異世界転生してまで、ひきこもりになる。
ミリルさんの葬式を終えて一週間が経った今も私は喪服を着たままで部屋の隅にうずくまっていた。
本来は専用のお墓に土葬して白骨化してから先祖の墓へと移行されるこの世界の埋葬方法らしい。
でも、吸血鬼に噛まれて、そのまま死んだミリルさんはすぐに火葬されることとなった。
その遺骨も先祖の墓へと入れられるようなことはなかった。
それならばと、私が引き取りこの修道院の敷地内にミリルさんのお墓を建てさせた。
本来の埋葬方法と違うことも、先祖のお墓に入れてあげられなかったことも、本当に申し訳ない。申し訳なさ過ぎてなにもかもが息苦しい。
誰かに責めて欲しかったけど、崇拝されている精霊である私を責めれる人はいなかった。
唯一、立場的に私を責めれるであろうアレクシスさんも悲しそうに私を見守るだけだった。
誰か私を叱咤して欲しいくらいだった。
誰かに謝りたかったけど、誰にも謝ることも、その機会も失い私はただただしょぼくれていた。
ミリルさんの親族や交流のある貴族の人も葬式に来ていたはずだけど、私の記憶には残っていない。
その時期はただ茫然としていただけで何もかもが過ぎ去っていってしまったからだ。
なぜこんなことになったのか。私にはわからなかった。
あの二人が仲が悪かったとは思えない。
ミリルさんはグリエルマに対して一歩下がり接していたし、グリエルマの方だってそんなミリルさんを尊重していたはずだ。
ベストパートナーではなかったけど、その相性は決して悪くはなかったはずだ。
なのになんで? なんでこんなことになったの?
自然と視線が手に行く。
右手の人差し指。
そこでハッと気が付く。
縁を結んだ。今際の際でこの指を伸ばし確かにあの女の魂に結んだ。
なら、ある程度距離があっても平気だろう。縁のつながりはこの世界では強い力のようだし。
私はありったけの魔力で念話の魔術を行った。
流石に人には見えないだろうけど、私の目にははっきりと縁を伝って、私の激しく憤った魔力が東へ飛んでいくのが見えた。
念話の魔術を発動したその衝撃で窓ガラスが割れ、部屋の中がぐちゃぐちゃになりはしたが、そんな些細な事はどうもよかった。
逃げていた。
なにから?
全てから。
誘惑に負け、血を直接啜り、我を忘れ、ミリル院長を死に追いやった。
吸血鬼の吸血騒動がこれほどまでにおぞましいものだったとは思いもよらなかった。
まだ迷っていたあの日の朝、イナミ様の悲しみで怒り狂った魔力を見て、恐れおののき逃げ出してしまった。
とにかく遠くへと。
あの魔力の塊に触れれば、イナミ様の意志に関係なく瞬時に塵とかす、そんな確信さえあった。
それほど怒りと悲しみに満ちた魔力だった。それはイナミの町全体を深く激しく揺らすほどの衝撃だった。
それを見てとにかく走った。我を忘れてとにかく遠くへと走った。
昼夜問わずとにかく走った。ただやみくもに。ひたすらに。我を忘れたいがために。
そして絶望する。
人一人の尊い血と命を吸いつくしたにもかかわらず、今も人の生血を求めてやまないのだと。
あのまま戻り、イナミ様の手により無に返してもらったほうがどんなに楽だっただろうか。
気づくと走るのをやめ、とぼとぼと荒野を彷徨っていた。
もう人として生きることは不可能、頼るあてもない、そもそも人を、人間でない化物の自分が人を頼ることなどおこがましい。
人はもう…… 飢えを凌ぐための餌でしかないのだから。一度味わったあの感覚はもう忘れならない。
このまま人のいない所へ。
腐れ沼などいいかもしれない。
あの沼に身を沈めれば、例え吸血鬼の肉体であろうといずれ腐れ落ちてくれるはず。
既に方向もわからなかったので、とりあえず日の上がるほうへと足を向けた。
そうやって荒野を徘徊していると、西の空から何かが飛んできたかと思った次の瞬間、凄い勢いで弾き飛ばされた。
着ていた霊装の防御魔術は簡単にはじけ飛び、霊装そのものと術式をも破壊し、体が悲鳴をあげ血しぶきをあげた。
魔術による攻撃?
そう思った次の瞬間頭の中に声が呪うような声が響き渡った。
(グリ…… エルマ……)
深い悲しみと怒りのこもった声だった。
念話? 念話の魔術でこれほどの衝撃を起こせるものなのですか?
それほどまでにイナミ様の怒りは深く激しい。それ以上にその悲しみは深い。
(イナミ…… 様……)
吹き飛ばされ天を仰ぎ見ながらやっとの思いで念話を返す。
何を言っていいかわからず相手の名前を返すのが精一杯。
(何か言うことはある?)
その問いに私は即座に答えた。
(ありません)
罰なら喜んで受けるし、その覚悟もあります。
大の字で地べたに転がりながら現状を確認する。
周りには誰もいない。
体は血まみれでズタボロになり現状動かすことはできないが、吸血鬼の肉体ならいずれ回復はする。
もし誰かが追いかけてきていたら大人しく捕まり罪を償う、そう決心し次の言葉を待つ。
(なんであんなことをしたの?)
激しい悲しみの感情がひしひしと痛いほど伝わってくる。
それと同時に、裏切り者、裏切り者、裏切り者!!
そう罵られる気がしてならない。
(吸血衝動に抗えませんでした)
(ただそれだけでミリルさんを殺したの?)
