信者
「さて、どういう事なのか説明していただけますね? 姫様」
いつも通りの無表情で問いただすものの、アルマの周りには溢れ出た神力の濁流が荒れ狂っていた。
一言一句違わず、同じポーズに同じだけの荒れ狂う神力量……まるで再上映かのようなアルマの姿にイレースィはいっその事、感心していた。
先程までと違う点で言えば部屋の隅にアーシュヌが蹲って震えている事が一つ。
もう一つはイレースィがいつも通りのように腕を組み、いっそ傲岸不遜というまでの態度で不敵な笑みを浮かべている点。
その二つを除けばまさにリバイバル上映だ。
「ほうアルマよ、私は何も悪い事だとは思っておらぬのだが、どうして貴様はそうも怒っているのだろうか? 私は神なのだぞ! 人の願いを叶えてやってなにが悪い!!」
イレースィはつい先程まで、怒り心頭の様子のアルマに戦々恐々としていたが、よくよく考えてみればまだ反論の余地が残されている事に気づいたのだった。
「はぁ、姫様。ルールの話ではなく神界のモラルの話です…………『アルマは素直に自分の間違いを認め、心からの反省ができている。そういった者はたとえ神であっても少ない。くだらぬプライドが邪魔をするからな』」
「うっ……」
それはつい先程、イレースィ自身が発した言葉であった。
「そもそもお主はなっ!!!」
ついにアルマの名前も呼べなくなるほど狼狽したイレースィ。
「『自分本位の説教は説教足りえん。それでは導くための説教ではなくただの怒りの発散であるぞ』これは、どなたのお言葉でしたでしょうか姫様。すごくいい言葉だと思っていたのに、ついその方の名前をド忘れしてしまいまして……最近物忘れが激しくて困ったものです……」
普段の無表情はどこかに光の女神かくあらんといったような微笑みで頬に手を当て、思い出そうとしているのですがという体裁のポーズはいかにも白々しかった。
「一言一句覚えておるくせに何を言うか!!」
「ふふ、冗談ですよ。実はそこまで怒っているわけではないのです。ちょっとした悪戯心ですよ」
クスクスと笑うアルマのイレースィを見る目が、愛玩動物に向けるような目で在ることに当のイレースィは気づいていない。
まさしく可愛い子程いじめたいという小学生男児的な悪戯心だった。
そんな余裕綽々のアルマが気に入らなく……良いことを思いついた! とさっそく意趣返しを決行するイレースィ。
「……アルマ。たしかに私は幼き時分に遊び半分の気まぐれで信託を下した事はある。しかしそれは彼ら人間が自らの命を代償にしてまで神に祈っていたからだ。だからこそ信託を授けたまでのこと。もちろん今思えば浅慮で短絡的な行動であったのは事実だ。歳を重ねた今ではもちろん無闇にそのような事はしない。アルマは……幼かった私の善意を過ちとして罰するのか?」
イレースィは両の手の指を固く組みアルマにゆっくりと近づく。
元々アルマより低い身長のイレースィがアルマの顔を見ようとすると必然的に見上げる形になってしまう。
今のイレースィはまさに聖女が神に祈る神秘的な姿そのもののようにも見えるし、自身の可愛さを全面に押し出した媚を売る姿にも見える。
もちろんイレースィは媚を売っているのである。
「うっ…………」
○ ○ ○ ○ ○
アルマは敬愛する主であるイレースィの事をなによりも大切にしている。
――しかしだからこそ自分のようになって欲しくはないと切に願っている。
アルマは生来の苛烈さをひた隠し、皆が想像する光の女神という自身の気質とは正反対の息苦しい仮面を被り続けなければならない立場だった。それこそ永遠に。
私のようなただの演技ではいけない。
恐らく姫様は永遠に息苦しい仮面を被り続けようとも、知らぬ誰かを自分だと偽り、そう思い込もうとする事も、全てに耐えてしまえるだけの精神力がある。
だからこそ永遠にその精神は摩耗され続ける。狂う事すら許されず。
それどころか徹底して、感情すらも支配し、誰が見ていなくとも皆が描く理想の女神を振る舞うような御方であろう。
――そんな虚飾を纏い別人のように変わってしまった〝フリ〟をする姫様を私は見たくないのだ。
――演技であってはいけない。それが『自身の当たり前』だと、そう思わせるよう導かねば。
