始祖の吸血鬼
じゃんけんに勝利したアルマは表情筋を微塵も動かさずにウキウキとした気分を振りまく、という高度な感情表現をしつつ拘束の解かれたギュリエルに対面し、言葉を投げかける。
「戦う前にお一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「うむ。余が答えられるものであれば答えよう」
「伝承では確か『同族の強者が現れると目が覚める』でしたね?
だとしても私達の気配は完璧に隠蔽していたつもりだったのですが、どうやってこちらの居場所が分かったのですか?」
殺意を込めるようにギュリエルを睨みつけるアルマ。
その問いはアルマにとって今後、イレースィを守る上で最も重要な案件なのである。
……しかし返された答えはなんとも単純なものであった。
「いや何、単純な事よ。封印が解かれた際、余を起こした存在の居場所が分かるようにと、あらかじめそういった魔法を組み込んでおいたのだ。せっかく強者が現れても見つけられなければ意味がなかろう? しかし卑下することはない。隠蔽は完璧であったぞ。実際この場に来てみれば明らかにただの脆弱な吸血鬼の小娘二人に見えたために余も魔法の失敗を疑ったのだが、突然現れた余に対し平然としてる時点で只者ではないと思ったまでよ」
そして先程、自分をいともたやすく拘束した魔法の腕前を体験してギュリエルの疑問は確信に変わった。
じゃんけんに負けたため、不機嫌なオーラ全開で玉座に肘掛け座っていたイレースィもその会話に割って入る。
「アルマは神力の応用を昔から苦手としていたからな。魔法も神術も世界の事象を書き換える術理という点では同じであるのだ。しかし魔法はマナという小さなエネルギーを用いて行使するため、事象の書き換えられる規模は神力のそれとは桁違いだがな。しかしやっている事は同じだ。世界に術式を刻み事象を変化させる。規模が神力とマナではエネルギーの質が違うために用いる術式も当然異なるが」
「なるほど勉強になります」
アルマとて上位神。しかし神力の扱いに関してはイレースィが最も得意とするところ。そして反対にアルマの最も苦手としている分野のため、都度神術についての講義をイレースィはアルマに行っていた。
そんな二人の会話を聞いていた、ギュリエルが眉を顰める。
明らかにこの世界の者ではないであろう言い回し。そして未知の概念である言葉。突如現れた強者。
そして先程のただの吸血鬼の眷属にしてはありえない力の強さ。疑問を持つのには充分な材料が揃っていた。
「そなたら何者だ? もしや異界から訪れた勇者か魔王の類いかなにかか?」
「いえ、勇者でも魔王でもありませんが。まあ異なる位相からこちらに顕現したので、完全に間違いとも言い難いですが……」
それを聞いたギュリエルは得心がいった。勇者や魔王としての役割ではないにしろ、異界から訪れた者であれば、先程の実力も頷けるというものだった。
しかし一つに得心がいったと思えば更に疑問は深まる。二人の少女は確実に吸血鬼である。ギュリエルが目覚めたのだからそれは当然だ。
悪魔族や吸血族には爵位と呼ばれる絶対の身分差が存在する。それはレベルの上限を表すからだ。
30レベル上限が男爵位、50レベル上限が子爵位、70レベル上限が伯爵位、90レベル上限が侯爵位、100レベルという世界共通の上限を持つ公爵位(吸血鬼では真祖と呼ばれる)、そして同じ上限を持つギュリエルの王(始祖)という頂点。
ある時期、世界全体を揺らす程の大地の揺れが起きたその日から、絶対の上限であったレベル100という壁が壊れたものの、階級の上限は壊れていないはずであった。そもそもレベル100に至る者など一握り、それを越え120レベルという数字にたどり着いたギュリエルは世界でも屈指の超克者の一人である。
そんな余より明らかに強者であろう吸血鬼。眷属であれなのだ。恐らく玉座に座る吸血姫は公爵位か自身と同じ始祖か…………異界出身の同じ種族。
異界より訪れる者は召喚陣により、誰かの意思をもって召喚される。ならばこの者達を呼び出したのは誰だ? 何を企み異界の吸血鬼なんぞを呼び出した…………まさか余の封印を解くため!? ならば対立するのは得策ではないのか……? 余を呼び出さねばならぬ程の何かが吸血族に起きている? いや、もしくは余を屠る為の多種族の陰謀という線もアリ得る……。
堂々巡りの思案を一瞬で巡らせるギュリエルであったが、どれもこれもまったくの的外れである。しかしそれも致し方ないといえよう。
この世界の誰がこの美しい少女二人を神が受肉した存在だと想像出来るものか。
しかし、ギュリエルはやはり本能に逆らえなかった。すべての思案を止め、眼前の強者を屠る事を決意する。そのために自身にわざわざ封印魔法を施したのだ。どんな陰謀が渦巻こうとも関係がなかった。