イナミ様のその言葉に胸が締め付けられる。その痛みは今、体が負っている怪我よりも何倍も鋭く重く痛む。
(はい…… そうです……)
(そう……
なんで、なんでミリルさんの肉体を日に晒したの?
日の光にさえ晒さなかったら……)
その言葉に対してだけは、はっきりと返せる。
それだけは後悔はない。
彼女を吸血鬼にしなかったことだけは。
(わたくしのような犠牲者を増やさせないためです)
(犠牲者……?)
心外とばかりの戸惑いを隠せない返答。
いえ、元はと言えば自分から提案した事でしたか。
命をつなぐことと時間を得る代償は想像以上に残酷な、いえ、潰えていたはずの命を引き伸ばしたんですから、必要な代償だったのでしょう。
その代償が他人に降りかかる、他人から全てを奪うようなことになるとは想像の範疇にはありませんでしたが。
(わたくしは確かにイナミ様のおかげで瘴気に侵されることなく正気を保っていられます)
(なら、なんで!?)
(正気を保っているがこそです。
正気を保っていても、吸血衝動は抑えられないのです。
いくら、血を飲んでも飲み足りない、女を見かける度に襲いたくなる、そして、血を飲み干したくなる……
この衝動はどうにもなりませんでした。
もし貴女に相談したら、この衝動をもどうにかできたのですか?
そんな思いをあの方にもさせても良かったのですか? あの人の良い院長に?)
答えは帰ってこなかった。
イナミ様にはわからないことだ。彼女の半身は吸血鬼なれど、もう半身は精霊の物だ。
そしてその魂はその肉体に収まり切れぬほど強大な物で、吸血鬼に絶え間なく付きまとう穢れをまったく寄せ付けないほどだ。
イナミ様は確かに乙女の血が好きではあるが、過度な吸血衝動は血を吸わないでいても起きた様子はない。
血を吸わないときは平気で二、三カ月もの間、吸血行為そのものを行いもしない。
彼女には吸血衝動はないか、さほど強い衝動でしかないのだろう。
それが半身が精霊だからなのか、強大な魂の影響か、あるいは両方のおかげなのか、それは判断が付かないですが。
少なくとも吸血衝動を抑えられない、なんてことは彼女には見られなかった。
それは、神または神のような存在である彼女と、非凡な人間である自分との差なのだろうか。
恐らくミリル院長が吸血鬼になったら自分と同じ悩みを抱えることになる。
あの清々しいほどお人好しの院長にそんなことを悩ませたくはない。
人の生血を啜るというおぞましい行為。血と共に相手の魂を吸いつくすようなあの感覚。正常な精神を保ってるからこそ、自身が身の毛もよだつほどおぞましく思える。
こんな思いは、少なくともミリル院長にはして欲しくはなかった。
だから日に晒し吸血鬼化を防いだ。そのことだけは後悔はない。
(わたくしの魂の結界をどうか解いてください。
それでわたくしの正気は失われ本物の化物になります。
その後、好きに気が済むまで、出来る限りむごたらしく殺してください)
その返事はしばらく返ってこなかった。
永遠とも思える長い沈黙の後に、
(やだ。悔やんでいるならもっと苦しんで……)
そう言い残し、念話は途切れました。
まるですねた子供ね、と一人声に出して呟き、ボロボロになった体を起こた。
本当は人を殺す勇気がなく、ただ優しいだけで、そして意気地のない方。
霊装もボロボロ。肉体もボロボロ。まさに身も心もボロボロ。
ボロボロになった身を引きずり、再び荒野を彷徨い始めました。
それから私は喪服のまま自室に閉じこもる日々が続いた。
クロエさんが、修道院の院長をシースさんが受け継ぎ、代理領主にアンリエッタさんがなったと報告してくれたけど上の空だった。
それからもずっと私は引きこもっていた。
何日引きこもってたかわからない。
でも、とある日、早朝にクロエさんが悲痛な表情で、ノックもしないで部屋に入ってきて私に告げた。
「イリーナ様が先ほどお亡くなりになりました」
驚いて立ち上がった。
ふらついた。私に降り積もっていた埃が飛び散りもした。
立ち上がること自体、久しぶりだったかもしれない。
うそでしょ……
と声に出して言ったつもりだったけど、声にはならなかった。
「オスマンティウス様がお呼びです」
クロエさんが続けてそういった。
私はゆっくりと頷いた。
クロエさんに案内されただ茫然とその後ろのついて歩いて行った。
イリーナさんの遺体は儀式の間に運び込まれていた。
傍らでオスマンティウスが涙も出ないのに泣きじゃくっている。
周りには聖堂教の信者やアザリスさんやラルフさんもいた。皆、悲痛な顔も涙も隠していない。
イリーナさんの死を本当に悲しんでいる。
儀式の間の台座に寝かせられたイリーナさんの亡骸はミイラのように細く衰弱しきっていた。
約束通り、精一杯オスマンティウスと一緒に生きたんだろう。
そうしている間、イリーナさんが頑張って生きていようと間にも、私はしょぼくれて引きこもっていただけだ。本当に自分が不甲斐ない。
オスマンティウスに声をかけようとしたけど、上手く声が出ない。
私も約束は守らないといけないのに。
オスマンティウスの肩に手を置くと、驚いたように振り返り私を見つめた。
涙は出ていないけど、それは確かにひどい泣き顔だった。
声はやっぱりうまく出ない。
私はイリーナさんの顔に手を伸ばし、その瞼を開けた。
虹色に輝く瞳。イリーナさんの肉体はこんなにもやせ細っているのに、その目だけは未だ生きているかのように生き生きとしている。
「…………………っ」
無理やり声を出そうとするけど、音にはならなかった。
