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異世界転生したら吸血鬼にされたけど美少女の生血が美味しいからまあいいかなって。  作者: 只野誠
最終章:イナミさんが異世界に来て、大団円はすぐそこで私のフィナーレにはまだまだ遠いのかも。

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精霊界解放戦

 私の名はイシュヤーデ。

 人間からは月下の大鉄鏡とも詠われたこともある精霊ではあるが、イシュヤーデというその言う名は妖魔としての悪行のほうが有名であろうか。

 いや、イナミ修道院長としての名のほうが今となっては伝わりやすいのか。

 もはや人間の中には、妖魔イシュヤーデと精霊でありイナミ修道院長でもあった私が別の存在であると思っている者もでてくる始末だ。

 それほど人とは移ろいやすい。

 時に人に問われる時があった。

 夕闇の魔女の腹心イシュヤーデとあなたは同一の存在なのかと。

 そんな時、私は正直に答えた。

 同一の存在である、と。

 そして、イナミ様に出会い改心したと付け加える。

 そう、私は改心したのだ。

 私とて会ってすぐにあの方に忠誠を誓ったわけではない。

 小賢しき妖魔だったあの頃の私と今の精霊である私とでは、ほぼ別人格ではあるのだが、記憶して私の中に色濃く残っている。

 その憧憬とも忠誠とも思えるその感情も私の中で今もなお脈々と受け継がれ今の私に多大な影響を与えている。

 だからこそ心残りがある。

 ただ一言、懺悔したかった。

 妖魔であった私は、ただ一時ではあるが、あなたを利用するつもりでいたと。

 イナミ様と出会った当初、私はひたすら困惑していた。

 魔力こそ魔王に引けを取らないものの、魔術一つ使えないという存在に。

 はじめは、かの魔女が私を試しているのかと考えていた。

 だが魔力の質が違いすぎる。

 かの魔女のように深くはあるが薄汚れた魔力ではなく、清廉で気高いその魔力はまるで別物だった。

 だからと言って、イナミ様が仰られていた稀人というものもそう易々と信じられるものでもない。

 あの場に一人取り残されていた私は慎重にならざる得なかった。

 魔術を扱えないとはいえ、これほどの魔力の持ち主である。

 力ある者に仕えるようにと堕とされた私には盟約など関係なく歯向かうことなどはなからできなかった。

 そこで私はこの存在を利用し、アレクシス様に助力を乞うことを頭の中で画策した。実に小賢しいことだ。

 イナミ様にはなれないはず、と、私が勝手に思い込んでいた魔王となることを進めたのはこのためだ。

 この魔力の持ち主で魔王と名乗りでもすれば、アレクシス様は向こうから否が応でも出向かないわけには行かないからだ。

 その結果、イナミ様が負傷しようが、討滅されようが、卑しき妖魔であった私にとってはどうでもよかった、いや、都合すらよかったのかもしれない。

 それは、かの魔女が永遠に失われることを意味するのだから。

 だが、イナミ様は魔王という存在に微塵も興味も示さず隠れ住むことを望まれた。

 その結果、私の忠誠心はすぐに本物となった。大きくことに動く前で本当に良かった。もちろん、そんな暇もなかったと言えばなかったが。なにせ次の日の午後には既に心変わりしているのだから我ながら節操もない。

 切っ掛けはイナミ様が初めて血をお吸いになった時だ。

 一口血を吸っただけで魔力がはちきれんばかりに溢れだした。

 当時から恐ろしいほどの魔力量だったが、それはきっかけに過ぎない。

 決定的だったのは、魔術の解読と上書きを瞬時に行った時だ。

 本来それは精霊王だけに許された秘儀とされてきたことだ。それも伝承の中で詠われるくらいの真偽もわからぬほどの事柄だ。

 それをいとも簡単に、魔術も使えないかった存在が、行ったのだ。

 感嘆するしかなかった。感服するしかなかった。

 偽りの忠誠心はすぐ本物となった。

 私はこの方に仕えるためだけに妖魔に堕ちていたとさえ思えた程だった。

 もちろん、それは私がより力を求めるようにと堕とされたせいではあるのは、大きかったとは思うが。

 それでも、運命を感じずにはいられない程の衝撃だった。

 いつかそのことを懺悔したいと想ってはいたが、その機会は訪れなかったし、もはや永遠に失われてしまった。

 否、どうしてもできなかったのだ。

 私は、精霊になった今でも、あの方に失望されるのが怖かったのだ。それだけが死ぬことよりも怖いのだ。

 イナミ様のことだ、例え懺悔したとしても、きっと笑い飛ばしてくださるのだろう。

 だが、万が一にも失望されてしまったら、そう思うと懺悔することがどうしてもできなかった。

 それだけが人界での心残りではある。

 だが、その行為自体が自己満足であるのも承知している。

 私がそのことを伝えなかったことで、あの方が、イナミ様が一時のこととしても悲しまれることはなかったのだ、と自分を納得させるしかない。

 この後悔の念が私の罰だというのなら、私は喜んで受け入れ永久に後悔し続けようと思う。

「イシュヤーデ、どうしたんだい?」

 不意にアレクシス様に話しかけられた。

 一見、普通の人間の青年にしか見えないこのお方は異なる神話体系の神と神との間に生まれた御子である。

 その力ははかりれなく並みの精霊では足元にも及ばず、高位の原初の精霊相手とて引けを取らない。

 生まれながらに実体を持ちながら、その身も魂も滅びることがない。まさしく神の子であり、次世代の神そのものだ。

 私にはあの出来の悪いオスマンティウスなどより新しき神にふさわしいとさえ思える。

「いえ、少し物思いにふけていました」

 私はそう答えた。嘘偽りはない。

 心残りというものが、これほど後ろ髪ひかれるものとは思いも知らなかったが。

「イナミのことかい?」

 そう言われ内心驚くが、私に心残りがあるとすればそれしかあるまい。想像に容易い事だ。

「はい」

「きっと、大丈夫だよ。オスマンティウスなら見つけてくれるさ」

 少し悲しそうに微笑むアレクシス様はそう仰られた。

 私にはその言葉の意味を理解できないでいた。

「それはどういう意味でしょうか?」

 考えても答えは出ない。素直に聞くしかない。

 イナミ様のこととなれば気になって仕方がない。

「きっと人界…… いや、エルドリアは平和になるって話だよ」

「エルドリア?」

 その言葉の意味も理解しがたいものがあった。

 私の認識が間違っていなければ、エルドリアというのは、精霊神殿の大巫女をさす言葉だったはずだ。

「そう、それがあの世界本来の名だよ」

「確か…… 神殿の大巫女の別名、またはそれの元となった精霊が初めて降り立った地の名だと記憶していましたが……」

 なるほど。降り立った場所の名が世界の名でも確かに間違いはない。

 どうして、巫女の役職名になっていたかまでは…… おおよその予想はつくが。

「そう、間違ってはいない、だろ?

 あまり知られていないけどね。あの世界は元々はエルドリアという名だったんだよ。

 精霊王により、いつのまにやら役職の名にされてしまっていたけどね」

 そう言ってアレクシス様は悲しそうに笑った。




 精霊界に戻ってきたのは……

 千三百年ぶりになるのか。

 精霊界は広い世界ではない。

 それどころか、ほんの小さな島でしかない。

 中央に山を据えて、四方に四つの野、そしてそれを囲う海があるだけだ。

 それらが漠然と何もない空間に浮いているだけである。

 そもそも、精霊は精神的な生き物で実体を持たない。

 その精霊が住まう精霊界にも実体、物質というものははなから存在しえなかった。

 だが、今の精霊界にはそれがある。

 奪ったからだ。

 人界から、エルドリアという偶然精霊界が流れ着いた世界から。


 精霊は大きく分けて三つの派閥がある。

 精霊王率いる天空に属する精霊達で天上の位を持つ天空の一派。

 次に優しき巨人、大地の精霊グランボシャス配下の大地の精霊達で玄地の位を持つ大地の一派。

 最後に海神と名高いシシャラシャウス率いる海の精霊達、今はほとんど失われてしまった碧海の位を名乗っていた海の一派だ。妖魔から精霊に戻りボクに協力してくれている精霊はほぼ碧海の位を持つ者たちだ。

 長い放浪の末、たどり着いた人界に降りた精霊達は、主に大地の精霊と海の精霊の精霊達だった。

 そして当時、あふれ出る穢れにより滅亡の危機にあった人類を救ったのが海の精霊シシャラシャウスだ。

 海の精霊の一派、その主であるシシャラシャウスが身を犠牲にしてまで、穢れに飲み込まれようとしていた人界エルドリアを救った。

 それがエルドリアの人々が精霊信仰の切っ掛けになったことはもはや伝わってはいないが。

 なぜ自らを犠牲にしてまでシシャラシャウスが人類を救ったのかというと、ただ慈愛があったというわけではない。

 精霊達が存在していく上で、どうしても実体が必要だったからだ。

 自分たちが生き残るためにも、精霊にとってどうしても人類が必要だったからだ。

 だからシシャラシャウスは自らを犠牲にしてまで人類を救って見せた。

 そして、残った海の精霊達の多くも、狂っていく主を見守り、そのまま人界に残った。

 その結果、封じきれなかった穢れの影響でほとんどの海の精霊達は妖魔へと身を堕とした。

 妖魔と人の混血種の亜人達に、海の生物の身体的特徴が多くあらわれるのはこれが理由だ。妖魔になった精霊の多くは海の精霊の一派だからだ。

 大地の精霊グランボシャスは、腹心の山の精霊テッカロスに人界を託し、綺麗な、まだ汚染されていない大地のみを選別し精霊界に持ち帰り、それと自分自身を基に精霊界にこの小さな大地を創った。

 この二人の大精霊は偉大な精霊だと思う。

 自らを犠牲にして精霊界とエルドリアを救ったことには変わりないのだから。

 大地の精霊グランボシャスが人界から大地の一部を奪ったとはいえ、それは精霊界を維持していくためにどうしても必要なことだった。

 この世界の生きとし生けるものは、全て肉体、精神、魂。

 その三つから成り立っている。

 精神と魂しか持ちえない精霊のほうが歪なのだ。

 本来はこの奪った大地もエルドリアへと返却しなければならなかったが、この大地が無ければ精霊界も立ち行かないのも事実だ。

 この大地の恵みがあったからこそ、精霊はなんとか実体を得ることができている。

 それも大地の精霊グランボシャスが身をていして大地の礎となり、この精霊界を今もなお支え続けてくれているおかげでもある。

 それに引き換え、天空の精霊とも言うべき太陽の精霊アデュスワーズは、穢れを恐れ、精霊界へひきこもり、そこから人界を乗っ取るための策を練り続けた。

 非効率であるが、穢れを減らすための魔王という存在を創り、そして人類が死滅しないための安全装置としてボクを創った。

 時間にとらわれない精霊は少しずつでも穢れが減っていけばいずれは…… と考えていたのだろうか。

 そうしてエルドリアという世界に寄生しながら存在しているのが、この偽りの世界、精霊界なのだ。

 この世界ももう自立しないといけない。

 人界の復興と精霊界の自立、そのためにボクは事を起したのだから。

 そのために、この精霊界でやることは大きく分けて三つだ。

 このエルドリアとつながる門の社の制圧の維持。

 月の女王との対話。

 そして、精霊王との決着だ。


 門の社は地下にある施設で、本来は大地の精霊の管轄下だ。

 今は…… 革命軍とでも言うのか、ボクの支配下に表向き置かれてはいる。

 のだが、大地の精霊はボクに協力的だ。

 大地の精霊達にとって今の精霊界は肩身が苦しいのかもしれない。今や精霊界は精霊王の独裁と言っていのだから。

 また門の社は人界との唯一の接点でもある。

 人界へつながる門はここにしか作れない。

 門はすべて破壊はしたが、精霊王にとってそんなことはなんの障害にもならない。

 あいつの魔法なら壊した門を修復することなど容易い。

 それでも、エルドリアとの繋がりが長い間なければ、その縁はいづれ断ち切れ、接点もいづれなくなくなり完全に繋がることはなくなる。

 そうすることで初めて本当に門を閉じたと言える。

 それまでこの門の社を精霊王に明け渡すことはできない。精霊王相手にそれは生半可なことではない。

 とはいえ、ここは地下である。

 天空を統べる精霊王であるが、それだけに地下には手が出し難い。

 そもそも門の社は長い洞窟の奥底にある。天に輝く太陽の光も大きく羽ばたける空間もここにはない。

 それ故に精霊王とて強行はできないはずだ。

 天空の精霊一派相手に籠城するには、ここ以上の場所は精霊界にはないだろう。

 しかも、大地の精霊達は協力的であり補給も秘密裏にではあるが約束してくれている。

 それにここの守備にはアリュウスも残ってくれているので、まず問題はないだろう。

 

