きたんだ。 乗ったのは誰だ」
「スミマセン。ウチの新人がカッターで手を切りました」
えっ?
「工事への影響は? 現場監督は? ウチの山西課長は?」
「現場監督は救急車に同乗しました。山西さんは労災の報告のために本社に行くとか」
ええっ?
「いや、労災の報告は大事だけど、現場責任者が工事中に現場離れたらイカンだろ。工事の指揮は誰がとるんだ?」
「えーと、どうするんでしょうね。工事はおおむね終わってるから、これから試運転らしいんですが……」
あんまりな状況に怒鳴りたくもなるが、彼に言うのは不条理だ。現場責任者の山西課長が居ないなら、同行している田中主任を探さないと。
そう思ったら、なんか背後から何かが焦げる臭いが。
周囲を見ると、塩酸タンクの下から黒い煙が上がっている。
「通電止めろぉぉぉぉ!」
制御盤を操作している作業員に向かって思わず絶叫。
…………
「田中さん。通電する前に配線のチェックをするのは基本だぞ。なんで手順すっ飛ばしていきなり電源入れたんだ」
「……正確に配線するのは電気工事業者の責任でしょう」
制御盤から装置側に接続する配線に結線ミスがあった。
その状態で電源を入れてしまったため、部品がいくつか壊れた。
何がどれだけ壊れたのかは、電気工事業者のリーダーが調べてくれている。
「そうは言っても確認ぐらいしないと。お前さん勤続8年の中堅だろ。工事業者に新人が居たのは分かってただろう」
「それは私の責任じゃないですよ。だいたい、こんな工期のタイトな現場に素人入れられても迷惑です」
田中主任がふてくされてる。
確かに。団塊世代のベテランの職人は殆ど引退してしまったし、それに続く氷河期世代は派遣や日雇い歴が長くて施工の経験値は低い。そして、今の新卒はほとんど子供だ。
まぁ、それでも人が集まるだけマシだ。
現場でヘソ曲げられても困る。
「田中さーん」
客先の事務所棟の方からウチの作業服を着た若者が駆け寄ってきた。
あれは、確か、田中主任の部下の坂中だ。入社1年目だったかな。
「どうしましょう。構内で労災起こしちゃってお客さんカンカンですよ。それに、明日の午前中に塩酸と苛性のローリー入るから受け入れ準備しとけって」
待て。ツッコミどころが多いぞ。
「田中さん。客先への事故報告を新人の坂中1人で行かせたのか?」
「仕方ないでしょう。工期余裕がないのに、試運転担当者の到着が遅れるからできるところから試運転進めとけって指示受けたんですから。そもそも、私らは開発部ですよ。現場担当者じゃありません」
急いでたのは分かるけど。それで部品壊してたら本末転倒だろう。
「田中さん! 大変です!」
今度は電気工事業者のリーダーが駆け寄ってきた。
「塩酸タンクのレベルセンサが焼損してます。代替品手配お願いします!」
「何だと! アレは耐酸仕様の特殊品なんだぞ。メーカー受注生産品で納期は最低2週間だ!」
「えーっと、本社物流部に在庫が無いか確認してみます」
あちゃー。やっぱりセンサが壊れたか。
配線ミスで壊れるのはだいたいそこなんだよなぁ。
田中主任が慌てるのは分かる。こういう特殊部品は納期が長い。
坂中がタブレットで在庫照会しているけど、望み薄だな。
「どーすんだよ! 塩酸のローリーは明日来るんだぞ!」
「申し訳ありません!」
電気工事業者のリーダーを怒鳴りつけてるけど、どちらかというと田中主任が主犯なんだぞ。
「田中さん。本社在庫無いけど、短納期で入る互換品ありました」
新人の坂中のほうが冷静だな。
「納期は?」
「3日です」
「間に合わねぇだろうがぁぁぁぁ!」
「ポチりますか? 21万円ですが」
「待て。その金額だと課長決済必要だ」
「山西課長に電話繋がらないんですよ。運転中でしょうかね」
「どないせいっちゅうんじゃぁ! 試運転班も来ないし。部品は壊れるし。ローリーは明日来るし。人いないし! そもそも俺らの仕事じゃねぇし!」
「人、結構居ますよ。試運転班は前の仕事押してますが、電工さん1人、配管屋さんも2人残ってくれてます」
