百十話 「もう僕は逃げないよ」
「ごめんなさ~い。今はちょっと、クラス対抗戦の最中なので部外者の立ち入りは禁止しているわあ~」
僕とスフィラを容易く捕らえた紫髪の男の後ろに、瞳を怪しく金色に光らせたエニスコスが見えた。
エニスコスは僕達の首を握っている男の手に触れる。
「このままだとこの腕は御釈迦になるけど、どうする~?」
「あらまあ怖い。流石にそれは困るわねえ」
紫髪の男はパッと両手を開き、僕らを地面に落とした。
エニスコスは男が僕らを解放したのを見ると、男の腕から手を離す。
解放された事で息を吸えるようになった僕達は吸えなかった分を補うように激しく息を吸った。
何はどうあれ助かった。
竜王家が八女、予言龍エニスコス・ネスティマス。
スイザウロ学園で出張占いの館を開いている彼女の金色の瞳は見た人の未来を見通す。
「うーん、どう動いたら一番良い未来に辿り着けるかしらねえ~」
「ふふ。流石の貴方でもこの状況から最善を選ぶのは難しそうねえ~」
「本当よ、どうしてこんな事をしようなんて考えちゃうのよ~」
「竜の貴方達に比べて弱い私達じゃあ目的の為には手段なんて選べないからね~」
和やかに喋り始めたエニスコスと紫髪の男モリブドスから距離を取る。
エニスコスは会話をしながらも、何度か僕らを視界に入れ、背中の後ろに隠した右手で僕らに合図をしていた。
「ふ~ん、竜王家に比べて弱いねえ。私の記憶と眼が正しかったら、貴方は竜王家にも引けを取らない一族の出よねえ?」
「なーんの事かしら~?」
腰で紐を結んだ踝まである白のラップスカートを履いたグラマラスで華やかなエニスコスと、沢山のフリルで装飾された大きな橙色のゴスロリワンピースに身を包んだ派手でガタイの良いモリブドスの間に緊張が走る。
それを横目に見ながら、指定の場所まで僕らが移動した直後、凄まじい打撃音が聞こえた。
見ると、エニスコスとモリブドスが右手を打ち付け合っていた。
硝子のように透明になったエニスコスの右手には口のような模様がいくつかあり、牙が見えていた。対して、モリブドスの右手は金属のような光沢を纏っており鍛えた鋼のように見える。
「うん、やっぱり強いじゃない」
「貴方こそネスティマスの名に恥じない良い一撃よ」
「その言葉は嬉しいわねえ。じゃあ空に飛んでもらうわ~」
「本当にネスティマス家って出鱈目な力を持っているわねえ……」
モリブドスの立っていた地面が盛り上がり、下からばっくりと割れた水晶のような物が現れ口を閉じてモリブドスを中に閉じ込める。
モリブドスが水晶の中を叩いている様子が見えたが、音も衝撃も一切外には出て来ない。
「一分半後にはここから出られるなんて貴方こそ有り得ない程強いと思うのよねえ」
エニスコスは手を口に当て困ったように言う。
「えぇええええモリブドス!! お前あんなに強キャラっぽく登場したのにこんなに直ぐ捕まっちまうのかよ!!?」
ティアラは頼りにしていた仲間がエニスコスに捕らえられたのが信じられないようだ。
水晶の元まで駆け寄り、ドンドンと叩いていた。
中からの音は聞こえないが、外からの声は聞こえていたようでモリブドスはティアラに向けて両手を合わせた上に、顔を数度傾かせてベロを出しながらウインクしていた。
その様子を見たティアラは槍状にした黒い靄を水晶に向けて飛ばすが、水晶は鈍い音を返すだけで傷一つ付かなかった。
「かってえなこれ! 術者本人を殺しでもしたらモリブドスは出て来るかあ!?」
「心配しなくてもモリブドスさんはこの後直ぐに自力で割って中から出てくるわよお~。それと、貴方の相手は向こうよ」
何とかして水晶を割って仲間を解放しようと踏ん張るティアラにエニスコスが僕らの方を指しながら言う。
「兄様と俺が戦うだあ……?」
「勿論よ。だって今はクラス対抗戦中だもの。それに貴方は愛しの兄様をホームに持って帰りたいのでしょう? モリブドスさんも、他のお仲間さんも私達兄弟とのお話で忙しくなるから兄様をお持ち帰りしたいなら……分かるわよねえ?」
