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異世界転生したら吸血鬼にされたけど美少女の生血が美味しいからまあいいかなって。  作者: 只野誠
番外編:異世界転生してきた人に影響されてしまった人々
7/21

隊長に誘われて辺境の地へ来たものの、私はやっぱり私です。

番外編ですが、物語の続きは続きです。

イナミさんが主人公でないだけです。


相変わらず何も起きず何も解決しません。

 私はエッタ・ラウスハイゼルと言います。

 今はラウスハイゼルの名を名乗っていいかわからないけど、名を名乗るときは家名を名乗らなければなりません。

 エッタという名前は、私の本当の名前ではないです。

 イリーナというのが私の本当の名前らしいです。

 ただ物心ついた時にはもうエッタと呼ばれていたので、エッタという名前のほうが馴染みがあります。

 エッタという名は、本家のご令嬢、アンリエッタ様からその名の一部を頂いています。

 私は幼き頃よりアンリエッタ様に仕えるようにと育てられてきました。

 アンリエッタ様は栄えあるラウスハイゼルの名に恥じない立派な方です。私とは違います。

 実際に私の評価は正しく、次期エルドリアと目されるほどの方です。エルドリアの名は、家名だけで継げるほど容易くはありません。

 アンリエッタ様にお仕えすることが私の使命であり、贖罪になるのだと教えられ、私もそのように思っていました。

 けれど、お爺様の罪を知った今では、それもおこがましいとさえ思えます。


 夕闇の魔女アンティルローデ。

 昔話やおとぎ話に出てくるような恐ろしい魔女です。

 何度も魔王に加担し退けはするものの一度足りとて討伐には至らず、それどころか、その姿すらほとんど見た者がいないとされる伝説の魔女です。

 その魔女からお爺様は麻薬に類するだろう物を買っていました。とても中毒性が高く大変危険なものだったと聞いています。

 しかも、魔王との戦いが始まっている戦時中にです。

 これは許されるようなことではありません。

 とある魔女の拠点で、取引先名簿にお爺様の名があった時、私はすべて理解しました。

 私の家は、お爺様の代で取り潰されるべきだったのだと。


 そんな中、アンリエッタ様とエルドリア様がご来訪されるという話を聞きました。

 私はどんな顔をして、あのお二人に会えばいいでしょうか? 私にはわかりません。

 結果は、お二人を怒らせてしまい、イナミ様にまで呆れられ、修道院を追い出され今は町で裁きの日を待っています。

 その後、何度もミリル隊長に頼んで、私を罰し今からでも家を潰すべきだと進言しましたが、聞き入れてもらえませんでした。

 王都へと帰り、罪を公表し罰を受ける、それも止められました。

 確かに、それでは本家の方々にも迷惑がかかり、栄えあるラウスハイゼルの名に傷をつける行為でもあります。

 ですが、私は罰を受け入れ、裁かれなければなりません。


 裁きの日を待つ間、私はすることもないので、奉仕として綿毛虫の糸を紡ぐ仕事をお手伝いさせていただいています。

 聖歌隊の制服を脱ぎ、診療所から通う私を誰も罪人で貴族とは思う人もいないようで少しは気は楽です。

 また何か作業をしているときは、何も考えなくていいので、それも気が楽です。

 茹でられた繭から糸の端を見つけるのが、一番難しい作業で端さえ見つけてしまえば、繭から糸を紡ぐのもまた楽です。

 左手で繭から糸をつり上げ、右手で糸巻き機を回す。

 小気味よくくるくると回る繭。

 私が何も考えなくていい安らぎの時間です。

 もうほぼ野生化してるとはいえ、魔獣の幼虫が作った糸はとても強靭でちょっとやそっとのことでは切れたりはしません。

 またこの糸で織った布は、大変美しく肌触りも良い、その上とても丈夫で金属の刃物すら易々と通すことはないんだとか。

 繭から糸が無くなり、最終的には蛹が出てきます。親指大のそれはもう見慣れたとはいえ、確かに気持ち悪いものです。まるで私のように歪で気味が悪いです。

 私はその蛹を無造作に掴み、回収用の容器へと投げ込みます。




「エッタさんは今どうしてるの?」

 私が聞くとミリルさんは少し困った顔をして答えた。

「今は町のほうで働いて、いえ、奉仕活動をしていると聞いてます」

「どんなこと?」

「確か…… 綿毛虫の糸を紡ぐ仕事だったかと。

 休みもせず無給で奉仕していると聞いています」

 珍しくミリルさんは私に目を合わせない。

 いつもなら私がミリルさんを見ると熱い視線を送ってくれるのに。

「ふーん。

 で、なんで、あのリストにエッタさんのおじいさんの名前があったこと、私に黙ってたの?」

 私がそう言うと、ミリルさんの顔が引きつった。

 視線が完全にが宙を泳いでいる。

「いえ、それは……

 イナミ様にお伝えすることではないかと……」

 ついでに歯切れも悪くなってきた。

「騎士団に渡したの?」

 もし渡していたなら、ちょっと怒ってしまうかもしれない。

 いや、渡すほうが正しい行為だという事は理解はしてるけども。

「いえ、該当のページは抜いて渡しています……

 すいません……」

 そこは私の希望通り。

 ただこれって隠蔽になっちゃうんだよね? うーん…… どうしたもんだろう?

 こういう時はわかる人に振っちゃおう。

「だってよ、エルドリアさん」

 ミリルさんから冷や汗が頬を伝わっていくのを私は冷ややかに見つめていた。

 まあ、私に知らされても実際なにもできないし、私もそのページを騎士団には渡さないけども。

「はぁ、我が家のことながら情けない……

 麻薬に溺れていたダニー・ラウスハイゼルも罪を揉み消した父も、もう二人ともこの世の人間ではないと言え、本当に情けない。故人二人に代ってお詫び申し上げます。

 いえ、これは私のせいでもあるのかもしれません、私がエルドリアの名を継いだ時期とちょうど重なっているように思えます。

 それ故、父は大事にはしたくなかったのかもしれません」

「エルドリアさんはどこまで知っているんです?」

「私も詳しくは……

 姉に事情を伝え、本家より父の日記を取り寄せるように手配しています。恐らくそこに全容は書かれているかと。

 今しばらくお待ちください」

「そりゃあ、どうしていいかわからないよね。

 あんな行動になっちゃっても仕方ないよね?」

「はい、イナミ様の仰る通りです……

 私もエッタがあそこまで思い詰めているとは考えていませんでした」

 ミリルさんが下を向いて落ち込んでいる。

 しまった、ついミリルさんに当たってしまったけど、別にミリルさんが悪いわけじゃない。

「ごめんなさい、ミリルさんは悪くないのに、当たってしまって」

「いえ、私がもう少し気を利かしていれば」

 その様子を見てエルドリアさんは深くため息をつき、

「元よりあの家の教育方針がおかしいのを知っていながら放置していた私にも責任があります。

 あそこまで思い詰めているとは思いもよりませんでした。

 日誌を持ってこさせるついでに、エッタの両親もこちらへ来るように手配しています。

 この件、一気にかたをつけさせていただきます」

 精霊神殿が誇る大巫女エルドリアはそう断言した。




 修道院から追い出され、どれくらい月日がたったでしょうか。一月くらいでしょうか。

 来る日も来る日も私は糸を紡ぎます。

 今日も日が暮れるまで糸を紡ぐと思っていると不意に声をかけられました。

「エッタさん、頼みたいことがあるんですけど、いいかい?」

 私にわざわざ声をかける人は少なかったから、驚きました。

 糸巻き機を回す手を止めて、顔を上げると、少しだけ見知った顔、たしか職人ギルドのオーヴァル親方の奥方で、ここで事務の仕事を手伝っている…… そういえば名前は知らないです。

 でも、とりあえず、

「はい、言ってくれればなんでも」

 そう私は言いました。

 でも、できれば何も考えないでできる単純な作業が良いとも思っていました。

 色々考えだすと頭の中がぐちゃぐちゃになり、自分が自分でいられなくなってしまうからです。

「特注の織り上がった布をチェックしてもらうため、修道院まで届けてくれないかい?

 なんかね、ご指名なんだよ、エッタさんが」

 その言葉に私が頭の中が真っ白になったと同時に、やっと終われる、と喜びました。

 ようやく裁きの日が来たと。

 

 織り上がった布のロールを抱え、修道院へ向かいます。

 診療所の方々にお礼とお別れの挨拶はすませました。

 私物も今は聖歌隊の制服くらいです。綺麗に折りたたんで持参します。

 この制服は借り物なので、お返ししなければなりません。

 実際に、もうこの服に袖を通すことは、二度とありませんでした。

 そう考えると考え深いものがあります。私がこの服に身を包んでいたのは二年半くらいではありましたが。

 私が今まで生きてきた中で、一番充実した時間だったかもしれません。

 聖歌隊の制服を大事に鞄へとしまい、診療所を後にします。

 街中を進みイナミ様のいる修道院を目指します。

 台地の麓でなにか新しい工事が始まっています。畑をつぶして何を作るんでしょうか。かなりの敷地を使うようですが。

 でも、私には関係のないことなので足を進めます。

 ただ、やっぱり怖いのか、足が重く中々前へ進めませんし、時にふらつきもします。

 ふらふらとさまようように歩き、足取りがしっかりしません。

 早く罪を償い楽になりたいとは思うのですが、やはり死ぬのは怖いものなのですね。

 やっと台地の上へと上がる階段までたどり着きました。

 階段脇でも何か新しい工事をはじめるのか、斜面になっている崖部分に生えている木々をゴーレム達がせっせと伐採しています。

 それを横目に見ながら、一歩一歩階段を上がっていきます。

 すぐに息が切れ、脂汗がにじみ出て、視界がかすみます。この期に及んで死を恐れるとでもいうのですか、我ながら情けないです。

 長い、長い階段をなんとか登り終え、修道院の門をくぐります。

 私がここを離れてそれほどたっていないはずですが、正面玄関入口付近はすでに完成しているように思えます。

 ゴーレムの作業は相変わらず私の想像の範疇を超えているようです。

 それにしても、イナミ様にふさわしい荘厳で美しい修道院です。

 けど、そこに見慣れないものがありました。

 それは腰の高さほどある台座です。

 台座の上に、白い何かの粉の山がありその上に、白い小さな少女の彫像のようなものが、金色に淡く輝く金貨を紐で括って背負っています。

 こんなもの今まで見たことがないです。

 精霊神殿の建築様式ともまるで違った趣のものです。ただここは精霊神殿ではなく修道院なので、こういったものがあってもいいのかもしれません。

 そう思っていると白い小さな彫像が動き私を見ました。

 それでけではなく、

「あなただれよ?」

 と、私に語り掛けてきました。

 幻覚でも見ているのかも、と思いましたが、それは確かな存在感を持っていました。

「私はエッタです……」

 なにかの精霊かと思いましたが、普通の精霊ともイナミ様のように特別な精霊とも、どこか違っているように思えます。

 小精霊が彫像のふりでもしているかと思ったのですが、彫像自体が動いていますので、小精霊のいたずらでもありません。

 見た目は白い小さな彫像にしか見えません。

 眼だけが宝石のように鮮やかな翠をたたえていました。

 ただ悪い物には思えなかったし、修道院の正面玄関に飾られているような存在です、きっと…… きっと、きっと…… なんなんですか、これ?

