126 海のIGYO (1)
オーストラリア東岸
観光客が観光船に乗りホエールウオッチングに興じている。
ザトウクジラが海中から海面に出て来て潮を吹き上げるたびに歓声があがる。ときどき十数メートルの巨体で海中からジャンプし、盛大にしぶきが上がる。また歓声が響き渡る。
水面下からクジラが急速に浮上してくる。大ジャンプした。歓声も大歓声だ。
ジャンプしたクジラの下半身にクジラより大きなサメのようなものがジャンプして噛みついた。歓声が凍りつく。
クジラの上半身だけ宙に浮いて、海面に落ちた。
巨大なサメのようなものが大口を開けて上半身も飲み込んだ。
観客がやっと悲鳴を上げ始めた。船長が慌てて船を動かし始める。
船に衝撃が走る。船底から突き上げられた。遭難信号を発信するまもなく船は持ち上げられそして叩きつけられた。横倒しになった船から観光客らが海に投げ出される。
サメのようなものが口を開けて泳いでくる。観光客、船員は一網打尽、すべてサメのようなものに飲み込まれた。
その日、予定時刻を過ぎても帰ってこない観光船に切符売り場売り子兼事務員が焦る。無線で船を呼ぶも応答がない。
社長は帰ってこない観光船の船長だ。指示を仰ぐ人がいない。
午後の便の予約は満席である。観光客は予約して出航時までどこかに行ってしまった。
どうしようと頭を抱える事務員。ぽつぽつと午後の便を目指して観光客が戻ってくる。
出港手伝いの日本人のアルバイト嬢がやってくる。
「あれ、船がない」
「そうなのよ。船が帰ってこない」
「連絡は?」
「無い。どうしよう」
「もう帰港予定時刻から1時間以上たっている。捜索要請をしたほうがいい」
「どこに?」
「マニュアルがあるでしょう」
「そんなものはみたことない」
「この国は日本のように海上保安庁がないのよね。たらい回しになるといけないから、面倒だから海軍に連絡したら」
「海軍?」
「そう。だいたいこの国は密入国とか密輸とか一生懸命だけど、沿岸警備隊はないでしょう」
「相手にしてくれるかな」
アルバイトは乗船者名簿を見る。
「外人の観光客が乗っているね。外人の観光客がたくさん乗っていると言えばいい。ぐずぐず言ったら国際問題になると言えば」
「やってみる」
事務員が海軍に電話した。案の定零細観光船会社では相手にしてくれない。
「電話替わろうか」
アルバイト嬢が電話を替わった。
「EU、壱番国、中心国、日本などの人が乗船している。もし海難事故になっていたとしたら国際問題になる。あなたはだれ?所属、官、姓名は?」
「いや、捜索に向かう」
「そう。じゃあ事務員さんと替わるから、事情を聞いてすぐ対応したほうがいい。次の便の乗船予定者がこちらをみてスマホで動画撮影しているよ」
アルバイトは事務員さんと電話を替わった。
事務員さんが海軍に予定航路などの説明を始めた。
アルバイト嬢は、船が予定時刻を過ぎても帰港しないので午後の便は欠航するとの案内を貼り出した。
幸いクレジット支払いの手続きは出港が確定したときに行うことにしていたので案内だけですんだ。零細業者なので欠航時の払い戻しなどが面倒だからそうしていた。
もちろん欠航に苦情を言う客がいるが、海軍に船の捜索依頼をしたと言うと引き下がった。
海軍への電話が終わった事務員さんにアルバイト嬢が会社のナンバー2に連絡したらとアドバイスした。
社長の奥さんが副社長になっているから事務員さんが連絡をした。偉そうなことを言って何もしない副社長だがナンバー1がいなければナンバー2が責任者だ。
事務員は有能なアルバイト嬢に礼をいい副社長が来る前に帰し、すぐアルバイト嬢の口座に今日までの給料を振り込んだ。もちろん自分の分の給料も振り込んだ。そういうところは抜け目のない事務員であった。
事務員の頭に倒産の文字がちらつくのであった。
副社長がやってきた。旦那と船の心配ばかりである。船員、乗船者の観光客のことは頭にない。事務員は海軍に捜索依頼を出したと報告したが副社長は上の空である。
アルバイト料、自分の給料を振り込んでしまって正解だったと事務員は思った。
やがて同業者からそちらの船の浮輪などが漂流していて油が浮いている。人は付近には見当たらないと無線で連絡があった。
パニックになった奥さん副社長、すぐ近くの警察署に駆け込んだ。船が遭難したので救助をしてくれと受付に怒鳴っている。警官が事情を聞くも要領を得ない。しょうがないから警官が船会社の事務所まで奥さんと歩いて向かった。
たまたま警察署にいた地方紙の記者。暇だし近くだからもちろんついて行く。
事務所に着いて警官が事務員に事情を聞くと、ホエールウオッチングに出た船が帰ってこない。海軍に捜索依頼を出してある。さきほど同業者から浮輪などが漂流していて油が浮いている。人は付近には見当たらないと連絡があったと説明があった。