もう一度、意志を奮い起こして声をだす。
「約束を守らないと」
やっとの思いでそれだけは声に出来た。
「そ、そうね、約束…… 守らないとね……」
顔をぐちゃぐちゃにしたオスマンティウスも同意してくれた。
イリーナさんの眼に魔法をかける。
魔術ではない魔法。この世の法則を捻じ曲げてまで効果を発揮する魔法。
アレクシスさんの教えで私も多少は魔法を扱えるようになった。
基本的には魔術とそう変わるものではない。ただより深く理解しなければならない。この世界の構造というものを。その上で世界の法則を捻じ曲げ書き換えるのだ。
イリーナさんの瞳は私の魔法により虹色に光る煙となり立ち上り、それはそのままオスマンティウスの眼に宿っていった。
煙がでなくなったイリーナさんの瞳は瞳孔が開いていたが、以前の琥珀色の眼に戻っていた。
そして、オスマンティウスの瞳が虹色に輝く出すのを確認した。オスマンティウスに宿った神眼は本来の主を得たように、その輝きを増していた。
事前に準備しておいてよかった。準備していなかったらイリーナさんとの約束まで反故にしてしまうところだった。
私でもさすがに魔法を瞬時に作ることなんてできない。
あの約束をした後、すぐに準備だけしていた自分にお礼を言いたい。
「終わった、どう?」
気づくともう声は普通に出るようになっていた。
「ありがとう、イナミ。よく見えるよ……」
「そう…… よかった」
と、私が安堵したとたん、オスマンティウスの虹色の眼が見開いた。
「エッタ…… まだそこにいるの?」
周りを見渡すが私にも何も見えない。
もしかしたら今際の際に行けば、イリーナさんの魂を見ることが出来たかもしれない。
今のオスマンティウスにはそれが現世にいながら見ることができるんだ。
「わかったわ。わたし神様だもの。
エッタがそう願うなら、その願い叶えてあげる……」
見えるだけではない、会話すら可能なんだ。人の身に余る神眼も神の物となればその真価も発揮するのか。
私がそんなことを考えていたら、次の瞬間オスマンティウスは驚くべき行動にでた。
私が止める間もなくオスマンティウスはイリーナさんの亡骸に触れた。
そして、イリーナさんの肉体は一瞬にして塩へと変化した。
「なっ、なにを……」
私が絶句していると、オスマンティウスは、
「さあ、一緒になりましょう」
そう言って、塩になったイリーナさんをそのまま取り込んでいった。
「あなたなにを……」
驚愕し、私が怒ったようにそう言ってもオスマンティウスは止まる気配はない。
それどころか私のことも眼中に無いようにすら思える。
「エッタ、その魂もわたしと共に……」
オスマンティウスは両手を広げ天を仰ぐ仕草をした。
少しして、何かを抱きかかえるかのようにしてそのまま動かなくなった。
ここに居た全員があっけにとらえていた。
しばらくした後、オスマンティウスは私に向き直った。
「今、エッタの魂と肉体は、わたしと完全に一緒になりました」
オスマンティウスはそう言った。イリーナさん、いや、エッタさんの声と口調で。
ゾッと寒気がした。
こいつ、イリーナさんを喰らったんだ。
「オスマンティウス、あなた、何してるの……」
茫然自失になりながらも、そう問いかけることだけはできた。
「イナミ。わたしは神です。確かに人には許されない行為だったかもしれないですが、わたしには許される行為です」
「だ、だからって、神様だからってなんでもして言い訳が!」
口調までイリーナさんのものに、いや違う、微妙に違う。
同化したんだ。まさしく。オスマンティウスとイリーナさんを合わせたような声と口調なんだ。
「それがエッタの心からの願いでもですか?」
「それは……」
言い返せない。生前のイリーナさんなら多分そう願っててもおかしくはない。
寧ろそう望んでいたはずだ。彼女はそういう人だ。
「安心して、エッタ以外の人間を、わたしに同化させるつもりはないから……」
「いや、でも……」
それは、そうかもしれない。オスマンティウスにとってイリーナさんだけはなぜか別格だった。
なんで二人があんなに仲が良かったのか、今だに理解できないほど相性が良かった。
それはまるで初めからこうなることが、決定していたかのようにも今にしてはそう思える。
「今のわたしはオスマンティウスであり、エッタ自身でもあるの。
エッタの記憶、思い、全て受け継いだわ。
あの子、本当に私のことばかり考えてたのね、もっと自分のことも考えてくれてれば良かったのに」
その言葉に、少しだけ安心してしまえる自分は単純過ぎるんだろうか。
あの二人が一緒になったところで、変わらないんじゃないか。
そう思ってみるが、人を喰らったという事実が頭から離れない。
私がオスマンティウスのしたことに驚愕し恐怖しているのを気にも留めてないように、オスマンティウスはイリーナさんと同化したことが嬉しそうに振舞う。
一しきり一緒になれたことを喜んでから、少ししてオスマンティウスは自分の信者たちに向き直り、言葉を告げた。
「だれか、あの女の杖を、確か……
楽園の杖。そう、その杖を持ってきてくれる?」
楽園の杖。教会の神器の一つ。魔王討伐の際に教会がグリエルマに与えられた神器。
あらゆる害悪を妨げる結界を瞬時に張ることができ、その結界内では傷や病が達どころに癒えるという本物の神器だ。
グリエルマが逃げ出したときにそのまま置いていった物だ。
「そんなものどうするのよ」
急にどうしたの。
それとも私が落ち込んで会わないうちに、そもそも変化があったの?
