出立
アルマの説教回避のためイレースィが神力を僅かに開放した結果、狂信者のような瞳でイレースィに祈りを捧げていたアルマとアーシュヌであったが、
当の本人であるイレースィもまさかここまでの効果があるとは思わず、心中ではひどく怯えていた。
しかし、それはそれで僥倖でもあった。
『神聖な私を魅せて、説教を有耶無耶にしよう作戦』がまさかの現実味を帯び初めたからである。
そして『言い訳をやめる』という計画をやめる事にして、イレースィは当初の無謀な計画のまま突き進む決意を固めた。
「さて。幼き頃のわたしは、邪教徒に恩恵を与えてしまったわけだが、それについてはもう仕方がない。
父上であれば世界すべての事象や記憶の書き換え如きは造作もなかろうが、私にはまだそれだけ神術を上手く扱う事が出来ぬからな」
とにかく邪教徒に恩恵を与えてしまった失敗をツッコまれないためにも、威厳を保って現状を説明するイレースィ。
「だからといって手がないわけではない。幼き頃の失敗など、今の成長した私からすれば例え受肉したとしても帳消しすることなど容易いことだ」
本当は容易いどころか解決のための手段の目処も一切ついていないのだが、アルマやアーシェヌは先程の神聖な神力に当てられた感動の余韻のためか「おぉ……さすが姫様」とまた祈りを捧げている。
そんな二人の態度にイレースィは居心地悪さを感じていたが、それをおくびにも出さず、偉そうに腕を組み、何も問題はないと言わんばかりに胸をはる。
「では、さっそく御二方の受肉する種族を決めましょうか!」
真なる神であるイレースィが赴くのであれば、自身の管轄する世界は延命どころか、必ず救われるという確信をもっているアーシュヌは終始嬉しそうに笑顔である。
その実態がハリボテである事にも気づかず。
「こちらがイレースィ様とアルマ様の受肉先の候補です。廃棄世界の延命という難題をクリアするためには受肉する種族によって難易度は桁違いに変わりますからね! 慎重に選んでください!」
亜空間に繋がる小さな黒い靄を虚空に発生させたアーシュヌは、靄の中に無造作に手を入れ、その中から分厚い紙束を引き出した。
「これが受肉先の種族の一覧でございます!」
恭しく膝を付きイレースィとアルマに紙束を献上するように差し出す。
渡されたその紙束をイレースィは無造作に宙へ放り投げると、それは地に落ちる事はなくイレースィの前に理路整然として浮かんだ。
「没、没、保留、没、没、没、保留」イレースィが呟くと、没と評された紙は青い炎と共に燃え、保留と評された紙はイレースィの手の中に自然と収まるように移動する。そうして神の子の演算能力をフルに使い瞬時にイレースィは仕分けを終わらせた。
「姫様。一つ質問してもよろしいでしょうか?」
イレースィの仕分けの邪魔にならぬよう、終わった頃合いを見計らい、アルマは主人に声をかけた。
「ん? なんだ」
「いえ、大した事ではないのですが、没とされたものの中にはかなり強い種族も多く、かといって保留とされた種族にも強いものもあれば弱い種族もあり……何を基準に選考していたのか気になりまして」
「なんだそんな事か……私はな…………例え仮の姿だとしても醜い姿の種族にはなりたくない! それが理由だ!!」
胸をはって豪語するイレースィにアーシュヌは今更ながら「本当に私の世界は大丈夫なのでしょうか……」と不安を覚えた。
「なるほど、そのご慧眼感服いたしました」
手のひらをポンと叩くアルマを見たアーシュヌは更に絶望の表情となった。かつて試練で見目を基準に種族を決めた神々がいたであろうか……。
「この保留にした種族ならば今の私の美しさを損なわずに受肉できるであろう。どれでも良いが……ランダムで選ぶとするか」
イレースィはもう一度、手にもった紙を放り投げると、宙に浮かんだ紙が円のように並び、その次の瞬間にはグルグルと高速で回転し、その中から一枚の紙がイレースィの手元に降りてきた。
そして他の紙は、先程の没とされた紙と同様に青い炎に纏われてすぐに消えてしまう。
「よし、この種族に決めたぞ。アーシュヌ頼んだ」
イレースィは指先をひょいと軽く振ると、先程選んだ一枚の紙がアーシュヌの眼前に飛び、宙に浮かんだそれを見たアーシュヌは一度瞠目した後、ため息一つこぼしそれを受け取った。
「アルマ様は……どうされますか?」
「私は姫様の眷属として受肉しようかと」
「畏まりました……それで受理させていただきますね」
欲を言うのならば、アルマ様には別の種族としてイレースィ様をサポートしてほしかった。と切にアーシェヌは思う。
イレースィがランダムで選んだ種族は、奇跡的に強い部類といっても過言でない『吸血鬼』という種族の『神祖の吸血姫』という種族であったが、アルマはその種族の眷属。どうあがいても『神祖の吸血姫』未満の力しか出せない。
そもそも『神祖の吸血姫』という種族はアーシュヌを持って初めて知った種族である。『始祖の吸血鬼』『真祖の吸血鬼』といった最強の種族に連なる何かだと思うので決して弱いとは考えにくいが、なにぶん初めて聞く種族なのだ。
それに『始祖』や『真祖』は最強とは言っても、最強に分類されるというだけであって、上を見渡せばいくらでも強い種族は無数にいる。
しかし、それを説明したところでイレースィやアルマを相手に説得できると思うほどアーシュヌは身の丈を知らぬ愚か者ではなかった。どうあがいてもこの二人は意見を翻す事はないだろう。
「では、管理水晶に手をかざして神力を軽く注いでください。そうすればビフレストの住人として受肉が果たされますので。転移場所は太古の吸血鬼が暮らしていたとされる無人の城です。それでは神々の試練より無事、お戻りになられることを心よりお待ちしております」
アーシュヌは誰もいない空間で、儀礼通りの言葉を発した。
――イレースィとアルマはとっくに管理水晶に手をかざして既にビフレストへと旅立っていたのである。
○ ○ ○ ○ ○
隠蔽技術を最大限に使ってその部屋の様子を終始覗いていたものがあった。
――主神様である。
「受肉した生物はか弱い……そんなイレースィが死を経験するのは…………将来のためには良いのかも知れぬが……やはりっ! やはり父としてそんな無体な真似はさせられん! 可愛い愛娘のためだけに誂えた種族! 今の今までついぞ使う機会が訪れなんだが、ようやく日の目を浴びる事になるとはな…………イレースィが喜んでくれれば良いのだが」