警官はそれはこちらの管轄ではないと言いながら念のため、乗船者名簿のコピーと船の当日の詳しい予定をコピーして警察署に持ち帰った。
地方紙の記者は事務員に取材、観光客の国籍、人数などを聞いて、第一報として新聞社に送った。
新聞社は、「ホエールウオッチング観光船、東海岸で沈没か。EU、英国、壱番国、中心国、日本などの観光客が乗船、海軍が捜索中」とすぐネットの記事にして流した。
海軍の捜索船は現場に向かっていたが、海軍基地でさぼってネットを見ていた軍人、観光客の国籍に仰天、すぐ基地指令に知らせる。
基地指令は捜索船に連絡、全速力で現場に向かわせた。もちろん捜索船は増派である。
観光船の事務所には続々とマスコミが集まってくる。慌てた警察、すぐに現場周辺の交通整理を始めるのであった。
EU、英国、壱番国、中心国、日本の大使館は、自国民の安否情報収集に走る。
各国大使館から問い合わせが来て、州政府も連邦政府も海軍も国際問題になってしまったと慌てた。
観光船会社に電話するも通じない。観光船会社の近くの出先機関に情報収集を命じた。
有能な日本人アルバイト嬢、自分の口座に今日までのアルバイト料が振り込まれているのを確認、ならば今日の分の仕事をしようと事務所に向かった。
事務所に着いて、「副社長は電話をとるな、自分のスマホから船員家族に連絡しろ、事務員さんは電話番、只今海軍が捜索中とのみ回答」と指示。
アルバイト嬢は事務所を家捜しして、関係先の役所の名簿を発見。
スマホで本日の航行予定、船の設計図、乗船者名簿などを撮影、PDFにして、関係先に送信した。
もちろん日本国大使館には名簿を送った。
警察官を呼んで、「ここには記者会見できる会場がない、警察署の会議室を貸してくれ」と交渉、押し掛けるマスコミを見て警官は署長に連絡、署長は警察署始まって以来の国際的大事件なのでもちろん了承した。
アルバイト嬢は会社のホームページに事情を簡潔に掲載、警察署で記者会見すると書いた。もちろん関係先にも警察署で記者会見と送信。
アルバイト嬢は、副社長、事務員と一緒に警察署に赴き、駆けつけた連邦政府、州政府関係者、海軍関係者と打ち合わせ。
船の構造・仕様、本日の航路、乗船者・船員名簿については副社長が説明、現場の状況、捜索状況は現場を知る海軍から説明と言うことにした。
さらに今後の乗船者の安否情報は州政府にやってもらいたいとアルバイト嬢は押し付けをはかる。
州政府は難色を示すも、アルバイト嬢が、
「会社は、社長とその奥さん、事務員、アルバイトで構成されていて、そのうち社長は船と共に行方不明、私はアルバイトで今日で勤務六ヶ月目で明日からアルバイトできない、それに会社は倒産するかもしれない」と脅した。
州政府は安否情報はもちろんすべての窓口になってしまうのではないかと危惧しながらもしぶしぶ引き受けた。
記者会見は、マスコミ関係者のほか船員家族、観光客の関係者がいれば出席とした。日本のツアー会社はもちろん現地関係者を出席させた。
アルバイト嬢の司会で記者会見が始まる。アルバイト嬢はカンナ ハシモトというらしいと、政府関係者達は初めて知った。
副社長の説明はしどろもどろだ。給料だけもらって仕事はほとんどしたことがない。事務員が手伝ってやっと説明が終わった。
質疑応答があったが大半は事務員が回答した。
海軍からは、船が沈没しているのを確認、付近に遭難者はいない。なお範囲を広げ捜索中。ダイバーが確認したところ船内に人は発見できなかった。船は船底に大穴があいていた。船の引き上げ準備をしている。と説明があった。
原因について質問が集中した。原因は分からないが外側から内側に何かが当たったようだと海軍から説明があった。
またクジラは付近に全くいなかったとも説明があった。
司会者から今後の安否情報の連絡窓口は州政府だと説明があった。州政府関係者は苦い顔をしている。
最後に会見の司会者から、
「私はアルバイトで今日でこの会社の勤務が六ヶ月になる。したがってこの国の方針で明日からはこの会社に勤められないので連絡は不可、もし連絡があれば違法な労働を強いられたと当局に通報する。なおアルバイトなので今の時点から連絡は不可」と説明があり、アルバイト嬢はさっさと警察署を去った。
ただし、去る前にさらりと連邦政府関係者と州政府関係者に言った。
「原因が異形なら被害が拡大し続ける。人の兵器では対応できない。龍愛様に討伐をお願いしなければならない」
連邦政府関係者と州政府関係者はIGYO?、何を言うんだこのアルバイト嬢のカンナ ハシモトはと思った。
州政府関係者は副社長にどうしたらいいのでしょうかと尋ねられ、溺れる副社長にすがりつかれ一緒に溺れそうだとため息をついた。