「わたしはオスマンティウスよ」

 よくわからないそれは、私にそう名乗りました。

 もう一度幻覚か何かかと思いましたが、それにしては凄い鮮明で存在感があります。

「オスマンティウス…… 様は、精霊でいらっしゃられますか?」

「うーん、違うって言われたわ。

 新しいナニカで、既存の何かとは、もうすでに違うって、王様に言われたわ」

「王様ですか?」

 王様といえば王都の国王でしょうか?

 いえ、あの方はまず王都からでないし、悪いのですが言ってしまえばお飾りの王様です。

 それに精霊の血を引いていながら、今はどちらかと言えば教会側の人物です。イナミ様とかかわりがあるとも思えません。

 となると……

「いいえ、精霊の王様よ、ほら、貰った金貨もあるんだから!」

「せ、精霊王様!?

 金貨、これ、太陽の金貨ですか?」

 初めて見ました。

 いえ、ついこの間もイナミ様が頂いたと伺いましたが、私はその時の記憶が抜け落ちていてよく覚えていません。

 でも、これが太陽の金貨。精霊王様に選ばれた者に与えられるという聖なる金貨。

 たしかに、凄い力を感じます。それでいて暖かく優しい魔力です。

「そうよ、すごいでしょう! これはわたしのよ、あげないからね?

 王子様は大困惑の金貨って言って、笑っていたわ!」

「王子様? アレクシス様のことですか?

 あの方を王子様と公言なされて大丈夫でしょうか?」

 太陽の金貨で笑える、そんな人物アレクシス様くらいです。

 確かに王子様であらせられるけれども。

「王子様は王子様よ」

「そうなんですけど……」

 アレクシス様が精霊王のご子息であることは公表されてない秘密であるはず、なぜ隠していらっしゃるか私にはわかりません。

 もしかしたら、精霊と人の混血が禁忌と呼ばれていることが原因かもしれません。

 でもそれを言ったら王族の方々だって、元は精霊の血を引いているはずですし、貴族である私にも一応はその血は、もう薄いかもしれないですが、流れているはずです。

 そんなことをなんとなく考えていると、何かが私の服を這い上がっていく感触があります。

 見ると白い塊、オスマンティウス様が私の服をつたって這い上がり、私の胸元の襟口まで登ると、そのまま服の中に入り込み、最終的には襟口にぶら下がり手を顔だけを除かせました。

 どのような存在であるかわからないし、失礼があってはいけないので、私はなすがままにしていましたが、ちょっと微笑ましくて、少しかわいいです。

 時折、肌に直接肌に触れた太陽の金貨はとても暖かく、それはとても癒されるような……

 私の罪さえなかったことにしてくれるような、そんな暖かさがありました。

「イナミに文句があるの!

 イナミのところまで連れてってくれる?」

 その言葉に血が引くのを感じました。

 いえ、私も元々イナミ様に会いに行く予定です、ただちょっと予定が早まっただけです。

 ただ最後の時となると覚悟し、自ら望んで来たとはいえ、やはり怖いのです。身が震えてしまいます。

 でも、会いに行かねばなりません。

 誰にも会いたくない、特にアンリエッタ様には申し訳なくて顔を合わせられないので、人目を避けてイナミ様の部屋まで行きました。

 道中、廊下にもオスマンティウス様がいた台座と同じものをいくつか見つけました。

 廊下の真ん中にあり通行の邪魔ではあるのですが、なぜか歩くこともままならない、ふらつく私にとっては、手をつくためのちょうどいい休憩地点となってくれました。

 やっとの思いでイナミ様の部屋の前にたどり着きます。

 相変わらず護衛も何もいません。イナミ様のご命令なのですけれども。

 もっともイナミ様には妖魔ではありますが、いつも付き添っている者がいますので、心配はいらないのかもしれませんが。

 心を落ち着け、気合をいれ、しっかりと立ちます。

 扉をノックし、声を掛けます。

「エッ…… エッタです……」

 と、やっとの思いでかすれるような声を出しました。

 喉が渇いているのか、緊張しているのか、または恐怖に慄いているのか。まともに声が出ませんでした。

 きっと普段通りに、気の抜けた「どーぞー」という声がかかると思っていたのですが、ドダドダドタドタと物凄い音がして、勢いよく扉が開かれ何かが飛びついてきました。

「エッタさんエッタさんエッタさん、おかえりなさいー」

 そう言って泣きじゃくり優しく私を抱きしめてくれるイナミ様に私の頭は理解が追いつきません。

 イナミ様は私を子犬をあやすように、わしゃわしゃと私の頭を撫でまわします。

 思考が停止した、無論、停止しなくてもですが、私はイナミ様になすがままにされ、撫でまわされました。

 しばらくなすがままにされていると、巻き込まれ、もむくちゃにされたオスマンティウス様が怒りの声を上げました。

「ちょっとイナミ! なんでわたしの家をあんな場所にしたの!!」

 その声にイナミ様がきょとんとした表情を見せました。

 まるで理解できないと言った表情でした。

「え? オスマンティウスがあそこがいいって言ったんじゃん?

 そもそも、オスマンティウスの台座の場所は私関与してないんだけど?」

 イナミ様の言葉を聞いて、私もなんでオスマンティウス様はイナミ様に文句をいいに来たんだろう、と、失礼ながらそう思いました。

「ええ、確かに言ったわ!

 でも、思いのほか人通りが多くて、みんな奇妙な目でわたしを見るのよ? 嫌になったわ」

 その言葉にイナミ様は苦笑していました。

 どういった意味での苦笑なのか、私にはわかりませんが、いろんな意味が含まれているような、そんな苦笑のようでした。

「あの台座自体、複数作って、っていうか、勝手にかなりの量作っちゃったんだからさ。どうするのよ、在庫もあんなに。置き場所だって困るんだからね?

 しかも、すでにいろんな場所にも無断で設置してまわっちゃってさ。

 ああ、そうだ、もう台座結構いろんな場所に設置されてるし、そこにお引越しすればいいんじゃない?

 あの台座はオスマンティウスのための物だし、でも使わない台座はちゃんと元に戻しておいてよ? 廊下のは特にね!」

「お引っ越し?

 そうね、お引越ししましょう!

 エッタ、わたしの引っ越しを手伝いなさい!」

「え? はい、え? えぇ!?」

「戻ってきてばっかりで、ごめんね、エッタさん。

 オスマンティウスのこと頼んだよ、あんまりわがまま言うようなら、怒っていいからね?」

「は、はい……?」

 その後イナミ様の視線がすっと動き、私が抱えているロールに行きました。

「あ、それ、綿毛虫の布よね?

 シースさんに渡しといてね」

 いえ、私はこんなことのために来たのではありません。

 もちろん言われた仕事は、最後の仕事としてしっかりと成し遂げようとは思います。

 でも、私がここへ来た一番の理由は、断罪されるためにです。

「はい。わ、わかりました。

 あ、あの、私の…… 処刑はいつ?」

「処刑って? なんで処刑!? 

 そんなことするわけないじゃない」

 イナミ様は少し怒ったようにそう言われました。

「な、なんでです? 

 私は罪人ですよ?」

 本来口答えなどあってはならない行為です。

 イナミ様は実に人間らしい方です。なので、つい言い返してしまうこともありましたが、相手は仕えるべき精霊です。

 本来口答えなどあってはならないことなのです。それでアンリエッタ様のお怒りを買ったというのに、私はあの大失態から何も学べてはいません。

「話は聞いたよ、そもそも、お爺さんがやらかしたことでエッタさんには関係ないじゃない」

 その言葉に私の感情があふれ出てきてしまいます。

 口答えなどあったはならないはずなのに、私は感情を抑えきれません。

「そんな生易しい罪じゃないです!!

 麻薬を買っていただけじゃない、きっと重要な情報なんかも、麻薬欲しさに売り渡していたはずです!!

 もうお家取り潰しをしてでも償えるとは……」

 そんな私をイナミ様は優しい目で見てくれていました。

 そして優しく問いかけてくれました。

「んー、ここはどこ?」

「ここ…… ここはイナミ様の町のイナミ様の修道院です」

 そう、ここはもうイナミ様の町です。

 イナミ様のおかげで驚くほど安定し、発展し、魔物におびえる日々も過去のものとなりました。

 この町が誰のものか、と聞かれれば、だれもがイナミ様の物と答えます。

「そう、あの時エッタさんは聞いてなかったかもしれないけど、この辺一帯私の領地にになって精霊領になるの」

「はい……」

 確かそのよう話でした。私もその場にいたのですが、あの時の記憶が抜け落ちています。私が失態した記憶以外は。

 ただ、イナミ様が領主になるという話は、その話で町でももちきりでした。さすがはイナミ様です。

 しかも、皆一様に喜んでいて反対する意見など聞いてたことがないくらいです。

「で、その領地では私が法でいいんだってさ」

 確かにそうです。精霊都市であれば、そこはもう治外法権ともいえる場所です。

 そこを治める精霊様の意思が法となり尊重されます。

 古来より精霊と共に存在してきている王国です。

 精霊が決めた法は、国法よりも遵守され厳格に守られるものです。

「はい、そうです。ですから、イナミ様の手で私の罪を裁いて……」

「もうっ! その私がエッタさんには罪がないって言ってるの」

 イナミ様は私を抱きしめ、耳元で言いました。

 イナミ様の体は冷たく冷ややかでしたが、実際に感じる冷たさとは別に、なにか、とても暖かい何かを感じました。

 けれど、私は罪人です。絶対に裁かれねばなりません。

「そ、そんな、それじゃあ、私はどうすれば……」

 確かにイナミ様がそう言えば、法の上では私の罪などないのかもしれないです。

 それでも、私は罪人の孫であり、私自身罪人です。裁かれ断罪され、もう楽になりたいんです。

「んー、もうっ、強情っぱりだなぁ、ほんと!

 じゃあ、罰としてオスマンティウスの監視役を命じます!

 その子、そんなんだけど、精霊王ですら、なんなのかわからなくなっちゃった完全に謎な存在だかね、注意してね」

 イナミ様は何を言っているんですか、そんなこと罪を償うことにはなりません。

 私が罪を償うには両親ともども死んで血筋を絶えさせねばなりません。二度と同じ過ちを繰り返さないように。

「あら、エッタはわたしの家来になるのね!!」

「家来じゃない、監視役だからね!!

 オスマンティウスもエッタさんを困らせないでよ」

「何を言ってるんですか?

 私は終わるために……」

「エッタさんは終わらせないし、何の罪もない。

 私がそう言っているの? いい?」

 その言葉は強い意志が込められていました。

 私には逆らえないほどの強固な強い意志を感じて、

「は、はい……」

 と、言ってしまいました。

 私に罪がない? そんな訳ない、私は罪人で裁かれなくちゃいけないんです。

「んーと、とりあえずその布をシースさんに渡しにいって、それから……」

「わたしのお引越しよ!!」

「そう、お引越しを手伝ってあげて」

 勝手に話が続いていきますが、だんだんと耳に入らなくなっていきます。

「はい、わ、わかり…… ました……」

 そう答えはしましたが、私だけ、私だけが奈落へと落ちていくような感覚にとらわれます。

 わけがわからない。

 お爺様は売国奴で罪人だ。お爺様は罪を償わずに逝ってしまわれました。

 ならその罪は、子孫である私が償わなくてはならないのに。

 私に罪がない? そんなわけはない。

 そんな、なんで? 私、私は、わた、私はわたし、わ、わた、わたしわたしわたしは……

「ほら、エッタ、その布とやらを、あの…… あの調べたがり女に持っていくんでしょう?