姫様はきっと「そう在ろうとすれば、いずれそれが本当の自分になる」と信じて疑わないはずだ。
いっそのこと傲慢とも呼べる程に自分の能力を疑っていない。
けれど「そう在ろう」とする限りは決して「ソレには成る事はできない」。
貴女様は強いのだ。無理矢理に自身の進む先を曲げてしまうと、心の奥底に沈めた本来の姫様の自我は強すぎるが故、朽ちる事は決してないのだろう。
だからこそ貴女は私のように「神らしく在ろう」となんてしなくてもいい。
私が姫様を導き光を照らしてさしあげましょう。母が子に正しき道を諭し共に歩くように。
たとえ姫様に嫌われようとも、憎まれようとも。
姫様を変えようなどというのは、傲慢な考えなのだろう。
しかし私は苛烈さや奔放さを心の底に沈め、いずれ、いつ何を沈めてしまったのかも、分からぬようになるまでご一緒します。
○ ○ ○ ○ ○
「……ア、アルマ?」
イレースィは、いきなりダンマリになったアルマにかつてない程の恐怖を覚えた。
これは小一時間の説教程度では済まないだろう……と考えた時、やはりアルマの様子はおかしく思えた。
アルマを注視すると、普段は隠しているアルマの神力が薄らと見えた。
流石に上位神だけあって完璧に内包しているアルマの神力を、完全に視る事は神の子であるイレースィであっても難しい。不確で朧気な感情が僅かに見え隠れする程度である。恐らくソレを完全にやってのけるのは自身の父だけだろうと、考えた。
たしかにアルマはよく自分の世界に没頭しすぎるあまり声をかけても、肩を揺さぶろうとも反応がない等という事はざらにある。
しかし、それにしても――
今のアルマの様子はあまりにもおかしい。自分の世界に没頭する寸前まで、あれだけ怒っていたり、かと思えばふざけてみたりと、していたのにも関わらず、急に機能停止したかと思えば神力の揺らぎからこぼれ落ちる感情が悲しみや慈愛やらがごっちゃ混ぜになって漏れ出ている。
イレースィは出来る事が多すぎるが故に自身に色々な枷を自らはめている。
溢れた神力からある程度の感情を読み取るまではセーフ、という自分ルールを課してはいるが、そうも言っていられない状況かもしれん。
「アルマ、お前にだけは使いたくなかったが……許せ。今回ばかりだ」
アルマの神力の一部を神術を行使してイレースィは取り込んだ。
こうすることで接続が繋がった状態になり、自身は悟られず一方的に相手の考えを読み取る事くらいならば造作もない。
「ッ!!」
一瞬にしてアルマの献身的な愛のような思考を一身に受けたイレースィは、顔を真っ赤にしてひどく狼狽したのち、瞬時に神力の接続を解除した。
それとほぼ同時にアルマも思考の海から上がってきて、現実へと目を向けた。
アルマの目の前にはなぜか、顔を赤らめているイレースィがいるが、その様子に首を傾げる程度で特に気にせず、先程までの会話の続きを切り出す事にした。
「はあ……分かりました。お説教はいたしません。姫様も充分に成長しているようですしね」
先程の姫様の言葉を聞く限り、十分な正当性もあるように思える。あくまで姫様はただのキッカケにすぎないのだ。それを誰が罰する事など出来ようものか……。
幼き頃の姫様は幼さ故に自分の影響力を知らず、そして幼さ故に困った人々を見捨てられなかったのだろう……。
アルマは自分の考えをそう整理した。
そんなイレースィが殊更愛おしく思え、クスッとアルマは小さく微笑むようにして笑う。
光を司る上位神だけあって、その微笑みは普段どれだけで無表情で覆うとも、とても綺麗なものだ。
「ありがとう。私は昔からアルマには迷惑掛けてばかりだな」
侍女ではない自然体のアルマの久しぶりの笑顔を目にした事で先程までの羞恥的な感情もどこかに吹き飛び、彼女と同じようイレースィもクスリと小さく笑って微笑む。
一万年もの間、常に一緒にいたのだから、どうしても二人の仕草は似かよう。
外見を抜きにしてしまえば仕草や微笑み方まで、この主従はとてもよく似ていた。
「いいえ、私は『イレースィ様! イレースィ様』頃より、貴方様に『みなの信仰の力により邪神イレースィ様復活の時も近いはずだ!』てますの『さらなる信仰を捧げよう!』で…………」
