神々の試練
薄暗い空間から突如現れ、すぐに片膝をつこうとする恐らく案内人であろう者に対して、イレースィは手を向けソレを静止させ、長々とした定形の挨拶を略式化したもので答えると、案内人である彼女も意図を察したのか、無駄な時間は惜しいとばかりに速やかに互いの自己紹介を終えた。
さて、自己紹介も終えたはずなのに何やら沈黙が鳴っているが、ここからの予定を私は一切聞いていないぞ。どうすれば良いのだろうか? とイレースィは一人考え込んでいた。
よくよく案内人の彼女を観察してみると、何かもの言いたげにしているように見えたので一応公然に発言の許可を出して様子を伺ってみると、どうやらそれが正解だったようだ。
彼女はオズオズと小さく手を上げた。
「そっその……ど、どうぞ、とりあえずは私のお部屋まで……。あっ……て、手狭ではありますがっ、他からそこでの話が漏れるような事は絶対にあり得ない空間なので! お話はそこでいたしましょうっ! ぜひっ!」
後半から妙に饒舌になり、どこか自慢げで、しかも興奮気味に話す案内人ことアーシュヌ。
イレースィとアルマはアイコンタクトを取り意思疎通の確認をする。
これは決して神力を用いた神術に頼ったものではなく、長年の付き合いによって生み出された二人の間だけにしか通用しない独自の技術である。
その精度は恐ろしく高く、無駄な時間を割く会話よりも優秀な情報伝達手段とまで昇華されていた。
そんな二人から見た案内人である彼女への印象は「あまりにも怪しすぎてまったく怪しくないヤツ」
胸中で主従揃って同じ見解であった。
呆れながらもアルマがイレースィに変わって了承の意を示し、二人は彼女の後ろについて歩いた。
少し歩くと、ある一定の区域から広がる傍聴のための結界が感じられた。流石に自慢げにしていただけあって、割と複雑な式を用いたであろう――傍聴のための神術としては上手く(行使)出来た代物であった。それでもイレースィからすれば指摘したい部分は無数にあるのだが。
更に少し歩いてようやく着いた案内人である彼女の部屋へと二人は半ば強引に招待させられた。
完全にこの案内人はお友達を部屋に連れてくる。という平凡シチェーションの実現のために動いているとアルマは理解した。
そうしてようやく人心地ついた案内人含めた三人は、試練についての詳しい説明会を開催する。
これからイレースィとアルマが向かう廃棄世界の現状説明を、案内人が軽く掻い摘んで話し、ようやくこれから本題に入る――というところで自体は混迷を極めてしまっていた。
○ ○ ○ ○ ○
「さて、どういう事なのか説明していただけますね? アーシュヌ?」
いつも通りの無表情で問いただすものの、アルマの周りには溢れ出た神力の濁流が荒れ狂っていた。
「いっ……いえ…………そのぉ……ですねぇ……」
対する案内人アーシュヌは平身低頭の状態でさりげなくイレースィに目線で助けを求める。
その眼は涙で溢れていた。
「アルマ。そこまでにするがよい。上位神のアルマと下位神のアーシュヌでは要求水準が違っていても仕方がない。自分が出来て当然だからと、相手も出来て当たり前だろうという自分本位の説教は説教足りえん。それでは導くための説教ではなくただの怒りの発散であるぞ」
イレースィがそこまで言うと、とっさに部屋中の神力の濁流がスッと収まる。
「も、申し訳ございません! たしかに姫様のおっしゃるとおりです……私はただ怒りを発散しただけの愚か者でございました……驕り高ぶった我が身を恥じ入る次第です…………」
「うむうむ。アルマは素直に自分の間違いを認め、心からの反省ができている。そういった者はたとえ神であっても少ない。くだらぬプライドが邪魔をするからな」
イレースィのその言葉にアルマだけではなく、なぜかアーシュヌまで瞳をうるうるとさせ尊敬の眼差しを向けていた。
「ですがっ! 上位神たるもの……いえっ! 姫様のメイドにあるまじき失態……かくなる上は一度自死し、千年後の転生によって、存在して間もない清らかな私をお側にっ――」
アルマはどこからかとりだした物騒なナイフ(装飾は凝っていて物騒といより芸術的神聖みを帯びてはいる)を自身の首に突きつける。
「いやっ! まて!! 早まるな!!」
イレースィはすぐさまアルマの元に駆け寄り、その物騒で無駄に豪奢なナイフを取り上げる。
流石に主神の娘だけあって、それは上位神のアルマですら対応できない程の速さであった。
「ですがっ……!」
先程までのアーシュヌと同じようアルマもまた眼にいっぱいの涙を溜め込んでいる。
重い……忠誠心が重すぎるぞ……此奴……。
だがッ仕方ない! こんなくだらぬ事でアルマを失ってたまるものか!!!!