それにそれは、アイツの持ち物じゃない。どうしようっていうの。
「イナミは教会の神器がどうやって作られたか知っている?」
「え?」
予想外の質問だった。
考えたこともない。
それにしたって急になんで杖の話なんか。
「魔術でも魔法でもない。そんな神器とも呼ばれる物がどうやって作られたか。わかる?」
「い、いや、わからないけど……」
何を言い出すのよ。今そんなこと関係あるの?
でも、確かに考えてみると不思議は不思議だ。
術式を刻み魔力を込めて使う魔術具というものは存在する。
現存する魔術であればそう言ったものは作れる。
それでも人の手により作り出すのはとても困難ではあるけれども一応は可能だ。
けど、楽園の杖と呼ばれる神器は、現存する魔術に、あらゆる害悪を妨げる結界など張れるものはない。
確かに、そういううたい文句なだけで実際にあらゆる害悪を防げるものではないのかもしれない。
ただあの杖の結界は本当にそう思わせるような強力なものであることは事実で、その上その結界内ではかなりの速度で傷などを癒す効果まである。
それにあの杖の結界は魔神の権能すら完全に防ぐしろものだ。
一番不可解なのはあの杖には魔力を込めなくても、それらの効果を瞬時に発揮できることだ。
私にはわかる。あの杖の効果は魔術や魔法で引き起こされているわけではないと。
魔術や魔法であれば、私には何らかの術式が文字となって見えるはずだから。
けどあの杖にはそれが見えない。
私は…… 前世の記憶から、そういうゲーム的なアイテムなんだと勝手に思っていたけど、改めて考えるとおかしい。
その効果自体は、時より人に開花する奇跡の力に近いものなのかもしれない。
「エッタはね、知っていたの。この眼を持っていたから。
でも怖くて誰にも言えなかったのよ」
「何を言っているの?」
オスマンティウスは静かに、冷静に、なにかを私に伝えようとしてくる。
「教会の神器、少なくとも楽園の杖に宿る奇跡の力は、その奇跡の力を授かった人間から作られた物よ」
そう言われた瞬間思い出した。
寝たきりになったイリーナさんも教会の資料を読み漁っていたと。
彼女も神器のこと、楽園の杖のことを調べていた?
いや、でも、私も資料は見たけれど、楽園の杖の由来なんて書かれていたことはなかったはずだ。
「え? うそ、教会から押収した資料にだってそんなことは一言も……」
オスマンティウスが語った言葉に今更ながらに寒気を覚える。
だけど、教会なら、人類のために人を間引くようなことまでする神達ならば、そう思うと否定はできない。
「だってあれば教会が作ったものではないから。
教会の神と呼ばれる者とその献身的なまでの信者が身を投げうって作られた物だから。
あの杖には、今だにその者の魂が捕らえられているのよ。
時間がたちすぎて、その意識はもうないだろうけど、ほんと酷いことをするのね」
「人を? 奇跡の力をもった人間を、ってこと?」
だとしても、そんなことイリーナさんやオスマンティウスにわかるわけが……
いや、あの眼が、神眼であるあの眼があれば、わかるのかもしれない。なにもかもが。
「そうよ。だから解放してあげるの。今もなお捕らえられている魂を。
エッタにはしたくてもできなかったわ。あれは教会にとっても貴重な物だし。
わたしに言えば、人達の揉め事にわたしが巻き込まれるのが、あの子にはわかっていたからね。
それで黙っていたのね。わたしのことを思って。
だから、ずっとその胸に秘めていたの。
でも、わたしが知ってしまった以上見過ごせないわ。だって、私は神様だもの」
「あなた本当にオスマンティウスなの?」
自分で口に出しておいてなんだけど、確信はある。こいつはオスマンティウスだ。
イリーナさんを喰らった、いや、同化したことにより、イリーナさんの理想の神様になろうとしているんだ。
それは無意識でそうしているのかもしれないけれど。
だって、神様は人の願いを叶えるものだから。
イリーナさんの思い描いていた絶対的なまでの神になろうとしているのだ。
「そうよ、ただ以前のわたしとは違うわ。エッタと共にあるから。
あの子の知識も記憶も、わたしと共にあるから」
私はハッとなって周りを見渡す。
アレクシスさんはこの場にいない。
多分、イリーナさんと私との約束の事で、気を利かせてくれてこの場には来ていないんだと思う。
今のオスマンティウスを見たらあの英雄はどう思うのか。いなくてよかったのか、いてくれた方が良かったのか。それもわからない。
「あの杖に囚われている魂を解放して、その代わりにその奇跡の力を貰うわ」
「そんなこと、できるの?
魂だけを開放するだなんてことが」
私には無理だ。でも、たぶんあの眼を持ったオスマンティウスなら…… 可能なんだと思う。
「この眼を持つわたしにはできるわ。
魂と奇跡の能力の選別。特に造作もないことよ。だってこの眼はよく見えるんだもの」
「…………」
自分よりずっと下だと思っていたものが、私なんかより万能な存在へと変わってしまった。
嫉妬のような感覚より、恐怖に近い感覚のほうが大きかった。
アレクシスさんが神眼とまで言った奇跡の力。それはまさしく神の眼で、神であるオスマンティウスにふさわしい物なのかもしれない。
それは本当に神の目で万能とも言っていいものなのかもしれない。何もかも全てを見通すような神の瞳なのかもしれない。
私なんかより本当に神様のようなものだ。
「にしてもイナミ。あなたの魂。本当にすごいのね。
実際に目にして初めてわかるわ。あなた本当に化け物じみた魂をしているわ。
それに比べ、その肉体はあまりにも貧弱過ぎる。
いくら血を吸って少しづつ適応していくとは言え、いずれ限界が来ちゃうわよ」
「何言ってるの?」
背筋にぞくっとするものを感じ、つい身構えてしまう。
けどオスマンティウスが私に何かできるわけはない。未だこの神は盟約の魔術には縛られているのだから。
それも今となっては安心できる要素ではない。
少なくとも私には他人が行った盟約の魔術を書き換えることができる。あの神眼を持ったオスマンティウスにそれができないという保証もない。むしろできない訳がない。
「その魂にその肉体じゃ小さすぎるって言ってるのよ。
今ではないけれど、まだ遠い未来の話だけど…… その肉体もいずれ限界を迎えてしまうわ」
「私に…… 限界が……?」
この吸血鬼の体が?