そんなギュリエルの決意を読み取ったのか、アルマは戦闘準備に入る。
「さてお待たせして申し訳ございません。私からの質問は大体こんなところです。ではそろそろ始めましょうか」
「……ああ。始めよう。余こそが始祖の吸血鬼ギュリエル・ヴェル・ヴァイラント」
ギュリエルはたとえ眷属が相手であろうが、恐らく自身を上回る力を持つ相手には敬意を持って相対する。そのため名乗りをあげる。
そんなギュリエルに対し、礼には礼を持って接するアルマも名乗る。
「今は、神祖の吸血姫であられるイレースィ様の第一の眷属にしてメイドである吸血鬼。アルマと申します」
アルマが丁寧に一礼し終えると、すぐさまギュリエルが仕掛ける。
「暗黒の槍!」
右手を掲げたギュリエルの影から現れたそれは、宙空に十二本の禍々しい黒い槍を生成させた。
暗黒の槍は始祖の吸血鬼に置ける最上位魔術の一つである。詠唱も殆ど必要とせず、実力によって現れる槍の数や強度等は変わるが、1200レベルのギュリエルにとっては先手必勝、必殺の魔術であった。
「くらえっ」
掲げた手を振り下ろすと、ギュリエルの上空に待機していた十二本の槍が凄まじい速度を持ってアルマに遅いかかる。
無防備にしていたアルマに十二本の槍すべてが命中し、串刺しとなったアルマ。
しかしその相変わらずの無表情は変わらず、何より十二本の槍が凄まじい速度で体内を貫いたのにも関わらず、アルマの身体は一切動いていなかった。
「なるほど。この程度では痛みを感じる事すらありませんか……」
その言葉と同時にアルマを貫いていた槍は徐々に塵となり消える。
それに瞠目するギュリエルだったが、まだアルマが余裕の態度を崩していないとみると、すぐさま次の魔術を放つための詠唱を行なう。
「地獄より現れ、彼の者を堕とす。我こそ地獄の審判者。開けよ、開け。地獄への扉。落とし、貶し、堕とし……」
それはギュリエルが使える最大魔術。自身に影響は及ばないが、その魔術には当たり一体を消滅させうる程のマナが込められている。
そのマナを知覚しているのにも関わらずアルマもイレースィもその場を動く事はおろか、反応する事もない。それを油断と捉えたギュリエルは詠唱を終えると、完成された魔術を放つ。
「死への扉」
同時に辺り一面が黒に染まった。
ギュリエルは封印に関してもう一つの命令を刻んでいた。それはマナの吸収である。
長い時間の封印によって体内に吸収されたマナはより濃く、そしてそれは完全に身体に馴染み循環していた。辺りのマナも豊富。長い時を生きるギュリエルにとって過去一番調子の良い日であった。
ギュリエルはもう少し闘いの応酬を楽しみたかったが、眷属はまだしも後ろの玉座に座する少女には連戦で勝てる自信がなかった。強者を屠る事にこそ意義があり、自身が消滅することこそが最も避けねばならぬ自体。だからこそすべてを無に飲み込む魔術を使い一撃でケリをつける。詠唱を即座に中断しにこなかったことから異界に存在する魔術ではないと確信し、アルマが余裕の態度を取っている間こそが最大の好機であった。
「玉座の姫諸共、我が糧となれ……」
暗闇の中、ギュリエルはひとりごちた。
「なかなかの安定性ですね」
聞こえるはずのない声に、ギュリエルは動揺する。
暗闇の世界に亀裂が走ったかと思えば、辺りは先程とまったく変わらぬ玉座の間。
相対する無表情のメイドの眷属も、主人である玉座に座する不機嫌そうな少女も、何もかもを無に帰す魔術を行使したのにも関わらず、何もかも変わっていなかった。
「創造する武器」
アルマの魔法は、永い時を闘いに身を寄せていたギュリエルをもってしても未知のものであった。
アルマが一本の神聖味を帯びた、細身のロングソードをどこからか取り出す。
ただ一本の剣を創る魔法。にも関わらず、その剣から放たれる威圧感に嫌な汗が吹き出る。
「ではまず右腕を」
アルマが告げるも、何も行動を起こす様子もなく、ギュリエルは最大限の注意を払ってアルマの機微を凝視していた。
ボトリと音がした。視線を僅かに動かすと綺麗に自身の右腕が落ちているのが分かった。
それだけならギュリエルとて動揺することはない。しかし、異常な自体が自身の身に起きている事を瞬時に理解する。
「さ、再生されない……?」
「次は左腕です」
ボトリと落ちる左腕。
魔法を使った気配はない。
恐らく剣による効果が再生を阻害しているのだとギュリエルはあたりをつける。
しかしアルマを注視しているのにも関わらず、自身の腕を切る動作を眼に捉える事ができないギュリエル。
――これは……魔法ではなく、ただ恐ろしく早い速度で余の腕を落とした……というのか?