アルマを……アルマを失うなんて…………アルマが転生するまでの千年はあらゆる神々が調整のための仕事に忙殺される!!
イレースィは決意し、言葉を放つ。
「貴様の忠誠心しかと受け取った。この場のすべてを不問とする」
長々と「誠に寛大な処分……」等とアルマは口にするが、イレースィから見るとアルマはやはりどうも納得出来ていないように思われた。
いや、もうひと押ししておくべきか。普段ならこの程度でも構わないだろうが……というかそもそも、私によく軽口を叩いて面白半分でからかうように接しているくせに――何がスイッチなのかがまったく分からん。
しかしアルマにとっては、他の神の前で私に泥を被せるような行為は何事にも耐え難い屈辱なのだろう。
私にはさっぱり理解できないが……。
イレースィは胸中でとてもとても面倒に思っていた。
「いいか? 私が罰といったら罰だ。私が黒といったら白だろうが黒だ。そして私が不問と言ったからには不問だ。分かるな?」
イレースィのその言葉を聴き、アルマは徐々に表情を喜色満面に変えていった。もちろんそれはほんの僅かな表情筋の機微であり、それを察知できるのもイレースィだけであったが。
こやつ、私に対してマゾ属性を発揮しているのではないか……?
主従関係は数多の世界で確認されているので、神々も皆知識として理解はしているのだが、やはり神界において主従関係というものは縁遠いものであり、なかなか慣れない。
ん……? いや、よく考えてみれば父上や私には皆が敬うように扱うのだから、これは主従関係云々以前にコヤツが特別おかしいのではなかろうか……。
うーん、うーん。と眉間にシワを寄せ何やら考え込むイレースィを、アルマとアーシュヌは不思議そうに眺めていた。
◇◇◇
「さて。皆一旦落ち着いたところで、話し合いの続きとやらをしようじゃあないか」
イレースィがそう言うやいなや、指示を出さずともアルマが指を鳴らし、一つの玉座のような椅子と、その隣に少し控えめな椅子、対面には恐らくアーシュヌのものと思える華美ではないが貧相でもない一般的な椅子が一瞬にして現れる。
メイド式神術とアルマが呼ぶ無数にある彼女のオリジナル神術の一つである。
アルマは上位神の中でも莫大な神力を持つのだが、そのぶん神術に関しては不得手としている。
それでもイレースィのメイドとして一流であろうという強い意思と努力の末、日常雑務に関する神術においては今では(主神とイレースィという例外を除けば)神界一といっても良いほどである。
主神の愛娘であるイレースィが豪奢な椅子に、その隣に少し格を落とした椅子にアルマが、対面にはアーシュヌが座る。
「アルマ……メイドならば椅子は必要なかろう……」
べつに意地悪で立っていろ等と言っているわけではない。常々アルマがイレースィにメイドとはかくあるべし、と鬱陶しい熱意をもって力説されてきたメイドの在り方に矛盾を感じていただけである。
「何をおっしゃるのですか姫様。この私アルマも此度の試練には参加するのですから、ここには言わば参加者として居るわけです」
やはり何があってもついてくる気か……。
イレースィは元々半ば諦めてはいたものの、やはりその確固たる意思をまざまざと見せつけられると胸中の不安が拭えないものがあった。
「で、では仕切りなおしということで、もう一度初めから順を追って説明いたしますね……えっと…………よ、よろしいでしょうか?」
アーシュヌがイレースィとアルマに交互に視線を向けオドオドとする。
先程は話の途中でアルマがぶち切れてしまったので致し方ないだろう。
「うむ。安心するが良い。此奴の首輪は私に任せておけ。先程は不問としたが、なにせ私は……話が中断されるのが嫌いだからな」
