021 奥多摩における異形による人間捕食事件 (下)
朝、宗形医師は帝都大学武蔵西南総合病院に出勤した。
宗形医師は総合診療科長である。ただし同僚はいない。
宗形医師がいると医療ミスを指摘されそうで、診療を評価されているような気がしてどの科でも敬遠された。しかし優秀なのである。外科、内科なんでもこなしてしまう。
診療科長たちは考えた。
難しそうな、医療ミスが起こりそうな患者は診たくないが専門が違うので他科に押し付けるわけにはいかない。そこで総合診療科を宗形にやらせれば専門を問わず患者を押しつけられる。病院長も難しい症例は宗形に押し付けてしまえば医療ミスがないだろうと思った。
どうも世間一般の総合診療科とは定義が違うようだが、病院長と診療科長は総合診療科を作って全員一致で宗形を診療科長にしてしまった。安心である。あぶない患者はすぐさま総合診療科に回して、枕を高くして眠る診療科長たちであった。
しかしその代償はあった。野に虎を放したようなものである。患者を押しつけた手前、各科強く出られない。強く出ればいろいろほじくり出されそうで、宗形の言いなりである。
不思議なことに宗形は看護師などのパラメディカルからは人気があり、優秀な看護師が総合診療科に行ってしまった。
診療科長は自分の診療科のパラメディカルが情報を宗形に流しているのではないかと疑心暗鬼である。
手術室で手術をすれば手術室のスタッフに行動を観察され宗形に注進されているようで気が休まらない。
本院に宗形の異動を打診するもなしのつぶてである。本院は本院で宗形の厄介払いができてほっとしているところである。本院に戻ってこられても困る。無視である。
それに本院は次々と世界の一流誌に論文を帝都大学の名前を冠した病院名の所属で投稿し、掲載され、引用数の多さを誇る宗形を大学から手放す選択肢はない。
ノーベル賞をもらいそうになったらすかさず本院に異動させるつもりである。それまでは本院に来られては困るが分院から出て行かれても困るのである。
勝手な偉い人たちである。
そういう宗形を警視庁のパトカーが迎えに来た。パトカーに乗っているのは祓川教授である。
総合診療科で宗形は今日も暇である。そうそう困った患者はいない。
総合診療科に祓川が顔を出した。
「おい。スマホが通じなかったぞ」
「あれ、そう。あ、電源が入ってなかった」
とぼける宗形である。
「行くぞ」
「どこへ」
「お前が電話して来ただろうが」
「診療中です」
「年寄りにやらせとけ。ここの病院長には貸が大量にある」
内線電話を勝手に使い出した祓川。
「よし、押しつけた。行くぞ」
祟られる宗形である。パトカーに押し込められた。
パトカーは飛ばす。赤色灯をつけサイレンを鳴らしてはいるが、緊急車両としてもスピード違反である。
「前の車を抜け、行け」
うるさい宗形である。辟易する警官。
円たちがバーベキューをした施設のところで交通止めになっていて報道陣が群がっている。
バーベキュー施設は報道陣が施設に勝手に入って来てトイレの無断使用をするので警察に申し入れ、規制線を移し、バーベキュー施設を規制線内にしてもらった。
どうせ客は来ないので野外トイレは封鎖した。
こまった報道陣は立ちションした。それを施設の職員が撮影しSNSにあげた。報道陣は警察に泣きを入れ、施設にお願いして、報道陣が使用料を払ってトイレを使わせてもらうことにした。
祓川たちはだいぶ手前で県警のパトカーに乗り換え、報道陣がトイレ問題でゴタゴタしているところを静かにすり抜けた。
しばらく進んで山の中の一軒家への細い道に入る。曲がりくねった道を進んで一軒家についた。
鑑識の仕事は終わっている。宗形と祓川は一応屋内外を見て回った。
「第一発見者はどういう人たちだった?」
「はい。名前は夫はエチゼン ローコー、妻はエリザベスさんでした」
「印籠でも出しそうね」
「出しませんでした」
「パスポートは確認したの?」
「それが宿に置いて来たとかで、見るからに裕福そうで犯罪とは関係なさそうな円満な夫婦でしたので帰っていただきました」
「ふうん。宿は確認したの?」
「はい。確かに泊まっているとのことでした」
「そう」
「宗形、何か気になるのか」
「ちょっとね」
「異形のところに行くぞ」
山を歩くこと30分、異形の倒れている場所についた。
「これは確かに異形だ。どうするか」
遺体は裂かれた消化器らしいものから体内で発生したガスか何かで排出されていた。
警官に向かって祓川が言った。
「まずは遺体収容だな」
「手配してあります」
「帝都大学法医に運べ」
「そのように手配してあります」
祓川がディスポーザブルガウンとビニールエプロン、キャップ、手袋、ゴーグル、マスクをして靴は鑑識からもらった靴カバーをつけて、消化器らしいものの穴から手を突っ込んで遺体の一部を取り出した。もう一頭の方からも取り出した。
「地球外病原菌が潜んでいたら皆死ぬな」
ディスポーザブルガウンなどを袋に入れながら呟く祓川のありがたいお言葉にもともと真っ青だった警官がさらに青くなった。少し離れて吐いている。
「あとはこの異形か。自衛隊に死ぬ覚悟で搬出してもらおう。搬出先は自衛隊の異形用の倉庫だ。異形等対策室長のお前、手配しろ」
祓川にお前と言われた男は、ポストにあぶれたエリート官僚でポスト欲しさに手を上げて室長になったのである。いかなる現場とも無縁であった。
百戦錬磨の室員に、現場を知ることが大事と押し出されて現場に渋々来た室長。真っ青である。
「手、手配してきます」
室長は現場から逃げた。対策室に出向中の自衛隊員に搬出を押し付けて対策室からも逃げ出した。室長のスマホは通じなくなった。
「ふん。馬鹿め」
それには宗形も同意した。
「この雷に打たれた一頭はどうして雷に打たれたのでしょう」
「わからん」
「なぜか傷があるところが集中的に火傷しているわ」
「おかしいことはおかしいが、雷はコントロールできないだろう」
「そうだけど。いろいろおかしいから」
世間が与党と野党第一党の国会議員の不倫疑惑に目が向いている間に自衛隊が苦労して異形を運んだ。
異形が倒れていた場所は考えられ得る限りの消毒方法で何回も消毒した。その上で封鎖を解いた。
一軒家は風のない穏やかな日に出火して燃えてしまった。遺族も事故物件なのでほっとした。ニュースにもならなかった。




