カラオケ・キング ~特別ルームの試練~
一人カラオケが大好きな高校生の陽介は、カラオケ店の店長からある提案を受ける。
――100点を3回連続で出せれば、1年間の無料券を進呈、ただし、クリアするまで、部屋から出ることはできない。
楽勝と思っていたが、陽介は後悔することになる……。
『カラオケスタジオ ノスタルジア』
ドアの上に掲げられた看板を見上げてから、俺は店内に入った。鐘がカランと鳴る。
「いらっしゃいませ……って、なんだ陽介か」
「店員がそんな態度じゃだめだぞ」
受付カウンターの向こう側には、ショートカットの女の子が立っていた。高校で同じクラスの美月だ。
「で、明日から夏休みだから、じっくりと一人カラオケをしに来たってわけ?」
「ご名答!」
俺が目の前で手を叩いて見せると、美月は不機嫌そうに口をへの字にゆがめた。
「友達、いないわけ?」
「俺の歌が上手すぎて、一緒に歌いたくないって。あと、一人の方が好きな歌を、好きなだけ歌えるからな」
俺は納得がいくまで、同じ曲を何度でも歌う。他人を付き合わせるのは申し訳ない。
「いつも、ありがとう。今日は何時間コースにするんだい」
受付の奥から出てきた中年男性が声を掛けてきた。生まれつきの笑い顔なのか、いつも笑顔のその男性は店長だ。まるで大黒様のよう。
「明日から夏休みなので、今日は終電まで歌いまくろうと思います。なので、6時間コースで。あと、半額チャレンジもお願いします」
「陽介君には稼がせてもらえないな」
店長はハンカチで汗をぬぐいながら、苦笑いを浮かべた。
半額チャレンジとは、このカラオケ店の年中イベントだ。カラオケ機には採点機能が付いている。95点以上を出したら、部屋代が半額になるというものだ。
「陽介君だけ、98点をボーダーにさせてもらおうかなあ」
「不公平ですよ。高校生のお小遣いは厳しいんです」
「うち、客の入りがそんなに良くないし」
どの部屋からも音は漏れてきていない。全室が埋まっているところを見たことがない。しかし、経営がどうこうなど知ったことではない。
「潰れるのだけは、やめてくださいね。陰キャな俺の趣味がなくなっちゃいますんで」
「あー、自分で陰キャって言っちゃった」
美月は、ニヤニヤと笑っていた。
「お前さ、黙ってれば美人なのに、性格が壊滅的に悪いぞ」
「ふん! 陰キャの前では性格悪くなるの」
「一緒に歌うか? 俺の生歌は、陰キャなんて呼べなくなるくらいハイレベルだぞ」
美月の目が一瞬、泳いだ気がした。まんざらではないのか? と思ったが気のせいだった。すぐに、見下すような冷たい視線に変わっていた。
「ねえ、陽介君。提案があるのだけど」
店長が表情を引き締めて、受付カウンターの下から何かを取り出した。
「改まって、どうしたんです?」
「うちの社長が決めた、特別イベントなんだけど」
店長が出してきたのは、若い男女が楽しげに歌うイラストが描かれたイベント広告だった。
『カラオケ・キングへの道
100点を連続で3回出したら1年間の無料券を進呈
特別ルームにて開催』
「そのイラスト、私が描いたんだよ。上手いでしょ」
美月は自慢げに胸を張るが、それどころではない。俺は「1年も……」と、広告を両手に唸り声を上げた。
「やります! 是非! 特別ルームってどこですか?」
「まあ、ちょっと落ち着いて。色々と条件があってね」
店長は広告の下の方を指さした。小さな文字で、箇条書きが並んでいる。
「チャレンジが開始したら、クリアするまで特別ルームからは出られません。もし、断念する場合は、1年分の利用料を頂きます……これ、条件が厳しすぎじゃないですか?」
イベントなら無料参加が基本だろう。
「嫌なら、無理にとは言わないよ」
小遣いを前借りしても払えない。しかし、クリア時の褒美は魅力的だ。
「やります! 100点は何度も出してますので」
「部屋から出れないけどいいの?」
美月が、柄にもなく心配そうな表情をした。
「うちの親に連絡しておいてくれ。店長と母さんは知り合いだからな。店から連絡してもらった方が信じてもらえる」