瞬間アーシュヌとアルマに死を錯覚するかのような恐怖が襲った。仮にも神である二柱。死という概念が希薄なのにも関わらず、それは濃厚で濃密な死の威圧であった。
「まあ、話が円滑に進むのなら問題ない! 続けてくれ!」
先程の冷たい眼は夢か幻だったのかと疑いそうになるほど、濃密な死の気配は瞬時に霧散し、それらを振りまいた張本人はケロっといつも通りの美しく優しいイレースィそのものに戻っていた。
もちろんイレースィは意図して威圧したわけでは決してない。
事実、話し合いがくだらぬ事で中断されたりした場合には多少イラ立つような事もあるが、ただそれだけだ。
彼女が生来持って生まれた圧倒的なカリスマは、ただの雑談をも脅迫に変えてしまうのである。
当人からしてみれば、たまったものではない。
しかしこの真実が気づかれる事は永遠に訪れないであろう。
◇◇◇
こほん、と一つ咳払いしたアーシュヌは先程まで平身低頭していた人物とは思えない程、理知的な顔つきになった。
アーシュヌは緑の蔦の髪に、木の根のようなものを体中に巻きつけている。ドライアドの大精霊から長い年月を重ね神へと至ったその名残である。
位階的に区分するならば下位神であるし、新米の神でもある。それでも世界の楔から外れ、神へと至った者は多くはない。だからこそ優秀であるのはたしかなのである。
「姫様やアルマ様は当然のことながら『神々の試練』についてはご存知でしょうが、それでも姫様の御身に何かあってはいけません。念の為最後の確認として、不肖ながらわたくしアーシュヌが今一度おさらいさせていただきますが、それもこれも姫様の御身のため……どうかお許しください」
「頼むぞアーシュヌ」
――まったく揃いも揃って心配性なやつらめ……まあ、それだけ愛されていると思えば悪い気はしないものだがな……。
そんな事を考えていたイレースィは自然と柔和な微笑みを浮かべ、その姿を直に見る事となった対面にいたアーシュヌはもちろん、隣りにいたアルマさえもが揃って胸をおさえた。
いかようにも変質する彼女のカリスマは、彼女が嫌う話の中断を誘発させるのである。
「どうした? 早いとこ終わらせて欲しいのだが……」
訝しげに首を傾ける仕草もまた愛らしく、異性同性の垣根を越え、肉欲を持たぬ神でさえ魔が差しそうになる美しさが彼女にはあった。
――もはや呪いの域である。
アーシュヌはもう一度コホンと咳払いをして、極めて平静を務めるよう努力して話を続けた。
「え、えーとですね。いわゆる『神々の試練』というのは文字通り『神々のための試練』です。これを終えれば一人前の神として認められます。試練を受ける神々の理由や時期は千差万別です。中には早く一人前になりたい者や、神界以外の世界を直に見てみたい者等。ですが、基本的には先達の了承を得てから、というのが一般的でしょう。姫様も主神様に勧められたのではないでしょうか?」
「ふむ………………?」
イレースィが一言発した後、黙るように考え込んでしまったので、なにか姫様に粗相を働いたのでは、とアーシュヌは気が気でなかった。
イレースィは神界では良くも悪くも有名だ。
主神の唯一の娘にして、内包する神力は主神に迫るほど圧倒的。
幼い頃からありとあらゆる分野の神々に教えを請いて廻ってはそれを初見でマスターし、それでは足りないとばかりに次の瞬間には自分なりに改良した数段上の絶技を披露する。
自然現象や概念そのものを司るような神々以外は、誰もが己のアイデンティティを失い、心とプライドを粉々に砕かれていた。
それから少しの時間が過ぎた頃には、一度は心折れた神々もどこかで折り合いをつけたのか完全に立ち直り、今では逆に神々の方からイレースィの元へと、あらゆる教えを請いに伺うという有様だ。