 続いて月の女王。

 天空の精霊の次席。精霊王の正妃。四つの野の内の一つ、常夜之原の支配者。

 精霊王と月の女王の関係性はいつの時代も複雑ではあるが、ボクが生まれてからは拗れに拗れている。

 原因は、言うまでもなくボクであり、精霊王の不貞が原因である。

 精霊王の不貞が発覚し、盛大な夫婦喧嘩が起き、それ以来、常に夜である常夜之原に月の女王は引きこもった。

 常に夜であるが故に、太陽の精霊である精霊王は常夜之原に入ることは出来ない、らしい。

 らしいというのは、あまり確証がないからだ。

 恐らくは…… 入ることはできるが、精霊王も月の女王の怒りはできるだけ買いたくはないだけなのだろう。

 それでも、少なくともボクの知っている限りでは、精霊王がこの常夜之原に入ったことはないは事実だ。

 どんなに精霊王との関係が拗れていようとも、月の女王がボクについてくれることはまずない。

 また精霊王とも今更よりを戻すようなこともないだろう。

 中立を維持してくれるだけでいい。

 それでも会いに行かねばならない。

 精霊王を倒した後のこと、そして、ボクが精霊王に負けたとき、ボクについてくれた精霊達を助けられるのは月の女王だけなのだから。

 それらを話し合っておかなければならない。

 それに、万が一にでもボクに助力してくれるなら、これ以上の助けはないことだろう。


 そして結局はこれだ。

 精霊王とボクとの決着。

 結局のところ、革命だ、反乱だ、の前に、精霊王とボクとの勝敗で全てが決まる。

 それ以外は建前でしかない。

 

「アリュウス。門の社のことはキミに任せていいかい?」

 門の社を任せるとなると、やはりアリュウスになる。

 彼女も精霊王の子でありその資質は非常に高い。

 人界にいたころは自分の門も主も持たなかったため、大した力は振るえないでいたが本来は並みの精霊ではない。

 下手をすればその力は原初の精霊にすら及ぶものだ。

「え? 私ですか? 私になんの力もありませんよ?」

 彼女は面食らったように答えた。

 元よりその手はずだったが、彼女はなんだかんだ理由をつけて、ボクとの話し合いどころか、会議なども全て避けてきた。

 それでも人伝えではあるが伝わっているはずなのだが、とぼけているのだろうか。

 だからと言って他に適任者がいるわけでもない。

 ここに居る精霊達のほとんどは元妖魔だ。そんなものをまとめ上げれるのは、精霊王の実子であるボクかアリュウスくらいのものだろうし。

 グリアノーラとイシュヤーデも実力者だが彼らはボクが連れていかねばならない。

「何を言っている。キミはボクの異母兄弟だろう?

 それにもうここは精霊界だ。今の君は魔力に溢れているはずだろう?」

 アリュウスは……

 戻った魔力を隠しているのか、今のところ大した魔力を身にまとってはいない。

 無理やり精霊界に連れてきたことに関するボクへの当てつけだろうか?

 その線も大いにあるので何とも言えない。

「それはそうですけど……」

 アリュウスは困ったような微笑んだような、そんな微妙な表情で頬に手を当て首をかしげて見せた。

 困り顔ではあるようなのだが、完全にその瞳だけは笑っている。やっぱりボクへの当てつけなのだろうか。

「まあ、危険はたぶんないよ。

 ボクは月の女王に会いに行かないといけない」

 あまり構っていられる時間もないので、手短に用件を伝えた。

「あらあら、そうなんですね」

 なぜかアリュウスは嬉しそうにそう答えた。

 しかし、その目は下種なものを見るような目つきだ。何を想像しているんだろうか。

 イナミ以上に扱いにくい。

「なんか…… 楽しそうだな?」

「いえいえ、ドロドロした人間関係に興味なんかこれっぽっちもありませんよ?

 月の女王様は大変お美しい方だと聴きます。そんな方に熱烈に会いに行くだなんて、しかも義母という関係性なのにですよ?」

 と、予想だにしない返答が返ってきた。

 あまり…… アリュウスと話し合っていない、というかボクが避けられていたので会っていなかったのだが……

 こんな時に何を言っているんだ、ボクの異母兄弟は。理解に苦しむし、何を想像しているんだか。

「いや、キミが思っているのと違うと思うが……

 とにかくここのことを任すよ。

 もしここが攻められて勝てないと思ったら、他の精霊達と共に大地の精霊に従って常夜之原まで逃れてくれ」

 ボクがそう言うとアリュウスから即座に返答が返ってきた。

「じゃあ、攻め込まれたら、すぐにそうしますね」

「うん、いや、まあ…… それでもかなわないけどね」

 結局はボクと精霊王の勝負で全てけりはつくのだから、と自分を納得させるしかない。

 若干の不安は残るが門の社を後にし、グリアノーラとイシュヤーデだけを連れボクは常夜之原へと急いだ。

 ついでに、精霊界に重力はほとんどない。

 元々精神的な世界だったところに、無理やり物体を持ち込んだだけなのだから。

 何が言いたいかというと、ここでは翼のないボクもグリアノーラやイシュヤーデ同様に空を自由に飛ぶことができる。

 常夜之原まで少し距離はあるが時間はそうはかからない。


 常夜之原。四つの野の内の一つ。

 常に夜であるが、ここは精霊界だ。常識が人界とも異なる。

 人界なら日の光を必要とする植物達は、ここでは月光を浴び育つという。

 常に夜、という割にはここは生命にあふれ、それでいて静かで美しい場所だ。

 今はこの幻想的な夜空に月の姿はない。普段は、その月こそが月の女王そのものなのだが。

 ということは、月の女王は月下の塔にでもいるのだろう。

 またボクが常夜之原に足を踏み入れても、何事も起こっていないことを考えると月の女王の機嫌はいいのかもしれない。

 月の女王は気分屋で有名だ。

 もし彼女の機嫌が良ければ、ボクに助力してくれる可能性も少しは上がるかもしれない。上がったところでその可能性は限りなく低いとは思うが万が一という事もある。

 その逆ももちろんありうるのだけれども、敵対することだけ避ければいい。彼女はなんだかんだで慈悲深い精霊ではある。

 こちらから挑発でもしない限り敵対するようなこともないだろう。

 常夜之原の中央に位置する白亜の塔。

 月下の塔と呼ばれる常夜之原、唯一の構造物であり月の女王の住いである。

 天にも届かんとするほどの高い塔。

 不気味なことに月の女王を守護する精霊もいない。

 それどころか今まで他の精霊に会ってすらいない。恐らくはボクが門の社を占拠したことで精霊達はどこかへと非難でもしているのだろう。

 だが、それだと逆に月の女王の守護者が居ないのはおかしい。

 ただ静かに巨大な塔はただずんでいる。

 なにか、侵しがたい神聖な雰囲気がその場を支配してはいたが、そんなものに臆している暇はない。

 飾り気のない塔の両開きの扉を無遠慮に開ける。

 塔の内部にも誰もいない。

 これはどういうことだ、と、思っていると、天井まで、いや、この塔には天井がそもそもなく夜空を仰ぎ見れる塔の上から、一羽の白い大きなフクロウが音もなく降りてきた。

 そしてその白いフクロウは床に着地する寸前で解けるように歪み、人の形へと姿を変えた。

 白い羽毛のドレスを身にまとった絶世の美女。

 月の女王だ。

 その姿を久しぶりに見たボクは無言で一礼をした。

「よい」

 とだけ、月の女王は言った。

「ここに来たのは……」

 と、ボクが話始めると、それを遮り、

「よい、と言いました。

 全ては知っています」

 と続けた。

「全部筒抜けですか?」

「月の元に全ては晒されるのです」

 月の女王ルナティリアルは自信に満ち堂々としたたたずまいでそう言った。

 精霊界に引きこもっているとはいえ、やはり高位の原初の精霊達に隠し事をすることは難しい。

 神と言われるだけのことはある。

「話が早くて助かります。では……」

 向こうもボクとはあまり顔を合わせたくはないだろう。

 不機嫌にする前に月の女王の元を去ろうとした。

 なんせボクは精霊王との仲を拗れさせた据えに出来た不詳の子だ。本来なら、顔も見たくはないのだろうし。

 そう思い手早く去ろうとしていたが……

「時に、本当にあの方をどうにかできると思っているのですか?

 あの不滅の太陽のごとき、あのお方を」

 と、呼び止められた。

 これには驚きが隠せなかった。まさか月の女王のほうから呼び止めるとは。

「ええ、そのためにボクはここにいます」

 勝てるかどうかはわからない。だが、負けるわけには行かない。

「そうですが。

 覆すようで悪いですが、先ほど、よい、とは言いましたが条件を……

 一つだけ、つけさせてはいただけますか?

 それを飲んでいただけれるなら……

 微力ながら助力もいたします」

 驚くべき提案ではあったが、それは願ってもないことだ。

 月の女王がどんな条件を出すかにもよるが、大概の話なら無理してでも飲む必要性がある。

 だが、自信に満ちた振舞いに違いはないのだが、その言動の言葉尻に若干の迷いを感じることができる。

 彼女とて精霊王と表立って争うには、それ相応の覚悟が必要なのだろう。

「その条件とは?」




 別に私はアレクシス様のことが憎かったり嫌いだったりするわけではないです。本当ですよ?

 ただ…… 私はただ…… 私のかわいい娘のアザリスに末代まで見届けると約束したのに、それを果たせないことが心苦しいのです。

 精霊にとって約束はとても重要なのですよ。それを反故にしなければならない、それは本当に悲しく残念な事です。

 そのことでアレクシス様のことを恨んでいたりだなんて事はありません。ないのですよ?


 そう、ないのです。


 だから、なんだかんだ理由を付けて作戦会議に参加しなかったり、話し合いを避けていたりしてはいましたが、そんな些細なことはどうでもいい事です。

 その結果、私は門の社の守備を任されてしまいましたが。

 まあ、素直に従っていてもここを任されることになるのは私なんでしょうけども。

 確かに、私のかわいい子孫達がいる世界に高慢ちきな精霊を戻すのは、私も反対ではあるのですが。

 でも、これは少し困りものですね。

 戦いなど知らない哀れな私に何ができると言うのでしょうか。

 今も攻め込んできた天空の精霊の一派の団体さん達に、地を這わせ苦汁を舐めさせることぐらいしか出来ていません。

「な、何者なんだ、こんな力ある精霊の話など聞いたことないぞ……」

 輝く鎧に身をまとい、光り輝く翼をもつなんの精霊かも存じませんが、守護騎士の職の方でしょうか? そんな光り輝く彼らも今は地面に這いつくばっています。

 いくら光り輝こうが地面に寝っ転がりながらでは威厳も何もないですね。滑稽でしかありません。

 天空の一派とは言え地の底ではこんなものなのでしょうか?