 ぼやぼやしてたら、イナミに怒られるわよ!

 いや、イナミは怒らないわね、怒るのはいつもイシュヤーデよ、やになっちゃうわ」

 頭の中がぐちゃぐちゃになってきたとき、オスマンティウス様の背負っている金貨が私の肌に何度か触れました。

 触れるたびに暖かい気が私の体をめぐり癒してくれる気がします。

 ぐちゃぐちゃだった頭の中を優しく洗い流してくれる、そんな気さえします。

 頭の中がすっきりとしていって、どうにか落ち着きを取り戻せ自我を保てた気がします。

 金貨のおかげで私はまた間違いを犯さないで済んだようです。これ以上イナミ様を落胆させるわけにはなりません。

 言われたことをこなしたのち、裁いて頂けないのであれば……

「では、イナミ様、この布を届けてまいります。あとオスマンティウス様のお引越しですね。承知いたしました。

 では、失礼いたします」

 イナミ様に頭を下げ、私はふらふらと廊下を歩きだします。 

「シ、シースのところですよね、自室にいるでしょうか……?」




「はぁ、びっくりした。今、エルドリアさんと会わせるのは、あんまりよさそうじゃないよね?

 でも、思ったより早く来てくれたね、エッタさん。嫌がって来てくれないかと思ったよ。

 とりあえず無事でよかったけど、凄い思い詰めてたね。

 イシュ願い。エッタさんが変なことしないように見ててもらえる?

 オスマンティウスも一緒だし、大丈夫だとは思うけど、自殺とか自傷行為とかしそうなら絶対に止めてね」

「はい、わかりました」

 イシュは張り付いた笑顔のまま、すぐに開きっぱなしの扉から部屋を出ていった。

 普段エッタさんが扉を閉め忘れるなんてことありはしない。まるで正気じゃないみたい。

 イシュが早急に出ていくところを見ると、私の心配は外れていなかったのかもしれない。そこまで思い詰めているのか。早めに呼んで正解だったかもしれない。

 とりあえずエッタさんのことはイシュに任せておけば平気だよね。間違いは起させないはず。

 扉を閉め、先に尋ねてきていたお客さんに声をかけた。

「エルドリアさん、そっちはどんな感じです?」

「そうですね、お父様の日誌を読んだ限りでは、ダニー叔父様も魔女に嵌められた感じです」

「アンティルローデさんの日誌や麻薬の資料からも、人間じゃその麻薬の依存性に逆らうのは難しいみたいなことは書かれていますね。

 だから盟約の魔術で対抗してたのかぁ……」

「はい、麻薬の力を盟約の力で抑え込んでいたようです。

 結果、ダニー叔父様は精神を酷く病んでしまい、盟約の力と麻薬の効果が相成いって、本家を病的に依存するようになってしまったようですね。

 これは恐らくですが、麻薬の代わりに依存するようになったので、異常なほどの執着を見せたのでしょう。事実、実際にそうでした。

 そして、それは息子夫婦に伝染し、孫であるエッタ、いえ、イリーナにも」

「ん? 魔術的な伝染があったの?

 エッタさんにはそんな魔術的なものはなかったけど」

「いえ、精神的汚染とでもいうのでしょうか。

 イリーナの父であるデューンとその妻メイアも、物静かな、どちらかと言えば気の弱い人でしたので、多大な影響を受けたのでしょう。

 念のため二人も検査をしていますが、二人からは麻薬の痕跡は見つからなかったようです」

「狂っていく自分の父を見て自分も狂ってしまった的な感じだったのかな?」

「そう…… ですね。

 ダニー叔父様の当時の様子は相当なものでした。

 ですが当時は魔王との戦争の真っ最中ということもあり、エルドリアの名を頂いた私はアレクシス様と共に戦場に赴いていましたため何もできませんでした。

 とはいえ、当時私も一六、七の小娘です。何ができたという事もないのですが。

 いえ、これはいいわけですね」

 エルドリアさんも悲痛そうに頷いた。

 さすが魔女。悪いことしてるんだなぁ。

 エルドリアさんの父とアンティルローデさんの日誌、両方を照らし合わせて読んだ結果、事の顛末はこうなった。

 アンティルローデさんは新しい麻薬の実験をするついでに、王都に篭っている貴族数名に密かに配下の妖魔を使い麻薬を摂取させ、その麻薬の虜にした。

 そして金品や情報なんかを得つつ、麻薬を広め、貴族社会自体を腐敗させていく計画だったみたい。

 アンティルローデさんの日誌では、実験のほうが主な目的で金品や貴族の腐敗なんかはついでだったらしいけど。

 けれど、その計画は割と早期に発見され計画は頓挫している。

 その計画が見つかったのは中毒症状が酷く、想定より早く異常な行動を取り始める人間が多くいたせいだった。

 効果が強すぎて麻薬が広まる前にことが発覚したらしい。

 王都ではその多くは内々に処理された。なんせ被害者の多くは権力を持つ貴族ばかりだ。

 しかし、その麻薬の力はとても強く魔術で治療するには、それ相応の力を持った教会系の術者が必要だった。

 神殿側と教会側の関係性は当時は今以上に良くなく、神殿側の被害者は厳しい対応をするしかなかったようだ。

 その手段の一つが盟約の儀式。

 盟約した内容を無理やり強制する、もはや邪法にも近い魔術だ。

 本来の盟約の儀式はそんなことないんだけどね、人界に広まった盟約の儀式は、その効果から割とひどい使われ方をしていたみたい。

 エッタさんの祖父、ダニーさんの場合は術の詳細な内容まではかかれていなかったけど、麻薬の中毒を本家への忠誠へと置き換える形を取っていたみたい。

 けど、麻薬と盟約の影響で結局ダニーさんは狂ってしまう、当時結婚したばかりで二十歳にもなっていないデューン夫妻も狂ってしまったダニーさんの影響で精神を病み、同じく本家に病的なまでの執着を見せるようになったらしい。

 その後生まれたエッタさん、本名はイリーナさんだっけ? も、そんな両親に育てられ、教え込まれて育っている。

 ラウスハイゼル家の人達も、親戚がおかしくなっていることには気が付いていたけど、当主の命でエッダさんの家のことについては深く触れられなかった。

 エルドリアさんのお父さんが亡くなったのは、今から八年前で、それまで長い間触れられなかったため、今でもそのまま放置されていた、ということらしい。

 これは一種の洗脳、しかも狂人による強力な洗脳だよね、とても根が深そうだ。




 シースは自室にいました。

 ちょっと見ない間に、本やらノートやらが更に増えシースの自室は足の踏み場がないほど本が積み重ねておかれていました。

 まだ自室を与えられて、それほど時間がたっているわけではないのですが、もう長年住み続けているかのように物が多いです。

「あら、エッタさん。お体のほうはもういいんですか?

 病欠って聞いていましたけど……

 って、まだあんまり良さそうには見えませんね。目のクマすごいですよ」

 シースを訪ねると、そう挨拶をされました。

「病欠?」

 私は破門された訳じゃない…… のですか?

 イナミ様は本当に私に罪がないとお考えになっているんですか?

「ええ、ここ、修道院にいたんじゃ働き者のエッタさんのことだから、休まらないだろうからって、街の診療所のほうでって聞いてますよ。

 エルドリア様が来る少し前から、調子悪そうでしたもんね」

「そう聞いているの?」

 わけがわかりません。罪人をかばったところでなにもいいことはないのに。

「ええ、隊長もイナミ様もそう言っていますよ」

「そ、そうなんだ……」

 イナミ様もミリル隊長も本当にそう考えているんですか?

 エルドリア様も? アンリエッタ様も?

 いいえ、そんなことは……

「あ、それ、綿毛虫の布ですね、チェックしますね。

 この布すごいんですよ、布に術式を仕込んであるんですけど、魔力に応じて伸縮するんですよ!

 それに多少のほつれなら自己修復できるし、穴が開いても当て布があれば自動で取り込んでふさいでくれるしで……

 ただそれだけに加工が難しいんですよね、普通のハサミじゃ刃が通らないらしんですよね。

 うーん、術式のほうも問題なさそうだし、表面も均一ですね、さすが職人ギルドの方々ですね。

 って、エッタさん大丈夫ですか?

 ぼぉーとして。まだ本調子じゃないんじゃないんですか?」

「え、ええ……」

 また少し頭の中がぐちゃぐちゃしてて、意識かはっきりしなくなっていました。

 ええっと、何をしないといけないんでしたっけ……

「そういえばこの布で、試しにオスマンティウスちゃんの服でも作ってやってくれって言われてましたね……

 私お裁縫は苦手なんですが、エッタさんはどうです?」

「わたしの服!?

 そうよね、わたし、なぜか未だにすっぽんぽんだもんね、実体を得たのだから服くらい着ないとダメよね!

 エッタ、わたしの家来なんだから、わたしの服作りなさい!」

 私もアンリエッタ様にお仕えするため、多少なりとも裁縫を習いました。

 取れたボタンくらいなら難なくつけることはできます。

 ただサイズが小さいとはいえ服を作るとなると、取れたボタンをつけるのとはわけが違います。

 町へ戻って職人ギルドに依頼を……

 いえ、ミャラルは確か、元々は仕立て屋の娘だったはずですので、彼女に頼めばもしかしたら?

「あら、オスマンティウスちゃん、そんなところにいたんですか?

 にしても、エッタさん、オスマンティウスちゃんの家来になったんですか?

 そんなにオスマンティウスちゃんに懐かれてうらやましいですね。

 私が触ろうとすると、すぐ怒って逃げてしまうんですよ」

「あたりまえじゃない!

 この調べたがり女! あなた、いつもわたしのこと隅々まで舐め回すように見るじゃない!! 失礼よ!

 それだけならまだしも、手足をもぐ勢いで触ってくるじゃない!!」

「もぐだなんて、そんな……

 ちょっとどうなってるか調べたいだけですよ、うふふ」

 ええ、そうです。少なくとも私が作るよりはミャラルに頼んだ方がいいですね。

 町まで戻ると、もう一度ここへ戻って来る勇気がなくなるかもしれません。

 ミャラルに頼んでみましょう。

「私には流石に作れないので、ミャラルにでも相談してみます」

「ああ、そうですね! ミャラルさんがいたんでした!」

 やることが増えて行きます。

 この子の服を作って、この子の引っ越しをして……

 私は早く楽になりたいです。


 ミャラルも割り当てられた自室に待機していました。

 今は机に向かって、なにか唸っているようですが。

「ミャ、ミャラル、お久しぶりです」

「エッタさん、具合のほうは……

 まだ駄目そうですね、凄いやつれた顔をしてますよ、大丈夫ですか?」

 ミャラルは心配そうに私の顔を見た後、胸元にぶら下がっているオスマンティウス様を見つけ、何とも言えない顔を見せました。

 彼女がこの顔を見せるときは、彼女の判断がつかないときです。

 オスマンティウス様は、本当に何者なんでしょうか? シースはちゃん付けで呼んでいましたし。

「公務中申し訳ないですが、オスマンティウス様の服をこの布で作ってはいただけないですか?」

「公務と言っても今は暇なものですよ。これもイナミ様のおかげですね。

 今も貴族様方のご令嬢に教えるらしい護身術を、どの辺まですればいいのか考えながら転寝したくらいですよ」

「そうですか」

「……エッタさん?

