百六話 「ただの人間だ」
「解放を使うって、いつの間にそんなのを使えるようになったのよ」
「実践で使うにはあまりにもお粗末だから使うつもりは無かったんだけどな」
「それで今のルクダに挑もうとしているの!? 危険だから止めなさいよ!」
小さくなったスフロアが腕の中で俺の身を案じて喚く。
異形化したルクダは周囲の生命から時を吸収するようになってしまった。
クラス対抗戦の為に今俺達が立っているこの場所は苗木や草、花の種などが植えられ、更にその上から教師陣が生徒の帰った後に残業して植物の成長を促す魔法をかけた結果、一夜にして森林ステージとなった。
実の生った背の高い木、体力を奪い進むのを困難にさせる硬い草、怪しい色をした大きな花。
至る所にそれらが生えている事で見晴らしが悪くなったこのステージは仲間とどうやって協力し相手を負かすかが問われるステージとなっている。
しかし、異形化したルクダの周囲は地表が露出し、植物の生えていた痕跡など一つも残っていない。
生えていた植物は全部、ルクダによって存在が消失するまで時を吸われたからだ。
今のルクダに近づく事は死を意味すると言って過言では無い。
スフロアが心配する道理も分かる。
「コウジの解放なら戦えるわ!」
スフロアとは違い、俺が解放を使った姿を知っているラフティリはそう言った。
「俺の解放は、このアズモの身体から俺が解き放たれる物なんだ。解放状態の俺には肉体が無いから吸われる生命も無い。敢えて言うなら精神体になる。ラフティーとスフロアがルクダに触れても保護機能として纏っている魔力体では無く生身の時が吸われていただろ? なら俺は、あの時を吸う能力に対して無敵だ」
……ただ、この解放にはデメリットも勿論ある。
まず、俺がこの身体から抜けるとアズモが何故だか動けなくなる。
解放が不完全な物だからそうなってしまうのかもしれないが、本体がアズモの身体である以上、そのアズモが無防備に晒される解放はクラス対抗戦で使える物では無かった。
誰か守ってくれる人がいないと、ただ立っているだけの身体は良い的になる。
二つ目は、効果時間が短い事だ。
精神体となった俺は何もしていなくても段々と精神を消費していく。
完全に精神を消耗したらどうなるかは分からないが、少なくても良い事では無いのは確かだ。
俺がこの身体から出た所で残ったアズモと共闘出来て数の利を取れる訳でも無いこの解放には使うメリットなんて一つも無かったが、今のルクダに対して有効だ。
俺が抜けた後のアズモの身体を守ってくれる存在も居る。
「……アズモは何て言っているの?」
解放の詳細を聞いたスフロアが俺の事を止めずにアズモが何て言っているのかを聞いて来た。
『私は嫌だ』
俺の使う解放は一度もアズモから好意的な反応を得られた事が無い。
ずっと否定的な事を言われている。
普通の敵が相手なら、二人でこの身体を動かした方が勝てるのだからアズモがこう言うのは当然だ。
解放を使ったら精神体の俺しか動けなくなる上に、アズモが危険に晒されるのだから。
ただ、それとは別にもう一つ理由がある。というか、もう一つの理由の方が大きい。
『コウジと離れるのが怖い』
アズモは俺がこの身体から出るのをとにかく怖がっていた。
『距離を保ったまま遠くから攻撃していれば良い』
アズモの言う事は一理あるかもしれないが、それだといつか必ず限界が来ると俺は思う。
今はまだルクダが成長した身体の能力に適応出来ていないから攻撃が当たるかもしれないが、慣れてしまわれたらもう勝てなくなる。
『そうかもしれないが、兄上達が来てくれるかもしれないだろう。いくら成長したところで兄上達が負ける訳が無い』
さっきスフロアを助けてくれたアギオ兄さんは直ぐにまた何処かに行ってしまっただろ。