「第四位の吾輩が手も足も出ないとは……」

 寝っ転がっている精霊さんの一人が言葉を漏らしました。

 第四位ですか、それなりに位の高い精霊さんではありますが、まあ順当な結果ではないでしょうか。

 位だけなら私は二位という地位にいるはずなのですから。

「ごめんなさいね、私は精霊王の娘の体に精霊王の息子の魂が宿っているのです。

 わかりますか? 精霊の位で、第二位は特に意味のない、ただ単に原初の精霊の子という意味でしかないのですけど、それでも精霊王の実子であるからには第四位の位ではお相手にならないのですよ?」

 わかりやすく地面に転がっている無駄に光り輝く精霊さんに説明してあげます。

 特に私はこの体の持ち主の火の精霊の力と、私本来の光の精霊の力、二種類を扱うことが出来ます。

 しかも、どちらも最強の精霊である精霊王から受け継がれた力です。

 それがどれだけ凶悪な事か、この這いつくばりの精霊さんには分かっているのでしょうか?

「精霊王の…… ああ、ああっ! 知っているぞ。

 魔王に体を明け渡したという混血種だな?

 確かその体は穢れた沼に、ブシュゥ……」

 何か馬鹿にされるようなことを言われる気がしたので、その言葉を耳に入れる前にその口を踏んづけて塞いでおきました。

 汚い言葉は聞きたくないですね。

 いえ、負け犬の遠吠えは割と好きなのですが、私自身馬鹿にされると、つい力を出しすぎてこの無駄に輝く羽虫さんを殺してしまう可能性もありますのでね。

 聴かないことにしただけですよ。

「ちょっとうるさいですよ、あなた」

 天空の精霊の一派とはいえ、原初の精霊相手でもなければこんなものでしょうか?

 でも、そういうことを考えていると、来ちゃうものですよね。

 というか、この騎士さん達を指揮している方はいるのでしょうしね。分かっていたことではありますが、それが誰か、が重要なのですよね。

 はぁ、やれやれです。結局はこうやって面倒ごとを押し付けられる羽目になるのですから。

 最初それは霧に思えました。けど違います。

 いえ、実質的には同じものなのかもしれません。

 でも、まあ、この場合はこれですよね。

「雲の精霊、しかも原初の精霊様ですか?」

 内心安心しました。

 もし仮に雷の原初の精霊でもあり、天空の守護者、剣聖、軍神とも名高い、シャーザン様が出てきたら私では対処できたかは怪しいですね。

 その場合は逃げるしかないので、逆に楽ではあるのですが。

 いかんせんシャーザン様が相手ならば、逃げ出したところで犠牲は出てしまうでしょうが。

 とはいえ雲の原初の精霊ですか。あまり資料にも乗ってないのですよね。伝承も少ないですし。

 アンリエッタ母様からも、雲の精霊さんのお話は…… あまり聞いたことがないのですよねぇ。

 どんな方なのでしょうか。いえ、私個人としては興味などは全くないのですが。

「如何にも。

 ふむ、皆、地に伏してはいるが死んではおらぬな。

 なら、わしもそれに習おう。おぬしらが逆らわぬというなれば、命までは取らんよ」

 巨人とでも言えばいいのでしょうか。

 ふわふわとしてはいますが、筋肉質で半透明のおじ様が天井低しとばかりに浮かんでます。

 何と言ってよいのでしょうか。

 大空の元その姿を見るならば、その巨大なお姿はさぞ偉大に思えたでしょうか、ここは地下の洞窟です。

 何とも窮屈です。

 それにしけっぽくていけませんね。

「洗濯物を乾かすは湿気をなくしそよ風を」

 その言葉で魔術を発動させます。

 ただの洗濯物を乾かす湿気取りの魔術でしかありません。

 こんな魔術では本当になんの役もたちませんが、じめじめするのは嫌いなんですよね。

「なんじゃ、その魔術は。

 そんなものでワシをどうにかできると思っておるのか?」

 雲の巨人ともいえましょうか、その力に自身があるのか目の前で魔術を使われても、反応はこれですか。

 たとえそれが、何気ない魔術でもです。

 精霊界の精霊さんたちはいささか平和ボケなさっているのでしょうか。

 一見無害に見える魔術でも本来は警戒すべきのはずなんですけどね。

 あっ、今の魔術は本当に無害な魔術で、洗濯物を早く乾かすためのただの湿気取りの魔術です。それ以外の意味はないですよ。

「いえ、じめじめしていたのでつい?」

 ニッコリ笑顔で答えてあげましょう。

 少しだけジメジメとした湿気が緩和されたので自然と笑顔にもなるというものです。

「なんじゃ変わったやつじゃのぉ、それともワシを舐めているのか?」

 舐めている? いえいえ、舐めてはいませんが安心はしているのですよ。

 シャーザン様ではなかったので。

 それだけに対応に困るのですよね。どういたしましょうか。

「いえいえ、私も困っているのですよ。

 軍神と名高い雷の精霊が来てくれるのであれば、大手を振って逃げていられたのですが……」

「なんじゃ、やっぱりワシを舐めているのかのぉ?」

 そう言いつつも雲の精霊さんは不敵な笑みを浮かべていらっしゃいますね。

 自分にさぞかし自信のお力に自信があるのでしょう。

 まがいなりにも原初の精霊ですからね、その気持ちはわからなくはないですが。

 私も正直、戸惑いはしているのですよ。慣れない自分の魔力にはですが。

「正直、逃げ出すかどうか、迷っているところなんですよねぇ」

 私は正直にそう答えました。

 だって、相手は原初の精霊なのですよ?

 真面目に相手したらめんどくさいじゃないですか。

 しかも、慣れていない魔力で立ち向かえだなんて、ろくに戦ったこともない無力な私には酷なことですよね。

 逃げ出したくなっても誰が私を攻めれるでしょうか。

「雲であるワシから逃げれるとでも?」

 そうですねぇ、ここみたいな閉鎖空間では雲の精霊さんから逃げることは困難ではありますが、まあ、正直なところ、どうにでもなるんですよね。

 雷さんでなくてその点はほっとしています。

 だからと言って、実力もわからない雲の精霊さんをどう対処していいものか。

 本当に困りものですねぇ。ここはひとつ……

「いえ、あんまり意味のない言葉遊びですが、ここではもう霧なのでは?」

 と、事実を突きつけその場の雰囲気を和ませ、お茶を濁してどうにかしようと画策してましょう。

 まあ、無意味ですけど。

「ワシを地を這う霧と一緒にするではない」

 そう言って、怒りを露わにしていらっしゃりますが、雲も霧も基本的には一緒ですよね。違うとすれば、地にあるかお空にあるか。

 まあ、それだけでもその傲慢な考え方を満たすには十分なのでしょうが。

 原初の精霊とはいえ、こんなものなんですねぇ…… がっかりですよ。

「やっぱりそうなんですねぇ。原初の精霊とはいえ、そんなものなのですね。

 精霊は勤勉な種族ではないですからね、仕方ないですよね」

 あっと、いけません。つい思っていることが口からすらすらと喋り出てしましました。

 これでは私が挑発し、煽っているように見えるではないですか。

 私はそんなことはしませんよ。しませんよ?

 だって、はしたないじゃないですか。

「ふむ、馬鹿にするのも大概にするがよいぞ?」

 不敵に笑いそう言いつつも、額には青筋のような血管が浮き出ています。そんな表情を作ってくれるとは雲さんも芸が細かいですね。

 にしても、効果てきめんですね、あらあら。

 まあ、別に煽らなくても問題なかったのですが。もう少し湿気は取っておきたいですしね。

「いえいえ、馬鹿になどしてはいませんよ?

 なにかをもたらした存在と捏造したことで人々を従わせてきたものを、馬鹿にだなんてしませんよ?

 ただただ、哀れんでいるのですよ。

 世界にに何かをもたらしたのが原初の精霊? ふざけたことを。

 奪った物を我が物顔で与えたフリをしていただけじゃないですか」

 その言葉に、雲の精霊さんの表情が一気に変わりました。

 どうやら禁句ってヤツだったみたいですね。

「…… どこでそれを? アレクシスの坊主から聞いたのか?」

 嫌ですね。声が低くなって怖いですね。

 逃げ出したくなっちゃいますし、ついでにアレクシス様から聞いたと嘘を教えたくもなっちゃいますねぇ。

 でも、そこまでめんどくさいことをしなくてもいいでしょうか。

 大体の把握は終わりましたし。これなら、まあ、遊んであげてもいいかもしれません。

「あの人はそんなこと気づいていませんよ?

 いえ、そう言う風にされているんじゃないんですか?」

 その点は私も同情しますよ。

 本当に可哀そうな生き方しかできない人ですからね。

 結局、アレクシス様は最終的に精霊王に歯向かうようにされていたってことですものね。とんだ茶番ですよ。

「おぬしは自分でそれに気づいたと?」

「馬鹿じゃないんですから、気づかないわけないでしょう?

 精霊があの世界にやってきたのは高々千五百年前ですよ?

 あの世界はそれよりずっと昔より存在しているのですから。

 ああ、時間という概念のなかったあなたたちでは気が付きもしないでしょうけれどもね」

 私がそう言うと雲の精霊さんから表情が消えました。

 せっかく煽って頭に血を登らせてあげたというのに、急に冷静になられちゃいましたね。さっきの言葉は逆効果でしたか。

「はぁ、容易くそういうことを言う出ない。

 そのせいでおぬしは生かしておけぬし、他の精霊も記憶処理せねばなるまいて」

 そう言って雲の精霊さんは憐れみにも似た表情を向けてきます。

 え? 違うでしょう、あなたが私に向ける表情は畏怖と絶望に満ちたものだけで十分なのですよ?

「グ、グランド様?」

 地面に寝っ転がっている名も知らない無駄に光り輝いている精霊さんが驚愕の眼で雲の精霊を見ていますね。

 やはり末端の精霊は何も知らされてないのですね。知っているのは原初の精霊だけなのでしょか。自分の子供らすら騙すとかダメですねぇ。見栄っ張りですねぇ。

 しかし、ふふっ、でも面白いですねぇ、こういうの嘘がばれたときのドロドロはいいですねぇ……

 見てください、あの羽虫さんたちの表情、ゾクゾクしちゃいます!!

 こういうときは本当に心胸躍っちゃいますねぇ!!

 ほんと、ゾクゾクしてきちゃいます……

 それはそれとして、とりあえず一番の懸念事項だけは確認しておかねばなりません。

「ところで、雷の精霊さんは?」

「来ておらぬ。

 おぬし、まさか本当にワシに勝てると思っているのか?」

 あら、そうでしたか。

 じゃあ、もう何の心配もいらないですね。

 どうせこの社も壊れちゃってもいいものですし……

 湿気取りも私の周辺だけなら大分効いて来ましたし、もういいですよね。

「はっきり言っちゃっていいんですか?

 逆にお聞きしますけれども、雲と霧の違いもわからず、ただ雲の特性だけを取り込んだだけの、この安全な精霊界にただただひたすら引きこもっている、あ・な・た・に?

 私相手に、何ができると思っているんですか? もう戦いは始まっているんですよ?」

 そう啖呵は切ったものの、雲の権能ってどうんな効果なのでしょうか?

 雨雲を創ったり、雷雲を創ったり、とか? まさかそれだけじゃないですよね?