神界にいてもビフレストの状況を確認する事が出来る水晶型神器『管理の水晶』は、間の悪い事にアルマの感動的であったであろうセリフを塗りつぶした。
アルマは一瞬にして部屋中の家具や調度品等の数々の品を荒ぶる神力で粉々にした。(イレースィだけを綺麗に避けるようにして)
アーシュヌに関しては、アルマが話を遮られているところから徐々に怒りのボルテージが上がりつつある事を察知したイレースィが既に張った結界によって無傷ですんでいるが、可哀相なくらい酷く怯えている。
そしてイレースィは「これは長くなるな……」と一人紅茶を飲みだすという混沌具合である。
アーシュヌは、そんな荒れ狂う神力の中で優雅に一人紅茶を楽しむ美しい少女を見て、
そして次に未だ怒りが収まらないようなのか徐々に大きくなっていく神力を暴れさせているアルマを見て……アーシュヌは静かに涙を流し、ゆったりとした綺麗な所作で両膝を床につけ両手を組む。
ああ……イレースィ様こそが真に神であらせられるのだ。
アルマ様のように感情を爆発させる事もなく……イレースィ様にとってはすべての事象は些事なのでしょう……。
そしてイレースィ様のお父君であらせられる主神様……お声を届けさせていただいた事はありますが、直接お目にかかったことはありません。ですがやはりこのお二方こそが真の神であるのでしょう。
私などはただのまがい物に過ぎぬのです。
こうしてイレースィ様のご尊顔を拝謁する機会があるだなんて……。
ただのドライアドの妖精であった頃の自分は神は皆等しく神だと思っていたので、この幸運の感謝と祈りを一体誰に捧げれば良いのでしょう……………………あっ! ちょうどいいですし主神様とかにしましょうか。イレースィ様と等しくとりあえず神であるあの方に祈りを捧げましょうか。
アルマもアーシュヌも、イレースィこそが彼女達の神であり、主神は敬うべき存在ではあるものの、イレースィのオマケのようにしか思っていない。
この二人は熱烈で敬虔な信者なのだが、その信仰は褒められるべきものなのか……むしろ限りなく不敬に近い信者がアルマに続きここにまた一人イレースィ信者が増えたのであった。
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イレースィはしばらくの間は飲めぬであろう上等な最後の一杯の紅茶をゆっくりと楽しもうと、指先をひょいと軽く動かし通常の結界に防音結界を重ね掛けた。
するとアルマの神力の余波によって生み出される騒音も、世界を管理するための『管理の水晶』から聞こえてきた不穏な言葉も、これでイレースィには何も聴こえなくなったし、あとは瞼を下ろせば何者にも邪魔をされない空間の出来上がりだ。
カップを口元まで運び、芳しい香りと共に紅茶を一口飲む。
今日からしばらくは廃棄世界とやらへ、アルマと共に行かねばならない。
これは神たる存在の義務でもある。正直面倒な、と思わなくもないが、こと父上に頼まれてしまえば仕方がないと腹をくくるしかない。
失敗すれば千年……上手くいった場合は万年…………か。
このように芳しい香りを放つ紅茶はもちろんのこと、第一世界から準拠されてきた神界のあらゆる快適空間には、当然廃棄世界に赴いている間はありつけるはずもなく、ましてや受肉して外界に渡るとなると、普段の生活水準はより一層不便になるに違いない…………。
もういっそのこと故意に失敗して星の崩壊速度を加速させて、さっさと神界に引き上げるという手もあるにはある。
神界のルール的にはなんら問題ないし、命を出した当の父上本人もあの後こっそり念話で『辛くなったらすぐに連絡してね? お父さんが何とかしてみせるから! ね?』とまで言われたからには、アーシュヌを使っての伝言は威厳を保つためのものだったのだろうな。
そう考えると非常に父上は可愛らしく、面白いお方だ。
――クスリと一人小さく笑い終えた後、私は決めた。
幼い私の気まぐれで……たとえそれがただのキッカケに過ぎないとしても、私が関与したせいであの星の寿命は付きかけているのだ。
先程の『管理の水晶』から聞こえた現地人の言葉から察するに、間違いなく私は邪教徒の類いに恩恵を与えてしまったのであろう……。