 怒らないんですか?」

 不思議そうにミャラルが私を覗き込んできました。

「私はミャラルを怒れるような人間じゃないです」

 私はそうつぶやきました。

「エッタさん? やっぱりまだ休んでいた方がいいんじゃないんですか?

 私のベッドでよければ自由に使ってください」

 私のつぶやきはミャラルにも聞こえていたようです。

 そうですね、私は休みたいんです、もう。

「ええ、言われたことをやったら休むつもりです」

「えっと…… オスマンティウス…… 様? さん? の、服をその布で作ればいいんですか?」

「はい」

「どんな服を?」

 とミャラルは私の目を見て話してきます。

 ですが、私に聞かれてもわかりません。

「動きやすいのがいいわ! ごてごてしたのは嫌よ!」

 と、私の代わり、いえ、私の代わりと言うのは変ですね。

 元々オスマンティウス様のことですし。

「はいはい、わかりました。えーと、じゃあ、オスマンティウスさん? さんでいいですよね?

 寸法を測るんで、こっちに来てもらっていいですか? あとその金貨は寸法を測るのに邪魔になるんで……」

 ミャラルはその先の言葉をつづけれなかった。

 失言だったと本人も気づいたようです。

 この金貨は、太陽の金貨。精霊王がもたらす福音にて聖なる印です。

 邪魔だなんて言っていいはずがありません。ですが、私もそのことに気づけずにいました。

 うまく思考がまとまらないのです。

「エッタ! この金貨を少しだけ預けさせてあげるわ」

 オスマンティウス様はミャラルの机に降り立ち、背負っていた金貨を私に渡してきました。

 私は紐で編まれた金貨を大事に受け取りました。

「あれ? その金貨は…… まあ、いいか。

 エッタさんは、そこのベッドで横になっていてください、相当具合悪そうですよ。なんかふらふらしてるし。

 オスマンティウスさんはこちらですよ」

 ミャラルは嬉しそうに寸法を測り始めました。

 なんだかんだで仕立て屋の仕事がまだ好きなんですね。

 私は彼女がいまだに仕立て屋の道具を大切に持っていることを知っています。

 確かにミャラルに言われた通り気分がすぐれません。意識が朦朧としている気がします。

 申し訳ないですが、ちょっと横に……


 暖かい…… 手に持った金貨から暖かい気が流れてきて私を包んでくれます。

 ここ最近こんなに穏やかに休めた記憶はありません。

 寝れば大体悪夢にうなされます。ですが、今はそれがありません。この金貨が悪夢から守ってくれるかのようです。

 教会の教えじゃないですが、もし天国というものがあれば、このように暖かい場所なのかもしれません。

 私も罪を償い終わればこのような場所で安らかに眠れるのでしょうか?

 そうありたいものです……


 ふと目を覚ますと、オスマンティウス様が私の胸の上から私を覗き込んでいました。

「あっ、すいません、つい暖かくて……」

 私がそう答えると、オスマンティウス様ではなく、机でなにかを掃除しているミャラルが答えました。

「暖かい? もうしばらくすれば冬がきますよ? エッタさん。ここいらの冬は厳しいらしいですね」

「えっ? あっ、私どれくらい寝てしまっていたんですか?」

 急に思考が鮮明になり目が覚めます。

 凄いすっきりした気分です。

「六刻くらいですかね?

 それより見てくださいよ、オスマンティスさんの服。

 簡素ですがとても似合ってますよ!」

「どうよ、エッタ! 私の初めての服よ、似合ってる? 似合ってる?」

 そう言ってオスマンティス様は私の胸の上でくるりと一回転して見せました。

 さすがに痛いです。

 オスマンティス様の服は、ゆったりとした袖なしのガウンのようなもので本当に簡素な作りでした。

 ただ良く似合っていると思えました。

「良く似合ってると思います。

 あっ、これをお返しいたします」

 いつの間にかに両手で強く握っていた金貨を差し出しました。

「ありがと!」

 そう言ってオスマンティウス様は金貨を受け取り背負いました。

 そしてそのまま、私の胸元から服に潜り込んで、顔と手だけを出しました。

 どうもその場所をお気に召していただいたようで。

「エッタさん、ずいぶんと気に入られたようですね」

 ミャラルが朗らかに笑いそう語りかけてきました。

「え? ええ、イナミ様にもお世話をするようにと言われました」

「オスマンティウスさんの? た、大変ですね……」

 大変……、なのでしょうか。

 確かに少し我儘で理不尽なところは見受けますが、それが大変というわけではありません。

 もっと我儘で理不尽な精霊は多く存在しますし。

「さあ、次は引越しよ!」

 オスマンティウス様が元気いっぱいに片手を突き出しました。

 とはいえ、なにをどうすれば、この方の引っ越しが完了するのでしょうか。

 とりあえずは引越し先を決めてもらわなければ話は進みません。

「引っ越し…… どこがいいですか?」

「私も手伝いましょうか?」

 ミャラルは心配そうに声をかけてくれましたが、休ませていただいたおかげか体が軽いです。

 これが最後の仕事になるのですし、せめて私の手で終わらせたいです。

「いえ、私だけで大丈夫です、休ませてもらいましたし……

 これ以上邪魔しても悪いので……」

「いえ、本当に今は大した仕事はなく…… て……

 あっ、うん、えーと、無理はしないでくださいね。

 余った布は…… シースさんに届けておきますので……」

 ミャラルは何かに気づいたように、急に引き下がりました。

 少し怯えているようにも思えます。たしかに罪人である自分と一緒にいるのは嫌でしょうしね。仕方がありません。

 私はお礼を言った後、ミャラルの部屋を後にしました。


「オスマンティウス様、引っ越す場所はどこがいいですか? 何かご希望かありますか?」

「うーん、静かな場所がいいわ、もう人に見られるのはこりごりよ。

 でも一人だと寂しいしつまらないわ!

 人に変な目で見られないような静かな場所がいいわね!

 あと楽しい場所がいいわね!

 でも一人は寂しいから、賑やかな場所もいいわね!」

 えっと…… 静かな場所で、楽しくて、一人は寂しくて、賑やかな場所…… ですか。

 これは無理難題です。

 色々と思考を巡らせまが答えは出ません。とりあえず近場から巡ってみる感じでどうでしょうか。確か近くに中庭があったはずです。

 あそこは花も咲いてるし、噴水もあったはずです。

「中庭…… 中庭なんかどうでしょうか?

 噴水もあるし、お花も咲いて綺麗な場所ですよ」

「あー、確かにあの噴水はいいわね! お水がぴゅーっと噴き出して、綺麗な虹を見せてくれるわ!

 見ていて飽きないわね!

 でも、もうお花は咲いてないわよ!」

 そういえば、もうしばらくすれば冬が来るんでしたね。

 私はふらふらと中庭まで歩いていきました。

 道中廊下で何度も例の台座を目にします。どれも廊下の真ん中に設置されていて歩くのに邪魔です。

 中庭につくと、確かにもう花は咲いていませんでした。

 ただ緑にあふれたこの場所はすがすがしくはあります。

 時折、綿毛虫がブーンと羽音を立ててやってきますが。

 どういう仕組みで動いているのか、私にはわかりませんが、時折噴水が水を吹き出し綺麗な虹を見せてくれます。

「ここはどうですか?」

「うーん、綿毛虫? っていうのがね、わたしの塩を舐めに来るのよね。

 ここにはまだたくさんいるし、困ったわ」

「塩ですか?」

「塩よ」

 と、当然とばかりにオスマンティウス様は言いました。

 塩ですか。ああ、あの正面限界の台座に置いてあった白い粉の山、あれのことでしょうか。

 今思い出せば、あれはたしか塩のようでした。

「あっ、エッタさん!! 復帰なされたんですか?」

 生垣の向こうから、パティが顔を出していた。

 手には虫取り網らしきものが見える。

 すぐにヴィラもやってきた、こちらは虫篭らしきものを持っていました。

 虫篭の中には、綿毛虫の成虫と幼虫が入り乱れて押し込められています。

 さすがに気色悪いですが、パティとヴィラは虫相手でもあまり物怖じしないようです。

「綿毛虫の捕獲ですか?」

「はい、居なくなる前にしっかりと集めておかないと。

 まだまだ数が足りないって言われてて。この虫、町のほうにはいないんですよね」

 確かに綿毛虫は町のほうだと、そんなに目にしません。

 というか、基本的にこの辺では、この台地の上のあたりにしか生息してないように思えます。

 ある程度標高でも必要なんでしょうか?

 吸血する虫であるのだから、その対象が多いほうが良さそうなものなのですが。

「その虫、そんなに集めてどうするのよ?」

「えっ、あっ、オスマンティウス…… 様? 様でいいんですよね?

 ええっと、集めて飼育するんですよ、繭から糸が取れるんです!

 成虫からも綿毛が取れるので重宝するんですよ!」

「綿毛虫の綿毛でお布団作ると凄いんですよ! 軽くて暖かくて!」

「えー、虫の毛で作った布団なんて嫌よ!」

 オスマンティウス様がお召しになっている服も、幼虫が吐いた糸なのですが……

 ここは黙っておきます。

「エッタさんは何をなされているんですか?」

「オスマンティウス様のお引越しのお手伝いを……」

「えぇ…… 先日、色々わがままを言われて、やっと正面玄関に落ち着かれたんじゃないんですか……

 私とヴィラがどれだけ振り回されたと思ってるんですか?」

「そうですよ! あの設置して回った台座どうするんですか?

 苦情が結構来てるんですけど?

 私達じゃゴーレム達に命令だせないんですよ?」

 やっぱり苦情は来ているのですね。

 廊下の真ん中に設置されていますからね。

「だって、あの場所に私がいると人が来るたびに奇妙な目で見られるのよ?

 わかるぅ?

 来る人来る人に、なんだこれ、って目で見られる、わたしの気持ちが!

 稀にわたしのことをイナミって勘違いする人がいるみたいだけど、そういう相手には塩を振りかけてやってるわ!」

 オスマンティウス様はそう言って勝ち誇ったように拳を振り上げました。

 その勢いで私の服の襟口から、落ちそうになりました。

 慌ててオスマンティウス様を手で支えますが、オスマンティウス様は別に落ちてもいいと言った感じに、両手の拳を振り上げています。

 もう、私が支えなければすでに落ちてしまいます。

「ああ、それ、苦情が来てたのでやめてください、お相手、貴族のご令嬢様で大変だったんですよ!」

「何が貴族よ! わたしはね、わたしは…… 何なのかしらね?

 早く決めてくれないと、対応に困るわ!」

 ご自身でも何者かわかっていらっしゃらないようで。

 たしか…… イナミ様もでしたっけ? 何者かもわからないって?

 あれ? 別の誰かでしたっけ、なぜか記憶が妙に曖昧です。

「それは私たちもですよ!

 精霊様じゃないかもしれないし、第一位の精霊様かもしれないって話じゃないですか。

 こちらとしても対応に困るんです!」

 第一位?

 いえ、それはさすがにありません。

 第一位と言えば、原初の精霊様です。

 精霊の中でも特別な存在です。何より魔力の強さが段違いに強いと聞いています。

 オスマンティウス様は、その、魔力自体は、私よりも弱いくらいなので……

 原初の精霊様という線はないはずです。

「とりあえず王子様には精霊じゃないって言われたわ!」

「やっぱり精霊じゃないんですね?

