百四十二話 「自分の身体が恋しいのか?」
「俺は沢畑耕司、ただの人間だ」
この言葉は、解放を使う時のトリガーとなる言葉だ。
一組との対抗戦が波乱な物になると予見した俺は新しい力が欲しくなり、アギオ兄さんとククリさんの二人から解放のやり方を教えてもらい必死に練習した。
解放というのは、魔物が有している能力の一つだ。
これを使うと、己の強く望んだ力や姿を得る事が出来る。
アズモの身体の中に入っている時に俺は、二人になりたいと願っていた。
一つの身体に二つの心はどう考えても生きづらいと思っていたからだ。
アズモと俺、二人で別々の身体を動かし、協力して生きていく。
それが俺の望む姿だった。
俺は解放を使う為に、自分の姿を強くイメージする事にした。
そうすると、俺という存在がアズモの身体から抜け出し、別々の個となる。
要は、肉体を抜け精神体……いや、魂体となる事が出来るのだ。
魂体となった俺には剣や魔法が全て当たらず、魂の存在するものでしか触れる事が出来なくなる。
その状態の俺は、相手を殴っても肉体に傷一つ負わせる事が出来なくなるが、魂を直接消耗させる事が出来る。
それにより、魂での殴り合いを強制させる。
解放を使い、肉体から魂を吸われるよりも先に自分の意思で身体を抜ける。
……だがしかし、解放は魔物に備わった能力だ。
アズモの身体から抜け、ただの人間になった俺に使えるのかが分からない。
魂体になる事が出来ても、魂を移す剣に吸われてしまうかもしれない。
それに、魂が抜けた俺の身体は無防備になる。
……だから、全部賭けだ。
一つでも失敗したら全てが終わる。
異世界に行けなくなり、皆とも会えなくなる。
あの後何が起こったのかもが分からずじまいで終わってしまう。
高校の友達にも会う事が出来なくなり、家族や知人にも二度と会えない。
それでもアオイロに勝つ為には、使えるかどうかも分からない解放に頼るしか無い。
アオイロは今の状態の俺達で敵う相手では無い。
俺とアズモよりも強いスズランの全力攻撃で傷一つ負わず、弱いと言ってのけた。
俺達がまだ無事なのはアオイロが手を抜いているからだ。
大方、俺との勝負を少しでも長く楽しむ為に、アオイロは実力の半分も出していない。
そっちが舐めているなら都合が良い。
利用して初見殺ししてやる。
……後は賭けに勝つだけで良い。
魂を吸われる剣に抗っていたが、意識が遂に落ちそうになる。
次、目を開けた時に、視界には何が映るか。
—————
「……ジ。コウジ。私の事を無理矢理起こしたのだから、早く目を覚ませ」
「寝てからまだ一秒も経ってないだろうが」
視界には驚愕した表情のアオイロと、地面に横たわる俺の身体が映っていた。
それと、視界の下の方には小さな腕が見えた。
落ちないように俺にしがみついていた女の子を支える為に手を後ろに回す。
そうか。俺が解放を使うと、俺の魂にしがみついてこの世界までやって来たアズモも出て来るんだ。
嬉しい誤算だった。
「うるさい。私は低血圧なのだから、寝起きが悪いのも当然だろ」
「嘘吐け。寝ぼけて布団に入って来て俺達の事を起こしたラフティーとじゃれ合っていた癖に何言ってんだ。だいたい竜に低血圧なんてあるのかよ」
「あれは分からせていただけだ」
「あんな可愛い分からせがあるかよ」
む。と、言葉を漏らしながら、ラフティリの事を突きまくっていたのをよく覚えている。
深夜だというのに、アズモに突かれて起きたラフティリと布団の中でバタバタ暴れるから同室のイエラに注意され、ラフティリを布団に迎え入れたまま寝た。
おかげで、朝目を覚ました時には床に落とされていた。
「どうしてアズモさんがそこに……」
固まっていたアオイロが、談笑しだした俺達の事を見て信じられないといった様子で呟く。
魂を移す剣が手元から離れているというのに、取り返す気配が全く無かった。
「どうしてと言われても、私はいつもここに居たが」
何を当たり前の事をとでも言いたげなアズモがアオイロにそう返す。
「だって、そんな、確かに私はコウジ君の魂だけをコウジ君の身体に入れたはず……」
「……このアズモは俺と離れたくなくて本体から分離してやって来たアズモの一部だ。お前が感知出来ない程、小さな存在だったんだろうな」
「はぁ……? そんなのありなのですか……?」
「私の寄生力を舐めたお前の負けだ、うっ」
背中にへばりついているアズモの脇腹を小突いた。
下手に煽って怒らせたせいで何か良からぬ事でもされたら溜まったものじゃない。
「これから俺はあいつを倒す」
「私も付いて行く」