 うーん、権能だけには気を付けないといけませんね。

「ふん、多少乾燥させたくらいでワシをどうにかできるとでも?」

 嫌ですね、乾燥していないと火の付きが悪いんですよ。

 まあ、それも私が大して魔力を持っていなかったときの話なんですけどね。

 それ以上に湿気が嫌いな理由があるんですよ、私には。

「塵は集まりゴミとなり、ゴミはまとめてゴミ箱へ」

 今の言葉を呪文として、煽りながら…… いえ、お話しならが密かに用意しておいた魔術を発動します。

 ただの室内の塵を集めて捨てるだけのお掃除用の魔術です。元はイナミ様が創られたものですですけどね。

 安全性を考慮して大した吸引性もない、本当に塵を集めて捨てるだけの塵取り代わりの魔術ですよ。

 主も精霊門も持たない私が使えば、ですけれども。

「ぬぅ、重力操作じゃと?」

 そう驚きながら雲の精霊さんはお掃除用の塵取り代わりの魔術に吸われていきます。

 威厳ある原初の精霊が塵取り代わりの魔術にやられるってどういう気分なんでしょうか。その気持ちを想像するとゾクゾクしちゃいますね。

「あらあら、雲だか霧だかには凄い効き目ですねぇ?」

 魔力が違うとお掃除用の魔術でも効き目がここまで違うものですね。

 お遊びのつもりで使いましたが、思いのほか吸えて、ハッ、ほんと笑えますね。

「こんなもので……」

 ついでに湿気取りの魔術も効いていたのか、随分とあっさりと雲の精霊さんを捕まえてしまえましたが……

 でも、そんな簡単に行くわけもありませんよねぇ。

 一塊になって水になっていた雲の精霊さんは、その束縛を力づくですぐに打ち破ってしまい、この狭い洞窟内にこれでもかってくらい膨張して見せてくれました。

 せっかく湿気を取れたのにまたジメジメですよ。

 くせっ毛なので、髪の毛がクルンとなって、いう事をきいてくれなくなって嫌なんですよ、湿気があると。

 ああ…… ああ…… ほんとに嫌……

「ワレェ、いい加減にせぇよぉ!!」

 あらあら、随分お怒りになってくださって。

 やっぱり無駄に相手を怒らせるの、楽しいですねぇ。私も湿気で不機嫌極まりないんですけどね。

「あらあら、怒ってらっしゃるのですか?

 じゃあ、私も本気にならないといけないですよね?

 私、こう見えて、実は火と光の精霊なんですよ?

 更に私の魔術の師匠はイナミ様なんです。

 ついでに変人である意味天才のシースさんっていう友人までいるのですよ?

 彼女とは色んな話をしていましたね。幽霊である彼女に話し相手は少なかったので」

「それがどうしたぁ!!」

 もう怒りで我を忘れてらっしゃいますね。

 これでは、元から勝ち目ない戦いだったのに、更に勝ち目は無くなってしまいますよ、お馬鹿さんですね。

「はじめっから、あなたでは勝ち目なんてないっていう事だったんですけど、わからないですよねぇ?」

 私が気合を入れると、周囲が熱せられ激しく燃え上がる。そして私の体から後光ともいえるような光が溢れだします。

 おっといけない、なるべく殺さない方向で行かないと。

 イナミ様がそうだったので、私もそれに習おうと思うのですよ。

 とはいえ、相手は原初の精霊ですので、私では完全に殺しきることもできないでしょうし、手加減無用ですね。

 じゃあ、本気で遊んであげてもいいですよね?

「どなたか、そこに転がっている、ただ光るだけの精霊さん達も連れて…… 適当に逃げてくださいますか?」

 私は後ろに控えている茫然と見ているだけの、味方の精霊さんに優しく声をかけてあげました。

 あの精霊達は何のためにアレクシス様についてきたんでしょうかね。まったく、仕事もしていなくてただ茫然と見ているだけとか。

 いえ、それは私が一瞬でかたを付けてしまっていたせいでしょうか。

 どちらにせよ、早く光る羽虫さん達を連れて逃げていってくれませんかね。

 だって、巻き込まれたら可哀そうでしょう?

 味方も敵も。

 だって私が本気を出したら……

 雲の精霊さんが、吹き飛びました。

 いえ、正確には霧散しただけですね、流石にそれだけで倒されることもないでしょう。

 そして数舜遅れて雲の精霊さんの背後の岩壁が、赤く変色し融解した岩をまき散らしながら爆ぜました。

 イナミ様はこれをビームだか、レーザーとかと言ってましたっけ。

 ここでは威力を加減しないと…… 生き埋めにされますね、めんどくさいですね、本当に。

 ただでさえ私は戦うの苦手なんですよねぇ……

 自分より弱い相手をいたぶるのは、大好きで大得意なんですけど、ねぇ?




「それが条件……?」

 月の女王が出した条件にボクは驚くことしか出来なかった。

 そして、ボクが判断を下せるものでもなかった。

「はい」

 と、月の女王が頷いた。

「決めるのはイシュヤーデだ。

 これは…… 

 ボクがどうこうしていい話ではない」

 そう、イシュヤーデに任せ託すしかない話だ。

 こういった類の話はどうも苦手た。まだボクには戦いを挑まれた方が解決のしようがある。

「とても光栄なことです。でもなぜ私なのです?」

 イシュヤーデも困惑しているし、グリアノーラにいたっては黙って腕組みをしたまま固まってしまった。

 グリアノーラもボクと同じような物だと思うので、多分理解が追いつかなかったのだろう。

 月の女王は少し迷ったような素振りを見せるが、すぐにその白い頬を染めてイシュヤーデの問いに答えた。

「とても邪な理由です。

 わたくしは恋をしました。

 当初は、当てつけのつもりでしたが……

 それが本物になるとは、わたくしも思っていなかったのです。

 しかし、あの人は生まれた娘を連れて、人界へと帰っていきました。わたくしにはそれを止めることが出来ませんでした。

 今一度会いたいのです。それがただの似姿だけでであったとしても……」

 月の女王はまっすぐにイシュヤーデを見つめそう告げた。

「なるほど、そういう事ですが。

 ですが私は、そのような人物を映した覚えは……」

 イシュヤーデはたじろぎながらそう答えた。

 恋心はボクにはわからない。

 ボクの精神は未だにそういった物を拒むように出来ている。

 それで困ったことはないが、それがどういった物なのか知りたいとは思っている。

 あのアンティルローデにすら改心をさせると言わせられるほどの物がどんなものなのか、ボクには理解が及ばない。

 この精神を固定が解ければいずれは理解できるものなのだろうか。

 だが、問題はイシュヤーデがその姿を取れるのは、イシュヤーデが宿った鏡にその姿を映した者だけだ。

 確かにイシュヤーデは長く人界にいたが、その可能性は低い、はずだが?

「それがあるのですよ、偶然ではありましたが……

 でもそのことを、今は詳しく話している時間はないでしょう。

 現に門の社は、天空の一派に攻められ居ます」

 門の社が攻められている?

 門の社に急いで帰るべきか?

 いや、女王の対話が終わり次第、原初の宮の太陽の神殿へと攻め込むべきだ。

 ここで後手に回る訳には行かない。

 それに……

「門の社は、ボクの異母兄弟が守ってくれています。

 そう簡単には明け渡さないと思いますが、その攻めている者は?」

「攻めているのも独断で動いた雲とその配下です」

 その言葉にボクは安堵する。

 雲の精霊グランドは、まだ話の通じる精霊だ。怒らせでもしない限り話し合いでどうにかなるだろう。

 理由なく命を奪うような精霊でもない。大丈夫だ。

「雲…… グランド様ですか?」

 イシュヤーデは少し怪訝そうにそう言った。

 あまり良い印象を持ってなさそうだ。

 まあ、確かに多少高慢なところはあるが、それはどの精霊でもそうだ。

「はい、普段はここの警備を命じられているのですが、わたくしが人払いをしたら、暇つぶしのつもりか、点数稼ぎのつもりかは知りえませんが」

「シャーザンか精霊王自身でも出張らない限りアリュウスが一方的に負けることはないとは思うが……

 そもそも、すぐに逃げると言っていた、危険はないはずだ。

 それでも、急ぐに越したことはない」

 そう言って、自分にそう言い聞かせて、イシュヤーデに視線を送る。

 急かすようになって申し訳ないが。

 けれど、イシュヤーデはボクの視線には気づいていない。

 じっと月の女王だけを見つめている。イシュヤーデは天上の位を与えられた精霊だ。

 つまり本来は天空の一派の精霊という立場なのだ。なぜ鏡の精霊、しかも鉄鏡の精霊であるイシュヤーデが天上の位を持っていたか詳しくは知らないが、確か月の女王が関係していたことは確かなはずだ。

 そもそも、イシュヤーデは月の女王に憧れるように月を見る姿が逸話として残っている程だ。

 この二人には元々なにかあるのだろう。けどそれはボクが詮索するようなことではない。

「ルナティリアル様の申し出、このイシュヤーデ、喜んでお受けいたします」

「ありがとう、イシュヤーデ」

 月の女王は嬉しそうに微笑んだ。

 それは、威厳ある女王ではなく、年端もいかない少女のような笑顔だった。

 それは本当に美しい物のようにボクには思えた。

「いえ、とんでもございません」

 イシュヤーデのほうは表情がない。フードを深く被っている、からではなく、鏡の精霊であるイシュヤーデには表情、というより顔自体が虚無で存在しえないのだ。

 表情など元々ありはしない。のだが、心底嬉しそうに見えるのはボクの気のせいだろうか。

「では、未来の我が夫にこれを託します」

「これは?」

 女王はイシュヤーデの手を両手で熱く握り、イシュヤーデに何かを手渡した。

 それはただの石のように思えるが、それに込められた魔力は尋常な量ではない。

「人界より持ち込まれた、とても珍しい…… 本物の月の石です。

 わたくしとあの方には、その力、あり方に、それこそ雲泥の差がありますが、長い時をかけ魔力を込めたこの石なら、一度だけ、ただ一度だけではありますが、あの方の如何なる魔力をも反射することができます。

 持っていってください。そして生きて帰ってきなさい。これは命令です。

 知っていますか、月が輝くのは太陽の光を反射しているからです。そう言った意味では月は最古の鏡と言えなくはないでしょう?

