百三十九話 「人間辞めたんですか?」
「人間化……?」
全ての元凶の剣を手にしたオミムリが確かにそう呟いた。
人間化。
聞いた事の無い言葉だ。
魔物化と対を為す力だろうか。
普段人型で過ごす魔物が本来の力を得たいに使うのが魔物化。
俺もアズモの力を借りて何度も魔物化を使った。
竜の鱗で身を守り、翼で空を翔け、口からブレスを吐く。
魔物化を使えばそういった事が可能となった。
人間化……普通の魔物が人間になったらどうなる?
擬態を止めて、ちゃんと人間になったらどんな事が出来るようになるのだろうか。
ドロドロしたオレンジ色の液体となって地面を無秩序に広がっていたオミムリが固まる。
固体となって直立し、手足や頭を形成する。
卵形の頭には目や口、鼻等が作られ、黒い髪の毛が生える。
細くて華奢な手足が胴体と繋がり、皮膚に包まれ、指が生え、爪で守られる。
頭と胴体も首で繋がり人間の身体が完成する。
サファイアのような綺麗な青い瞳に、青い睫毛。
青く塗られた艶やかな唇。
背中まで伸びた長い黒髪に混ざる青色のインナーカラー。
あばら骨が少し見える痩せた胴体には二つの膨らみと、細長い手足。
剣を右手に握った、生まれたままの姿の女性が目の前に出現した。
女性は左手を胸に減り込ませ、黒い何かを取り出した。
それは出て来るや否や、物凄い勢いでオミムリの全身をぴっちりと包み、装束となる。
「それがお前の本当の姿……?」
今までにオミムリは色んな姿で俺に接触してきた。
学校の花壇に水やりをするおばちゃんになったり、家族旅行時には現地に居る元気一杯な少年の姿になって旅行に混ざって来たり、オレンジ色の服に身を包み何かと俺を気に掛けてくるフレンダになったり様々だ。
修練場でオミムリが自身の豊富な変身姿を披露してきた時は言葉を失った。
俺が出会って、交流を持った人間のほとんどがオミムリだった。
こいつは俺の人生にあらゆる手段で関わってきていた。
一言で表してしまえば、万能型ストーカー。
変装も殺しも接触も監視も何でもしてくる。
しかし、今の姿は一度も見たことが無い。
変身レパートリーには無かった姿だ。
「……私の人間時の姿ですけどね。コウジ君に見られるのは歓迎なのですが、動く時に邪魔なので今だけ隠しますね。でも安心してください。この身体はコウジ君の物になりますので」
オミムリは怪しく微笑みながら言った。
今までに見たどの姿とも似ていない姿だった。
喋り方も雰囲気も何もかも違う。
なんだろうか、今までは元気な少年少女や、明るい青年、活力ある中高年など、朗らかそうな人しか居なかった。
だが今回は、冷たそうな人間にしか見えない。
青い鋭利な瞳は見る物全てをつまらないと捉え、冷淡な微笑みを浮かべる顔は他人の事など一つも考えて無さそうに見える。
俺にはオミムリが自分の事しか考えていない冷酷な人間に見えた。
こいつは誰なんだ?
本当にオミムリなのか?
俺の知っている全てと面影が合わない。
「……お前の本当の名前は何て言うんだ?」
自然と、そんな言葉が口に出た。
「……私の名前はアオイロです。命の恩人からそう名付けられました」
オミムリ改め、アオイロは右手に握った刃に左手を滑らせながら答えた。
「うん。今は誰も入って居ませんね。これならコウジ君を誰とも混ぜずに済みます」
アオイロは楽しそうに言う。
魂を移す剣に指を添わせながら。
あれに斬られると、魂を持っていかれる。
俺をアズモに移した、全ての始まりの剣。
今度あれに斬られたら、俺はアオイロの中に一生閉じ込められる。
ストーカーと一生一緒。
「お前の思い通りになるもんかよ……!」
俺はこいつに勝って言う事を聞かせなければならない。
アズモに会いに行く為には、こいつの手中に収められるのでは無く、こいつを手中に収める必要がある。
「魔物化」
背中にへばりつき俺と一緒に冒険するアズモから力を貰う。
翼のある俺達はもう誰にも負けやしない。
「あぁ、なるほど、そういう事ですか……」
俺の背から生える翼を見たアオイロは何かを理解したようだ。
アズモの一部が俺に付いて来た事を察したのだろうか。
「その翼は毟り取らなければ、ですね」
そう言い、アオイロは静かに剣を構える。
「やるぞ、スズラン」
「ナーン」