――平静を装って紅茶を楽しんでいるものの、ぶっちゃけ冷や汗が止まらない。
過去の私は何をしてくれやがったのだ、まったく。
そもそも私自身まったく心当たりがないのも、問題だ。
ここは冷静に……。平静を装って……。
いや、平静を装うだけでは駄目だ。それではアルマの説教が回避できない。
アルマの説教が及ばないよう、過去のそれすらも計画の一貫であったと思わせられるよう、いっそ今だけは無駄に豊富な神力で、神術をフルに使って神秘的な姿を装ってみよう。これでも神の子なのだ。それらしい姿でそれらしい事を言えば、いっそ狂信者とも呼べるアルマなら丸め込めるかも知れない。
ドーム型結界全域にクリスタルの如き輝きを放つ粒子を撒いて、普段は邪魔だからと隠している翼も無駄に壮大に広げて、その際緩やかに羽根が舞い散る演出も忘れず、そして眩しいからと普段隠している光輪も出して……………………いや、無理だな。
紅茶を飲みながら唐突に派手なエフェクトを振りまくただの変神だ、これ。
もう言い訳を考えるのはやめよう。
だって分かるわけがなかろう。当時の私は世界といっても、第一世界を少し覗いていたくらいだ。
父が一度見せてくれたその世界は、第一世界のそれより遥かに文明の劣った世界であったし、そんな世界の住人が集団で自死してまで「殺したい存在がいる」と祈っていたものだから、凶悪なモンスターか何かだと思っても不思議ではない。だからこそ私が手づから創り上げた『イレースィちゃん人形1号(ゴスロリ仕様)』を介して現地人と接触し「化け物には化け物をぶつければ良い」とばかりに他世界の凶悪なモンスターを召喚したのだ。
結果無事に「殺したい存在」とやらを始末できたとのことで、他世界から呼び出したモンスターとイレースィちゃん人形を回収して後は放置した。
うん? 私悪くないな?
私には正義感もなければ罪悪感もない。
恐らく人族といった生き物はこういった時には正義感や罪悪感、贖罪、慈愛。
そういったあらゆる感情が背を押してくれて、前に進む事ができる生き物なのだろう。
私は神であるからして、そんな感情を持った事は生まれてこのかた一万年……在るには在るのだろうが、まだ真に理解すらできていないのかも知れない。
しかしそんな私にも自由というものを見てみたい欲求はある。自由というものを感じてみたい。心の開放とはなんなのだろう。
その概念を知った時。以来私はその言葉に焦がれた。なぜなのかは分からないが、私はそれを追い求めずにはいられない。
私の出自が他の神々とは違うからだろうか?
私は正しく神であり『神の子』なのだ。だからこそ殆どの事を思い通りにすることも不可能ではないとは思う。
一度世界に降り立てば、世界を全て自分の思うがまま自由に扱う事が出来る。だがそれは私の知る自由とは矛盾する気がして胸がモヤモヤとする。しかしながら何が矛盾しているのかも私にはわからない。
まあ、よいか。時間は沢山とある。その間に納得できる何かを見つけようではないか。
面倒は面倒だが、退屈はより嫌いだ。その分あの廃棄世界は過去に父上から聞いた話を踏まえれば私を中々楽しませてくれるような気もする。
そして一応延命とは別に、こっそりと念話で伝えられた父上の『もう一つの頼み事』のためにも。
私がビフレストに行く理由はそれだけで充分だ。
――よし、では廃棄世界『ビフレスト』へ向かうとしようか!
勢い良く立ち上がり、ガタン! と椅子が倒れる音がして、ようやく気づいた。
心中で意気込んでいたはいいものの、ここがアーシュヌの部屋だということをつい忘れてしまっていた。
思索に耽っていたと気付き、そしていつの間にやら閉じていた瞼は普通に開いていた。
ただあまりにも色々と考えたり、考えなかったりしていて視覚から得られた情報を無意識のうちに遮断していたようだ。
それはまあ、いいのだが……。
「なぜアルマとアーシュヌは私に祈りを捧げながら泣いている」
ものすごくおぞましい何かを感じ、すぐに出立のための用意を整える事にした。
……そういえば、あの世界に持っていった召喚の神術式が描かれた紙の回収……ちゃんとしただろうか…………あれ? あれ? した……はずだな。うん。