いや、何かからくりがあるはずだ。余の放った魔術を尽く無効化していたが、そこに魔法や魔術の類いを行使した時に起こる特有のマナの乱れは感知出来なかった。
魔術具の類いか何かか……? いやまて……あの武器を創り出した時も……あの剣の異様な圧に気を取られていたせいで気にしていなかったが…………たしかにマナの乱れはなかった……。
神術の天才であるイレースィにより神術の指導をされていたアルマ。
イレースィから直接教えられた神術、そしてそれを元にした魔法に関してだけは恐ろしく高い完成度で行使出来るのであった。故に周囲に魔法行使特有のマナの乱れは起きない。
マナの乱れ、それはまだ未熟な魔法の行使を意味する。
ギュリエルの驚愕の反応に心無しか自慢げなアルマ。
どんなもんですか、私だって姫様直伝の神術なら上手く扱えるのです、などと考え一人胸を張る。
唯一イレースィに認められた〝武器を創造する神術〟は魔法に置き換えてもなお高い完成度を誇る。
しかしてそれ以外の神術が『なめくじ以下』とはイレースィ談。
先程ギュリエルが放った死への扉は、神聖の槍を一瞬で創造し一点突きした事で破った力技である。
つまり逆を言えば、戦闘で有効打となりうるような魔法が他にないとも言える脳筋スタイル。
もちろん他の魔法を使えないというわけではないが、その完成度はかなり低いものとなる。
姫様は私の勇姿を視ていらっしゃったでしょうか?
アルマは期待を込めてチラリと玉座に座るイレースィを見ると、明らかに不機嫌が通りすぎてご立腹のご様子である。
自分だけ楽しみおって、という酷く我儘な理由で静かにブチ切れているイレースィに恐れをなしたアルマは、そうそうに戦いを終わらせにはいる。
「ひ、姫様をお待たせしては申し訳ないので、さっさと終わりにいたしましょう。ね! さっさと!」
ギュリエルはその様子を眺め、静かに青ざめていた。
あの化け物のようなメイドがそれほどまでに恐れる相手なのか、あの玉座の姫は……。あのメイドの怯えよう、恐らくは力で支配する暴虐の類いの者か……。
そう考えたギュリエルだが、あながち間違いとも言えないのがイレースィクオリティなのであった。
アルマはコホンと一つ咳払いで、場の空気を元に戻す。
「参考までに私のレベルとやらは551です。これでお分かりですか? ジャイアントキリングさえ夢のまた夢であると。……強さを明確に表す数字があるというのはなんと便利なのでしょうね。これで貴女と私の差は子供でも分かる道理だと思われます。さて、両手を上げ即座に降伏と姫様への服従の意を示しなさい。さすれば命までは取らないで差し上げましょう」
ギュリエルに剣の切っ先を向けるアルマ。
……しかしギュリエルからの返答はない。
アルマは深く嘆息した。
「仕方ありませんね。それではさようなら。ギュリエル殿」
ギュリエルはただの死刑宣告だと考えていた。
しかし一縷の望み。
彼女が天然である事に賭け、必死に声を捻り出す。
「あ……あの、あげる両腕がありません……」
「………………そうでしたね」
アルマは耳を真っ赤に染め上げ、剣を下ろす。
ギュリエルは賭けに勝利した。