ニ、混乱
十六夜は神域まで辿り着くと、巫女達に門の守りを堅くするように告げると、壱与とともに神殿の中へと入った。
巫女の長である弓弥に事のあらましを告げた。
「このまま親王様の命を待つ」
それは思いもよらぬ返事。
十六夜は歯軋りをする思いだった。
「しかし・・・」
「弟王様が・・・新王が卑弥呼様を討っただの世迷言を!女王様が亡くなって錯乱したかっ!」
弓弥は食い下がろうとする十六夜に、これまでとばかりに吐き捨てる。
彼女は確信している。間違いなく狗呼が女王を殺したことを。
あの歪んだ悪意に満ちた表情、動揺など微塵もみせなかった迅速なる行動、即座の王位宣言と宣戦布告・・・。
(次に狙われるのは壱与様だ・・・もう時間がない)
彼女は唇をかみしめた。
弓弥は十六夜に背を向けると、呆然と佇んでいる壱与を抱き寄せた。
「おお、可哀想に・・・女王様亡き今、誰がこの邪馬台国の希望であるか、それは新王様が一番よく分かっておられる」
(わかってないのだ!)
十六夜は心の中で叫んだ。
(わかっているのなら、あんな恐ろしいことはしない。邪馬台国の希望を失うことは・・・しない!)
「壱与様は何も心配することはないのですぞ」
弓弥は壱与の卑弥呼によく似た長い黒髪を撫でた。
巫女の長の年老いた甘ったるい声が十六夜の神経を逆撫でする。
十六夜が怒りに任せ、長に食いかかろうとした時、鬨の声が響いた。地鳴りが起こる。
「何事か!」
弓弥は突然の事態に叫んだ。
(囲まれたか)
十六夜は背中に冷たいものを感じた。
報告へ来た巫女が泣き崩れながら言った。
「大勢の兵士達がこの神域に・・・」
「狗奴国の軍勢か!」
(そんなことはありえない)
十六夜がそう思うと同時に、
「違います!我がクニ邪馬台国の兵です」
「なんと、ここは何人たりとも近寄れぬ神域であるぞ。決しては穢れてはならぬ聖域・・・であるぞ・・・」
弓弥はわなわなと震えだした。
「そんなことはあるはず・・・ない!絶対に絶対に絶対にないっ、ないっ、ないっ、あははははは!」
卑弥呼の御世、長きに渡って巫女と神域は永久不可侵の聖域・・・信じて疑わない弓弥の精神は脆くも崩壊した。
(長に冷静な判断は出来まい)
確信した十六夜は、弓弥の腕から壱与を奪いとるとその手を強く握り、巫女達と共に神殿を飛び出した。