094 砂漠の国のIGYO (1)
ほぼ砂漠の国があった。国民の大半は海岸沿いの細長く砂漠化されていない土地に住んでいた。
国の内陸、自然保護区の監視所兼観光客向けのビジターセンターに駐在する所長兼レンジャー、今日もそんなに忙しくない。はっきり言って暇である。
隣にホテルがあり観光客はそちらに行ってしまってビジターセンターの利用はほとんどない。たいてい岩山の洞窟壁画を見て帰ってしまう。たまに勤勉な日本人がやって来るだけだ。連中の英語は非常にレベルが低い。ツアーで来るから構わないが。
予定を見ると、今日はその日本人の観光客が午後から来る。午前にホテルに入って、昼食、午後からビジターセンター。明日は洞窟壁画を見てもう一泊して帰る。日本人にしてはゆっくりな日程だ。年寄り中心か。
パンフレットは日本語入りだ。並べておく。
午後日本人がやって来た。予想通り年寄りが多い。当たった。
ガイドが付いて来たからいいが、日本語オンリーのようだ。たまに「ハロー」と言ってくる。よく聞くと「Hello」のようだ。愛想よく、「コンニチハ」と返事する。喜んでくれる。
砂漠の動植物、壁画の展示を見て感心してエントランスホールにぽつりぽつりと戻って来た。
壁画の現地案内に行っていたレンジャーから電話があった。焦っている。
「ハサミのついたでかい化け物がこちらに向かってくる、逃げる」
電話の向こうから悲鳴が聞こえる。悪い事態だ。とにかく日本人団体にはホテルに行ってもらおう。
日本人団体についているガイドを呼んだ。
「壁画の付近で事故があったようだ。念の為ホテルに戻ってくれ。この施設は閉鎖する」
ホテルも平屋だがこっちよりマシだろう。こっちでは食料もない。立てこもりもできない。
ガイドに日本語で館内放送をしてもらった。日本人はすぐエントランスホールに集まり、ガイドが説明に行った。まあここは大した展示物はないからざっと見ればおしまいだ。日本人もそう思ったらしく、すんなりと出て行ってくれた。すぐClosedの看板を出した。
壁画に行ったレンジャーからの連絡はない。こちらから電話をかけても通じない。
「所長。レンジャーへの連絡が取れません。どうしましょうか」
「様子がおかしい。二人で見て来てくれ。小銃は持って行け。すぐ退避できるように」
「了解」
二人送り出した。
本部に連絡を入れて応援を要請した。事態を確認してから要請をしろと言われてしまった。それはそうだが。
ホテルにも連絡を入れておく。俺たちもたまにホテルに飲みに行く。馴染みの支配人に電話した。
「俺だ」
「そうか。俺も俺だ」
「おい、大事な話だ」
「なんだ」
「壁画でどうも何かあったらしい。案内して行ったレンジャーからの連絡が途絶えた。よくわからないがハサミのついたでかい化け物と言って電話が切れた」
「なんだ。それは」
「わからない。あの辺にはサソリはいるが小さい。でかいサソリは熱帯雨林に30センチくらいのがいるそうだが砂漠には適応できないだろう。今二人見に行かせている。事態がどうなるかわからないが気をつけてくれ」
「わかった。30センチなら玄関を閉めるぐらいで大丈夫だな。今日は日本人の団体とドイツ人が一家族、イタリア人が一家族、イギリス人が一家族だ」
「英日同盟か、伊独日三国同盟、いや日本は団体だから日と英独伊か」
軽口を叩いて電話を切ったが不安がよぎる所長である。たとえ30センチのサソリでも連絡が途絶えるほどのことではないと思う。
ホテル。
日本人団体が帰って来た。
「何やら変だから龍愛様に祈ろう」
ホテルのロビーで金色の小さい像を出して全員で手を合わせている。それが終わったら部屋に入って行った。夕食は食堂だがまだ時間が早い。
西洋人のおっさんもロビーにいた。
なんと黄金の像に手を合わせていた。日本人の持っている像に手をあわせる変なおっさんだとフロントマンは思った。
変なおっさんがカウンターにやって来た。
「日本人の帰りがばかに早いようだが何かあったのか」
「ビジターセンターが早じまいしたようです」
「何かあったのかい」
「いや、詳しいことはわかりません」
「ふうん。何かあったら早めに教えてくれ。対処できるかもしれない。私は英国政府のタイソーという。今は家族と観光だが異常事態が発生したら必ずすぐ教えてくれ」
「はい。承知しました。ありがとうございます」
タイソーはこの頃忙しかったから休暇を取って家族旅行中であった。苦労誘引症がぶり返したのではないかと思いながら部屋に戻った。
「あなた。食事は美味しいのでしょうね」
「砂漠だからそんなに期待されても」
「あなたが砂漠がいいと言ったから来たのです」
「砂漠なら何も出そうもないからな」
「サソリも毒ヘビも毒グモもいるでしょう」
「その手の生き物ではなくて、もっとでかい生き物だ。流石に砂漠なら餌がないからそんなでかいのはいないだろう」
「わからないわよ。あんたは日本で言う疫病神だから」
「そうでもないだろう」
「休みは取れない。どこに行ったか勤め先に連絡しても今出ていると返事はあるけど、どこで何をしているか教えてくれない」
「いろいろ調査などを。ハント伯爵のところに仕事で出かけたりとか」
「友達でしょう。遊んでいたのではなくって。そういえば伯爵の娘さんは年頃だわね。お相手はいるのかしら」
「いやあ、彼女はそういう相手は難しいだろう」
「病気が治ったって聞いたわよ」
「治ったことは治ったけど、治りすぎたと言うか」
「なにそれ」
「いろいろあって」
今日も夫に疑惑の目を向けるタイソー夫人である。




