八、女王降臨
十六夜は瞬きもせず、兵達の戦いをその目に焼きつけている。
壱与の小さな手を握りしめ、奇跡を祈る。
目の前で阿鼻叫喚と化す同胞同士の戦闘に、巫女達の中には顔を背ける者、卒倒する者もいた。
老兵達が倒れていく、戦況がよくないのは目に見えて明らかだ。
難升米たちが決死に活路を見出そうと戦い続けているが、すでに押され崩れはじめている。
十六夜はちらりと後ろを振り返り、顔を戻すと兄彌眞と目が合った。
彼は大きく首を振る。
彼女は頭にかすめた神域に戻るという選択を追い払った。
いずれにしてもならば、今ここで奇跡が起こるのを信じるのみである。
やがて恐怖心にかられた数名の巫女達が神域の中へ戻って行った。
しかし神殿は弓兵の火矢によって、業炎をまき散らし朽ち果てようとしていた。
「行っては駄目っ!」
十六夜は叫ぶ。
(信じなきゃ・・・けど)
もう敵は目の前に迫ってきている。
戦う老兵達は疲労困憊で今にも命が燃え尽きそうである。
その時。
十六夜の右手は強固な意志を持つ者により、ぐいっと引っ張られた。
壱与である。
「壱与・・・様」
驚き、思わず彼女は呟く。
「行きます」
壱与は真っすぐ前を向いて言った。
(行かせないっ!)
十六夜は力を込め、壱与の手を引き戻す。
「壱与!」
思わず十六夜は叫んだ。
「十六夜!」
壱与は凛とした声で叫んだ。
彼女は信じられなかった。
これほどの強い意志を壱与から感じたことがなかったからだ。
思わず握りしめた手を離してしまう。
(このままにはさせない)
十六夜は黙し壱与の後ろに従う。
壱与は巫女達をかき分け、先頭の彌眞の前に立った。
そこは戦端、戦いの真っ只中だ。
「やめなさい!」
凛とした声が響く。
その声はとても少女が発したとは思えない重厚な深い一言。
少女は静かに両手を広げた。
(あの声は)
十六夜は思った。
卑弥呼が、楼閣で邪馬台国の民達に語ろうとした、まごうかたなきあの時の姿だと。
それは彼女のみならず、巫女達そして兵士達も感じていた。
瞬時に戦闘がおさまり、その場が静寂に包まれる。
「狗呼よ」
壱与は静かに新王に語りかける。
「これは壱与様」
新王は顔を紅潮させ、嬉々として軍勢の奥から少女の前に姿を現した。
(この者を滅すれば、我が憂いは消える)
野望に心を囚われた男は、その声、物腰が誰であるか、想像も考えようともしない。
ただ目の前にある少女・・・かよわき、次期女王。
右手の大剣を握りしめた。
(殺してやる)
新王の瞳にありありと殺意の炎が宿る。
すらりと剣を壱与の首元へ突きつけた。
「ふふふ、王は二人いらぬ」
「この声、届かぬか」
「・・・・・・死ね」
新王は迷わず少女の首を突いた。
はずだった・・・。
壱与の首へと剣が刺ささる刹那、青白き焔が少女の身体を包み込み、大剣の一突きを許さない。
「狗呼よ」
静かに言の葉を言い放つ。
新王は少女を見た瞬間、顔面が蒼白となる。
「・・・姉上」
「ようやく気付いたか。過去の英霊たちに唆されおって」
「わたしは・・・私は・・・なんてことを」
王の身体が恐れで小刻みに震える。
「よい・・・もうよい」
「私は・・・」
「壱与を逃がしてやれ」
「・・・はい・・・わ、私は・・・どうすれば」
「狗呼よ。お前は過去の英霊に魂を握られておる。私が去れば再び英霊たちに支配されよう・・・いいか、ならば、己が進むべき道を進め。それが邪であっても正であっても」
「・・・あねうえ」
王の瞳からは大粒の涙が零れた。
卑弥呼はゆっくりと周りを見渡す。
兵士達、巫女達、難升米、夜邪狗、十六夜すべてを懐かしむように。
そうして、笑みをひとつ。
「さらばだ。我が民よ」
壱与の身体を纏っていた青白き焔は、青き業火となって、新王の軍を分かつ。
声が聞こえる。
(壱与を頼みます)
青き焔は、壱与達が大川を無事渡り、伊都国に辿り着くまで消えることはなかった。
壱与達は大国伊都国の庇護を受けることとなる。
のち、邪馬台国は乱れ再び傘下のクニグニは悉くちりじりとなり、卑弥呼前の倭国大乱となった。
新王は自分の進むべき道をひたすら進んだ・・・それが邪だとしても。
卑弥呼以死、大作家、径百余歩、狗葬者奴婢百余人。
更立男王、国中不服、更相誅殺、当時殺千余人。
復立卑弥呼宗女壱与、年十三為王、国中遂従。
「魏志・東夷伝」倭人の条(「魏志倭人伝」)より抜粋
壱与が邪馬台国女王の座に着くまで、これより三年の歳月がかかった。
完
「青き焔」これにて完結です。
卑弥呼の死により邪馬台国に不穏な空気が・・・。
壱与が活躍する黎明期、前日譚の話になっています。
が、肝心の「壱与」を書いた拙作が見当たりません(笑)。
ぐっすん。
いかがでしたでしょうか。
かなり消化しきれてない部分もありますが、当時のままにということで。
いつか、壱与の物語、見つかれば・・・。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。