百三十二話 失くした物はあの中にある
「おぉ、お前、身体は大丈夫なのか!?」
「刺されて意識不明の重体って聞いたよ!」
「目覚めたってニュースで見たけどほんとだったんだ!」
「あれ、なんか体つき変わった?」
「いや、三週間で治るような傷じゃ無かったって!!」
「心配してましたよ、耕司先輩!」
クラスメイトや友達、先輩や後輩、色んな人に声を掛けられた。
病院での療養生活を終え、最初の登校日。
教室の扉を開けるまでも無く、校門前で大勢の人に囲まれた。
こんなに沢山の人に心配してもらえていたのかと少し嬉しい気持ちにはなったが、出会う人全員に同じ説明をするのは少し骨が折れる。
メッセージアプリで心配していた人には予め自分の状況を伝えていたが、それでも学校には俺を心配してくれる人が多かった。
捕まる度に「もう何とも無い」と説明して教室まで向かって行く。
人に囲まれ過ぎて方向感覚が狂ったのか、教室の場所を間違えるという珍事をやらかしたものの、何とか自分のクラスである二年五組に辿り着くとそこでも人に囲まれる。
一瞬、クラスの人数が多過ぎないか? という疑問が頭に浮かんだが、窓側の一番後ろの席を目指して歩きバッグを置く。
教室に居る人にも説明をしようと思い振り返ると、何故だか皆固まってシーンと静まり返っていた。
「ん、どうかした?」
クラスメイトに声を掛けると、代表としてミディアムヘアの女の子が喋る。
「……どうして耕司君は自分の席が分かるの?」
「え……?」
思わず、驚く声が漏れた。
丸眼鏡を掛けた委員長から放たれた台詞は思いもよらない物だった。
俺は前から窓側の一番後ろの席だったはずだ。
日当たりの良いこの席で、午後はうとうとしながら授業を受けていたはずだ。
前の席に座る不真面目な男と喋りながら。
俺を皆で揶揄おうとしているのか?
「あれ、俺の席ってここだったよな?」
「ううん。元々は真ん中の席だったよ」
「あれ、そうだっけ?」
揶揄おうとしているのかと、身構えかけたがそうでは無いらしい。
委員長は真面目な顔で話しているし、後ろに居る皆も「うんうん」と相槌を打っている。
「うんそう。先生がね、真ん中がポツンと空いているのは辛いだろうって言ってね、今の席になったんだ。耕司君は暫く来られないだろうって事で端のその席になったの。居ない間に席替えしたんだけど、誰かから聞いていたの?」
「いや、誰からも聞いていない……」
また俺はおかしくなっている。
目覚めてから自分の記憶に振り回されっぱなしだ。
言われてみたら、確かにそうだった事を思い出した。
真ん中で何かと俺の事を指して来る先生と攻防を繰り広げながら、授業を受けていた。
……前に座っていた不真面目な男って誰だよ。
俺に前に座っていたのは真面目に授業を受けるこの委員長だろ。
「ま、なんてな。本当は先生から聞いていたぜ。俺は梅ちゃん先生とも連絡先を交換しているからな」
「……なーんだよもー! びっくりしたなー!」
「まんまと耕司の芝居に付き合わされちまったぜ!」
「動作が自然過ぎて全然気づかなかったよ!」
「まんまと騙されちゃって」
後ろ頭を掻きながら笑う。
俺が笑うと変になっていた空気は四散して明るい空気に戻る。
嘘を吐いた。
こんな事で、態々変な空気を作るのは嫌だった。
やがて、先生がやって来て直ぐにバレそうになったが、勢いだけでなんとか誤魔化すと授業が始まる。
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教室が綺麗だ。
所々に劣化して出来た傷が見えるが、何処もおかしな壊れ方をしている所が無い。
当たり前だが、爆発跡も無ければ、よく分からない生き物を育てている奴も居ない。
床も濡れていなく、普通の状態。