 私達はいい夫婦になれますよ」

 そう言って月の女王は極上の笑みイシュヤーデに向けた。




 月の女王と別れ、常夜之原を後にした後、グリアノーラは剣へとその身を変え、イシュヤーデは鏡の盾へと変化した。

 グリアノーラの剣、英雄の剣とも呼ばれるグリアノーラ本来の姿は英雄に振るわれる一振りの剣だ。

 妖魔を斬ることに特化した剣ではあるが、それは根本は同じ存在である精霊に対してもその効果は高い。

 ただその力は精霊王に到底及ぶものではない。

 それでも精霊王自信の魔力より創られた太陽の神剣よりは期待できる。

 この剣で精霊王に致命傷を与えられるようなことはないだろうが、今ボクが持ち得る最高の武器であることは事実だ。

 またイシュヤーデはその変身能力で盾の姿を取ってもらっている。

 イシュヤーデが変化した鏡の盾なら、精霊王の得意な光系統の魔術を反射することは恐らく可能だ。

 それ以外の魔術や直接の攻撃をイシュヤーデで受けることは出来ない。

 それでも精霊王の攻撃の一部でも弾き返せるのなら、なんとも頼もしいことだ。

 特に光系統の魔術はボクでもかわすのは難しい。相手が精霊王ともなれば、イナミのようにポンポン魔術を連続で発動してくるだろうしね。

 精霊界の中央、原初の宮にある山の頂、太陽の神殿を目指す。

 太陽の神殿にいるであろう精霊で特に注意しなければならないのは精霊王と雷の原初の精霊であるシャーザンくらいか。

 シャーザンはボクの剣の師匠だ。

 ボクは彼から戦い方のすべてを教え込まれた。

 そんな相手に勝てるのかと言われればわからないが、勝たなければならない。

 戦いたくはないが、立ちはだかるのなら倒さなければならない。

 山の頂きに降り立ち、太陽の神殿を見上げる。

 白色の、他に見たこともない石材で創られた神秘的な神殿。

 この神殿の石はボクの博識の神眼でもよくわからない。もしかしたら精霊王が魔法で生み出した物なのかもしれない。

 非情に細部まで意匠の凝った創りになっている。それが永遠と思えるほど続く神殿だ。非常に美しいものだが見惚れている暇はない。

 その神殿の入口に一人の精霊が立っている。

 ところどころ褐色の羽毛に包まれ額の一部と眼の下だけに赤い羽のような毛が生えている。

 その鍛え抜かれた肉体は完成された機能美を感じさせる。

 そして常に帯電し放電する剣を大地に突き刺しボクを見据えていた。

 言うつもりはなかったが、自然と声が出てしまう。

「師匠」

 と。

「まだワシを師匠と呼ぶか」

 と、シャーザン、いや、師匠は答えた。

 ボクにとって、彼は師匠には違いない。

 敵意は今のところ感じはしない。

 が、彼の剣技は一撃一撃が必殺の刃だ。

 気を抜けば一瞬でボクの首を撥ねれるほどの剣の達人だ。

「師匠は師匠です」

 そう言いつつ、英雄の剣を両手でゆっくりと構える。

 イシュヤーデの鏡の盾は背中に背負ったままにする。師匠の前には鏡の盾を構えたところでい意味はない。

「そう身構えるな。ワシはおまえと戦う気はない」

 その言葉にボクは正直、ホッとする。

 それほどまでにこの人は強いし、嘘をつき人を騙す人でもない。

 本当に戦う気はないのだろう。

 元から力を持って生まれてくる精霊はボクから見れば怠惰だ。与えられた力でのうのうと生きるだけだ。

 だがこの人は違う。元から凄まじい力を持っているにもかかわらず、剣の道に生き剣を極めんとした人だ。

 精霊が剣の道を修めたところでなんの意味はない。師匠は、言ってしまえば精霊では変人の類だ。

 ただその実力は雷の精霊であるにも関わらず、数多いる剣の精霊が束になっても、剣の腕前で勝てるものはいない。

 おかげで剣の精霊達は肩身が狭かったりするが、それはまた別の話だ。

 その性格も武人そのもので誇り高く気高い。

 彼のような精霊が、なぜ精霊王に付き従っているか、ボクには理解できないくらいだ。

「それは助かります」

 そう言ってから、ボクはゆっくりと剣の構えを解く。

「ワシというか、おまえと戦おうとする精霊はここにはいないであろうな」

「雲の……」

 と、言おうとしたが、師匠は食い気味に、渋い顔を見せながらはき捨てるように反応した。

「あやつは別だ。勝手に動いただけだ。

 女王の警護を閑職と勝手に思い込んでいるようじゃったからな、手柄が欲しいんだろうが……

 いいように遊ばれておる。ヤツにはいいクスリになるだろうて」

 その言葉を聞いて安心する。アリュウスに守備を任せて正解だった。

 しかし、原初の精霊相手に引けを取らないとは、やはりアリュウスの資質は高い。

 何を考えているのかがわからないことだけが欠点だ。

「そうですか、とりあえず安心しました。

 ボクと戦わない、それは精霊王もですか?」

 そう言いつつも、話し合いで終わるわけがない。そのことだけは確信がある。

「王はああ見えて、聡明なお人だ。おまえが思っているよりはな。

 今もワシ以外人払いしをし、親子二人での対話を希望されておる」

 こちらとしても無駄な犠牲を出さないで済むのは助かる。

 精霊の数は、やはり少ないのだから。

 無駄にその数を減らすこともない。この戦いは、精霊界の未来を決める戦いではあるが、やはりボクと精霊王だけで終わる話だ。

「師匠も…… 精霊王が正しいと思っているんですか?」

 ボクの問いに師匠は右目だけをヒクッと反応させた。

 それに呼応するように特徴的な赤い羽根が揺れ動くが、その感情、考えまでは推し量れない。

「それはワシの答える事ではない。ワシは一介の精霊に過ぎぬ。王に問え」

「他の精霊達は?」

「虚空の領域にまで非難させている。壮大な親子喧嘩に巻き込まれたらかなわないからな」

 結局、戦うことは想定済みか。

 ボクと精霊王、本気でぶつかり合えば、その被害は尋常ではないはずだ。

 周りに巻き込むものがいないと言うのは助かる。恐らくボクには周りを期待しているだけの余裕はないだろう。

「それでですか、精霊達がいなかったわけですね……」

「おまえは女王とも会っていたようだが、それも無意味だ。

 我ら精霊は、王とおまえ、対話にせよ武力にせよ、勝った方に付き従うとすでに決めている。

 一部の先走ったヤツを除いてだがな」

 そう言って師匠は苦笑いをした。

 その苦笑いが先走った雲の精霊に向けられたものなのか、師匠自信に向けられたものなのか、それとも、無謀にも精霊の王に挑もうとしているボクに向けられたものなのかはわからない。

「そうですか、それは助かります。

 でも、それはボクが精霊王を殺すことになってもですか?」

 師匠の眼を見据え問う。

 師匠の鉄面皮からはその考えや感情はやはり読み取れない。

「ああ、もちろんだ。皆覚悟は決めている。もちろん王もな。

 おまえが王をどう思っているか知らないが、王とて取れる手段は少なかったのだ。

 苦渋の選択の上で、こうなっただけだ」

 師匠は表情を変えず迷いなく答えた。

 取れる手段がすくなかった、か。それはこちらも同じだ。

「ですが……」

 とボクが…… 結局は言い訳を述べたいだけだったのかもしれないが、それは聞いてもらえなかった。

 ボクがなにか喋るよりも早く師匠に割り込まれてしまう。

 師匠もなんだかんだで気が短い人だ。

「後は王と対話しろ。

 ワシももう虚空の領域へ行き成り行きを見守ろう。

 本当はな、ワシの剣を貸そうとここで待っていたが、良い剣を持っているではないか。それだけはワシの杞憂であった。

 長々と話して水を差すのもなんだ。

 では、王とその息子、両者の検討を祈る」

 シャーザンはそう言って空高く羽ばたいていった。

 今更精霊王と対話か。イナミなら喜んで受けそうだけれども。

 そううまくは行かないだろう。


 誰もいない太陽の神殿を突き進む。

 幼少期、ボクはここで暮らしていた。

 そして勇者として、人々を救う英雄として精霊達に教育され育てられた。

 幼いボクは魔王を倒す勇者になると本気で誓った。そう育てられていたのだから。

 そしてその時、ボクの精神は固定された。

 決してその意志を曲げれぬように。

 だが、そうして仇敵となったその魔王はもはや存在しなく未来永劫現れることももうない。

 なら、その固定された決意はどこへと向かう? それを生み出したものへと向かうのではないか?

 確かに精神の固定は緩みはしたが大元は変わらない。

 結局は最終的にこうなることは運命だったのかもしれない。

 太陽の神殿の最奥の間の扉、いささかボクには大きすぎる扉だが、その扉に力任せに少し乱暴に開かせる。

 黄金で彩られた煌びやかな扉は力任せに開けても音一つ鳴ることはない。

 開いた扉の先に、やつはいた。王座にゆったりと座りこちらを見据えていた。

 人とも鳥とも思えるような巨人。

 人と大鷲、その二対の生物が完全に融合しているように見えるが、奇異なところなどなく元からそう言う生物のようにさえ思える。

 どこまでも優美で力強く美しい男性と大空を優雅に羽ばたく大鷲との完全な融合と調和を果たした完璧な姿だ。ただし、その身は燃え盛る炎に包まれている。いや、その身から炎が湧き出でている羽毛でおおわれている。