* * *
店長は、店の一番奥にあるドアまで俺を案内した。
「ここが特別ルーム」
「物置かと思ってた」
「予約が入ったときだけ使う、パーティールームだよ」
店長がドアを開けると自動的に電灯がオンされた。
「凄い設備」
20人ほど入れそうな部屋を囲うように、革張りのソファーが並んでいた。カラオケ設備も、いつも使っているものとは異なる。
歌詞が表示されるディスプレイのサイズは、映画が見られそうなほど大きい。
「私が出たら、ドアは中から開かなくなる」
「トイレは?」
店長が指し示した先には、2つのドアがあった。
「右がトイレ、左がシャワー。自由に使ってくれていい。あと、ドリンク、食事は自由に注文してくれていいよ。そういう企画なんで」
店長は笑顔で親指を立ててから、部屋を出て行った。外から鍵が掛かる音がする。それがスタートの合図だ。
100点を連続で3回出すだけ。時間制限はない。俺はタブレットで曲を選び始めた。
ウォーミングアップに元気が出るロック調の曲を選んだ。前奏とともに、ディスプレイに曲名が表示される。合わせて『採点を開始します』の文字も。望むところだ。
長期戦を想定する必要がある。声を張るのは避けて、一曲目を歌い終えた。
――採点結果 98点。
まあ、上出来。なぜなら、俺が得意なのは、このアーチストではないからだ。もう一曲、バラードを歌ったら喉が乾いてきたので、内線を手に取った。
「何だ、陽介か」
美月の返答はお決まりなので、何とも思わない。
「コーラと、お好み焼きに……あと、唐揚げも」
せっかくの食べ放題、飲み放題。利用しない手はない。美月は「はいはい」とつれない返答をした。
しばらくして、外からノックをする音が聞こえた。
「ドア、開けられないので」
美月の声がしたかと思うと、ドアの最下部が20センチメートルほど開いた。そこから、盆が差し入れられる。
「徹底して出られなくしてんだな」
「そういうこと。あと私、9時に帰るんでよろしく」
「ちなみに、徹夜になったらどうなるんだ?」
「深夜0時以降は誰もいなくなるよ。でも、電源は入れて帰るって。開店は朝10時。じゃあ、精々、頑張って」
* * *
腹ごしらえをした俺は、ついに本気を出すことにした。
得意なアーチストの曲を入れるのだ。伝説のロックバンド『烈火の翼』。ボーカルはロックからバラードまでを歌いこなす『火野 鷹也』。
これまで、100点を出してきたのは、全て『烈火の翼』の曲だった。火野と俺の声質は近いらしく、歌いやすい。
最初に入れた曲は『Shadow of the Flash』。
烈火の翼を一躍有名にした曲。ライブで盛り上がる曲……いや、盛り上がった曲だろう。
残念ながら火野鷹也の歌声を聞くことができるのは、過去の映像の中だけだ。35年前に、バンドは休止してしまった。
「活動していても、こんなド田舎まで来てはくれないだろうけど」
俺は立ち上がり、腹に力を込めて声を張った。やはり、烈火の翼の曲は気分が上がる。
鼓動が高まる反面、冷静になることに努めた。採点は原曲との対比で行われる。音を少しでも外すと100点はとれない。
歌い終えると、大きく息を吐いて採点結果を見守った。ルーレットのように数字が回転して、下の桁から停止していく。
0……0……1――。
「よっしゃ! 100点!」
ガッツポーズをして飛び上がった。上々のスタート。
これなら楽勝……そう思ったが、このあと地獄を味わうこととなった。
次の曲で100点を獲得したところで油断した。3曲目で93点と、俺にしては低い得点を出してしまった。
そこからしばらく、100点がとれない時間が続く。
時計を見ると、深夜0時を過ぎていた。長期戦に備えて、飲食物は多めに持って来てもらっていた。
しかし、懸念すべきは喉だ。声量を押さえて、音程に沿うことを重視していても、どうしても喉に負荷が掛かってしまう。
「ちょっと、休憩」
俺は大きく伸びをして、ソファーに寝転がった。焦るほど得点が下がっていく。冷静さを取り戻す必要があった。