髪の毛一本からでも再生できるような、この体に限界なんて訪れるっていうの?
「そう、そうならないように今から対策を考えておいて。
わたしは…… あなたまで失いたくないの」
そう言って、オスマンティウスは儀式の間から出ていった。
楽園の杖に宿っている魂の解放に向かったんだろうか。
儀式の間の台座の上には、イリーナさんが身に着けていた死に装束だけが残されていた。
私にはそれをしばらく呆然と見ていることしか出来なかった。
荒野を彷徨う。もう何日彷徨い続けたかわからなかった。
いつしか日の出るほうへと足を向けるようになったのかもしれない。
意識も朦朧とし歩いているとき、声をかけられた。
「オマエ、人カ?」
顔を上げると醜い亜人が立っていた。
顔だけのような亜人。大きな顔に手足が生えた亜人で全体的に赤黒く、目と口が全体の大半を占め、口から鋭く多きな牙が生えた不格好な亜人。
たしか好んで人を襲い喰らう亜人。
亜人の中でもとにかく狂暴で知能が低かった、そう思い当たる。
「わたくしは人なのでしょうか?」
人ならざる人、亜人に問う。
亜人はしばらく迷うような仕草を見せるが、
「オマエ…… 人チガウ。
人ハ、コンナニクサクナイ。オマエハ、トテモマズソウダ」
と、答えを出した。
もう人間ではない。わかっていたこととはいえ、人外の魔物にまでそう言われると理解せざる得ない。
それにしても臭いですか。酷い言われ様ですね。
「オマエモ、オソイニイクノカ?」
「襲う?」
「コノサキニ、人ノ村ガアル。
オレタチ、コレカラオソウ、ソシテ、クウ」
「そうですか」
と返事をするついでとばかりに亜人を手で引き寄せ、それに無造作にその腕にかぶりついた。
不味い。とてもじゃないが、食べれたものではない。
よくもこんな味で人を不味そうだなんて言えたものですね。
「グオッ、オマエ、ナニスル!
ミンナ、コイツモクッチマオウ」
一人の亜人にしか眼がいってなかったけど、気が付けば六匹もいたんですね。
低能な亜人ごときが。
噛みついた亜人を片手で投げ捨てる。
投げ捨てられた亜人は空中で回転しながら盛大に地面にたたきつけられた。地面と言ってもここは荒れ地。ところどころ岩が露出しているような場所です。
亜人と言えど流石に無事ではいられないでしょう。
次に襲いかかってくる亜人のその大きな目玉に手刀を突き刺す。
吸血鬼の肉体はとても強靭で力強く岩のように固い。
無駄に大量の血を飲んでいたこの肉体は特に強靭となっている。
目玉に突っ込んだ手でその中の何かを掴み、そのまま抜き取る。
うめき声を上げて亜人が倒れ込む。
手には何らかの臓器のような物が握られていた。
大きな眼の奥に臓器があるだなんて何て欠陥的な生物なのかしらね。
そう思い倒れ込んだ亜人を迫ってくる亜人に向けて蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされた亜人は血と内容物をまき散らしながら飛んで行って迫りくる亜人に当たる。
狂暴ではあるけれど、知能もなく人を喰らう事しか頭にない醜い亜人。
まるで今の自分のようだ。
最後の一匹まで恐れおののくことなく亜人は襲いかかってきたが、その最後の一匹も動かない。
狂暴なだけのただの亜人。獣とそう変わりない。いえ、引くことを知っている獣のほうが幾分ましか。
亜人達は劣勢になってもその狂暴性は衰えることをしなかった。
非常に不愉快で歪な生物。本当にうんざりする。
改めて視線をあげると遠くに村が見える。
そして吸血鬼の視力はその村に掲げられた教会の旗を確認することができた。
一人も百人も、もう一緒。
何人の血を啜ればあの方は滅ぼしてくれるかしら?
「大変です、イナミ様」
クロエさんがノックもせず私の部屋に入り込んできた。
「なに?」
と私は不愛想に返事をした。
「す、すいません。でも、大変なんです。
グ、グリエルマと思しき吸血鬼が、教会の開拓村を襲いました。
しかも住人を吸血鬼化させているそうです」
その報告を聞いて血が凍るような寒気を感じた。
なんでそんなことになっているの、悔いていたんじゃないの?
そんなにも吸血衝動は抑えきれないものなの?
「……そう、それで?」
動揺を押し殺すように、私は冷たく言い放った。
その返答を聞いて、クロエさんは眼を見開いて心底驚いているようだった。
「それでって…… 良いんですか?」
「もう関係ないもん」
関係ない。あの人の話は聞きたくない。嫌でもミリルさんのことを思い出してしまう。
「ですが……」
私の返答にクロエさんは狼狽えている。
「関係ない」
もう一度、少しきつい口調で、そんなつもりはなかったけど、きつい口調でそう言ってしまう。
「は、はい……」
クロエさんは伏目がちに退室していった。
私にどうしろっていうの。
グリエルマを殺せってこと?
私に? そんなことできると思っているの……?
