いつかのバレンタイン 竜編2
『バレンタインに何を贈るかで意味合いが変わって来るっていう迷信がある。あれはスイーツを売りたい企業が考えた卑劣な策略の一つに過ぎないのだ。バレンタインだからとキャンディーやマシュマロを貰って一喜一憂している者は駄目だ。本当に賢い者はバレンタインにチーズケーキを食べる』
ボウルにクリームチーズを入れ泡だて器でカシャカシャ混ぜているとアズモが何かを言い出した。
「その考えには何か根拠があるのか?」
かき回す手を止めずにアズモに聞く。
今現在俺達は分業しながら調理をしている。
アズモが左手でボウルを抑え、俺が右手で泡だて器を回すという、俺の負担が非常に大きい分け方だ。
文句の一つでも言いたい所だが、二人で一緒にかき混ぜようとすると泡立て器が三秒もせずに壊れる。
俺達は二人で生きるようになってから暫く経つが、まだ細かな力の加減が出来る程息が合っている訳ではないのだ。
……というか、泡立て器が脆すぎる。
数分前のアズモと俺が「二人で協力してかき混ぜればその分時間が短縮出来るのでは無いか?」という結論を出し、その通りにしたみたところ、泡だて器が崩壊しボウルに穴が空いた。
度々忘れそうになるのだが、アズモは竜王とかいうよく分からない強さを持つ最強種の娘なのだ。
口だけ達者コミュ障で対人よわよわ毒舌娘として俺の陰に隠れているが、その更に裏に隠された竜の力は本物だ。
馬子にも衣裳。内気娘にも竜の力。……と、言ったところだろうか。
『根拠など無い。今私が自分の行いを正当化する為に僅かな時間で考えた仮設に過ぎない。だが、我ながら中々いい線行っていると思う。……あと先程から考えている事は全て筒抜けだからな。これ以上何か言ったら私は泣いてやる』
「すみませんでした」
何度も言うが、二人で一つの身体で生きていく為には相互理解と譲り合いの精神が必要不可欠。
『そうだ。私はコウジに混ぜ係を譲っているだけに過ぎない。本当は私が混ぜたい』
……でもな、アズモ。
あれを見てみろ。
調理台の端の方に置いてあるあれを。
『……中央に穴の開いたボウルと花のように綺麗に広がった泡だて器が見えるな』
それが何セットあるか分かるか?
『……四セット』
分かるよな、アズモ。
今アズモがな、左手で支えているボウルとな、俺が今一生懸命に動かしている泡だて器はな、どちらも最後の一つなんだよな。
『すみませんでした』
いや、俺は謝罪を聞きたかった訳じゃないんだ。
ただ……その、な?
料理は力加減が出来るようになってからしような?
『……肝に銘じておく』
アズモは力加減が下手だった。
やりたい、やりたいと言うのでやらしてみたら全部壊した。
「アズモは料理下手キャラがどうとか言っていたが、それ以前だからな。そもそも料理が出来ないっていうのは。あれだからな、包丁でまな板をぶった切るタイプのヒロインだからな、アズモは」
『暴力系ヒロインという奴か? 私は暴力系ヒロインなのか?』
「……なんか嬉しそうだな」
アズモと喋りながら生地に砂糖を入れ混ぜていく。
溶いた卵――鳥の卵なのかどうかも分からない謎の卵だが――も入れてひたすら混ぜる。
この身体に憑依してから疲れというものをあまり感じた事が無かったのだが、明らかに右手が疲れていく感覚がある。
料理は力仕事だったのかもしれない。
「どうだ。そろそろ良いんじゃないか?」
ボウルを支えているだけなのが暇だったのか、クラスの連中がどういうキャラなのかをひたすら語って来ていたアズモの言葉を遮ってそう聞いた。
『うむ。私が当初考えていた物よりは不出来だが、中々やるじゃないか』
「なんで上から目線なんだよ。んで、次は何をしたらいいんだ?」
『型に流し入れて燃やす』
「本当にそれで合っているのか……?」
『問題ない』
アズモが問題無いと言う事は問題があるんだろう。
そう言いたい気持ちをグッと堪え、従う事にした。
憑依者は宿主に従うのみ。
どうせこれを食べるのはアズモなんだし。
『私が食べるという事は精神で繋がっているコウジも食べるという事だぞ。無論、味もフィードバックされる』
「しまった。俺達は精神で繋がっているんだった」
『一蓮托生。これもまた[死ぬときは一緒だよ♡]ってやつだ。私は暴力系ヒロインだからな』
「怖い事を真顔で言うなよな……」
この身体に憑依している俺には、表情筋がピクリとも動かなかった事が分かる。
なんてくだらない話をしながら、親父の用意してくれた型に記事を流し入れ形を整える。
まだ焼く前だが、我ながら中々な物が作れたのではないだろうか。
銀色の型の中には、既に美味しそうに見えるチーズケーキの生地が綺麗に収まっている。
『よし、ここからは私に任せろ。今までサボった分は働く』
アズモが頭の中でそう発すると、両手が動いた。
アズモは生地の詰まった型に両手を当て持ち上げる。
『200℃っていったらこのくらいか?』
「おい待て。何をしようとして――」
――ボッ。
口から炎が出た。否、アズモが口から赤い炎を吐いた。
え、ええぇぇぇ!?
……って、おい、何してんだよ!?
『見て分からないのか? 燃やしているだけだが?』
なんで、「当然だろ?」みたいなテンションで言っているんだよ!
一応言っておくが、燃やしているのは分かるからな!
俺が言っているのは、なんでオーブンを使わずに炎ブレスで焼いているんだよって事だからな!
口から言葉を発せない分、心の中でアズモの行為に対して激しいツッコミを入れた。
『私は先程までお荷物だった。その分を今から、働こうと思っている』
その心意気は良いんだが、働くのは絶対今じゃないんだよ。
せっかく親父が用意してくれたんだしオーブンを使おうぜ、オーブンを。
だいたい、炎ブレスでチーズケーキが上手に焼けるとでも思っているのか。
『私だって自分のしている行為がおかしな事くらい分かっている。だがそれでも、今やらなくてもチーズケーキ作りに少しも関われなかった事になる』
アズモは十分働いていたって。
ボウルを抑えてくれていたじゃないか。
『それで私が納得出来るとでも思っているのか? もし仮にそう思っていたのなら、私を舐めるなよと言いたい。それではまるで、料理を手伝いたいと駄々を捏ねる幼子に[それならお母さんの作るところを応援していてね]と言い結局何も手伝わせてくれない親みたいではないか』
まるでじゃなくて、今がちょうどその状況なんだよ。
自重しろ幼子。何もするな。
せっかく良いところまでこぎ着けた料理が失敗するかもしれないだろ。
『……そう言えば、青い炎の方が火としての性能が高いらしいな』
アズモ……? 俺の言葉が聞こえていなかったのか?
……なあ、アズモ。嘘だよな?
『大丈夫だ。私に任せろ』
口から出ていた赤い炎に、青が混ざり始めた――