 あと、アレクシス様は王子様じゃなくて勇者様ですよ! 何度も言ってるのに、もう!」

 この場合、オスマンティウス様のほうが正しいのですが、私の口からは何とも言えません。

 この子達はまだ見習なので知らないのでしょうけど。

 でももう、この子達も次の春には見習いではなくなるでしょうし、いずれ知ることになるのかもしれません。

「王子様は王子様よ! 本当にわからずや達ね!

 あっ、そう言えば、この間のウリボウはどうなったの?」

 話が飛びました。

 ウリボウ? 何のことでしょうか。

 ウリボウとはイノシシの赤ちゃんですよね。

 イノシシといえば、この辺りではグレルボアですが、さすがに違いますよね?

 あれは一応魔獣なのですよ?

「あー、ちゃんと捕まえて、裏の飼育小屋に戻しておきましたよ!

 オスマンティウス様が無暗に逃がすから捕まえるの大変だったんですからね!」

 ヴィラは相当お冠なのか、プンプンと怒っています。

 余り怒るような子ではないのですが……

 多分色々あったんでですね。わざわざ聴きはしませんが。

「うむ、ご苦労!」

「ご苦労じゃないですよ!!」

「ウリボウですか?」

 でも、なんでウリボウをわざわざ修道院で?

 ウリボウとはいえ、あの階段を連れてくるのは大変だったのでは?

 それもゴーレム達にやらせたんでしょうか。

「はい、イナミ様がグレルボアの餌を、どんぐりだけで育ててみたいって……

 で、飼育所から生まれたばかりのウリボウを数頭譲り受けて、ここで育ててるんですよ」

 まさかとは思っていたけどグレルボアのことでした。

 グレルボアは魔神の呪いで狂暴化していて、生まれた直後から狂暴なのですが。

 まあ、イナミ様ならその呪いも解けるようなので問題はないのですが。

 でも本当になぜ修道院で? ここは台地の上にあるのですよ?

 わざわざこんな高い場所で育てなくてもよいとは思うのですが。

「イナミもなんでそんなことするのかしらね、たまに謎よね」

 確かにイナミ様は、唐突に突拍子もないことをします。

 ただそれはお考えがあってのことで、オスマンティウス様のように思い付きで行動しているわけではないのです、多分。

「もしかしたら、凄く美味しくなるかもって言ってましたよ」

 パティがそう言いました。

 ドングリだけを餌にしたグレルボア?

 どうなんですか、それで美味しいくなるのでしょうか?

 偏食は良くないと思うのですが、私ごときがイナミ様の考えに口をはさむわけには行きません。

「エッタ、裏の飼育小屋を見に行きましょう!

 小さくてかわいいわよ!」

「え? はい、でも、引っ越しはいいんですか?」

「とりあえずここは綿毛虫がいるから嫌よ!

 飼育小屋へ行きましょう!! さあ、急いで!!」

 そう言って、オスマンティウス様は私の襟口をグイグイと引っ張ります。

 余り引っ張らないでください。肌が見えてしまいます……

 パティとヴィラに軽く別れの挨拶をした後、私は中庭を後にしました。

「もう逃がさないでくださいよ!!」

 そう後ろからパティかヴィラかわかりませんが声を掛けました。

 あの二人、声がとっても似てるので、声だけで判断するのが難しいのですよね。

 姉妹ではないと思うのですが。

 そういえば、あの二人は孤児院から来た子達でしたっけ。

 貴族なんかに生まれなくとも立派に育つものです。


 私は急かされて裏にあるという飼育小屋とやらへ行きました。

 でも、私の記憶が正しければ、裏手はまだ開発が進んでいなくて、中庭なんかよりもずっと綿毛虫が多かったはずです。

 実際、行ってみるとやはり多かったです。

 綿毛虫を捕まえるなら、ここのほうが適切かと思いましたが、パティとヴィラが捕まえてたのは主に幼虫のほうです。

 ここいらで呑気に幼虫を探して居ようものなら、綿毛虫に刺されまくって、それはもう大変な目に会うかもしれないので中庭が正解かもしれません。

 この虫に噛まれると大変痒くなるので、私も嫌なのですが、イナミ様よりオスマンティウス様を任された身です。

 そんなことは言ってられません。

「げっ、ここ綿毛虫多いわね。

 人間は刺さっると大変って聞いたわ、仕方がないので私の力を見せてあげるわ、エッタは大切な私の家来だからね」

 オスマンティウス様はそういうと、その小さな手を前に突き出しました。

 すると、何もない空中から白くきらめく小さな結晶のようなものが複数、それも結構な数キラキラと湧いて出てききました。

 なんとも摩訶不思議な現象です。

 魔術が動作する気配はありませんでした。魔術でないなら、これはなんでしょうか、奇跡とでもいうのでしょうか。

 次の瞬間、オスマンティウス様はその結晶を私に振りかけました。

 驚いて口を開けてしまっていた私の口に数個の結晶が入り込みました。

 しょっぱい。とてもしょっぱいです。

 これは塩でしょうか?

「魔除けの塩よ。しばらくはあの虫も寄ってこないわ!

 さあ、ウリボウを見に行きましょう!

 元気に育っているかしら! 楽しみね、エッタ」

 楽しそうにオスマンティウス様は私に笑いかけます。

 お人形のようでかわいいのですが、思っていたより重く、襟口がかなり下がってしまっていて胸が露わにならないか、少々不安です。

 それにしても魔除けの塩ですか? そんなもの本当に存在するのでしょうか。

 たしかに綿毛虫は魔獣の一種です。

 もう世代交代が進み、ただの虫のようなものですが、まだ魔獣の域です。

 もしそのようなものが存在するなら、確かに効果はあるかもしれないですが……

 私は実際その効果を目にするまで半信半疑でした。

 ブーン、ブーンと耳障りな羽音が聞こえます。

 白と黒のミツバチにも見えるその虫は、私の近くによっては来るものの、すぐに離れていきます。

 本当に効果があるんでしょうか。

 だとしたら、オスマンティウス様はとてつもない存在なのではないでしょうか?

 裏手からかなり歩いて小屋の近くまで行くと急に綿毛虫が寄ってこなくなりました。

「ここまでくれば大丈夫よ!

 イナミの立てた綿毛虫除け機があるから!」

「そんなものまであるのですか?」

 驚きはしますが、あの方がすることです。

 なんでもありな気がします。

「ええ。ウリボウのために急遽作ったって言ってたわ。

 ウリボウのために作るなら、わたしのためにも作って欲しいものだわ。

 まだ実験段階だから量産はしないって言ってたけど、こうやって効果あるんだから作ればいいのに!!」

 これがそうなのかわからないですが、杖のようなものが地面に突き立てられて、少し甲高い音を鳴らしています。

 実験段階ということか、それは一本だけでした。他にはそれらしいものは見当たらないので、やっぱりこれが綿毛虫除け機なのでしょうか?

 それとオスマンティウス様は作ってくれないと言っていますが、イナミ様なら頼めば作ってくれそうな気がします。

 あの方は慈愛に満ち溢れた素晴らしい方なので。

 飼育小屋は本当に簡易な小屋でした。ですが、恐らくゴーレムが作ったため急増ではあるのですが、しっかりとした小屋にはなっていました。

 中に入ると、確かにまだ小さいウリボウが柵の中に四匹いました。寝床にはわらが敷かれ、餌箱にはドングリが入れられています。

 でもなんでドングリなんです?

「やっぱりこの子達はかわいいわね!

 見ていて飽きないわ!」

 オスマンティウス様は楽しそうにウリボウを眺めています。

 確かにこのウリボウはかわいいです。狂暴なそぶりも見せないため、逃がしてあげたくなる気持ちもわかります。

 が、魔獣は魔獣です。小さいウリボウながら、口から突きでた牙が見えます。

「では、ここにお引越しを?」

「見ていて楽しいけど、ここは臭いから嫌よ。

 この匂いが染みついたら大変じゃない!」

 確かにまだウリボウとはいえ、獣臭は強いです。

 なんだかずっと引っ越し先が決まらない気もします。

 そう思うと自然とため息がでました。

「あら、エッタ。あなた疲れてるの?」

「いえ、大丈夫です。先ほど休ませてもらったばかりですし」

「あなたのお部屋もあるの?」

「私の部屋ですか?

 まだあるでしょうか…… たぶん、もう追い出されていると思いますけど」

「えー、イナミはそんなことしないわよ、エッタの部屋へ行きましょう」

「は、はい……」

 確かにイナミ様はそのようなことされない気はします。

 ですが、私は罪人です。罪人の部屋をそのままにしておくでしょうか?




 ふう、ようやく行ってくれた。

 イナミ様の配下とは言え、やっぱり妖魔は苦手だ。

 しかも相手は大妖魔だ。あんなに強い妖魔は見たことがない。

 私達、第七聖歌隊が束になってかかっても簡単に返り討ちにされる相手だもの。

 味方とわかってはいても、どうしても緊張しちゃうし避けてしまう。

 振りまく邪気の量も半端じゃないし。

 どれだけ時間がたとうとも、慣れるような物じゃないよ。

 妖魔には嫌な記憶しかないし、大戦じゃ聖歌隊の仲間もたくさん妖魔に殺された。それに妖魔は魔王軍の象徴のような魔物だもの。

 私は自分の復讐のために聖歌隊に入ったので、そんなに信心深くはないんだけど、そもそも妖魔は聖歌隊の仇敵なんだしね、気を許せるわけがないよ。

 いずれ精霊に戻るって話だけど、近くに居られると気が気じゃないよ、ほんとに。

 しかし、なんでそんな妖魔がエッタさんについて回ってるんだろう?

 と言っても、あの妖魔は基本イナミ様のいう事しか聞かないから、イナミ様の命令なんだろうけど。

 もしかして、エッタさんがまだ本調子じゃないから心配して見張らせてるとか?

 いやいやいや、あんな大妖魔をそんなことに使わないで欲しい。

 都市くらいなら、簡単に滅ぼしてしまえるような相手なんですよ?

 それをイナミ様はわかってらっしゃるんですか?

 エッタさんの付き添いなら、私やクロエに頼んでくれればいいのに。

 と、今はそんなことはいいか。

 この借りたアイアンウッド製のナイフを返しに行かないと。これもまだ試作品で貴重な物らしいし。

 しかし、あの綿毛虫の布、需要あるんですかね。ハサミじゃ切れないし、針も通さないとか。

 加工のしようがない気がするんですよね。

 このアイアンウッド製の試作品のナイフがなければ、切ることもできないなんて。

 このナイフでもどうにか切り取るのがやっとで細かいデザインなんて無理ですよ、無理。

 そんなわけで袖なしの羽織るだけのものを作るのが精いっぱいでしたよ。

 まあ、解れる心配もないのはいいですけども。

 あー、でも、この布がイナミ様作の術式を織り込んだ特別製なんだっけ?

 余った布も返さないといけないし、あとでシースさんに報告ついでに確認しておかないと。とりあえず加工には向かないって。

 報告、報告かぁ…… やっぱりあのこと報告しとかないとダメだよねぇ。

 ナイフを借りに行ったときは報告しなかったけど、やっぱり報告しとかないとなぁ……

 はぁ、気が重いなぁ、もう!