きっと、俺達が戦っているこのステージ上以外でも何かが起きている。
内通者のダフティを通じて何か良からぬ事をしてきているのかもしれない。
いつ来るか分からない、来てくれるかも分からない兄さん達を待つよりもこの場に居る俺達でルクダをどうにかするべきだ。
アギオ兄さんが出来るって言ってくれたんだ。
……それにこの問題は俺が解決したい。
『……コウジが帰って来なかったら絶対に私はどうにかなるからな!』
ごめんな、アズモ。
直ぐに決着を着けるから。
『絶対だからな!』
アズモとの話し合いを終えた。
「アズモからの了承を得た」
「そう。あんた達が決めたならそれで良いわ」
「すまんが、アズモの事は任せたぞ」
こちらにフラフラと歩いて来る大人の姿になったルクダから一先ず逃げ距離を取る。
ルクダをまだ見える位置に捉えたまま、ここら辺で一番大きな木の前に小さくなったラフティーとスフロアを下ろして、俺も背中を預けた。
「アズモはあたし達で守るわ!」
「絶対にアズモは守るからコウジは後ろの事なんて気にせず絶対ルクダを止めて」
小竜の姿を取ったままのラフティリが翼をはためかせながら元気に言い、髪に隠れていない右目で俺を強く見ながらスフロアがそう言った。
「ああ、分かった。……じゃあ行って来る」
あの日、アギオに連れて行かれた飲食店でラフティリがやらかした日。
ラフティリが頼み過ぎたメニューをどうにか皆で平らげている時にお腹を膨らませたククリが教えてくれた。
解放は異形化と使い方が似ていると。
異形化を経験した人ならどうやって異形化したかの経験を用いれば解放も使いやすくなると教えてくれた。
勿論、俺達は異形化なんてした事が無いからそれには当てはまらない。
だが、それともう一つ教えてくれた。
異形化で目の前の絶望的な状況を打破出来る姿や力を無意識で想像してしまうのと同じように、解放を使いどうしたいかを明確に想像すればいいと。
具体的なイメージが必要だと教えてくれた。
……俺には他の誰よりもイメージしやすい物が一つだけある。
一年十五組の自己紹介で夢を語った時は後から「何を言ってんだ俺は!」と恥ずかしくなったが、アズモの身体に憑依した時から今もその夢は変わっていない。
このアズモの身体から解き放たれて、心だけで無く、身体も二人分になるのが俺の夢だ。
自分の身体を手に入れて、そこからアズモがどんな女の子なのかを自分の目で見てみたい。
異形化と同じように、イメージ出来てしまえば際限なく様々な事を実現出来てしまえる解放は夢を叶えるのに適した能力だった。
自分がどんな人間で、どんな背丈で、どんな顔をしていたかを俺は他の誰よりも一番知っている。
この身体に憑依する前までの、俺の姿を俺はイメージする事が出来る。
「……俺は沢畑耕司、ただの人間だ」
感覚が切り離される。
背中に感じていた大木の感触や、アズモの前に立っていた二人の女の子の姿が見えなくなり、二人の声も聞こえなくなる。
肌を撫でるそよ風や、地面から受けていた硬い感触と少しだけ柔らかい草の感触も全て消える。
思考も出来なくなり、何も感じなくなる。
『……らな』
俺がアズモから完全に切り離される前に何かを言おうとしていたのか、アズモの声が少しだけ聞こえた。
何と言っていたのだろう。
「——戻ったら何を言おうとしていたか絶対聞くからな! 悪口だったりしたら覚えておけよ!」
声を発せた。
出て来た声はアズモの耳越しに聞こえていた俺が喋っていた時に聞こえる女の子の声では無い。
それよりももっと懐かしい声。
俺が日本で男子高校生をしていた時の声だ。
足に感触を感じる。
足の裏から感じる地面や草では無く、太ももを誰かに小突かれる感触がアズモの身体に入っていた時よりもダイレクトに感じられた。
見ると、小さな女の子と目が合う。