得点と歌の関係を分析することにする。
ルール上、同じ曲で連続して100点をとってもクリアにならない。
平均的に高得点がとれている曲は5曲に絞られていた。2曲はロック、3曲がバラードだ。喉へのダメージを考慮すると、バラードがよさそうだ。
この3曲を繰り返し歌うことにしよう。
「よし!」
起き上がり、フライドポテトを摘まんでから、オレンジジュースで喉を潤す。
そこから、繰り返しお経を唱えて滝に打たれる修行僧のように歌い続けた。
「ハア、ハア……やっと……2回」
久しぶりに連続100点を叩き出したときには、肩で息をするほど疲れ果てていた。
「次の曲で、100点がとれる気がしない」
弱音こぼれ出た。喉が限界だ。次がラストチャンスかも。
時計は4時を指していた。明け方が近い。そう思うと途端にまぶたが重くなってきた。
――仮眠をとって、喉を回復させよう。
俺はソファーに崩れ落ちて、眠ってしまった。
* * *
室内に鳴り響いた内線の呼び出し音で跳ね起きた。
「どう? 苦労してるみたいだけど」
美月だった。いつも軽口を叩く彼女だが、からかう様子はなかった。
「バイトか?」
「10時から。そうだ、差し入れ」
電話が切れたと思うと、ドア下の小窓が開いた。
「のど飴」
小窓の先から声だけが聞こえてきた。
「2回連続100点とったところだ。あと1回。楽勝、楽勝!」
空元気を出してみるが、声が引っ掛かる感じがした。美月は「喉、潰さないようにね」と言い残して、去って行った。
* * *
「これがクリアの商品。大変だったでしょう」
受付カウンター越しに憎めない笑顔を向けてきた店長が、茶封筒を差出してきた。
俺は喉の回復を待って、昼前に3回目の100点を出すことに成功したのだった。
「1年分の無料券だよ」
指先で封筒の感触を確かめるが、薄っぺらい。
「他にクリアした人、いるんですか?」
「いや、まあ。ハハハハ」
店長は頭を搔きながら、曖昧な返答をした。そもそもチャレンジをする人がいないのだろう。
「出てこられたんだ」
ドリンクを運んで戻ってきた美月の表情は、安堵しているように見えた。
「俺の実力だ。疲れたんで、帰って寝るわ」
帰宅して風呂に入ってから、部屋のベッドに仰向けに倒れ込んだ。我が家が一番。そう思いながら、封筒から中身を取り出した。
「おや?」
無料券とともに同封されていたのは、折りたたまれた白い紙。賞賛する言葉でも書いてあるのかと思い、何気なく開いてみる。
『~新たなる挑戦へのお誘い~
人の心を揺さぶる度合いを判定する機械を開発しました
1回でも100点を採れば――』
ゲームは勘弁……とは思わなかった。なぜなら景品が、喉から手が出るほど欲しい『烈火の翼 ライブDVD 初版』だったからだ。
1000枚しか製造されていない、初版のDVD。
チラシを見ながら部屋をせわしなく歩き回った。戻るか? いや、それは得策じゃない。喉が復活しておらず、挑戦できる状態ではない。
気持ちを落ち着かせて、その日は安静にすることにした。そして翌日、開店と同時にカラオケボックスに駆け込んだ。
「景品は本物なんですか!」
詰め寄る俺に、カウンター越しの店長が後ずさりをした。
「もちろん。本社が調達して、奧の控室で保管してる」
「なぜ狙いすましたように、俺が好きなバンドの……」
「君なら二つ目のチャレンジに進めると思って、準備してもらっていたんだ」
「すぐに、チャレンジできるんですか?」
「君さえよければ、いつでも」
俺は店長の目を見据えて、力強くうなづいた。
* * *
ディスプレイには『AI感情採点』と表示があった。
一度でも100点が出ればクリア。今回は失敗時のペナルティはなく、いつでも部屋から出ることができるルール。
しかし、リタイアしたら再チャレンジはできない。クリアするまで帰るつもりはなかった。
手始めに前回歌った高得点ソングの1曲を歌ってみた。
――58点。
嘘だろ、あり得ない。壊れてんじゃないか!