しかしそんな噂が神界でどれだけ広まっていようとも「自分は負ける気がしない」と考える自信過剰の者は、やはり神であろうとも一定数はいるもので、無謀にも知や武などで彼女と相対した者達はみなすべからず初日には既に師弟関係が成立していた。
アーシェヌは一度だけ、そんなイレースィを間近で眼にした事があった。
もちろん挑戦者としてではなく、たまたま通りがけの野次馬としてであったが。
少女相手に多数の大男や気の強そうな女性達が完全装備で各々の武器を全力で幾重にも振り下ろす。
しかしイレースィにはかすり傷どころか埃すらついた様子はない。
何も知らないただの『人』がこの現場を見ると大男達は完全に悪者側であろう。だがここは神界である。みな善性な者たちばかりである。
つまり彼女は今、たった一人で戦神を複数相手にして指導していたのであった。
アーシュヌからしてみればイレースィはまさに天上人ならぬ天上神。理外の外側に御わすお方。
アーシュヌのように生物の理から外れ、神へと至ったわけでも、主神に神としてあるように創られた神でもなく、イレースィは主神がただ子を願っただけで生まれた存在なのだ。
「正真正銘の神と呼べるのは恐らく主神様と姫様の二人だけなのではないだろうか」
そんな他の神々を冒涜するような穢れた考えが脳裏によぎり、その時アーシュヌはすぐさまかぶりをふった。
しかしアーシュヌは当時、その光景を見て、その時たしかにそう思ったのだ。思ってしまったのだ。
性格は奔放で自由気まま。そして時に苛烈。見るもの全てを魅せてやまなくさせる何かがあった。
まさか神になって尚、信仰が生まれようとは。
崇められる対象の神々が崇める存在であり、一部の熱狂的なファンと……そしてほんの一部は……いえ、主神様の住まうこの土地で誤魔化しはいけませんね。……神界に住まう神々の一部は彼女に畏敬ではなく畏怖を抱いているのです。
…………そんな私はどちらなのでしょう。
…………いやっ! 今はこんな事を考えている場合ではないです!
こんなあばら家にこのまま高尚なこの御方を放置するわけにもいかない!
しかし当のイレースィは未だに黙ったまま。
ここからの対応を誤れば、不敬と思われるやも……。
そこでアーシュヌは意を決し、自らの魂をベットに賭けに出る。
ああ……そうか、先程の記憶はもしや走馬灯と呼ばれるものだったのではないでしょうか……?
アーシュヌは妖精として少し特別なあり方で神となったため、死を未だ経験していない。
「っ……え、と……姫様……なにか私、ご無礼を…………?」
最大の意を決し、全霊を持って話かけたのにも関わらず、アーシュヌの絞り出すような声は、未だかつてない程にまで震えていた。
しかしそんなアーシェヌに対し、イレースィは気軽に答える。
「ん……? いや、何、ただ気になっただけだ。アーシュヌは既に管理世界を持っているとの事だし『神々の試練』を受けた事はあるのだろうが…………仮にも父……主神の娘の案内役に、なぜまだ新米のアーシュヌ一人なのだろうか……と。本来であればもっと大人数で仰々しく出立するのが通例であったはずなのだが……」
自分が何か粗相をしたわけではない事に一瞬ホっとしたアーシュヌだったが……。
あれ? まさか私何か疑われていたりします!?
「いえいえいえいえいえ!!!! わたたたた私めがご参上頂いたのはっ!! たたたただ今回姫様とアルマ様の向かう世界が私の管轄世界でしたのでっ!! ただそれだけで!!」
ひいいいいいい!! 必要以上に狼狽してしまった!! やましいことなんて何もないのに!!!! なんだか狼狽えれば狼狽える程、私が怪しくみえるううううう!! ああああああどうしよううううう!!!