 その姿は神々しく、まさしく天に浮かぶ太陽のごとく光り輝く存在。

 精霊王アデュスワーズ。

 見た目だけなら、どこまでも美しく神々しい。まさに神なのだろう。

「やあ、我が息子よ。待っていたぞ」

 アデュスワーズがそう声をかけた。

 それだけで怯みそうになるほどボクとこいつには魔力に差がある。イナミと出会っていなかったらそれだけで心が折れそうになるほどだ。

 だが、実際に、こうやって再び相対してわかる。魔力だけなら量も質もイナミのほうが断然上だ。

 なら、決して倒せない相手ではない。

「精霊王アデュスワーズ」

「父とは呼んでくれぬのだな」

 と精霊王はせせら笑うように言い放った。

「息子とも思ってはないだろう?」

 睨みつけそう返す。

 そして、とりあえず対話だ。と、自分自身を諫める。

 師匠と話していなかったら、視界に入れた瞬間斬りかかっていたかもしれない。

 そしてボクは次の瞬間には、丸焦げになってボクは床に転がっていたかもしれない。

 師匠と話したおかげでとりあえずそんなことにはならなかった。

 深く呼吸をする。落ち着かなければ勝てるものも勝てなくなる。

「そんなことはないぞ、我が息子よ」

 頬添えをつき、見下すように精霊王は王座にゆったりと腰かけている。

 一度眼を閉じ、もう一度深く息を吸いそして吐く、眼をゆっくりと開く。

 見下されているわけではない、相手のほうが大きいだけだ。

 せせら笑っている訳ではない。そもそも精霊相手に表情や感情など意味がない。

 自分にそう言い聞かせる。まるで仇敵のように思える精霊王への感情を抑え込む。

「戯言はいい」

 そうだ、親子だろうがなんだろうが、関係はない。

 ボクはボクだ。ボクの意思でここへ来た。エルドリアを守り、この精霊界を自立させるためにボクはここにいる。

 その方法が対話だというのであれば受けるだけだ。

「そうだな。まずはお前の意志を聴こう、どうしたい? 何が望みだ?」

 精霊王はそう言ってきた。

 本当に対話するつもりがあったのかと、少し拍子抜けするが、結論を出すのは返答を返してからでいい。

「もうエルドリアには関わるな。あれは人の世界だ」

 これは絶対だ。これだけは譲れない。

 やっとの思いで魔王の呪縛を解き放ち、穢れへの対策もできた。

 あの世界にもはや精霊が関わるべきではない。

 そして、精霊界も独り立ちすべきだ。

 そのきっかけはオスマンティウスという存在が示してくれている。

「あの世界を救ってやったのは我が友だ。それを無為にせよと言うのか?」

「その対価は既に受け取っているだろう」

 確かに海神シシャラシャウスはエルドリアを救った。

 その結果、狂った。

 その犠牲は大きい。だが、大地の精霊グランボシャスはシシャラシャウスが穢れを抑え込んで内に、その大地を切り取り奪っている。

 それは人類にとっても貴重なまだ穢れにまったく汚染されてない大地だ。

 その価値は、エルドリアにとっても、精霊界にとっても計り知れない物だ。

「この小さな箱庭が、我が友の対価だと?」

 おまえが箱庭という世界のために、どれだけの犠牲があったのか。それを承知でこいつは、この掛け替えのない大地を箱庭だと言うのか。

 心の中を怒気が炎となって燃え上がる、が、それをどうにか抑え込む。

 縛られた精神に逆らって感情を制御するのは、未だに苦労する。

「これ以上あの世界から奪うことは許されない」

 そうだ、決して許されない。それだけは確かだ。

 それにもう奪う必要はない。

「ふむ。おまえが尽力を尽くしたおかげで、想定よりも早く穢れからあの世界は解放されるのであろうな。

 で、あるのならば、反対しているおまえを幽閉した後、それを待ち、今度は我自らがあの世界に降臨しようぞ」

 精霊王はそう言って、その巨大な翼を広げた。周りに炎の羽が舞い散る。

 その羽一本一本に恐ろしいほどの魔力が篭っている。

 威嚇のつもりだろうか。いや、精霊王にそのつもりもないのだろう。

 ボク相手に威嚇する必要性すらないはずだ。その言葉も動作もただの挑発だ。

「やはり対話など無意味だ」

 それは最初っから分かっていた。

 精神を固定されているボクに考え方を変えることなど出来やしないのだから。

 いや、元より精霊王もそのつもりなのだろう、ボクの精神を固定したのは精霊王自信なのだから。

 そして、高慢な精霊王も自らの意志を人の意見で変えるようなヤツではない。

 それ故、意見の対立は永遠に平行上となる。

 これ以上の対話は無意味でしかない。

 嫌になるほど力の差は明白だが、結局はやるしかない。

「我は精霊の王だ。我が民のことを第一に考えて当然であろう?」

「もう目的は達成されているはずだ」

 対話は一応続いてはいるが、ボクと精霊王の間で緊張感は高まっていく。

 もう結論は出ているのだと言わんばかりにだ。

「最低限ではあるがな。より良い環境を目指すのは当たり前のことだ。

 それにあの新しき神のおかげで新たな道が開けた。我ら精霊が、新たな段階へと向かうための契機を我に与えてくれた。

 だが、それを完全に手中にするのであれば、やはりあの世界を我が治め、あの新しき神を捕らえねばならぬ」

 やはり精霊王の狙いはオスマンティウスか。

 そのために太陽の金貨をオスマンティウスに与えた。監視し観察し、その存在を理解しようとした。

 だが、それだけでは完全に理解することは精霊王でもできなかった。オスマンティウス、あの新しき神は例外中の例外であり、理解しようとしてもそう簡単に理解できるものではない。

 もしオスマンティウスが精霊王の手に落ちれば、あの健気な神がどんな目に会うのか、想像もしたくない。

 精霊王は目的のためならどこまでも無慈悲だ。

「新たな段階? そんなことのためにオスマンティウスとおまえを会わすつもりはない」

 精霊のなりそこない、半精霊だった彼女が実体を持ち、しいては神に至った。

 それは偶然、あるいは運命であったかもしれない。

 肉体を得た魔神の躯、いや、肉体を得た精霊の躯から新たに受肉ができ、オスマンティウスのように成長できるのであれば、これ以上精霊達にとってエルドリアはもう必要ない。

 今あるだけのものでどうにか精霊界は続けていくことができる。

「言うならば実験体…… であるか。

 本来なら、おまえが歩む道を、あのなりそこないだった者が代わりに進んでくれたのだ。故に我はおまえはその任から解かれたのだ。感謝しなければな」

「実験体か……」

 やはりそうなのか。

 精霊達が、いや、次世代の精霊達の実験体としてもボクは創られていたんだ。

 精霊が実体を得る上で一番楽で安全なのが、人との間に子を創ることだ。

 その子は精霊の力を持ち、人の肉体を持って生まれてくる。

 その力は親の精霊からは劣るものの、最も安全に精霊に合った肉体を得ることができる。

 精霊が実体を持つには、特に力のない精霊達が実体を持つには、かなりの危険が伴う。

 そもそも元は実体を持たない生態なのだから当たり前の話だ。

 まず長い年月かけて人界にて実体に馴染ませなくてはならない。

 そして更に自分に合った波長の合う実体の元となる物を見つけなければならない。

 そうすることでやっと精霊はそれを基に実体を得ることができる。

 もっとも原初の精霊ともなれば、力づくでそれを得ることもできるだろうが。

 だがオスマンティウスは違う。彼女は元々は鋼と若木の精霊となるはずだった。

 なのに、彼女は偶然とはいえ塩の肉体を得た。

 イナミに魔力を注がれていたとはいえ、それは本来あり得ない事だ。

 塩の魔神グレルの行った魂融合の魔法、滅びかけの魔神の肉体、小さき半精霊の魂の器。

 それらがかみ合い出来た偶然の奇跡だ。

 精霊王はオスマンティウスがたどった奇跡の道を解析し、それを新たな仕組みとして実践していきたいのだろう。

 しかも、今ならまだ、海の魔神シシャラシャウスの躯とも言って過言ではない偽りの海がまだエルドリアには存在している。

 それを基に精霊王が新しい肉体を得たのであれば、精霊が苦手とする穢れを克服した、それこそ絶対の神になりえるのかもしれない。

 そうなれば、精霊王は不要となった人を容赦なく滅ぼすことだっていとわないだろうし、良くて家畜として生かされていくことになるだろう。

 師匠の言う通り精霊王は聡明なのかもしれない。だが、それは精霊側の視点からだけだ。

「それと、あのイナミとかいう存在。

 あれが存在しているうちに色々と試しておきたい事はあったのだが、非常に残念だ」

 その言葉で、イナミが既に存在していない事を知ることができる。

 そうか、もうイナミはいってしまったのか。もしボクが負けても彼女がいれば、とは思っていたが。

「おまえが? イナミを?

 どうにかできると思っていたのか? 笑わせるな。

 実際に直に見てきたボクは断言できる、イナミはおまえよりも強いよ」

 これは確かだ。

 イナミは戦い方を知らないだけであって、彼女がその気になれば……

 この精霊王だって楽に一蹴するだけの力を持っている。

 海の魔神戦の時でさえ、彼女は遊んでいるようなものだったのだから。

「ハハッ、戯言を。魔力の強さだけが強さではない。

 かの者はたしかに魔力だけなら我をも凌ぐだろうが、それだけで我を越えられると思うなよ?」

 そうだな、確かにそれはある。

 イナミにとって戦いは…… ある意味、娯楽、遊びでしかない。

 彼女が必死になって戦おうとしたところなど、ボクは見たことがない。

 海の魔神戦ですら、彼女にとっては遊び感覚だった。少なくともボクにはそう思えた。

 そんなイナミが本気で相手を殺そうとしたら?

 ただ自分の思い描いた事象を魔法で再現しているだけの彼女が、本気で相手を殺そうと考えだしたとしたら?

 彼女の魔術、魔法における理解力は、相手を完全に消滅させることができるだけの魔法を創り出すことなど容易だ。そして行使することができるだけの魔力も有り余るほどある。

 わざわざ別の事象を起こして回りくどい魔法を創る必要すらない。ただ相手の消滅を願い実行する魔法を創ればいいだけだ。彼女にはそれができ、それを実行できる魔力がある。

 それはこの精霊王相手でも変わりはない。あの圧倒的な魔力はそれすら可能にしてしまう。

 イナミがその気になれば、勝てる者など存在しえない。ただ一つ魔法を使うだけで相手を完全に消滅させることすら容易いし、その魔法に抗える存在など皆無だ。

「どちらにしろ無意味な話だ。おまえはここで、今日、ここでボクの手によって負けるのだから」

 英雄の剣を右手で構え、鏡の盾を左手で構えた。

 英雄の剣が密かに震えたが、武者震いという事にしておいてやろう。

 ボクの魔力を剣と盾に存分に流し込む。これで武具の底上げもできるし、その耐久力を大幅にあげることができる。

「面白い、やってみるがいい。

 おまえに負けを認めさせ、今度はその時点で精神を固定してやろう、二度と我に逆らわぬようにな」

 そう言って精霊王アデュスワーズは、今度こそ見下すようにせせら笑った。

 精霊王は両手、いや、翼を更に大きく広げた。

 視界全部が炎と光で埋め尽くされるようだ。

 相手は格上で絶望的な力の差がある。

 だけど、決して勝てない相手ではないはずだ。


 精霊王相手に魔術は愚策だ。伝承通りであるのならば、イナミ相手同様に破棄されるか、その内容を書き換えられ乗っ取られてしまう。

 使うなら魔法しかないが、魔術に対して魔法は魔力の消耗が激しいし隙も大きい。

 そんなボクに対し、精霊王はイナミ同様ほぼ無詠唱で魔術を発動してくる。

 光術の類であれば、鏡の盾ではじき、炎術やその他の魔術であれば避けなければならない。

 イナミに魔術解析の原理を何度も聞いておいたおかげで、魔術の発動前にどのような内容の術か、この眼でなら見切れるようになった。

 イナミや精霊王のように魔術の書き換えが無理でも、それはとても心強いことだ。

 精霊王が魔法でなく魔術を主として攻撃してくるのは、侮っているからではない。

 魔術のほうが隙が無いからだ。魔法は確かに万能ではあるが、発動するまでに少しの溜めが必要となる。言ってしまえば動作が魔術より重い。それはイナミであれ、精霊王であれ、変わらない。

 なので実際に相対したときの実戦で、距離でも無ければ魔法より魔術の方が大体有効なのだ。

 そう言った意味では、魔法しか選択肢のないボクは極めて不利であり、どうしても後手に回るしかない。

「どうした、飛び回って逃げ回る事しかできぬのか?

 この千年、おまえは戦い続けていたのであろう?

 人の英雄とは、こんなものか?」

 ただの挑発だ。乗るな。何度も自分に言い聞かせる。

 精霊王が次に準備している魔術が光術であることを確認して前に出る。

 放たれた光の槍を鏡の盾で弾き返す。

 が、流石は精霊王だ。魔力の圧が桁違い高い、イシュヤーデの鏡の盾でも、そう長く精霊王が放つ光術に耐えれるものではない。

 イシュヤーデも高位の精霊だが、相手が精霊王では精霊としての格が違いすぎる。

 いかに光術に対して鏡が優位な属性であるとはいえど、元の魔力が違いすぎる。そう長く、何度も弾き返せる保証はない。

 早めに決着をつけねばならないが、そんなことができる相手でもない。なにせ相手は不滅の太陽そのものなのだから。

 英雄の剣に魔力を集中し、幾つか準備しておいた魔法の一つを発動する。

「英雄の刃たる光の剣よ、その輝きを持ちて闇を払え!」

 青白く輝く光が英雄の剣より斬撃と共に打ち出される。

 耐妖魔用の攻撃魔法ではあるが、精霊相手でもその効果は十分にある。

 精霊王は腕とも翼とも取れるもので身を守り、その光を容易く弾き返した。防御に魔術すら使っていない。

 でも、その程度のことは予想済みだ。

「天に轟く雷よ、我が敵を打ち滅ぼせ」

 そこまで得意ではないが雷系統の魔法を続けて発動する。

 ボクの得意な魔術も魔法もやはり光と炎なのだ。それらは太陽の精霊である精霊王には通じない。

 太陽の神殿の室内をこれでもかと雷が走り回り精霊王を雷撃が何度も打つ。

 雷撃に打たれた精霊王は少し不機嫌そうな顔を浮かべるだけだ。

「こんなものか? 効くわけがなかろう?」

 当たり前だ、これも陽動で、真打は次だ。

 立て続けに放った魔法が効果が薄く油断している精霊王は魔術の準備すらしていない。今なら防御の魔術も間に合うこともないはずだ。

「極光よ、天を穿ち打ち滅ぼせ!!」

 イナミから教わったアンティルローデの魔術を元に魔法化を施し、それと同時に自爆覚悟で威力を最大限にまで引き上げより凶悪にしたものだ。

 光の柱が太陽の神殿そのものを包む。

 次の瞬間、閃光と衝撃がボクの感覚全てを占める。

 起きた爆発に吹き飛ばされ、ボクは強く壁に打ち付けられた。

 眼を開くと太陽の神殿の上部の大半は吹き飛んで無くなっていた。

 破壊された隙間から、蒼天の空が見える。

 そして、当然とばかりに精霊王は存在している。

 それどころか一歩たりともその場から動いていない。

 王座自体は吹き飛んでなくなりはしているが、王座のあった場所からまるで動いていない。それどころか舞い上がった埃に汚れてすらいない。

「ほう、今のは驚いたぞ。

 あのイナミとかいう娘が使っていた術か、中々素晴らしい術だ」

 やはり。精霊王でも全てを見通していたわけではない。

 この術はアンティルローデが開発したものだから。

 それはそうとして、この魔法でも無傷なのか。

 精霊王の周りには薄く輝く障壁のようなものが張られている。魔術を使っていた様子はなかった、いつの間にかに魔法を使われたか?