足元でアオイロを威嚇し続けていたスズランに声を掛ける。
俺達も準備は完了している。
それを見たアオイロがゆっくりとこちらに歩いて来た。
その持っている剣で少しでも斬ればアオイロの目的は完遂される。
その為、余裕そうな足取りで迫って来ていた。
「ナーン!」
迫るアオイロを見たスズランが、頭から大きな赤色の花を生やす。
まるでそれは、嘗てアズモの家の近くの森で一際存在感を放っていたキンディノスフラワーのようだった。
俺にトラウマを植え付けた化け花だが、味方なら心強い。
「——グォォォオオオオオオ!!」
完全に成った花が唾を撒き散らしながら雄叫びを上げる。
柱頭の代わりに存在する大きな口。
キンディノスフラワーは向き出しの歯茎が見えるその口で、直接獲物を喰う。
太い根を張った地面から栄養を吸い、涎塗れの口からも森に存在した様々な化け物や、森の上を飛ぶ鳥を喰らう。
故に付けられた名前が、万喰らいのキンディノスフラワー。
猫になったと思っていたが、擬態していただけだったようだ。
ゴルフ場跡地に嘗てのトラウマが完全な姿で蘇った。
味方なら心強いとか考えたが、やっぱり少し怖いかもしれない。
スズランは蔓を伸ばし、無数の大きな葉をアオイロに振るう。
滅多打ちだった。
鈍い音が何度も響き、土煙が舞う。
「グォー……」
優勢にしか見えないが、スズランは弱々しく鳴いて伸ばした蔓を戻す。
蔓は途中から先が無かった。
慌てて見ると、土煙からアオイロが無傷で出て来る。
その後ろには大きな葉っぱがゴロゴロと転がっていた。
「ナーン……」
スズランは猫の姿に戻り、俺の肩に乗って来た。
少し震えているようだった。
「はぁ……貴方を見ていると昔の弱い自分を見ているようでイライラします」
「ナーン!」
溜息を吐くアオイロにスズランが威勢よく吠える。
俺の頭にへばりつきながら。
「そういう所はアズモに似なくても良いんだぞ」
頭の後ろに隠れるスズランの首根っこを掴み、両手で抱えて羽ばたく。
一度でも斬られたらその瞬間に負けが決まるアオイロとの戦い。
近づかれる事は即ち死を意味する。
距離を取る事は必須だ。
その為、スズランの蔓攻撃は役立つかと思ったが想像以上にアオイロが強かった。
まさかあれを一撃も食らわずに凌ぐとは思いもしなかった。
人間になったからナイフを使うのが上手くなったとでも言うのだろうか。
そうなると、残された遠距離攻撃の手段はこれしか残っていない。
俺は口に魔力を込めた。
翼はアズモが居ないと生えないが、これなら俺だけでも使える。
言葉が分からないせいで魔法を覚える事を断念した俺とアズモが身に着けた遠距離攻撃手段。
炎ブレスをアオイロ目掛けて放った。
アオイロは一瞬、驚いた表情を浮かべ避ける。
その地点に俺は追加のブレスを放つ。
今度は命中した。
炎ブレスを防いだアオイロの左腕が黒く焦げる。
「コウジ君って人間辞めたんですか?」
アオイロはそんな質問をしてきた。
「俺は人間だ。魔力を口で扱う事が出来たらブレスなんて誰でも使えるんだよ」
「魔物でもそんな事出来る人居ませんよ?」
この世界にも魔力は内包されていた。
アズモの身体に比べ、俺のこの身体は魔法を使って来なかった為、魔力量は少ない。
しかし、魔力があるなら、後はそれを扱えるか、扱えないかだけだ。
俺が何回、アズモとブレスの練習をしてきたと思っているんだ。
それに足りない分はスズランから貰えば良い。
飛びながら炎ブレスを放ち続け、アオイロを翻弄する。
遅い火球や、早い火球を使い分ければ案外命中させる事は造作でもない。
何回目かの火球をアオイロに中てると、アオイロが少しふらつくのが見えた。
それと同時に俺の口が熱くなるのも感じた。
竜のアズモと違い、人間の俺は熱耐性なんて持っていない。
だから、自分の使う炎ブレスの熱さに自分の口が耐えられなくなるのも時間の問題だ。
ラフティリから教えて貰った水ブレスも交えて戦いたいが、液体系の魔物だと思われるアオイロにはなるべく水を放ちたくない。
もしかしたら、水に当たるとラフティリのように元気になってしまうかもしれない。
「今のままではジリ貧だ……」
灼けた口を拭いながらそう呟いた。
どうやってあの剣を奪うか。
それを考えない限りは俺達に勝利など無い。