その一カ月後、残っていた教会の全勢力が吸血鬼グリエルマの討伐に向かうも返り討ちに遭い全滅する。
大神官もその中にいたとのことだ。
教会側が負けた一番の理由は、敵側に傀儡兵がいたことだ。
村を守るために配置されていた傀儡兵だが、傀儡兵に命令を下せる権限者が吸血鬼化されていて、そのまま傀儡兵を使われ返り討ちにあったそうだ。
もう、関係ない、だなんて拗ねた子供のようなことを言ってられない。
報告を受けたとき、私がすぐに何かしらしていれば避けられた悲劇だった。
少なくとも傀儡兵だけは、すぐにでも撤退しとくべきだった。
なんで、なんでこんなことになるの……
私はあまりにも愚かだ。
オスマンティウスの変化は衝撃的だった。
イリーナさんを喰らった、いや、同化した。死んだはずのイリーナさんは今もオスマンティウスと共にあるのだ。その肉体も魂も思いもすべて。
それが正しい事なのかどうか、しばらく様子を見ても私には判断がつかない。
私にはオスマンティウスが日に日に超常的な存在、まさしく神へと変わっていく気がしていた。
もしかしたらオスマンティウスがイリーナさんと同化するとこすらも、決められていた運命だったのかもしれない。
恐らく世界はそういう風に動いている。
そう思った方が気が楽だっただけなのかもしれない、だから私はそう思うことにした。
とにもかくにも私には衝撃的なことだった出来事は、完全に無気力に陥ってた私に刺激を与えてくれた事だけは事実だ。
徐々に私も日常を取り戻していく。
気が付くとイナミ領は以前のように圧倒的な立場を保ちつつも危うくはなっていた。
後任の二人も一生懸命やってくれてはいるが、前任者が二人共優秀だったからだ。いや、優秀すぎたんだ。
グリエルマは政治に関すれば本当によくやってくれていた。
アンリエッタさんに能力が足りないわけじゃない、が、やはり力不足感があるところが否めない。
ミリルさんは確かに書類仕事なんかは苦手だったけど、その分彼女には圧倒的なカリスマがあった。
彼女に足りないものをその部下達が一丸となって差さえていた。
書類仕事だけならシースさんのほうが得意だろうけど、シースさん自身がミリルさんを支えていた一人だった。
いずれにせよ、二人が抜けた穴は大きすぎた。
だからと言って私にできることは少ない。
それでもやっていかないといけない。
経済的に余裕がないわけじゃなかったけど、いずれ経済が回らなくなる可能性すらあった。
それを救ったのは亜人特区にある世界山脈を掘り進めているトンネルから、貴重な金属、大量の鉄、それに加え宝石類までが掘り出されたおかげだ。
特に大量の鉄は助かった。アイアンウッドを育てる上で必要不可欠だったから。
それがタイミングよく発掘されなかったら、資金繰りがうまくいかなかった可能性すらあったらしい。
大黒字で儲かっているのに経済破綻する可能性があるなんて、私には考えもしてなかった事だった。
それに加え傀儡兵の開拓村での不祥事だ。
色々相成って、イナミ領は他の複数の領、特に元教会派閥だった領主から色々言われた。
遺憾の意って奴だ。
その上で賠償金も払わされた。でもお金だけで済んだのはまだ幸いだったのかもしれない。
どれくらいの額を払ったかまでは聞いてないけど、発掘された宝石類でどうにかなったらしいとは聞いた。
でも、それらをより上手く捌いてくれた人達はもういない。
残った人たちで四苦八苦して乗り越えていかなければならない。
そうして、また幾日か時がたって、どうにか後任の二人でイナミ領が回りだしたころ、手持ちぶさただった私は、アレクシスさんに頼まれていたことを粛々と再開し始めた。
それと同時に私の日常も戻りつつある。
もう落ち込む日々は終わりだ。
それに何かしていた方が色々考えなくて済む。
けれど、ちょうどその次期に不幸はまた起こった。
嫌なことは何かと続くって事なのか。アリュウス君の魔王化が始まったのだ。
とはいえ、これはわかっていたことで以前から私とアレクシスさんで念入りに準備してきた事だ。
流石に落ち込んでいるからって理由で失敗していいようなことでもない。
アレクシスさんが主体となって進み、つつがなく作業は遂行される。
魔王化が始まったアリュウス君の肉体は地下神殿に安置され、地下神殿は私とアレクシスさんの魔術で何重にも封印された。
これにより抜け殻の魔王は永遠と穢れを集め続ける装置と化した。
この装置がある限り魔王はもう二度とこの世界に現れない。それどころか穢れを一カ所に集め続けてくれる。
そしてアンティルローデさんが作ったこの地下神殿はゆっくりとではあるけれど、溜まっている穢れを魔力へと変換してくれた。
穢れを糧にした半永久的に魔力を生み出す装置の完成だ。
オスマンティウスがその生み出された魔力の行き先に選ばれた。そうしたのはアレクシスさんだ。
アレクシスさんは…… 聖王様が密談でオスマンティウスに告げていた通り、オスマンティウスを本当の意味で、この世界の神、守護神にするつもりなんだ。
それが良い事なのか、悪い事なのか、やっぱり私にはわからない。
イリーナさんと同化したオスマンティウスは以前のオスマンティウスとは明らかに違う。
イリーナさんと、いや、一人の人間と同化したことにより、なにもかもが無知で純粋だったオスマンティウスとは変わってしまった。
完全に私の手を離れてしまったんだ。
今もオスマンティウスは望まれたように理想の神として振舞っている。
アリュウス君、いや、もうアリュウスさんと言うべきよね。アリュウスさんはアザリスさんの母親のアンさんの肉体を得て、アザリスさんの母親になった。
精霊的には正しいことだけれども、私も納得はいってないが仕方がない事と思っている。
私にはそんなことなかったけど、肉体を変えると名前だけを受け継いでその肉体の持ち主として振舞うようになるらしい。
精霊という存在は本来そういうものらしい。
これが精霊の常識だそうだ。最も混血種であるアリュウスさんは完全にそうとも言い切れないらしいけれども。
私も本来ならアンティルローデさんとして振舞わなければならなかったのかしら?