 ボクと同じように事前に魔法を幾つか準備していたのかもしれないが、それにしては魔法の発動が早すぎる。

 幾つか保持しているという権能の一つか?

 あの薄い障壁で、あの魔法を完全に無傷で防いだとなると……

 ボクの用意している攻撃のほとんどは、あの障壁に防がれてしまうという事にもなる。

 力に差があると分かってはいたが、ここまでの差があるとはな、笑いたくなってくる。

「良い物を見せてもらった代わりに我の本気も見せてやろう。容易く死ぬ出ないぞ?

 だが、我が神殿を破壊した罰は受けよ!」

 精霊王が大きく羽ばたくように羽を広げると、そこに光が集まる。

 あたりが暗くなったと錯覚するほどの光量が一点に集中している。

 これは魔術ではない魔法での攻撃だ。

 それ故に威力が高く、それ故に隙がある。

「イシュヤーデ!!」

「承知!!」

 イシュヤーデが鏡の盾の中から、月の女王に託された月の石をかかげる。

 次の瞬間、精霊王から放たれた光を月の石が受け止め弾き返す。

 月の石は砕け、跳ね返された光は精霊王を直撃した。

「ぐおぉ……」

 ボクは初めて精霊王が声を荒げた所を見たかもしれない。

 低くくぐもった唸るような声。

「ルナティリアルか…… あやつめぇ……」

 恨めしそうな声をあげる精霊王の周りに先ほどの薄く輝いている障壁は消えている。

 跳ね返された光は障壁を突き破り精霊王の右肩に当たり、そこの肉体を抉り吹き飛ばしていた。

 精霊王の傷口からは血ではなく炎が吹き出ていて、その炎が傷を塞ごうとしている。

 このチャンスを逃すことはできない。

「回復させるつもりはない!!」

 今、精霊王に障壁はない。

 そしておそらく、精霊王が肉体を持ち、生まれて初めて初めて痛みというものを味わっているはずだ。

 それは精霊王が想像していた痛みより激しかったか、そこまではわからない。

 だが、痛みは集中力を、そして判断を鈍らすものだ。

 それが生まれて初めて受けたものであるならばなおのことだ。

 出来る限りの魔法を平行して起動する。

 唸るように声をあげてボク自身の体から魔力を絞りだす。

 炎の魔法? 光の魔法? そんなものは関係ない、ただただ自分の最大火力を最大出力で打ち出すだけだ。

 そうでもしなければ到底越えられない壁が、実力差がそこにはある。

 青色にまで熱せられた超高温の火球を打ち出し、すぐに光の奔流ともいえる光の渦の魔法を立て続けに発動する。

 更にイナミから教わっていた光すら飲み込む超重力の魔法も最後に叩き込む。

 超高温の火球が神殿の床を溶かすどころか瞬時に蒸発させ爆炎を上げながら精霊王に命中し青白い火柱を上げる。その炎は周りのものを、石材すら燃え上がらせ全てを炎で包み、その熱量はすべてを分解し蒸発させる。

 すぐに光の渦がすべてを押し流し、周りを巻き込んで全てを粉砕していく、質量のある光の濁流とも言えるそれは半壊していた太陽の神殿を押し流していく。

 最後に超重力が全てを飲み込んだ。光すら飲み込んだ超重力のただただ漆黒の球体は全ての飲み込み、その漆黒の闇の中では全てが一点へと収束され無に帰していく。

 太陽の神殿そのものを飲み込んだ、漆黒の超巨大な重力球も数舜の時とともに徐々にその威力を失っていった。

 そして、そこには精霊王だけが存在していた。

 負傷していた右肩の傷すら残っていない。

 ただ悠然と何事もなかったかのように、当然のごとく精霊王だけが、そこに存在していた。

「素晴らしい。素晴らしい攻撃であったぞ、アレクシス。

 今のは感嘆に値する」

 精霊王は心底嬉しそうにそう言った。

「これでも及ばないというのか……」

 さすがにこれは予想外だ。

 今の三連撃の魔法で仕留めれるとは思っていなかったが、まさか無傷で乗り越えられるどころか、直前に与えていた傷まで癒しているというのは流石に……

「我以外の、何者であれ、今の攻撃を無傷で凌ぎきれるものなど、いはしないであろう。

 相手が悪かった。そう思い諦めろ。そなたはよくやった。

 ただただ相手が我だったことが悪かったのだ」

 満足そうに精霊王はそう言った。

 だが、ボクは諦めない。いや、諦めることすら出来ない。

 固定された精神は否が応でも、心に闘志の火を灯す。何度でも。

「なんなことでボクが諦めると思っているのか?」

 冷や汗を流しつつ、剣を握る手には必要以上に力が入る。


 戦いは続いた。

 ただしそれは一方的な戦いだった。

 如何なる魔法も効かず、剣で切りつけようにも雨のように降り注ぐ魔術でその隙すらない。

 たとえこの剣で一太刀斬りつけたところで、手傷を負わせることもできるかもわからない。

 事前に準備し貯めておいた魔法も全て打ち尽くしたが有効打を与えられた形跡もない。

 唯一傷を追わせられたのは、月の女王の助けにより精霊王の魔法を反射した一撃だけだ。

 だが、それは牽制となり、それ以後精霊王も魔法により攻撃はしてはこない。

 それだけでも凄い戦果だ。

 もしもう一度魔法で攻撃されたらもう防ぐ手立てはこちらにはないのだから。

 けれど、ただ一度きり与えられたその傷すら今は跡形もない。

 魔力も尽き、疲れ知らずのはずの肉体が悲鳴をあげる。

 ほんの一瞬判断が鈍った瞬間に、精霊王が放った光術の魔術の一撃がボクの右手を吹き飛ばした。

 光術ではあったが、これ以上イシュヤーデで精霊王の術を受けきることはできないかもしれない、そのことが判断を鈍らせた。

 吹き飛ばされた右手から、血の代わりに炎が噴出しすぐに右手を再生させる。

 そして、弾き飛ばされた英雄の剣も自ら飛んで戻り、再生された右手に収まった。

 問題はない。右手も再生し、武器も手元にある。

 それでも、もう息が上がってしまっている。足が動かず止まってしまっている。

 魔力も体力ももう底をつき限界が来ている。

 荒い息を整え、剣を杖代わりにしてボクは立つ。立たなければ、そして勝たなければならない。

「ふむ、そこまでして未だ立つか。中々素晴らしいが……

 混血種の弱点は、やはりその肉体か。この世界、元来のものであるが故に馴染みやすいが、世界の法にも強く縛られる。

 それ故に容易く限界を迎えるか……

 だが…… 我が子とはいえ、ここまでやれれば十分であろう。

 我が息子、アレクシスよ。もう十分であろう、おまえは十分に強い。

 だが、おまえでは、我には、決して、届かない」

 そうだな。ボクでは結局届かなかった。

 結局イナミに頼ることになるとはな。まったく情けない。

「精霊王、お前の負けだ」

 少し自暴自棄にはなったはボクはそう言った。

 これを使う決心ができた。ある意味、肩の荷が下りた。

「どうした、狂ったか?」

 あざ笑うかのように精霊王が言うが、ボクはそんな精霊王に憐れみの眼を向ける。

「ボクも…… これは使いたくなかったが仕方ない、ボクではおまえを止めることはできなかった」

「ほお、まだ奥の手があると言うのか?

 それは興味深い」

 失いかけていた関心でも取り戻したのか、精霊王は嬉しそうにそう言った。

 そして、見定めるようにボクを見つめてくる。

「はっきり言うぞ。

 ボクもここまでするつもりはなかった。ただボクにはもうこうする他に手段がない。おまえと結局、なにも変わらないのだろうな。

 許してくれとは言わない」

 これは、イナミから託されたこれは、本当に恐ろしいものだ。

 もし暴走でもしたらこの精霊界など簡単に一飲みにしてしまう代物だ。

「何を言っている?」

 口ぶりからして精霊王もこれのことを見ていなかったのだろう。

 いや、海の魔神との戦い、そしてその後は濃い穢れが多く霧散していたはずだ。

 精霊王もそれを嫌ってか警戒してかは知らないが、覗いてはいなかったのかもしれない。もしくはイナミが邪魔していたか。

 恐らくその両方だろうけども……

「だが、ある意味おまえの願いは叶う。精霊達は次の段階へ進めるかもしれない」

 ボクはそう言った。これはきっと精霊が乗り越えなければならない壁を凝縮したようなものだ。

 その壁を乗り越えられるのは、きっと未来の精霊達であって、現在の精霊達には不可能だ。

「本当にどうしたというのだ?」

 心配ではない。ただ疑問に、不思議に思っているだけであろう。

 そう思う方が気持ちは楽だ。これを使えば、もう終わる。

「おまえ自身を糧に。精霊は次の段階へと進める」

 そう、これはそういうものだ。精霊に取って越えるべき壁を実体化させるようなものだ。

「我を糧に? 笑わせるな。やってみるがいい」

 精霊王は高慢にもそう言った。

 いや、もし精霊王が、イナミから託された品を覗き見していたら、また違った未来があったのかもしれない。

 いかに精霊王と言えど、これをじっくり観察できていれば、打算的な判断をしていたはずだ。これは精霊がどうこうできるような物ではない。

 だが、こうなってしまった。いや、結局遅かれ早かれこうなっていたんだとは思う。

「ああ、ボクにはもうこれしか残されていないからな」

 その力と自信は素晴らしいものなのだろうが、本当にどうしようにもならないものは存在する。

 イナミから渡された一本の小さな苗木を懐から取り出した。

 イナミの魔法で厳重に封印されていたそれを解除する。

「なんだ、それは?