俺と同じ綺麗な黒髪で片目が隠れた肌の白い尻尾が生えた女の子、スフロアだ。
片目しか見えていないのに、驚いた表情をしているのが手に取るように分かった。
縮んだスフロアが声を震わせながら喋る。
「こ、コウジってそんな顔をしていたのね……」
「ああ、イケメンだろ?」
十七歳、高校二年生。
身長は平均より少しだけ高く172cm、体重は58kg。
髪型は現代を生きていた男子高校生らしく、前髪が目に少し掛かるくらいでそれに合うようによくセットしていた。
服装は記憶によく残っていた制服。懐かしの学ランだ。
見えている肌は日本に最後に居た記憶が夏だった為少し焼けているが肌色。
鱗など一つも無い、人間の肌だ。
この見た目はイメージだけで構成している為、若干本当の姿と異なるかもしれないが概ねこんなはずで間違い無い。
元の男前な姿を再現出来ているはずだ。
「自分で言っている割には微妙な顔よ」
「なんだとお……」
小さくなったスフロアを抱え、少し振り回してやった。
小竜の姿をしたラフティリが目をキラキラさせながら並んでいたため、スフロアを下ろしラフティリも振り回してやった。
竜を抱っこした男子高校生は俺が初では無いだろうか。
「と、こんな事している場合じゃ無いな……」
ラフティリをスフロアの隣に下ろした。
「じゃあ、行って来る。アズモを任せたぞ」
二人にそう言って、大木に背を預けたまま動かないもう一人の女の子を見た。
黒っぽく見えるが、少しだけ紫に光る綺麗な髪をした小さな女の子。
俺がこうやって身体を出た弊害の為か動かなくなったアズモだ。
俺の言葉に頷く二人に安心し、しゃがんでアズモの顔を覗き込む。
俺が言ったら少しナルシスト発言に取られるかもしれないが、整った綺麗な顔をした女の子だと思う。
この世界に来て窓に映ったアズモの顔を見た時も思ったが、絶対に将来は美人に育つだろう。
その為に、ここは勝たなくちゃな……。
「少しの間だけ待っていてくれ……」
目を閉じたまま動かないアズモの頭を軽く撫でる。
スフロアとラフティリもしゃがんだ俺に近づいて来た為同じように撫でてやった。
「……」
アズモは何も言わないが、きっと「早く倒して来い」だの言っている事だろう。
憑依者として、宿主の命令は守らなければならない。
立ち上がり、ルクダの元に歩いて行く。
「大人に、大人にならなきゃ……」
声が聞こえる範囲まで近づいたが、相変わらずルクダはブツブツ呟いていた。
周りの時を奪い自分の物にするルクダに構う事無く更に近づき、ルクダが発していた時を奪う緑色のオーラの中に入る。
願った通り、時を持たない精神体の俺はルクダから時を吸われる事は無かった。
虚ろな目をしてフラフラと歩くルクダの前に、右手を差し出す。
握手だ。
ただし、握手はこの世界に置いては友好の証では無く、勝負を挑む時に使われる。
俺は初登園日にその事を知らず、今と同じようにルクダに右手を差し出した。
「…………」
ルクダは黙り、俺の右手を見る。
理性を失くした今の状態でも、闘争本能は残っているだろうか。
もし、残っていないとしても殴りかかって暴走したルクダを止める。
「よお、ルクダ。俺の名前はコウジ」
初めてルクダと会った時と同じように自己紹介をした。
今度はアズモの名前を使わずに俺の名前を使ってだ。
「……」
俺の言葉が届いたかどうかは分からないが、ルクダは差し出された俺の右手を見て次に俺の顔を見て来た。
あの日、ルクダに間違えて決闘を挑んだ時は、途中で勝負を先生に邪魔されて決着がつかなかった。
今はあの日と違い、止める人は居ない。
「あの日の続きをしようぜ」
次回はこのまま異形化ルクダ戦になります。
是非、四話のルクダとの出会いを今一度見てもらえればと思います。