90点以下を取ったことがない曲だ。高得点ソングのうち、残りの2曲も歌ってみた。
62点、48点……。
どういうことだ。音程は合っている。エコーや音量の設定が悪いのか。
俺はタブレットに『ヘルプ』と書かれたアイコンがあることに気が付いて押してみた。
『AI感情採点は、人が聞いて心が揺さぶられる度合いを判定する機能です。音程が合っていることは、高得点の条件ではありません。聞き手の気持ちを考慮して歌うことを心がけてください』
心を……揺さぶるだと?
好きな音楽を聞いたら心が躍る。それを、実現しろということか。
考えたことがなかった。
そもそも、他人とカラオケに来ない。自分が心地よく歌えれば、それで満足だった。
改めて歌ってみる。しかし、何点か上がっただけで、満点は程遠かった。10曲ほど歌ったところで、壁にぶつかってしまった。出口のない迷路に迷い込んだようだ。
「どうすればいいんだ!!」
ソファーに倒れ込んだ。決まった3曲を繰り返し歌うのも飽きてきた。
「そもそも、なんで、活動を休止したんだよ!」
俺は突然、理由が気になり、スマートフォンを取り出して調べ始めた。
根拠に乏しい記事がほとんどだった。音楽性の違いという説、重病説、転職して歌手をやめたという、とんでもない説もあった。
いずれにしても、活動を休止したのは事実だ。もったいない。
そうだ、ライブ映像を見てみよう。
俺は動画を再生した。
繰り返し見てきたものだが、最近はイヤホンで音楽だけを聞いており、映像を集中して見たことがない。火野の歌い方を真似たら、得点が上がるかも。そんな打算が頭を巡った。
詳細に観察すると……凄い。
歌声が全て観客に向けられていた。全身で歌い、ステージを駆け回ってパフォーマンスをしていた。
これだけの観客の前で歌えたら気持ちがいいだろうな。これまで、人前で歌うところなど想像したことがなかった。
しかし、何曲かライブ映像を見ているうち、自分がステージに立っているような錯覚を覚えた。
俺は起き上がって曲の番号を打ち込んだ。
バラードの名曲『Wings of Hope』。
ロック歌手がバラードというのはギャップを感じるかもしれないが、それがいい。高得点をとったことはないが、一番好きな曲だ。
前奏が流れ、マイクを握り直す。
「みんな、聞いてくれ」
ライブ映像の火野と同じ言葉を口にした瞬間、目の前に数万人の観客がいた。錯覚と分かっていても、妙にリアルに感じられた。
喉がどうなってもいい。得点も気にならない。
歌を届ける先は熱狂する観客。
初めて感じる高揚感とともに、5分ほどの曲を歌い終えた。
「ありがとう!」
これもライブ映像通りの言葉。歌が終わっても、観客の盛り上がりが続いている気がして、余韻に浸った。
俺を現実へと引き戻したのは、ディスプレイが発する軽やかな電子音だった。
『満点です! クリア おめでとうございます!』
* * *
店長が拍手をして迎えてくれた。
「君なら絶対にやってくれると思っていたよ」
目を細め、愛らしい笑顔をつくる。
「事務所の方へどうぞ」
店長は受付カウンターの奧にある控室へ、俺を誘導した。事務机が一つだけの狭い部屋だ。
「景品を持ってくるよ」
店長は壁際に置かれた大きな金庫に、鍵を差し込んで開いた。貴重なDVDだが、保管が厳重すぎやしないか?
「どうぞ」
それは丁寧に袋詰めされていた。俺は封を切って中の物を取り出した。
「これは!?」
プラスチックケースには確かに『烈火の翼』のジャケットが入っている。しかし、半端じゃないほど色があせている。ケースを開けて中身を確認した。
「これでは、再生できません」
DVDは激しく損傷していた。平坦であるべき表面が湾曲して、波打っていた。
「これから話すことを、落ち着いて聞いてほしい」
店長の顔に笑みはなかった。こんな真剣な表情は初めて見る。
「これが発掘されるまで、私たちは人が歌う場面を見たことがなかった」
見たことがない? 何を言っているのだ。俺は店長の目を見据えた。
「発掘……ですか。解散したのは35年前。時間は経ってますが……お宝発掘みたいなことを言われているんですかね?」
店長はゆっくり首を横に振った。
「35年……偶然だけれど、確かにそうだ。でも、プラス1万年しなければならない」
喉がゴクリと鳴った。1万と35年、そう言いたいのか?