仮にも神であるアーシュヌの頭脳は文字通り神の頭脳であり、あらゆる演算を瞬時にこなすが、今はそこらの人以下のポンコツ具合であった。
「ふふ、なに。心配するな。アーシュヌはそのような神ではないと私も分かっている」
イレースィからしてみれば他者の神力を操り対象の頭の中を覗く、など造作もないことだが、それでもアーシュヌの狼狽ぶりがあまりにも酷いせいか、無意識に漏れ出た僅かな神力がイレースィの中に吸い寄せられるよう入り込んできた為、その内心はしっかりと伝わっていた。
そして言えるならば言ってしまいたかった「むしろファーストコンタクトの方が今よりずっと怪しかったわ!」と。
あまりにも簡単にアーシェヌの心中を察するイレースィだが、アルマは分からない。
それもそのはず、神力とは魂であり、核であり、感情であり、エネルギーであり、存在そのものである。
イレースィが特別なのであって、神力を知覚することはおろか、神力から感情を読み取るような芸当が出来るのは神界において主神とイレースィの他にはいない。
ダイレクトに伝わるその狼狽ぶりにクスクスと小さく笑っていた(本来であれば腹を抱えて転げ回る程笑いたい)イレースィに、突如アルマからの思念が流れ込んでくる。
『姫様。危険です』
『で、あろうな!! 父上の唯一の娘である私は神界ではそれなりの身分のはずだ! なにかの策謀だろうか!?』
『姫様の身分はそれなりどころではありませんが……ですがまあ、姫様の言わんとしておられる事は分かります。本来であればこのような頭の上に殻を乗せたヒヨッ子一人ではなく、あらゆる神々が見送りにでも来てもいいはずなのです……』
『やはりそうだったか!! 策謀か!? 策謀だな!! 新入りの人神達か、懐古主義の老人どもか? よもや二つが結託したのではあるまいな!? だが、安心するがよいアルマ! 既にあらゆる事件への対策を今組み立てている』
『既になのですか!? 今なのですか!? 安心できる材料は一体どこに!? いえっ! そんな事よりも姫様の御身だけでなく、もしかすると神界全体が危ういかも知れない状況でアナタ様はなに喜んでおられるのですかっ!! 今一度、改めて姫様のお立場をお考えください!!』
念話中だというのにアルマが突然勢いよく席を立ったことで、先程まで頭が真っ白になっていたアーシュヌは立ち上がったアルマを見て驚いていた。
そして同じくイレースィもアルマがここまで声(正確には思念)を荒らげる事が出来た事に驚いていた。
イレースィとしては「賊だろうと悪魔だろうと上等ではないか! 殲滅してくれよう」等とウキウキ気分であったのだが、アルマがイレースィの身を本心から案じていることが、普段は完全に抑え込んでいるアルマの僅かに漏れ出た神力の残滓で分かった。
ここまで声を荒らげさせてしまった事に自責の念を感じイレースィ居住まいを正す。
「アルマ――『大丈夫だ。そなたの主人である私を信じろ、私だけを信じていれば良い。なに、今まで通りの事だ。アルマが焦る必要はない。私の身を案じてくれたのは素直に嬉しく思うが、今更この性格も変えられんのでな。諦めてくれ。そしてすまなかったな。ありがとう。』――とりあえず私のように淑女らしくどんな場であっても毅然としていることだな。ボーっと思索に耽るのも、かと思えば閃きがあって取り乱すのも、アルマの昔からの悪い癖だ。それらの矯正は今後の課題として、今は試練の説明中だぞ?」
イレースィはアルマに向けて思念を混ぜた上で違和感のない会話をして、ニコリと微笑んだ。
そしてアルマも自身も、イレースィがいくら言葉でフザケていようとも、普段より強固な思念を送られた事で間諜対策は怠っていないとわかった。
そして今もあらゆる可能性や手段を模索しているに違いない。