 イナミ様だけならまだしも、今一緒にエルドリア様までいるし。

 でも大事だよなぁ、大事なんだよなぁ、私みたいな下っ端じゃよくわからないんだけど、凄い事なんだよなぁ、うん、やっぱり報告しないといけないよね。

 でも久しぶりの仕立ては楽しかったな。

 家でお手伝いをしていた時を思い出しちゃうなぁ。

 戦争も終わったし、一段落したら……

 でも今更って気もするけど、仕立て屋かぁ……




 私の自室は、そのままでした。

 一ヶ月くらいは空いていたはずですが、掃除もちゃんとなされているようです。

 掃除をしてくれたのは、パティとヴィラでしょうか。

 飾り気のないただの部屋です。私の私物もそのままです。

 元々あまり私物もないので、追い出すのは楽だったでしょうに。なんでそのままなのでしょうか。

「うーん、質素なお部屋ね、ダメよ、エッタ。女の子なんだからもっと可愛いものに囲まれてないと」

「そう、なんですか?」

「ええ、イナミが言ってたわ」

 確かにイナミ様のお部屋には日を追うごとに、ぬいぐるみやら小物なんやらが、増えて行っている気がします。

 ずっと部屋に篭っているはずなのですが、増えているんですよね。謎です。

 もしかしたら、お忍びで街へ?

 でもイナミ様は、あまり外へ出たがらないので、そのようなこともないと思うのですが。

「寂しい部屋ね」

「はい」

「でも静かだし、エッタがいるわ」

「え?」

「わたし、ここのへ引っ越すわ!」

 それはちょっと困ります、と咄嗟に思ってしまいましたが、その明確な困る理由は浮かびませんでした。

 どちらにせよ、私はもうすぐ居なくなる身です。

 なら、ちょうどいいのかもしれません。

 この部屋をオスマンティウス様が使ってくれるなら、本望と言うものです。

「ここのはあの台座のようなものがないですけど、どうしますか?」

「大丈夫よ! そもそもここいらに設置されてる台座は、わたしが設置させたものなんだから!

 そこら辺の暇そうなゴーレムを捕まえて頼めばすぐやってくれるわ!

 台座自体は、もうたくさん作ってもらったんだから!」

「そ、そうなんですか」

 ふと思い出すといろんな場所に台座は確かにあった気がします。

 廊下の真ん中にも設置されてて、ちょっと邪魔と思っていたんですが、口に出さなくてよかったです。

「場所は決まったわ!

 暇そうなゴーレムを探しに行くわよ!!」

 あのゴーレムは日夜忙しそうに働いています。

 暇そうなところなど見たことないのですが……

 ゴーレムが居そうなところ、ですか。

 まあ、工事をしているので作業音のする方へ向かえば居るとは思いますが、その作業を中断させていいものかどうか……

 

 結局作業をしているゴーレムを捕まえることにしました。

 数十人はゆうに入れる「教室」という部屋を作ってるゴーレムを確保しました。

 何をする部屋なんでしょうか。私にはわかりません。

「ちょっとそこのゴーレム、いつものように台座を設置してくれないかしら!」

 オスマンティウス様の言葉に、ゴーレムは反応し寄ってきます。

 ということは、オスマンティウス様にはゴーレムのマスター権があるという事です。

 あのゴーレム達はイナミ様が認めたマスター権を持っている人の命令しか聞きません。

 限られた人にしか渡していないマスター権をイナミ様より頂いている、このオスマンティウス様はいったい何者なんでしょうか?

 聖歌隊の皆の反応を見ても、様々でよくわかりません。

 ただただ者ではない、何か凄い存在なのは私でもわかります。

 魔力はそれほど強くないですが、なにか別の、そう、魔力とは別の、イナミ様と同じような特別な、なにかを感じます。

 オスマンティウス様に命令されたゴーレムは、どこかへと向かい、例の台座を抱えて返ってきました。

 ゴーレムが抱えている台座を見て気が付きましたが、床板と台座が一体型になっているようです。

 確かにこの修道院の床板は同じサイズに統一されていて、取り換えや模様替えなどが非常に楽になっているとは聞いていましたが、こういう事だったのですね。

 そのまま私の部屋へと向かい、私の部屋の床板を剥がし、台座付きの床板に置き換えられました。

 剥がした床板を持ってゴーレムはさっさと帰っていきました。

 部屋の真ん中に台座があるので、少々邪魔ですが私は居なくなる身です。問題ありません。

「これでいいんですか?」

「あとは玄関にあった私の塩を持ってくるのよ!」

 そういえば正面玄関にあった台座には白い粉が山盛りにされていました。

 あれもやっぱり塩だったのですね。

 オスマンティウス様は塩と何かと縁があるお方なのでしょうか?

 私は食堂からタライを借り、正面玄関の台座から塩を私の部屋の台座へと移しました。

 これで私の最後の仕事は終わりです。

 オスマンティウス様に頂いた仕事が最後でよかった。

 この方と一緒にいると少し気分が楽になるので。

 けど、それももう終わりです。

 さあ、誰も私を裁いてくれないのであれば、私自身で罪を裁かねばなりません。

 どこか、迷惑のかからない場所でひっそりと……

「エッタ!! エッタはいるか!!」

 ミリル隊長の勇ましい声が聞こえます。

 かなり粗ぶっているようで声が遠くから聞こえてきます。

 その声を懐かしいように感じていると、荒々しく扉が開かれました。

「エッタ、いたか。久しいな。オスマンティウス殿も一緒だな。

 一緒に謁見室まで急いで来てくれ」

「はい」

「ええー、なによ、せっかく引っ越しが終わって今から塩の山をいい感じに盛り立てようとしていたところなのに!」

「それは後にしていただいて…… って、この部屋に引っ越ししたんですか?」

「ええ、そうよ」

「そ、そうですか……

 大変だろうけど、がんばれよ、エッタ」

「はい?」

 と、つい生返事を返してしまいましたが、ミリル隊長は憐れみの目で私を見ました。

 なんの憐れみでしょうか、ああ、呼ばれたと言ことはそういう事ですね。

 隊長はお優しいから、罪人の私を憐れんでくださるのですね。

「それは今はいいんだ、今は謁見室へ二人とも急いでくれ。

 アレクシス様、イナミ様、エルドリア様がお待ちだ」

「あら、そうそうたる顔ぶれね、何か起きたのかしら?」

「ええ、まあ。渦中の人物はエッタ、お前だけどな」

「私……、ですか?」

 罪はないと言いつつ、やはり私は裁かれなければならないという事でしょう。

 わかっていますし、無論、構いません。

 自分で自分の罪を贖罪するのも、勇気がいりますので、それはそれで気は楽です。


 謁見室、イナミ様は応接室と言いますが、に行ってみると、驚きました。

 アレクシス様、イナミ様、エルドリア様、エルドリア様のお付きの方々。それとアンリエッタ様。

 シースさん、クロエが席についていました。見習いのパティとヴィラを除く聖歌隊の関係者ほぼ全員がこの部屋に集まり席についていました。

 ミャラルだけはエルドリア様のすぐ隣に立っています。少し困ったような表情で私を見ています。なんでしょうか。

 それに驚いたことに私の私の父様と母様も席についています。いつの間に呼ばれこちらへきていたんでしょうか? 普段は王都に住んでいるはずです。

 ああ、そういう事ですか。理解しました。

 父様、母様も私と同罪です。

 一度に三人の罪を一気に裁いていただけるという事でしょうか。

 これで安心していけるというものです。

 軽くエルドリア様が咳ばらいをしてから口を開きました。

「エッタ、いえ、イリーナ・ラウスハイゼル。

 あなたに確かめなければならないことがあります」

 私はエルドリア様の口から、イリーナ、と言う名が出たことに驚きました。

 ただイリーナと今更言われても、まるで他人事のように感じます。

「はい」

 私の罪のことですね。

 わかります。

 ですが私の罪は原罪ともいうべき生まれついての罪、確認するまでもありません。

「あなたは太陽の金貨に触れたと、ミャラルから報告を受けています。

 それは本当ですか?」

「え?」

 予想外の質問に私の頭が付いていけません。

「はぁ、よく思い出しなさい。あなたは隊長補佐です。

 知っていますよね?

 太陽の金貨がどういうものなのか?」

「はい、太陽の金貨は精霊王様の福音であり聖なる印です。

 大変すばらしいもので、刻印された太陽の表情により意味が変わってきます。

 またアレクシス様に捧げるものであります。

 ですが、太陽の金貨は……

 え、選ばれた…… 者にしか…… 触れられない……?

 えっ、嘘……」

 今までどうかしてたのか、わからないですが、太陽の金貨のことを思い出せました。

 精霊神殿にとって重要なものです。

 精霊王様からの福音であり聖なる印。勇者様に捧げるべき物。

 選ばれた者しか、触ることのできない存在……

「イリーナ。あなた、太陽の金貨に触れられたのですね?」

「は、はい……」

 わ、私が触れた? 確かに触れた。でも、それは間違い、そうです、何かの間違いです。

 罪人の私なんかが、聖なる印である太陽の金貨に触れられるわけが……

 でも、あの暖かい感じは偽物? そ、そんなことは……

「イリーナじゃないわよ、この子は私の家来でエッタよ!

 わたしが寸法を測ってもらう間、エッタに預かってもらっていたわ」

 オスマンティウス様のその言葉に、エルドリア様の眉がピクッと跳ね上がりました。

「いえ、疑っているわけではありませんが、とても重要なことなのです。

 実際に見せて頂いても?」

「ええ、いいわよ」

 オスマンティウス様は私の胸元から飛び降り、テーブルの上へと降り立った。

「あら、オスマンティウス、かわいい服ね」

「でしょー! そこのミャラルって子に作ってもらったわ!」

 少々場違いな受け答えがされた気がしますが、恐れ多くてそれを指摘する者はここにはいませんでした。

 オスマンティウス様は背負っている金貨を私に差し出しまた。

 私は、それに恐る恐る手を伸ばし、触れました。

 私の指は金貨に触れその暖かい気を感じずにはいられませんでした。

 感嘆の声と、数人のため息が聞こえました。

 顔を上げると、下を向いて唇を噛んでいるアンリエッタ様の姿がありました。

 私がなにか口を開くよりも早く、エルドリア様が信じられないことを口にしました。

「次期エルドリア候補は、アンリエッタではなくイリーナとします」


 その言葉を聞いた瞬間、本当に目の前が真っ白になり思考が停止しました。

 私の意識が途切れ、崩れ落ちようとする瞬間、何者かの手で支えられました。

 意識が朦朧としている中で、顔を上げると張り付いた笑顔のメイドが私をさせてくれていました。

 妖魔!

 体が反射的にビクッとして、朦朧としていた意識がはっきりとしてきます。

「イシュ、ありがとう」

 そのイナミ様の言葉に、メイドの姿をした妖魔は私をしっかりと立たせた後、私から離れイナミ様の後へと向かい、そのまま控えるようにイナミ様の後に立ちました。

「わ、私が次期エルドリア!?

 な、なんかのまち……」

 私が否定しようとした瞬間、ドンッと言うテーブルを叩く音と共に激しい怒気が放たれました。

「その言葉の続きを言ってはなりません。

 あなたは太陽の金貨に選ばれたのです。すなわち、精霊王様により選ばれたのです。

 それは何人たりとも、たとえこの場にいるアレクシス様やイナミ様にでも覆すことのできない事実です。

 いいですね?

 発言には気を付けてください」

「は、はい……」

 わ、私が次期エルドリア? 私が精霊王様に選ばれた?

 魔術だってそれほど得意じゃない私が?