「ボーカルの火野について語らなければならないな。彼は重い病気を患っていた。喉のガンだ。それを秘密にしていた。しばらく活動を休止して、復活するつもりだったからだ。しかし……叶わなかった。闘病虚しく、彼は2年後、帰らぬ人となった」
「そ、そんな情報、知りません」
「非公開情報だからね。このDVDが入っていたのはタイムカプセル。彼が自分の生きた証を残すために、長期保存できる箱に様々な物を詰め込んだ。彼の死後、遺言通りに地下深くに埋められたようだ。その中に経歴が記録されたメモリも入っていた。あと、これを見てくれ」
店長がテーブルの上に置いたのは古い写真だった。
「こ、これは!!」
「本物の火野鷹也だ」
俺がライブ映像で見た彼とは異なっていた。映像が改変されていたのだ。驚いたのはそれだけではなかった。
「俺に、そっくりなんですけど」
「タイムカプセルには、火野の毛髪が保存されていた。我々はそこから遺伝子を取り出した。そして……」
「まさか、クローン……」
店長は、視線を逸らすことなくうなづいた。
「この時代に歌手はいない。歌は歌うものではない。生成するものであり、聞くものだ。『こんな曲が聞きたい』とコンピューターにリクエストすると、好みの曲を生成してくれる。どんな曲でもね」
「人が作曲するものじゃ……ないんですか?」
「歌だけじゃない。イラスト、絵画、映画やドラマに至るまで、コンピューターが全て好みに合わせて生成してくれる。それを、不思議だと思ったことがなかった。このDVDの中身を見るまではね」
『烈火の翼』が活動休止をしてから1万年後、未来人がライブ映像を見ることとなった……。
「歌う彼の映像を見て、私たちは脳天を殴られたような衝撃を覚えた。そして、心の底から湧き上がる熱いものを感じた。その後、国家プロジェクトが発足したんだ。芸術を人に取り戻すプロジェクトだ。ここは、そのための実験都市だ」
俺は、火野鷹也の生まれ変わり。人間が歌を歌うために蘇ったクローン。
「カラオケスタジオを作った理由は?」
「歌のトレーニングをしてもらうための場所。判定を機械に任せたのは、この時代の人間では指導することができないからだ」
そのとき、受付側のドアが開いた。立っていたのは、美月だった。
「ねえ、陽介。お願いがあるんだけど」
「お願いなんて、気持ち悪いな」
上目遣いの美月は……ちょっと、色っぽかった。
「生の歌、聞かせてもらえないかしら」
「彼女、いつもドアの外から盗み聞きしていたんだ。でも、君がクリアするまで、リアルに聞くのを我慢してもらっていた」
ドアを開いたら美月がいた、という場面は何度もあった。どこかの部屋に飲み物を届けているだけだと思っていたが。
「カラオケボックスで客が歌っていた気がするんだけど」
「スピーカーから音楽を鳴らしてカムフラージュしてたの。ねえ、そんなこといいから、早く行きましょう」
美月は、俺の腕を取って強く引いた。
「彼女も君と同じだよ」
「店長!」
言わないでといいたげに、美月が頬を膨らませる。
「彼女は、大昔に亡くなった偉大な画家のクローン。この都市では、音楽だけでなく、あらゆる芸術の復活に取組んでいるんだ」
なるほど。どうりで、イラストが上手いはずだ
俺は腕を引かれるまま、特別ルームへと向かった。
「感動して泣くなよ」
「失神しちゃうかも。今まで、意地悪なこと言ってごめん」
美月は照れながら、可愛らしい笑顔を浮かべた。
そういえばここは、カラオケスタジオ『ノスタルジア』。
意味は『郷愁』。
過ぎ去った時代を懐かしむこと。洒落た名前をつけたものだ。
俺はタブレットを手に取り、最も好きなあの曲を入力した。
(了)