「はぁー……失礼致しました。話を中断してしまって申し訳ございません。今日中には神界を出なければなりませんので『神々の試練』についてのお話し合いを再開しましょうか、話を遮った私が言うのもアレですが、私達は忙しいので手短にお願いしますね」
――本当にこの姫様は……どこまでも輝いてみえる不思議な方です……。
アルマはもう一度席に行儀正しく座り、話し合いの再開を促す。
「えっ……あっ! はい!! そうでしたね!」
アーシュヌも気を取り直し、何度目かの咳払いで喉を整えた後、滔々と『神々の試練』について説明する。
「姫様とアルマ様には私の管轄世界『ビフレスト』に降り立ち受肉してもらいます。
試練というと重々しく聞こえてしまうかもしれませんが、要は社会見学のようなものですね。神の力を極力制限し、脆弱な人の身で人の世界に降り立ち、そこに住まう生物をよく観察することに意義があるのです。
それが今後、数多の世界を管理する上で重要なこととなるのです。
もちろん降り立った先ではお好きなように過ごして頂いて結構です。
人々に慈愛をもたらすも良し、一つの種族や国に肩入れするも良し、世界の再興を行うも良し、諦観するも良し、そして混沌を撒き散らすも良し、です。種族選択の次第によっては、それらを成す事も限りなくゼロに近しい確率ですが、目指すだけならば不可能ではないでしょう。
故に代々『神々の試練』における会場は、すべて廃棄世界なのだそうです。何が起きようとも既に寿命が決まっていますから……。稀に準廃棄世界に降り立つ事もあるそうですが。えと、そういうわけでして……つまり私の管轄世界『ビフレスト』は廃棄世界には変わりありませんが、注意事項と致しましては……先程も申し上げあげた通りビフレストの崩壊まで――寿命千年といったところでしょう…………」
その寿命こそがアルマがアーシュヌを土下座させていた理由である。
本来であれば、たとえ廃棄世界であろうがもっと猶予はあったはず。それなのに急激にビフレストの寿命が削られている。
すなわちそれは管理者の責任に直結する。
アルマは酷くなる頭痛をできるだけ抑えるようにこめかみを指圧する。
神界は恐らく混乱状態。この先の姫とのデー……出向く場所がそんな終末間際の世界だなんて……。
おまけにその管理者は自身の世界を廃棄世界にした挙げ句、延命どころか寿命が現在進行系でゴリゴリと削られている無能の女神……。
神にとって世界とは人で言うところの愛しいペットのようなものである。
自身が管轄していた世界が廃棄された日には普段は感情が表に出にくい神であっても、嗚咽を押し殺すほど滂沱するものもいるほどだ。
だからこそ雑に世界を扱ったアーシュヌには、アルマも実は少しは思うところがあったのだ。
しかし今アルマの対面で椅子に座ったまま俯き「どうすれば……いえ……こんなはずでは……」と小声で何度もつぶやいているアーシュヌの姿を見てアルマは困惑していた。
アルマは彼女が決して世界を雑に扱っていたわけではないと分かると安心し、そして同時に憶測だけで他者に悪感情を少しでも抱いていた自分が今ではとても情けなく思い、猛省していた。
「ああ……私はなんて愚かな……」
急に俯きだし暗いオーラを放ちながらボソボソと独り言を垂れ流す二人をイレースィは気味悪がっていた。
しかしアーシュヌの内心はアルマが思っていたような感傷とは違っていた。
「あのっ……! このままだと聞かれない可能性があるので……よ、予定とは違いますがお話します! こ、この場合は臨機応変ということで、主神様の命に背いたわけではないと私は判断しました!!」
突然顔を上げたアーシュヌの突飛な言動には、さすがの二人にも理解が及ばず目が点になる。
「えと、他の神々が本日いらっしゃらないのは……その…………なんと申しますか……姫様へのご配慮だということだそうでして……」
それだけ言うとアーシュヌは徐に虚空から虹色のメダルを丁重に取り出し、それをそっとイレースィに差し出した。
「主神様の印……ですか……」