「クソだ! こんな無茶工期で仕事受ける営業も、カッターで手を切るような素人連れてくる工事業者も、人員不足だからって開発部メンバーでむりやり現場を補填する社長もクソだぁぁぁぁ!」
「先輩。いくらなんでも失礼ですよ。開発部メンバーだってたまにやるじゃないですか」
「無理だ! こんな現場ムリゲーだ! やっぱりウチはブラックだぁぁぁ!」
…………
騒いでいる若い衆から離れて、私は【耐酸2型】の所に戻ってきた。
現場で痛い言動をする田中主任。
昔なら【拳で修正】していたところだけど、今の時代にそれはできない。
それに、本社勤務の若造があんな風になるのは珍しくない。
現場で働く担当者は、お客様に叱られたり感謝されたりといろんな失敗や成功を経験して成長していく。
半面、設計部署では、現場で手に負えなくなった重大クレームの対応に駆り出されることが多い。現場担当者やお客様から厳しく叱責されるうえに、どう解決しても1円の利益にもならないし、誰にも感謝されない。
そんな仕事を何年も続けていれば、誰だってモチベーションは下がるだろう。
それは分かる。
だから、無理を言う営業担当者に毒を吐くのは別にいい。
社長を罵倒するのもまぁいい。
だけど、仕事でやっている以上、お客様に迷惑かけちゃだめだ。
この設備の工期が短いのには理由がある。
純水供給先にある化学合成プラントは日本にここしかない。そして、入って来る原料、出荷する製品、それぞれ保存が効かないものだから、最終製品に至るまでの各工程は全部スケジュールが決まっている。
更新工事の再稼働が遅れたら、損害賠償で裁判沙汰だ。
でもまぁ、それは小さな話だ。
大きな問題は、仕事のやり方を知らない若造に大失敗を経験させることだ。
彼等の世代の大半は【成功経験】を持たない。
私達が現役で働いた高度経済成長期は、新技術が次々実用化されて、社会がどんどん便利になって、売上も給料も毎年上がっていく右肩上がりの時代だった。
皆が【成功経験】を共有して成長した。
でも、彼等は違う。バブル崩壊以降の何もかも右肩下がりで、未来に希望が見えない時代に生まれ育った。そして、自分の【成功経験】を見つけられないまま大人になった。
そんな人間が大失敗を経験したら、心に【負け癖】が染みついてしまう。
何事も【できない】から入り、まず最初に【できない理由】を探すようになる。
そうなってしまったら、もう【成功経験】は得られない。
そんな社員が増えたら、どんな会社でもあっさり潰れる。
これは、裁判沙汰よりもよっぽど恐ろしいことだ。
残骸の山の上に鎮座する【耐酸2型】を見る。
「……もう一度、仕事を頼めるか? お前の頑丈さなら、できるよな」
この【耐酸2型】は、焼損したレベルセンサと互換性がある。
そして、解体工事での損傷はない。心臓部のダイヤフラムは無傷だ。
新品のセンサが届くまでのつなぎぐらいなら耐えられる。
当然、仕様書と異なる部品を使って設備を納入するのはルール違反だ。
でも、ここの工場長は転職した私の教え子だ。
後で直すから今だけは、という話はできるだろう。
無理だと思っていた状況からの納期内完工。
若い衆にちょっした【成功経験】を経験させよう。
無理を越えた経験が人を成長させる。
これは時代が変わっても変わらない。
ここには私にできる仕事が残っているようだ。
「【任務再開】だ」
私は【耐酸2型】を持って若い衆の所に向かった。
●オマケ解説●
工場設備って驚くほど寿命が長い。水処理関連の装置は適切にメンテナンスすればすごく長持ちする。
そんな古い設備の中には、今の技術では作り直せないようなオーパーツみたいなコンポーネントが埋まってることも。
コンピュータが未発達だった時代。
当時の技術者が手書き図面と計算尺を駆使して執念で設計した。
ブラックを超越する悪環境でも必死で働いた。
何かと便利になった今の時代。
先陣の技術者魂をちょっと思い出してみたい。