序
先達の歴史学者が土器の発見された地より、弥生時代と名づけた古の時。
序
ただひたすらの漆黒の闇夜にぽつんと浮かぶ光、激しい暗雲を呼ぶ突風がかすかなその光を飲み込もうとする。
下界、人々が営むクニの楼閣には煌々と篝火が灯され、民達は固唾を飲んで、導く主の登場を心待ちにしていた。
女王卑弥呼・・・その名を知らぬ者は、この邪馬台国、いや、倭国には誰一人いない。
巫女である彼女が、このクニを治めて幾数十年、倭の大乱は悉く収まり、乱立したクニグニを傘下に治め、巨大なクニの集合体を築きあげた。
もはや、抗うクニは南方の狗奴国のみ、呪術を使い政道を良くし、間違いなく民を導いた。
ところが、最近敵国狗奴国の度重なる挑発的な軍事行為により、少なからずクニ境のムラに被害や犠牲者がでていた。
さらに、ここ二年に及ぶ農作物の不作、疫病、天変地異とよばれる台風や川の氾濫が、次々と起こった。
卑弥呼に絶対的信頼を寄せる民達ではあったが、ここ数年に渡るクニの異変に、女王の力に翳りがみえはじめたのではないかと、まことしやかに囁かれるようになっていた。
その我等のクニの女王が、民達の前に姿を見せて語るというのである。
彼女が女王の座について数十年、民の前に姿を見せるということは、今まで一度もなかった。
女王は数十人の巫女達と共に神域の杜である邸閣に住み神域とし、下界である民達と隔ており、それを結ぶのが弟王狗呼の役割だった。
したがって、卑弥呼より民達に告げられる神託は必然と弟王経由となる。
だが、ここ数年のクニの覆う暗雲、失政は狗呼によりもたらされたものであった。
弟王狗呼・・・この男には強い野心があった。
姉が女王となり、唯一、血を分けた自分が弟王に選ばれた。まさに僥倖である。
一介のそこらの市井の身であった自分が、巫女として類いまれな力を持ち女王となった姉の言わば代弁者となり王となった。
はじめはその任に恐れをなし身震いを起こした、もし姉がこのクニの舵取りに間違いを犯せば、真っ先に命を落とすのは狗呼だからである。
しかし、彼の不安は杞憂に終わった。
卑弥呼の力は恐ろしいほどに研ぎ澄まされており、その神託には微塵の間違いもなく、数々の奇跡に戦の勝利、クニの併合、豊作、政事、大国魏との朝貢同盟を次々と成功させていった。
狗呼はいつの間にか、次第に姉の力を自分の力のように錯覚するようになった。
姉から朗々と神託の言霊を賜り、それを真似て自ら臣下の者たちに高らかとよみあげる時、まさに自分がこのクニの王となった感覚に襲われるのだった。
ここ数年、度々、卑弥呼の神託に従わず、自らで捻じ曲げた神託をよみあげ民達へ下知したのだった。
だが、女王はそのことについて何も言わなかった。
自らの神託とし、弟を咎めることは一切しなかった。
が、ついぞ昨日、女王は、
「民の前へ立つ」
こう宣言したのだった。
(その時、間違いなく俺は断罪される)
狗呼は身震いしながら確信した。
そして、ある決意を秘めたのだった。
卑弥呼は静かに事なげもなく、受け入れすべてを悟ったかのような穏やかな表情を弟に見せた。
狗呼はすべてを見透かされたような気がし、身体中に戦慄が走った。
ヤマタイのすべての民から、どよめきが起こった。
ついに卑弥呼が姿を現したのだった。
人々はその女王の容貌に、畏敬と畏怖それから好奇と入り混じった目で見つめる。
小柄で、腰まである髪は白髪交じり、その顔にはこれまでの苦難を乗り越えたことを物語るいくつもの深い皴が刻み込まれていた。眼光には光宿り、はつらつとしたものだった。
民の幾人かが女王の姿を見て、苦笑していたが、彼女の瞳があった瞬間、射すくめられてしまった。
しかし、彼女が年長大であることは周知のこと、腰は折れ曲がり、歩きはじめるとその歩みはおぼかなかった。
民達は様々な表情を見せる。
卑弥呼に従うのは、弟王狗呼と幼い女の子壱与、それに巫女従者の十六夜であった。
老卑弥呼は楼閣の前まで来ると、うしろを従って歩く3人を制して、無謀とも思える足取りでゆっくりと梯子をのぼりはじめた。
ざわつく民達、しかし卑弥呼は時折ふらつきながらも一歩ずつ着実にのぼっていく。
見てるいだけで、痛々しさを感じ、老人の中には嗚咽するものさえいた。
女王は、闇に垂れ込む雲を睨みのぼり続けた。
やがて、卑弥呼が楼閣の上に立つと、民達から大きな喝采があがった。
女王は両手を虚空に向かって大きく広げ、息を吸い込み一言目を・・・。
刹那、卑弥呼の心臓を一矢が貫いた。
突然の出来事、静寂。
彼女は静かに目を閉じた。
その時、青き焔が卑弥呼を包んだ。
ふわり。
ゆっくりと緩慢に、女王は崩れ落ち地上へと舞う。
姉は弟を切なげに見た。