「間違いなく父上のものであるな……」
イレースィとアルマは先程まで〝ヒト族から神に至ったばかりの年若い阿呆共〟が、
『個が、子が、主神様を越えてはならぬ』とイレースィを必要以上に目の敵にしていた懐古主義の老害連中と結託し良からぬ策謀を企てていて……等と考えていた。
そしてそれらを相手にどう遊んでやろうかと、イレースィは当然のことながら考えていたし、実のところ彼女の側に控える侍女アルマも内心では非常にワクワクしていた。
アルマの性格は実は非常にイレースィと似通っている。
しかし先程声を荒らげてまで、イレースィの苛烈さを矯正しようとしている事には彼女にしか知らない理由がある。
イレースィとアルマにとっては日頃溜まった鬱憤晴らしの、またとないチャンスであったのにも関わらず、目の前に現れたのは追放を目的とした策謀でも、悪魔の大軍勢でも、神をも殺せる聖剣を携えた勇者でもなく、イレースィの瞳のような藍色を基調とした虹色に輝くメダルが一枚。
神殺しの勇者をも恐れぬ二人であったが、たったの一枚のメダルでイレースィとアルマの顔色が青くなる。
イレギュラーな状況で差し出されたイレギュラーな物には、嫌な予感などと生易しいものではなく、
本来神には存在しないはずの本能的危機察知能力が、今から全力で逃げろと訴えてくる。
そのメダルの正体は、主神の正式な使者としての身分を証明するためのもの。
仄かに発光している虹色のメダル。そして何よりそのメダルが微かに纏っている神力はまさしく主神の神力そのものであり、疑いの余地のないものであった。
イレースィとアルマの顔色が白くなる。
そんな二人の心境を知ってか知らずか、先程までの段取りの悪さは何処かに旅立ったらしきアーシュヌはその場に素早く跪く。
「で、ではぁ! しゅ……主神様から御二方へのお言葉を、私如き存在が失礼ながら発させていただきます……『イレースィよ。我が可愛い愛娘。そなたがあらゆる世界に干渉していたのは我も気づいてはいたが、可愛い娘の些細なイタズラだと黙認していた。しかし、些細なイタズラがよもやここまで大事になるとは思わなんだ。よって今回『そなたに科せられた神々の試練』には追加項目がある。
そなたがキッカケで、バタフライエフェクトのように歯車は本来交わる事のなかった別の歯車を回してしまい、故にかの世界は廃棄世界となり、世界の寿命を早めてしまった。その責任をとるため崩壊間際の『ビフレスト』を万年単位で延命させる事が今回の試練であるとしれ。もちろん神々の試練であるが故に肉体を持った状態で、だ。
アルマは……まあ、何を言ってもイレースィについていくだろうから仕方がないが、もちろんそなたも肉体のままで、だ。どうか我が娘をサポートしてやってくれ。娘のメイドを自称しておきながら目を話したそなたも悪いのだ。異論は認めぬ。一人前になって帰ってくるのを楽しみに待っているぞイーレスィよ』……い、以上です」
ふぅー、と汗のでない額を拭い、一仕事終えたかのようなアーシュヌ。
事実そのとおりで、下位神の中でも神力は弱く、年若い新人が主神の言葉を神の子と上位神の女神に告げるのだ。
もし仮にアーシュヌが神としてではなく、ただのドライアドの精霊であった頃であればその場にいただけで死んでしまっていただろう。
「ば、バタフライエフェクトか! た、たしか蝶の羽ばたきという些細な事柄一つで、連鎖的に事柄が繋がっていき、その規模は遠くの地で台風すら起こせる程までに……というあれであるなっ! 父上もなかなか洒落た言い回しをなされるではないか! アッハッハッハハ…………ハハ……」
「姫様……」
「はい……」
「お話があります。とっても大事なお話です」
「…………はい」
それにしても小さなイタズラか……ふむ、果たして一体どれのことやら? 急いで思い出さねばならないな。
イレースィには心当たりがありすぎたのであった。