私の場合は何もかもが異例づくしで当てはまりそうにないけどね。
まあ、そんなわけでアンリエッタさんの息子のアリュウスくんは、今はアザリスさんの母親のアリュウスさんとして振舞っている。
そのことにアンリエッタさんは複雑な気持ちでいるが、世界を救った英雄になった上に、生きているのだから、と自分を納得させていたようだった。
実際アリュウス君の犠牲で魔王は今後この世界には現れないだろうし、英雄的行為という言葉で片付けたくはないけれど、必要な犠牲と割り切るしかない。
形はどうあれ生き続けているのは事実だしね。
そういえば、アンリエッタさんもミリルさんのことを凄く慕っていたはずだ。
彼女はグリエルマをどう思っているんだろうか、許せるんだろうか?
一時期、領主の後任として師弟のような関係になっていたはずだけれども。
そのころはアンリエッタさんもグリエルマを慕っているように見えた。
でも今はどう思っているんだろうか? 殺したいんだろうか?
私にはそのことを聞く勇気はなかった。
アザリスさんは生まれてきた自分の娘にミリルと名をつけていた。
以前命を救われるようなことがあったらしい、彼女のように強く立派で気高い人物になってほしいと願いを込めてだそうだ。
アンリエッタさんもそれには賛成してくれたし、生まれてきた娘を、アリュウス君の代わりとばかりに可愛がった。
アザリスさんの母親になったアリュウスさんも同じアザリスさんの家に住んでいるので、それが会いに行く口実にもなっている。
にしてもミリルか。
生まれ変わりは…… あの管理者の話を信じるならある。
流石にアザリスさんの子がミリルさんの生まれ変わりという事はない。
妊娠した次期がいささか早すぎる。
けど、悪くない名前だと思う。
私も色んなことに目をつぶってきたけど、そろそろ見つめ直さないといけない。
今日はアザリスさん宅に久しぶりに遊びに来ている。
まだ落ち込んでいて、ひきこもりがちであった私を気遣ってか、アンリエッタさんとオスマンティウスが誘ってくれたのだ。
断る理由は特になかった。
まだ赤ん坊のミリルちゃんを抱いてあやしながら、
「生まれ変わりはあるのかな」
と私は呟いた。
そうするとオスマンティウスがその呟きに答えた。
「あるわよ」
「魂を見れるあなたがいうなら、そうなんでしょうけどね。ミリルさんも今頃生まれ変わっているのかな」
私がそう言うと、オスマンティウスは少し下を向いて何かを考えていた。
けど、すぐに結論は出たのか、赤ん坊のミリルちゃんを指さしてそう言った。
「そこにいるじゃない」
さも当然のようにオスマンティウスはそう言った。
何を言ってるんだろう。そう思ったけど、まるでその行為が以前のオスマンティウスのように感じられ懐かしく思えてしまう。
「いや、このミリルちゃんじゃなくて院長のほうのミリルさんだよ」
と、自然と笑みをこぼしながら訂正してあげる。
こんなことは久しぶりだと思っていた。
「だから、そのミリルだって言ってるの。三分の一くらいですけどね」
「はっ?」
と真顔で返してしまった。
その言葉に私は頭が真っ白になる。
三分の一? そのミリル? どのミリル? いや、三分の一ってなに?
「あの人は死んで、三つ位に魂が別れたみたいなのよね。そのうちの一つが、今、イナミが抱いているそれに宿っているの」
と、オスマンティウスは私が抱いているミリルちゃんを指さしながらそう言った。
目線を落とすとミリルちゃんと目が合った。
くりくりした可愛い目で私を見つめてくる。
これが三分の一ミリルさん? ミリルちゃんではあるけれど、ミリルさんでもあるの? え? 三分の一? え? ど、どういうこと?
いや、いやいや、流石に騙されない。
アザリスさんが妊娠した次期がずれている。ミリルさんが死んだ時期はもうアザリスさんのお腹は大きかったはずだ。
「でも時期が……」
「生まれてくる子に魂が宿る瞬間は母親から切り離された直後なのよ。
そうじゃないと同じ体に二つの魂が宿ることになっちゃうから、それは危険なの、混ざっちゃうから。
自然の摂理でそうなってるのよ」
「それ…… 本当なの?」
え? 嘘でしょう?
この子、ミリルさんなの? 生まれ変わりなの?
「まっ、待ってください。では、この子は本当に先輩なのですか?」
アンリエッタさんも少し食い気味に確認してきている。
アンリエッタさんのその顔は必死そのものだ。
なんだかんだで、今でもアンリエッタさんはミリルさんのことを慕っているのよね。よくミリルさんのお墓でその姿を見ることが多い。
それと、孫が生前、自分を可愛がってくれていた人だったと言われてアリュウスさんも、ちょっと不思議そうな顔をしている。
そりゃ、色んな意味でそんな体験できる人はそうはいないからね、不思議な顔にはなるよね。
やっぱりアリュウスさんが、十歳前後の男の子がいきなり四十歳を超える孫持ちのおばあちゃんになるって無理があるように思える。
まあ、見た目はもうアリュウスさんのほうがアザリスさんより若いんだけどね。
それにしても、納得しないといけないんだろうけど、今だに違和感が凄い。
いや、今はそんなことよりもミリルさんのことだ。
「え? 私の子、本当に院長さんなんですか?」
アザリスさんも知らない様子だった。
ここに居るオスマンティウス以外の全員が知らなかったってこと?