 我にも…… 理解しえない物だと……」

 精霊王が狼狽するのがわかる。当たり前だ、その苗木からあふれ出る魔力は精霊王のものよりも既に大きい。

 イナミは、よくもこんなものを隠し続けて創っていたものだ。

 これは今の精霊に到底理解し得る物ではない。

「何のことはない、ただのアイアンウッドの苗木、その変異種だよ」

「あの穢れを浄化する木の変異種……?」

 精霊王が興味深そうに聞き入る。

 精霊に取って穢れは毒以外のなにものでもない。

 だが、精霊に取って穢れより毒となるものは存在する。

 むろん、それで作った装飾品を精霊が身に着けた程度では毒にはならない。それはある意味、概念が物質化したものだから。

 刃のように傷つける形をして初めて、精霊に対して毒となる。

 では、苗木の形をしているこれはどういった物なのか……

「ただ、鉄の代わりにコイツは精霊鋼を喰らって苗木の状態になってるんだけどね。

 おまえも知っているだろう、精霊鋼は、この異なる異世界である精霊界と人界との異相のずれが結晶化した物だ。

 つまり精霊鋼は精霊にとってのズレそのものでであり、反精霊物質と言っていい」

 精霊鋼自体が反精霊物質というわけではない、そうなりえるだけだ。

 世界のズレより生じた結晶体は、そこに暮らす者にも等しくズレをもたらす。それは致命的な影響を及ぼしもする。人にも精霊にも。

「確かにおまえたちが精霊鋼と呼ぶ結晶体は精霊にとって致命的な物質になりえるが、その程度の量で我に害をなせると思うのか?」

「イナミに効かない以上おまえにも効果は薄いだろうな」

 イナミや精霊王のような膨大な魔力、つまりは巨大な魂を持つ者には世界のズレを多少与えた程度ではその魂は揺るぎはしない。

 イナミに精霊鋼ですら効果がないのは、その魂が大きすぎるからだ。

 それはただの精霊鋼だったのなら、という話だけれども。

「それが分かっててなぜおまえはそれを奥の手だと?」

「この苗木に喰わせた精霊鋼はイナミに突き立てられた、イナミの血を吸った精霊鋼の刃だからだよ」

 そう言ってイナミから託された苗木を力いっぱい精霊王に投げつけた。

「それがなんだというのだ」

 苗木は精霊王に届く前に、精霊王の魔術で燃やされてしまう。

 ああ、これは本当だ。ボクはおまえが確かに憎かったがここまでやるつもりはなかった。

 ただ、エルドリアから手を引いて欲しかった。ただそれだけだったんだ。

 燃え尽きたように思えた苗木は凄まじい勢いで成長して精霊王にその根を巻きつけた。

「ぬぅ、なんだこれは!!

 我が炎で燃え尽きぬだと、馬鹿な!? は、離せ!!」

 精霊王は魔術どころか魔法をも使ってその根を引きはがそうと試みるが無駄なことだ。

「無理だよ。それはイナミの血を吸っている、あの凶悪なほどに強大で無尽蔵な魔力を引き継いでいる。

 イナミがいない今、もう誰にもどうすることはできない」

 いや、そのイナミ自身自分の魔力を御しきれてなかったんだ。

 誰にもそれを制御することなどできはしない。

 そして、イナミ自身が耐えれなかった魔力に、保険のために残しておいた髪すら塵になっていたというのに、唯一その血を吸った精霊鋼だけが耐え残っていた。

 それを喰らった苗木。それがどれほどの力を込めているのか、結果は見ての通りだ。

 誰にもあれを止めることはできない。

「たかが血を吸った程度で馬鹿な、あり得るか!!!」

 精霊王は慌てふためき、空へ逃げようとするがその根は、一度絡みついた根を引きはがすことは出来ないようだ。

 その苗木は、まるで意志でもあるかのように、イナミの意思、願いを継いだかのように、必要に精霊王だけに根を絡ませていく。

「おまえが見ていたイナミの魔力はほんの一部に過ぎない。溢れ出でていた断片に過ぎない。

 あまりにもその本質が強大過ぎてその全貌は誰にもわからなかっただけだ。

 ボクにもおまえにも。

 確かにボクとおまえには雲泥の差がある。けど、イナミとおまえにも天と地のほどの差があった。ただそれだけだ」

「ば、馬鹿な、精霊の王たる我が…… こんな、こんなものに……」

 精霊王が苗木、いや既に大樹に飲み込まれていく。

 精霊王アデュスワーズの最後だ。

 あっけない、本当にあっけない最後だ。不滅の象徴であった太陽の精霊は大樹に飲み込まれていく。

「おまえも、グランボシャス同様、この精霊界の礎となれ」

 精霊王が最後の悪あがきにと、魔法で抵抗するが、それも無駄に終わる。

 その大樹は精霊王の魔法ですら意に介さない。傷一つ付かない。

 精霊鋼が大樹となりイナミの血より注がれた無限とも思える魔力は全てを飲み込む。

 大樹は精霊王の全てを飲み込んでいく。

 もう断末魔すら聞こえない。

 

 ボクは床に大の字になって全てを投げだした。

 もう限界だ。体力も魔力も。

 それと同時に、英雄の剣になっていたグリアノーラが人型へと戻る。

 少し遅れて盾となってくれていたイシュヤーデも人型へと戻った。

 けどボクは息が完全に上がっていて、言葉すらかけられない。

「終わった…… のか?」

 とグリアノーラが大樹を身ながら呟いた。

 イシュヤーデは割れた月の石を大事そうに持ちながら、やはり大樹を見ている。

 その表情はやはりわからない。

 精霊王を吸収しきった大樹は成長をやめたようだ。

 このまま成長が止まらなかったらどうしようかと思った。

 なんせ止める手立てはない。

 虹色に輝くその大樹は反精霊的要素の塊だ。

 けど、これを乗り越えることで初めて、精霊はこの世界に認められるのかもしれない。

 あの木は精霊界とこの世界のズレ、そのものなのだから。いつしか乗り越えなければならない壁としてこの大樹は存在していくだろう。

「二人共すまない、少し肩を貸してくれないか」

「もう少し休んでいたらどうだ?」

「それは良いですが、大丈夫なのですか?」

 二人とも心配してくれているし、ボクも本当はそうしたいのだが、そうも言ってられない。

 王を、精霊王を殺してしまった責任は取らないといけない。

「ああ、あともう一つ大きな仕事が残っているからね、外へ、出来れば神殿の外へ連れて行ってくれ」

 と言っても太陽の神殿自体もうただのがれきの山ではある。外みたいな物ではあるが、ここは大きく育った大樹が邪魔で空が見えない。


 何百にも及ぶ数の精霊が虚空の領域と呼ばれる何もない場所からこの大地へと戻ってきているのが見える。

 決着を知り戻ってきているのだろう。

 精霊の数は少ない。精霊が増えたと言え、その数は千にも及ばないのだ。

 その質は悪くないと思うが、この数で満足いくものだろうか。交渉するしかない。

 魔力と体力の回復を待ちつつ、そんなことを考える。

 戻ってきた精霊達が、師匠、いや、シャーザンを筆頭にボクに跪いた。

「新たなる王よ」

 声を揃え精霊達はそう言った。中には涙を流している者もいる。精霊王の死を嘆いているのだろう。そういった者ですら、今は跪きボクを王と呼んでいる。

 ボクが新たなる王か。まあ、そうだよな。王を、親である精霊王をボクは大樹へと変えてしまった。

 これからはボクがこの精霊達を導かなければならない。

 それにはまず初めの大仕事をこなさなければならない。

 ふらつきながらグリアノーラとイシュヤーデの借りていた肩から離れる。

 空を見る。

 虚空の領域と呼ばれるその遥か彼方を見据える。

「世界の管理者とやら、見ているんだろう。

 この世界の独立を、この精霊界を一つの世界として認めてくれ」

 そう、力の限り叫んだ。

 だが、何も起こらない。

 起こらない、何も。

 誰もがそう思った。

 精霊達は新しき王が何を言っているのかも理解できていたか怪しい、気がふれでもしたのかと思われていたかもしれない。

 が、それはいた。初めから存在していた。あまりに膨大で巨大すぎてその存在を認識できていなかっただけだった。

 急に、何かの波長が無理やり合わさる様な、そんな奇妙な感覚があった後、それはそこに存在していたことを認識できた。

 それは、それまで認識できなかった。ずっとそこに存在し続けていたのにだ。

 偉大な何か。そう理解するのがやっとだった。

「はい、私も新しき世界が誕生することに賛成いたします。

 新しき世界が誕生するのは非情に珍しいことで素晴らしきことです」

 機械的で抑揚がない、ただ感情がないわけではない、そのような不思議な声が辺り一帯に響き渡った。

「これが世界の管理者……」

 ボクはその存在が、あまりにも巨大すぎて理解できなかった。凡庸な表現ではあるが、しいて言うならば、神、だ。それしか思い浮かばない。

 本物の神とはこういった存在ではないのか、そうとしか理解できなかった。精霊王などこの存在に比べれば神というのもおこがましい。

 この存在に比べたら、ボクも精霊王も、イナミですら、比べようがないほど小さな、矮小な存在でしかない。

 対話しているだけで正気が無くなるほど、偉大ななにかとしか理解できない。精霊達の中には耐えきれずに失神しだすものが出始めている。

 こんな存在であれば、世界に介入できるわけもない。ただ存在しているだけで、その大きすぎる存在は害となる。

「ですが、あなた方が精霊界と認識するこの領域は、一つの世界としては不完全であります。

 このままでは世界として認めることはできません。

 そこで新しい世界の誕生への手助けとして、私から幾つかの提案があります」

「と、言うのは?」

 そんな言葉しか返せない。せれで精いっぱいだった。

 いや、既にボクもまともな思考ができる無くなってきている気がする。

「この世界には無数の世界が存在します。

 その中には他の知的生命が存在しておらず、未来的にもその可能性が限りなく低い、それでいて、あなた方が暮らしていく上で最適な環境下の世界が幾つかあります。

 そのうちの一つへと転移することをおススメいたします」

「転移? そんなことが可能なのか?」

 転移、意味通りなら移動するだけだ。だが、違う世界へと行くという事だろう?

 それは転生という事なのでは?

「はい、本来私は世界への干渉は避けていますが、ここはまだ世界としての条件を満たしていません。

 なので、このように干渉することができます。またそれに加え、新しい世界の誕生という事であれば私は干渉することを厭いません。

 私は新しい世界の誕生とその住人を歓迎いたします。

 それをより良い世界とするために、既存の世界へ転移させるだけであれば問題ありません。世界の繁栄こそが私の目的です」

「それは…… イナミのように転生という形でなのか?」

 イナミに聞いていた異世界転生の話を思い出す。

 それをするには命を落とさなければならないはずだ。流石にそれは…… 早々飲める話でもない。

「いえ、違います。本来別次元の住人であるあなた方を転生させる権限は私にはありません。

 移住、引っ越し、そう言った意味と受け取ってください。

 移住が終わり次第、その世界を新しい世界と認め、あなた方もこの世界の住人として歓迎いたします」

 移住が終わり次第、この世界の住人、つまりはこの管理人の管理下に置かれるという事か。

 それより気になるのは……

「別次元の住人?」

「新しき王アレクシスよ。その話は後でワシからお伝えしましょう」

 その言葉に反応したのは管理人ではなく雷の精霊シャーザンだった。シャーザンですらこの管理人というとんでもない存在の影響で、額に汗を浮かべ歯を食いしばっている。

 原初の精霊にしか、知り得ないことが存在してるとは思っていたが。

 別次元の住人ね。管理人の話と合わせると、イナミのいた世界ともまったく別のものという事か。

「師匠……」

 けど、話の流れ概、推測はできた。

 だから、精霊は肉体を持っていなかったのか。別の次元より飛来したから、か。

「精霊界の転移に同意なされますか?」

 急かすように管理人とやらが問いてくる。

 まあ、たしかに、このような存在を前にし続けるのは、正気を失いそうになる。ボクはともかく精霊達がこれ以上は持たないだろう。

 決断を迷う暇など、ましてや横道にそれる暇はない。

 それに、やっぱり選択肢はない、が、悪い選択肢でもないはずだ。

「ああ、構わない。それで精霊界が一つの自立した世界となるのであれば……」

 元よりそのために、ボクはいろいろ犠牲にしてきた。

 それらのためにも、ボクは希望を胸に抱き、そう答えるしかない。




 次でこの物語も終わる予定です。

 ただ量が多いかもしれないので、次の話とエピローグ的な感じの、二話にわけるかもしれません。

 続きはたぶん一ヶ月後くらいです。


 誤字脱字は多いと思います。

 教えてくれると助かります。

 指摘してくださった方ありがとうございます。

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