「あなたの扱える魔術は?」

「そ、それほど多くはありません……

 衝撃系統はそれなりに…… あとは火と風系統を少しだけ……」

 私がそう言うと、誰が言ったかわからないが落胆の声が複数聞こえた。位置的には私の両親か、エルドリア様のお付きの高官の巫女達です。

「おだまりなさい!」

 けど、すぐにエルドリア様が一喝し、それらの声は聞こえなくなった。

「魔王は倒されたばかりです。恐らくイリーナの代では魔王は再び現れることはないでしょう。

 そう言った意味では、魔術の才など関係のないことです。

 そもそも大巫女エルドリアにとって魔術の才は関係ありません。

 精霊王様はそれを見越して、イリーナを選んだのでしょう。

 大巫女エルドリアにとって一番重要なのは、精霊王様に選ばれるかどうかです。

 残念なことに私は選ばれませんでした。

 戦時中という事もあり、魔術に長けた私がエルドリアの名を頂いただけにすぎません。そこを勘違いしてはなりません。

 そういう意味では、イリーナは私以上の大巫女エルドリアになってくれることは確かなのです」

 エルドリア様はそうおっしゃってくれました。

「わ、私の罪は…… どうなるのですか?」

「そんなものは初めからありません。

 あなたのお爺様であり私の叔父であるダニー・ラウスハイゼルは確かに、魔女アンティルローデより麻薬を仕入れたようですが、それは魔女アンティルローデの策略によるものです。

 ダニー叔父様が自ら進んで麻薬に溺れたわけではないのです」

「しかし、事実は……」

「このことは後日正式に通達され、今現在捕らえられている者も含め、恩赦される予定です。証拠もそろっています。

 ダニー叔父様だけが特別というわけではありません」

「罪が…… ない?」

 自然とその言葉が出ました。

 私は幼い頃より、罪滅ぼしのために、アンリエッタ様に仕えるようにと、育てられてきました。

 どんな罪だったのか、私は理解していませんでした。ですが、私はそれを疑いもせず、私もそう思い育ってきました。

 私にはそれが全てだったのです。

 ですが、その罪の正体を知った時、私は絶望しました。

 許されるものではないと。

 だけど、その罪がない? はじめから? 罪はなかった?

「そうです、元よりあなたにも、もちろんデューンにも、メアリにも罪などないのです。いいですね?」

「罪がない? 私達にもですか? では私達は何のために……

 何のために、私達は生きて来たのでしょうか?」

 今まで下をうつむいていた父様がほおけた様に顔をあげ、ぼそりと呟いた。

「あなた方が、ラウスハイゼル本家に大変尽くしてくれたことは理解しています。

 その恩にも必ず報います。今はどうか……」

 次の瞬間、ゴトンと音を立てて、何かがテーブルの中央に落ちてきた。

「た、太陽の金貨!?」

 ここに居た全員が驚きの声を上げました。

 落ちてきた金貨はテーブルの上でくるくると回り始め、エルドリア様のほうへ向かい転がり、その寸前で方向を変えテーブルから落ち、アンリエッタ様の膝上へと落ちました。

 アンリエッタ様が信じられないと言った顔でその金貨を拾い上げました。

 はにかんだ顔の太陽の金貨がその手の中にありました。

 それを見て私は、ああ、やっぱり私は罪人なんだと。裁かれる運命なんだと理解しました。

 私が、次期エルドリア、そんなわけなかったのです。

「これは…… 一体……」

「エルドリア様、これでわかっていただいたと思います。

 やはり私は罪人……」

 と、私がそこまで言った時に、ゴンと頭に軽くですが響く鈍痛に襲われました。

 なにか、それなりに重みのあるなにかが、何かが私の頭の上に……

 しかし、それはとっても暖かく……

 これは……?

 恐る恐る手を伸ばすと私の頭の上に、太陽の金貨がありました。

 それには笑顔の太陽が刻印されていました。

「ずいぶん大盤振る舞いだな。これだけ短い期間に四枚もか」

 アレクシス様がそうつぶやきました。

 他の人達は、目を丸くし口を開け茫然としてました。

 いえ、アレクシス様だけではありません、イナミ様も違います。

 イナミ様は私の金貨をじっと見つめ、口を開きました。

「エッタさ…… イリーナさんの金貨なにか書かれてない?」

「金貨に?」

 アレクシス様が目を凝らす様にした後、立ち上がり私に駆け寄ってきました。

 アレクシス様に駆け寄られると、さすがにドキッとします。相手はあの勇者様です。

 そして、まじまじと金貨を確認して言いました。

「新しき神の巫女、と古い精霊文字で書かれている……」

 アレクシス様も信じられないといったように言いました。

「新しき神の巫女? エッ、いや、イリーナさんが?

 じゃあ、新しき神って…… もしかしてオスマンティウス?」

 イナミ様がそう言いました。

 他の人たちは、エルドリア様も含め、茫然と成り行きを見守っています。

 私も何が何だかで、どうなっているのか、まるでわかりません。

「に、なるかな……

 詳細は精霊界と門がつながったら向こうに聞いてくれ。

 正直、ボクもよくわからない。来春には門もつながるようになるだろうし。

 しかし、イナミといると面白い事ばかり起きるな。

 イナミは運命の女神か何かなのかい?」

「え? 運命の女神? 私が? 悪い気はしないけどなんか照れちゃうなぁ」

 などと、この状況下で冗談を言い合ってる二人は、常人ではないからです。

 あのエルドリア様でさえ、頬けてらっしゃります。

「えぅ、あの、わ、私は……」

 どうしていいかわからず、いたたまれなく成りどうにか、声を出しました。

「ちょっと待ってもらっても、いいですか、私も何が何だか」

 エルドリア様は額に手を当て何かをお考えになっているようです。

「エッタも金貨もらえたのね! わたしとおそろいじゃない!

 あれ? 私の金貨、変わってるんだけど?」

「本当だ、笑顔に変わってる……

 あとなんか文字も?」

 席を立ちここまで寄ってきたイナミ様がオスマンティウス様の金貨を覗き込みそう言いました。

 確認とばかりにアレクシス様も金貨を覗き込みます。

「新しき神、と書かれているよ、オスマンティウス。

 決定だ、オスマンティウスは精霊王により新しき神と認められた。

 まだたいした力もないし、立場的にはイナミの従属神といったところかな。

 しかし、あの精霊王が精霊ではなく新しい神を認めるだなんてな、わからないものだ」

「むー、私がイナミの従属神だっていうの!?

 でも事実だから仕方がないわ!

 イナミから魔力を貰わないと、わたし縮んじゃうもの」

「えっ、私の従属神? なにそれ?」

「え、いや、少し考える時間を頂けますか。いえ、いえいえ、違います。

 精霊王様より答えはすでに頂いております、ここで即断します。

 イリーナ、いえ、イリーナ様は今より、ラウスハイゼル家を出家していただいて、その名をイリーナ・オスマンティウスと改名していただきます。

 そして、新しき神オスマンティウス様を主と崇める新宗教オスマンティウス教の巫女兼教祖となっていただきます」

「ちょっと待って!」

 オスマンティウス様がエルドリア様を止めました。

 そうです、私が新しい宗教の教祖とか無理があります。ありすぎます! 何かの間違いです!!

「エッタが抜けてるわ。エッタの名前は、イリーナ・エッタ・オスマンティウスにしてよ!」

「えっ? は、はい、わかりました。新しき神オスマンティウス様。

 イリーナ様は、本日今より、イリーナ・エッタ・オスマンティウスと改名していただきたく思います」

「いえ、あの、ま、待ってください、わ、私は、私の罪は!?」

「イリーナ様、どうしても罪を償いたいと申されるのであれば、これが償いとなります。

 イナミ様、ひいては精霊神殿の保護下になるとはいえ、新しい宗教を創るとその道は大変厳しいものとなります。

 それこそが、精霊王様があなたに課した試練であり贖罪の道です。死ぬことより辛く大変な道でしょうが、どうぞめげることなくその道をお進みください」

「これが試練で贖罪?

 罪を償える?」

 私は死ぬことで自分が許され楽になることばっかり考えていました。

 そうです、罪は償わなくてはならないのです。

「ディーン、それにその妻メアリ、あなた方もこちらの地に来て、あなたたちの娘を支えてやりなさい。

 そのための支援は、もちろん一切惜しみません」


 その日を境に、イナミ領の国教ならぬ、領教はオスマンティウス教というよくわからない新興宗教と決まりました。

 しかも私が教祖です。意味が分かりません。

 まだイナミ領自体正式に発足しているわけではないのですが、精霊を崇める精霊神殿、稀人を神と崇める教会、それに続く宗教となります。

 



「なんか凄い大事になっちゃいましたね。

 でも、こちらの目論見はと違う結末になったけど、問題は解決……

 あれ? うやむやになっただけで解決してなくない?」

 なんか凄いことが立て続けに起きてなあなあになっただけのような?

 そうだよね? でも一応罪はないってことは伝えられたのかな?

 でもそれだけで、納得できればここまでこじれてないよね。

「ええ、そのようですね」

 エルドリアさんも同意見のようで。

「本来の筋書きは、ダニーさんにかかっていた魔術が、あなたたちにまで影響を及ぼしてるから、私がそれを解呪してあげるって方向で思い込ませて、徐々に正常な状態に戻していくって計画だったけど……」

「うやむやになってしまいましたが、恐らく大丈夫でしょう。

 イリーナの責任感は強いので、少なくとも与えられた使命を投げ出すような娘ではありませんし」

「それは…… そうね。

 それにしてもオスマンティウスが神様で、エッタ…… 慣れないなぁ、イリーナさんが教祖様ねぇ……

 新しい宗教なんて立ち上げて大丈夫なものなんですか?」

 私のその言葉にエルドリアさんは少し渋い表情を見せた。

「本来なら、戦争が起きてもおかしくはない話です。

 精霊神殿対王率いる騎士団と教会といった構図になるでしょうか。

 ただ今回はアレクシス様の後押しもありましたので戦争などにはならないでしょう」

「重要人物ってのはわかるけど、そこまで影響力のある人なのね」

 今ある二大宗教の神様の子なんだから、影響力がないわけがない。

 しかも、何度も世界を救い続けている大英雄様その人だもんね。

「騎士団や教会にもアレクシス様を信奉しているものは多いです。

 アレクシス様が声をかければ、騎士団なら半数以上、教会なら三分の一は、少なくともこちらに寝返ります。

 そういう意味では、アレクシス様がいる場所が覇権を握っていると言っても過言ではないのです」

 なるほど。

 特に今は魔王との戦争が終わって、まだ間もないし勇者様ことアレクシスさんを信奉してるって人は多そうよね。

 それに、アレクシスさん自体が最強なんだから戦うまでもないのかもしれない。

「まあ、生き神様みたいなものだし、実際に何度も魔王を倒している英雄じゃ、そうなるよね。

 そもそも魔王も魔神も、アレクシスさんが居なければ、どうにもならないんだし、選択肢そのものがないのか」

「ええ、そうですね、アレクシス様の支持がある限り彼らは認めるしかないでしょう。

 けれど、全面戦争と行かないまでも反発されるのは容易に考えられます。特に教会側は必死に抵抗してくるでしょうね。

 色々と決めなければならない中、申し訳ないのですが、私は明日にでもアレクシス様と共に王都へと帰らねばならなくなりました。

 後のことはグリエルマに任せてはいますが、彼女もまだ若輩ですし、今は落ち込んでいます。

 どうぞ、イナミ様のお力を沿いをお願いいたします」

「それはもちろんだけど、私も若輩ものなんだけどなぁ……」




 アンリエッタ様に仕えるように育てられた私は、戦争へ出向き、隊長に誘われそのまま辺境の地への勤務となりました。

 そこは大変でしたが、人々の役に立て、やりがいのあり、そして命がけの任務でした。

 そこにイナミ様が現れ全てが好転し、すべてがうまく行くように感じていました。

 ですが、私はそんな中、お爺様の罪とその罪の深さをしりました。

 私は絶望しました。

 けど、その罪自体が仕組まれていたもので、罪はないと皆言います。

 本当にそうでしょうか?

