百三十一話 「お気に入りの奴だったのか?」
「今日も来てくれたのかお前は。可愛い奴め」
珍しく日陰で動かずにジッといていた白猫を見つけたので傍によって撫でまくる。
いつも外から俺の部屋を覗いていた妙に鼻に掛かった声で鳴く猫だ。
俺に滅茶苦茶にされる猫は静かにしているが、尻尾を腕に絡める。
「やっぱり人馴れしている猫だったんだなお前は。これならもっと早い内からこうしてれば良かったなあ」
しゃがんだまま猫に話し掛ける。
首を撫でられた猫は少し頭を傾けて撫でやすくしてくれていた。
今日は退院日だ。
俺の家は茨城県にあるので、東京のど真ん中で日向ぼっこをしていたこいつとは今日でお別れだろう。
通り魔に刺された俺だったが、結局何の異常も見つからなかった。
身体の何処を探してももう刺し傷なんて見つからない。
二週間意識不明のままベッドで寝ていたはずなのに、何の問題も無く身体も動く。
むしろ眠る前よりも起きた今の方が何故か身体は動く。
終ぞ真偽は不明だったが、もしかしたら刺された心臓を治す工程で他の所も一緒に良くしてしまったのかもしれない。
こんな風に身体は何の問題は無いのだが、記憶は戻らなかった。
病室には何度も警察の人が来てくれたが、捜査の手助けとなるような事を言えた自信が無い。
現に目の隈が凄い警察の人には「本当に思い出せないんですか!?」と何度も詰められた。
悪い事はしてないはずなのに、制服を見ると何故だか緊張する。
俺は本当に事件の事なんて覚えていないのだが、伝え方が悪かったのか同じような質問を何回もされた。
仕舞には、仲良くなった看護師さん達や先生が来て、「検診の時間なのですみませーん」とか「患者の精神に悪影響だからお引き取り願えるかね」等と言って警察の人を追っ払っていた。
病院関係者には足蹴に扱われていたが、相手も仕事でやっている事を俺は勿論知っている。
警察の人達は白黒はっきりさせたいだけだ。
携帯番号は控えたので、誰が俺の事を刺したのかを思い出したら、直ぐに伝えたい。
「あれ、そう言えば首輪はどうしたんだ? 赤いの付いて無かったっけ?」
「ナーン……」
猫を撫でていると、首輪の事に気付いた。
問われた猫は力なく一声鳴く。
窓越しに見ただけだったが、確かにこの猫の首元には赤い輪が付いていた。
妙に気になる首輪だったので、外出を許可されたら確認しようと思っていたくらいだ。
もしかしたら、この子の名前が書いてあったかもしれない。
「失くしちゃったのか?」
「ナーン」
「そっか。飼い主の人から新しいのをおねだりしてみたら良いかもな」
項垂れていた猫だったが、顔を上げ俺の事を見つめて来る。
「どうした?」
「ナーン……」
俺の事を見て来た猫だったが、また直ぐに下を向いてしまった。
「……よく分からないが、お気に入りの奴だったのか? だったら見つかると良いな」
そう言ったら、猫はどこかに去っていってしまった。
伸ばしていた手が空を切る。
猫というのはどうしてこうきまぐれな生き物なのだろうか。
「耕司ー! あんたまた知り合いをこんなに増やしたのね! ちゃんとお別れの挨拶をしていきなさいよー!」
忘れ物が無いかを確認していた母さんが俺に声を掛ける。
見ると、体温を測りに来る看護師さんや、リハビリでお世話になった元気なお兄さん、それに最終的に世間話をするようにまでなった先生も来てくれていた。
他にも、廊下でボーっとしていた時に知り合った爺さんや、自販機で当たりを出した時に話し掛けて来てくれたお姉さん等も見える。
「はー、寂しくなりやがりますねー。若い男の子って貴重だったのにねー」
「君だったら絶対オリンピック出られるから! もう一度考えてみようよ!」
「次は首を刺されたりするかもね。でもまた私が看てあげるから安心だ」
何と言うか、結構面白い人達が多かった気がする。
二週間弱しか居なかったが、この人達のおかげで俺は楽しく入院生活を送れた。
一人一人とお別れの挨拶をする。
また来いよという台詞が多かった。
爺さんとかがおふざけ交じりに言うのは分かるのだが、病院関係者が言うのはどうなのだろうか。
裏を返せばそんな冗談が言える程仲良くなる事に成功したと言えるのかもしれないが。
「本当にまた来てくれても良いんだよ」
「あの……目が怖いです」
本当に冗談だったのだろうか。
俺の手を放さない看護師さんの手を何とか振り放し病院を後にした。
明日、月曜日は久しぶりの学校だ。
—————
「あぁ、全くどうしてこうも上手くいかない事だらけなのでしょうかね」
路地裏に女性の声が響く。
街灯の無い暗い脇道を月明りが照らす。
「フシャー……!」
硝煙の匂いが充満する工場跡では一匹の白い猫が牙を剥き出しにして女性を威嚇していた。
「はぁ……貴方が強い事は分かっているので戦いはしません。ですが、これだけは頂いておきます」
女性の手にはとある物が握られていた。
猫の名前が書かれた手作りの首輪。
大事な首輪を取られた白い猫は怒りを顕わにする。
その首輪はあるクラスの子達が材料を持ち寄って皆で作った世界に一つしか無い物だった。
牙を剝き出しにする猫の頭から赤黒く濁った花が現れた。
それは瞬く間に猫の身体よりも大きくなり地に根をはる。
葉脈がドクドクと脈打ち、茎からは太い蔓が伸びる。
無数の棘が生えた葉が平手打ちをするように女性に向かって飛ぶ。
葉が通り過ぎた場所にはオレンジ色の液体が地面に広がっていた。
「無駄ですよ。これを取られた時点で貴方の負けですから」
地面に広がった液体が喋る。
水溜まりのように広がっていたオレンジ色の液体から人間の口のような物が突出していた。
その液体は手のような物も二本生成し首輪を掴み引っ張る。
「名前と一緒にこんな素敵な物まで貰うなんて贅沢ですね。私は一つしか貰えなかったのに」
尚も触手のような手は首輪を引っ張り続ける。
「ナーン!」
液体の広がる地面が音を立てて割れると何本もの根が生え、液体を貫いた。
しかし、液体は身体をいくら貫かれても首輪を引っ張るのを止めない。
やがて、首輪からは嫌な音が鳴る。
「さて、これで大丈夫ですね。本当は貴方を消したいのですが、私では敵う訳がないので仕方ないです」
「ナーン……」
「……? 鳴いているだけでは何が言いたいのかちっとも分かりませんね。貴方の主と同じように異界の言語を必死で覚えてみたらどうですか?」
そう言いながら液体は近くを流れていた排水路に身を投じる。
「そう言えば貴方は喋る事も出来ませんでしたね」
後には悲しそうな顔をした白い猫だけが月に照らされた。
遅れました。
三章は今まで以上に大事に書いていきたいので隔日投稿が厳しいです。
すみません、本当は色違い厳選にハマってしまいました…。