「流石に背負ったままじゃ大変だわ」
「やだ。付いて行く」
考えた事をこれからする為にアズモを置いていこうとしたが、駄々を捏ねられた。
「……俺の身体が下に転がっているだろ?」
「む……」
「俺の身体は今無防備なんだが、いざという時に誰かが俺の身体を動かしてくれたら助かるんだけどな」
「むむ……」
「何処かに俺の身体を動かせる奴居ないかな」
「やだ」
「こいつ……」
アズモはいそいそと足を俺の身体に巻き付けて来た。
どうやら本当に離れるつもりはないらしい。
「邪魔はしない」
「……はあ、スズラン頼んだ」
「ナーン」
スズランが蔓を伸ばしてナイフを握ったままの俺の肉体を回収する。
いよいよアズモに放してもらう理由が無くなった。
「まったく、振り落とされないようにしっかりしがみついておけよ?」
「任せろ。私の得意分野だ」
「その言葉を信じるからな。スズランももう少し手伝ってくれよ」
「ナーン!」
アズモとスズランから威勢の良い返事を聞き、両手をグッと握った。
アズモを背負ったままアオイロに肉薄する。
アオイロは右手を構えるが、そこでハッとした顔をする。
やっと、剣を取られた事に気付いたようだ。
慌てて右手を上げて構えようとしたアオイロの腹へ、俺は前蹴りを放つ。
アオイロは防ぎきれずに身体をくの字に曲げ、目を白黒させる。
魂を直接蹴られるという今まで感じた事の無い衝撃にやられているのだろう。
アオイロには悪いが、攻撃の手を緩めるつもりは無い。
手は使えない為、足技でアオイロを消耗させていく。
下段回し蹴り、中段後ろ回し蹴り、上段裏回し蹴り。
アオイロは対応出来ずに蹴りを食らい続ける。
耐え切れなかったのか、アオイロは人間化を解きオレンジの液体へと姿を変えていく。
「逃がすかよ」
左手は後ろに回したまま、右手でアオイロを掴み上げた。
「どうして魔物の姿になっているのに掴めるのですか!?」
「俺に捕まりたく無ければ魂も一緒に液状化させんだな」
そう言って、アオイロを空中へ放り投げた。
「ひっ!」
「スズラン!」
「ナーン!」
アオイロはスズランの用意した葉に捕まり、四方八方を葉で包まれる。
アオイロを完全に捕らえた。
だが、まだ終わらない。
まだ何かして来るかもしれないから完全に無力化させる。
スズランが葉を切り落とし、丸めて包み込んだ葉を蔓で空中に固定する。
俺はアズモを手で後ろから前へ移動させ、翼を生やしてそこへ飛んで行き、片手で葉越しにアオイロを掴んだ。
「直接魂へ攻撃出来る今の俺は、何処を掴んでいて、このまま引っ張られた奴はどうなると思う?」
どうなるか分からず危険だった為、誰にも使った事の無い技。
相手の身体を魂の籠って無い物で固定した状態で、肉体から魂を引っ張る。
腕に力を込めると葉の向こうから、ベリベリと剥がれる音が聞こえ始めた。
葉に包まれ拘束されているアオイロの肉体は引っ張られても動かないが、俺に掴まれ引かれている魂は動こうとする。
ベリベリと剥がれるこの音は、魂が肉体から無理矢理剥がされる音だ。
「う、うぁぁああああ!!!」
アオイロの悲鳴が聞こえる。
強制的に肉体から魂を引き抜かれる。
「痛い痛い痛い! どうして痛いの?! この痛みは何ですか!?」
訳の分からない痛みに翻弄されるアオイロが叫ぶ。
「それが魂を抜かれる痛み、お前が人に与えた痛みだ。お前はこれ以上の事を沢山の人にしてきた」
「どうして!! どうして私にこんな事をするのですか!!?」
剥がれる音が大きくなると共に、アオイロの声も大きくなる。
「自分の身体が恋しいのか?」
「当たり前じゃないですか!!!」
「じゃあ何故、こんな事をしてきた! 何故お前は人を殺す! 何故俺にこんな事をした!」
「コウジ君の為です!」
「お前は……!」
それ以上問答するのは止めて、魂を引っ張る事に意識を集中させた。
アオイロには何を言っても響かない。
「どうして私はいつもこんな目に遭ってばかりなのですか!? こんなに頑張っているのに、いつも報われないです! ただコウジ君と一緒に暮らしたいだけなのに!」
「……本当に分からないんだな。全部お前が始めた事なのに」
そう言って、完全にアオイロの魂を引き剥がした。
右手にはアオイロだと思われる、オレンジ色をした球体の魔物が握られていた。
「お前は俺が責任持って更生させる……」
罰を与える為にまずは自分が何をしたのかを知ってもらう。
それが、アオイロに殺された人達へのせめてもの贖罪になると思った。
コウジ「自分の身体が恋しいのか?」
アズモ「……?」