「成程な! 力尽くでも兄様を連れて行かなきゃ主も悲しむし、俺も嫌だ!!」
エニスコスはティアラを僕らの方へ誘導した後、地面に半分埋まっていた水晶を宙へ浮かばせて金色の翼を表す。
ティアラの事は僕らに任せ自分は別の場所へ移動するつもりのようだ。
「私はもう行くけど、三人にアドバイス。力は出し惜しみしない事。じゃないと、大事な家族を失う事になるわよ。それは嫌でしょう?」
翼をはためかせ、水晶の上に乗ったエニスコスが僕らの方を見てウインクする。
エニスコスのアドバイスは家族を失うかどうかの瀬戸際に立つ僕には、これ以上無い程に響いた。
エニスコスが何者にも邪魔されずに僕らが戦える舞台を整えてくれたのだ。
これでもう他の事など何も考えずに戦う事が出来る。
ここからは、兄妹喧嘩だ。
「……ありがとう、エニスコス先生!」
「じゃあ、頑張ってね~」
上昇していくエニスコスに慌てて声を掛けると、手をヒラヒラと振って返してくれた。
直ぐにエニスコスと水晶に囚われたモリブドスは見えなくなる。
スフィラが僕の方を見ていた。
「まず僕があの黒いのを全部剥がすから、スフィラはそれまで待っていてね」
「かしこまりました。……絶対にダフティ様を取り戻しましょうね、ブラリ様」
ここまで僕の事を信じて着いてきてくれた僕には勿体ないくらい何でも出来る凄腕の従者スフィラを置いて、僕の妹のダフティに創られた悪魔ティアラの元へ歩いて行く。
思考がぐるぐると回る。
コウジ達の方では今どうなっているのか、僕らが居る修練場を覆う障壁の向こう側、ステージ外では今何が起こっているのか、僕らの控室を守っていたエニスコスが飛び立ってしまった今十五組用の控室は安全なのか、クラス対抗戦時に安全措置として働いている僕らの傷を代わりに請け負ってくれる魔力体は正常に機能するのか、何者かに機械を操作されて魔力体が切れた後に作動する転移装置がよからぬ所へ飛ばすように変わってしまっていないか……考えたらキリがない。
だけど今は、それら全てを思考領域から追い出す。
魔王家でトラブルメーカーとして日々を自由に生きていたのに、ダフティが異形化してから考え事をしてばかり。
何をするにも頭の大半をダフティの事に向けていた。
だけど今は。
他の事なんて考えずにダフティに向き合える。
異形化する為のワードを唱える。
ダフティの異形化を解くために手に入れた僕の力を発動させる。
「もう僕は逃げないよ。…………天使化」
あの日、ダフティが悪魔になった日、僕は天使になった。
悪魔となったダフティをどうすれば救えるのか考えていたら、天使という存在が頭に浮かんだ。
無造作に伸ばしたボサボサの黒い髪は、真っ直ぐな白い髪へ。
頭には武骨な角の代わりに光の輪を。
背中には鳳のように大空を翔る白い翼を。
運動着の上から白いロープを纏い、全身を白で包む。
異形化は僕を天使のような姿へと変える。
「その姿……。主は兄様の姿へと近づいたのに、兄様は主のような姿に近づいていたってのか」
ダフティの代わりに、ダフティの身体を動かすティアラが僕へ鋭い視線を向ける。
ダフティが何を考えていたかも分からない僕じゃ、ティアラのその瞳も何を考えているのかちっとも分からないが、少なくとも好意的な物では無いと思う。
何せ、悪魔に対抗するかのような姿を僕は選んだのだから。
「棺、柩、櫬、枻……悪いけど、この中のどれか一つにでも捕まると君は死ぬよ」
「それが兄様の力かよ……!? ぶっ飛んでんなあ!!」
大小様々な白くて華美な装飾が施された箱を目の前にいくつも並べた。
箱はどれも前面が開き、生者を吸い尽くさんと兆す。
「なーんて嘘だよ。でも、これで捕まえたらティアラもダフティもこれ以上何も出来なくなって僕の勝ち。以後は僕達と一緒に幸せに暮らしてもらうよ」