右隣に座っている女子はお昼を回ったのに、寝る事も無く板書を写している。
それどころか、授業中にお菓子を食べる事も無い真面目さだ。
前に座っている男子は机に突っ伏して爆睡している。
所属している部活の決まりのせいで嫌々坊主頭にするしか無かった男だ。
皆が三ミリにする所を俺は六ミリにする事で顧問に反逆していると、近くにその顧問が居る事に気付かずに俺に教えた後、そのまま連行され三ミリになって帰って来たクラスで一番面白い奴。
こいつが面白い奴なのは確かなのだが、クラスで一番面白い奴はもじゃもじゃヘアだったような気がする。
ワサワサし過ぎていて鬱陶しく感じていた。
頬杖を付いてクラス全体を見渡す。
クラスには違和感だけで無く、安心する要素もあった。
教科書に漫画を挟んで先生にバレないように読んでいる男子、体調を崩して保健室に向かった女子、クラス一の美少女にずっと熱い視線を向けている男子。
あれは俺が覚えている景色のままだ。
性別が逆な気もするが、そのくらいは些細な事だろう。
それと何よりも、授業が分かりやすい。
何故だろうか、今やっている化学は別に得意でも何でも無かったはずなのに、板書がすんなり頭に入って来る上に、教科書が何を言いたいのかも分かる。
俺は寝ている間に睡眠学習でもしていたのだろうか。
これなら、今朝言われたテストも楽勝だ。
先週行われていた期末テスト。
本来なら今日はテスト返却日だったのだが、俺が退院して学校に来たせいで突如授業となった。
テストをまだ受けていない奴が居るから返せないと、教師は皆口を揃えて言っていた。
その時の皆からのブーイングは結構効いたが、まあ俺も逆の立場だったら同じ反応をしていたのかもしれないので耐えた。
でもいつかやり返そうと思う。
その内、授業の終わりを告げるチャイムがなり、ホームルームも終わる。
久しぶりに放課後遊びに行こうぜ、というお誘いを全て断り、受けられていなかった期末テストを残ってやる。
合計で七科目分のテストをやらなければならないので三日間は居残りしてテストをやる事になった。
筆記用具だけ持って空き教室に向かい、一人でテストを受ける。
途中でテストの監督をしてくれていた先生が「部活の様子を見て来る」と言い、教室に一人残される。
今日初めての一人の時間。
「学校ってこんなにつまんなかったけな……」
今日一日ずっと頭の片隅で考えた言葉が口に出る。
勉強はそこそこ出来る。
友達にも恵まれ、先生との仲も悪くない。
充分に満たされている。
それなのに、何故だろう。
何かが足りない気がする。
気のせいという言葉では片付けられない喪失感がある。
「これ以上何を求めているというんだ俺は……」
あの日見た夢をずっと思い出そうとしている。
きっと、失くした物はあの中にある。
それが分かっているのに。
「何も思い出せない…………」
何かが思い出せないという感覚だけがある。
普通に日常生活を送っているだけでその感覚が強くなる。
何か特定の物や行動に引っ掛かると、居ても立っても居られない衝動に駆られる。
きっと夢は物凄く後悔が残る終わり方をしたんだと思う。
そこまで分かっていて、何故何も出て来ないのか。
どうして歯痒い思いをずっと味わうだけで何も出来ないのか。
とても辛かった。
半端に「何かを思い出せない」という事にだけ気付けてしまっている今のこの状況がとても辛い。
思い出すなら思い出すで早く、無理なら無理でこの気持ちなんて湧かないで欲しかった。
生殺し状態がずっと続く。
……なあ、誰か俺に教えてくれよ。
頭の中でそう答えを求めても、何も返って来やしない。
当たり前の事のはずなのに、何故だかそれが凄く寂しい。
「……くそ」
教室にシャーペンをへし折る音が響いた。




