一、卑弥呼の死
その瞬間、十六夜は何が起こったのか分からなかった。頭の理解が及ばない。
時が止まり、ゆるりとした時の中、女王が虚空に投げ出され射かけられた鳥のように落ちていった。
瞳の中に焼きつく、宙を彷徨う主、やがてドサッという鈍い音。
十六夜の目の前が真っ暗になった。
間髪を入れずに、狗呼の怒号が響き渡る。
「女王を射抜いた者を捕らえよ!」
彼女は緩慢な動きでモノクロの世界の叫び主を見た。戦慄が走る。
狗呼の顔が歪んで見えた。
十六夜は本能的に新しい唯一の希望を抱き寄せた。壱与である。
幼い少女は、信じる事の出来ない現実にただ呆然と、十六夜の胸の中におさまった。
騒然となる邪馬台国の民達、泣き叫ぶもの、頭を地にぶつけるものまでいた。
弟王狗呼はそんな中、卑弥呼がのぼった楼閣へ自ら悠然と歩みを進める。
頂きに立つと、大音声を発した。
「うろたえるな、邪馬台国の民よ!」
女王の亡骸に注がれていた民達の視線は、高みに立つ弟王へと移る。
「我は亡き女王の意志を継ぐ者、新王狗呼である」
その宣言に、再びどよめきがあがった。
「亡き女王は神託により告げられた。次の新王は、狗呼そなただと!」
三度のどよめきがあがった。
そのどよめきの色は、多大なる喪失感、悲しみを忘れさせるには十分の狂喜の色が混じっていた。
十六夜は民達が新しき王の誕生で喜びつつある中、身震いした。
(嘘だ!新しき王は、壱与様だ)
彼女は狗呼の歪んだ顔を思いだし、壱与に身の危険を感じた。
(壱与様を守らねば・・・)
自分の胸にうずくまる小さな少女。
十六夜は壱与の両肩を両手で持ち揺さぶる。
しかし、魂の抜けた空の身体で彼女は硬直している。
十六夜は意を決して、壱与の左頬を思いきり引っ叩いた。
突然のことに驚き、涙する彼女の袖を強引に引っ張る。
巫女達には卑弥呼の亡骸を運ばせるように命じ、惨状と狂喜の場を後にした。
彼女らの背からは狗呼の狂気をはらんだ声が聞こえる。
「女王を亡き者にしたのは、狗奴国だ。我は狗奴国を討ち滅ぼす!」
女王を失い、やり場のない怒りが、狗呼の宣言により明確となり、敵国をより痛烈な憎しみの対象として印象づけられた。
新王狗呼は楼閣の上から、民達を冷ややかな目で見つつ、ほくそ笑んだ。