 仕組まれていたこととはいえ、お爺様に罪はなかったのでしょうか?

 そして、私はその罪を受け継いでいないと言えるのでしょうか。

 今となっては、もうわかりません。

 正直、そんなこともう考える暇も余裕もありません。

 オスマンティウス教を除いて一番新しい宗教は、稀人を神と崇める教会となります。

 その教会でさえ、千年以上もの古い歴史があるのです。

 それ以降、宗教らしきものは発足されていません。そんな中、新宗教を立ち上げるという事がどれだけ大変なことか。

 身をもって知ることになりました。

 エルドリア様は死ぬよりも大変な道と言っていました。

 今、私はそれを実感しています。

 この台地の東側に、オスマンティウス教の本堂を作り、麓のグリエルマ様の代理領主の館の対面に主張所となるお堂を作ることが決定しました。

 本堂はとりあえず形だけのもので、出張所のほうが手続きなどを行う役所のような機能を持ったものになります。

 代理領主の館の設計が終わり一息ついているオーヴァル親方に、新しい依頼を持っていくとげっそりとした表情を見せてくれました。

 せっかく作っていただいた修道院の東側も大部分が変更と改修が行われます。設計だけでも作業量は凄いことになると思います。

 オーヴァル親方が死んだような眼で私を見てきましたが、私には頭を下げてお願いすることしかできません。

 オーヴァル親方も快く、と、冗談でも雰囲気ではないですが、断れるはずもなく、やつれた顔を私に向け、クマのついた虚ろな目をしながら無言で頷いてくれました。

 私もちょっと前まで似たような表情をしていたそうですが、そうでしょうか?

 ここまで酷い表情をしていたとは思いたくないです。

 ついでに依頼主はオスマンティス様です。支払いはイナミ様ですが。

 オスマンティス様は大変移ろい易い方ですので、オーヴァル親方が日に日にやつれていきます。

 私も激務に追われています。

 あの何も考えず糸を紡いでいた日々が恋しくもあります。

 あの頃は眠れぬ日々を過ごしていましたが、今は寝床にもぐりこんだ瞬間朝になり、あわただしく激務が始まります。

 とにかく人手が足りません。目の回る様な忙しさの中、決めなければいけないことが山のように出てきます。

 そして、その大半はオスマンティウス様にお伺いを立てないといけません。

 ですが、相手はオスマンティウス様です。精霊王様お墨付きの神様です。

 さっき決めたことが五分後には変わる理不尽な神様です。激務が増えることがあっても減ることはありません。

 でも、私の大事で大切で大好きな神様です。

 この方にお仕えすることが私の罪滅ぼしとなるなら、いえ、罪など関係なくとも、私は喜んで私のすべてと一生をかけ、尽くしていきたいと思います。

 やはり私は私なのです。






「はぁ、いろんなことがあったわね、イシュ」

 今回、私は何もしていないけど、いろいろ気を使って疲れたなぁ、もう。

 けど、エッタ、いえ、イリーナさんも、とりあえず元気にはなったし良かったのかな?

 すんごい忙しそうだけど。

「はい、我もまさかあの精霊王が新しき神を認定するなど思ってもみませんでした」

 新しい神、あのオスマンティウスが神様だよ。

 たいした力持ってないけど。しかも、オスマンティウスの本堂も出張所も作る費用、私が立て替えたんだよ!

 一応、出世払いで返してくれるっていう話だけど。

 あの子絶対忘れるよね、エッタさん、いや、イリーナさんがが泣きながら謝ってくる未来が簡単に想像できるよね。

 まあ、別に返さなくてもいいんだけどさ。私の財産、気づいたら凄い額になってたし、たまる一方なんだよね。

 今のところ主要な産業の根本を私が抑えてるっていうのがあるんだけれどもさ。

 にしてもだよ、あのオスマンティウスが神様だよ。神様。

「イシュ、オスマンティウスに色々先越されちゃったね?」

「いえ、我は神になりたいわけではございませぬ。我はただ精霊に戻りたいだけですので」

 張り付いた笑顔のメイドなのでイシュの表情は笑顔のままだ。

 実際イシュはどう思ってるんだろう?

 でも、案外気にしてなさそう?

 イシュは割とわかりやすいしね。

「しかし、太陽の金貨って珍しいんじゃなかったの?

 あんなにボトボト落ちてきてさぁ。

 私、オスマンティウス、アンリエッタさん、エッ、慣れないなぁ、イリーナさんの4つもだよ。

 私のはアレクシスさんに渡しちゃったけど」

 エルドリアさんなんかは最初、泣いて喜んでいたいたのに。

 そうポンポン出されちゃありがたみも薄れるよね。

「あんなものは渡して正解です、我が主よ」

「どうして?」

 ん? そういえばイシュは、金貨をさっさと手放せって、いつも言ってるような?

「い、いえ…… 余り良い物とは言えないのです……」

 今日は特に歯切れが悪い。

 これは何か隠している? いや、何か私の知らないことを言ってないな?

「その理由は?」

「……」

「私にも言えない理由があるのね?」

 少し強めに言ってみる。意地悪いかな、私?

「いえ、そのようなことはないのですが、非常に言いにくくはあるのです」

 ほーら、観念した。

 よしよし、その言いにくいことを聞いてあげよう。

「よくわからないけど? さあ、説明して?」

「一つお約束して頂いてもよろしいでしょうか?」

「内容による」

 あれ? 私が思ってたより深刻そうなんだけど?

 これは聞かないほうが良かったのかしら?

「とりあえず密会の結界を張っていただき、今から言うことは他言無用、特にアレクシス様には決して伝えないとお約束いただけますでしょうか?」

「えっ、なに? すごい気になるんだけど……

 うーん、わかったよ、誰にも言わない。特にアレクシスさんには聞かせないって約束するよ」

 パチンと指を鳴らして、自室に結界を張る。

 一応、強化した改良型の内緒話結界だ。

 これで精霊王の覗き見を防げるとは思わないけど、多少は効果があるかもしれない。

「ありがとうございます。

 では……

 太陽の金貨と言われる物、あれは精霊王が贈る愛人の証でもあるのです」

「はぁ?」

 愛人? 愛人って、愛人?

 えっ? ええ? ええええええええええええぇぇぇぇぇ!?

「よく思い出してください、オスマンティウスは事情が事情だけに例外と言っていいかもしれませんが、金貨を送られた者は皆、若く美しい娘ばかりです」

「そ、そういえば……」

 エッタさんもアンリエッタさんも、二人とも美人よね。

 そういえばエルドリアさんは、まあ、うん…… と、歳もあるから。

 私も、まあ、私の場合はアンティルローデさんが美人だっただけだけど。あと若くはない……? 見た目は若いけど。

 にしても、あの金貨、美人に愛人候補として送ってたってこと?

 そりゃ、アレクシスさんには言えないよ。言ったら、多分間違いなく、ぶちぎれちゃうよね?

 ただでさえ精霊王のこと、嫌ってそうなのに。

「今は精霊界への門が閉じていますが、門が開いているときは精霊王が顕現し、金貨を持つ者に、男女の仲を求めるのです。

 故に精霊神殿では、巫女、つまり女性のみで構成されているのです。本人たちは知りもせぬと思いますが、愚かにも精霊王の言いつけを守っているようです。

 そして、一介の人間、しかも精霊王を信仰するような人間が精霊王の誘いを断れることなど、できるわけはないのです」

「う、うわぁ…… そりゃ、アレクシスさんに聞かせられないよ」

「いえ、この辺りまでは、まだいいのですが……

 よく考えてください、我が主よ。

 もしその後、子ができたとすれば、それは精霊と人間の混血です。

 そして、精霊と人間の混血種は魔王になります。

 魔王に選ばれるのは、力を持った混血種が選ばれやすいのです……」

「あっ、あぁ……

 うん、これは言えないや。言ったら、アレクシスさんの頭の血管ブチ切れちゃうでしょう?」

 あぁ、アレクシスさん、エルドリアさんと王都に行ってて良かった。

 こんな話聞いた後じゃ、まともに顔を見れないよ。

 私が半ば無理やり聞いたとはいえ、こんな話だったとは……

 き、聞かなきゃよかった……

 い、いや、でも、今聞いておいてよかった、かも!?

「はい、言えませぬ。もしアレクシス様が知ったらどのような事態になるか……」

「あははははぁ、はぁ。

 ちょっと笑えないんだけど……

 来春には精霊界への門が開くんだっけ?」

「はい」

「エッタさん、いや、うーん、ああ、もう、エッタさんでいいや。名前にも入ってるし。

 エッタさんとアンリエッタさん、あと一応オスマンティウスもだけど、あの子たちの貞操は私が守ってあげないと……

 なんかいい案でもある?」

 そうだ、いや、でもどうなの?

 信仰する神様から言い寄られたら、それは大変栄誉なことなんじゃないのかな?

 ああ、大巫女エルドリアに選ばれるって、そういう事かー!!!

 くっそ、なんだこのマッチポンプは!!

 精霊王が魔王と勇者のシステム作って、魔王が倒されたら次の魔王の種まで仕込むってことか!!

 酷すぎるだろ、精霊王!!!

 うわー、やばい、私、精霊王のこと許せないかも。

「幸いこの辺りには精霊神殿はありませんので、精霊王とは言え、そう易々とこの辺りへと顕現することはできないでしょう。

 いえ、精霊王ほどの大きな力を持つからこそ、精霊神殿の近くでないと顕現することはできないのです。

 対抗策ではなく防衛策として、彼女らを精霊神殿に近づけさせないという手があります。

 一番いいのは金貨をアレクシス様に渡してしまうのがいいのですが」

「三人とも今は金貨を心の拠り所にしているところあるしなぁ……

 事情は話せないし、話してもみんな喜んで身を捧げそうだし、困ったなぁ、もうっ!!

 相手が相手だものね。わかった、精霊神殿に近づけないようにするしかないね。

 私の領では精霊神殿の建設も禁止しなくちゃ……

 折を見てアレクシスさんに全部回収してもらわないと…… でも、急に急かして感づかれでもしたら、うわーん!!

 しかし、なんだこれぇ…… 酷い話だなぁ、ほんと」

 私はため息をついて、布団の中へもぐりこんだ。

 睡眠をとる必要もないし、私の体温は精霊だからか、吸血鬼だからなのか、温かくなく冷たい。

 布団へ潜り込んでも、いつまでたっても暖かくならないのは少し悲しい。

 うーん、結局エッタさんは元気になったけど、根本的なことは解決してないし、やらなきゃいけないことが増えたなぁ。

 あー、グリエルマさんにも早く立ち直ってもらわないと。

 エルドリアさんがアレクシスさんと王都へ帰っちゃったから、根本的に人が足りないのよね。

 それなのに、エッタさんの新宗教も立ち上げないといけないしで、はぁ、もう、ゆっくり自堕落な生活はいつ戻ってくるのかしら。



次も番外編予定の短編になる予定です。





誤字脱字は多いと思います。


教えてくれると助かります。

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