「わたしを誰だと思っているの?
神様なのよ?」
「ははっ、そんな…… そんな奇跡みたいな話あるんだ……」
あ、あるわけないよね?
オスマンティウスの嘘なのよね?
でも、本当なの? 本当にこの子がミリルさんなの?
「生まれ変わりと言っても、記憶もないし、もう本人って訳じゃないけどね。それは仕方がない事なのよ、これも自然の摂理。
でも生まれ変わりなのは、この眼にかけて保証するわ」
虹色に輝く眼を指さしながらオスマンティウスはそう言った。
オスマンティウスが、イリーナさんから受け継いだ眼に誓うって言うなら、嘘じゃない、だろうけど。
けど、信じられる? そんなこと。そんな都合のいいことが。
「それはわかってる。わかってるよ。
でも、オスマンティウス。本当に凄いんだね。本当に神様になったんだね」
なんだかよく理解もできないけど、自然と笑顔になる。笑みがこぼれ落ちてしまう。
そして涙が溢れてくる。
こんな、こんなことってあるんだ。
生まれ変わりとはいえ、もう本人じゃないとはいえ、ミリルさんにまた会えるだなんて思ってもいなかった。
「ええ、そうよ。わたしはそう望まれたの。だからそうなったの」
ちょっと得意げにオスマンティウスは笑った。
最近のオスマンティウスは以前とそう変わらないような気がする。
信者たちの前では、神様を演じ、裏では、いや、私と会うときだけは素の、イリーナさんと同化する前のオスマンティウスが強く出ている気がする。
それも、もしかしたら私がそう望んでいるから、オスマンティウスがそれをかなえてくれているだけなのかもしれない。
神様のオスマンティウスよりは、以前のオスマンティウスのほうが私は好きだから、それはそれで助かるのだけれども。
「じゃあ、イリーナさん、ううん、エッタさんに会いたいって言ったら会えるの?
あなたと同化しちゃった、エッタさんに」
「できるわよ?」
さも当然とばかりにオスマンティウスはそう言った。
「はっ? えっ、まって、完全に同化してるのよね?」
冗談のつもりで、困らすつもりで言ったのに。
できるの? そんなことまでできるの?
「ええ。わたし神様だもの。この眼に見えてるんだから、同化してても分けるの何て造作もないことよ?」
「え? なんですか、それ、本当に神様みたいじゃないですか、オスマンティウス様」
アザリスさんも本気で驚いているようだ。
アザリスさんに、神様みたい、って言われてオスマンティウスは少し不機嫌そうにしていたけど、それほど気にはしていないみたいだった。
もしかしたら、今のオスマンティウスも実はそう思っているのかもしれない。
ただ単に理想の神様を演じているだけなのかもしれない。そんなことはないか。コイツはもう本当の神様だ。
にしても、本当に凄い神眼なんだ。とてもじゃないが理解が及ばない。
まさに人ならざる者、神の域の話だ。
私が頭の中でひとしきり感心していると、オスマンティウスはおもむろに掌を上に向けてだした。
そこに塩で、小さな人形が形作られていく。
それはイリーナさんの姿となり、塩そのものの真っ白だった人形の色が変化し、人のものへと変化していった。
まるで本当に小さなイリーナさんだ。
「とりあえず急に言われたから、これくらいの大きさで今日は勘弁してね」
「待って、なんで色づいているの?」
オスマンティウス自身は髪の毛と眼以外は未だに塩の白色のままだ。なのに今作り出した人型は本物の人のように色がついている。
まるでサイズだけ違う本物にさえ思えるほど精巧なものだ。
「そりゃ、エッタだもの」
「いや、待って、いつの間に色なんてつけれるように?」
「ああ、そっちね。そういう風に見えているだけで本当に色がついているわけじゃないの。
魂の波長に合わせてそういう色に発光しているのよ。
ほら、若干光って見えるでしょう?」
「ほ、ほんとうだ…… 光ってる……」
周りが明るかったからわからなかったけど、言われてみると確かに発光しているように思える。
にしても、魂の波長に合わせて光る?
どういう仕組みなの? なんかもう意味不明だよ。
「じゃあ、エッタに出てきてもらうね」
塩の人形が一瞬ブルブルっと増える。そして閉じていた瞼を開けた。
そこには虹色ではない、琥珀色の、イリーナさん本来の瞳があった。
「イナミ様、お久しぶりです。
お別れの言葉を言えなかったので心残りでしたので、再び直接お会いできてよかったです。
ああ、いけませんね。今の私は神様と同一なのですから、イナミと呼んだ方が良いですね。
申し訳ないんですけど、かまわないでしょうか?」
そう言って小さいイリーナさんは私に向かってお辞儀をした。
「え? あっ、うん、そんなこと元からかまわないけど……
ほ、ほんとにイリーナ、いえ、エッタさんなの?」
あっけにとられる。確かにイリーナさんだ。返事を待つまでもない。
直感的にわかる。これは本物の、イリーナさん本人だ。
「はい、そうです。
やっぱりイリーナと呼ばれるよりエッタと呼ばれる方がやっぱりしっくり来ますね」
そう言って小さなイリーナさんはクスクスと笑った。
「ははっ、嘘でしょう。こんな簡単に再会できるだなんて思いもよらなかったよ」
「これもそれも神様が肉体ごと私と同化してくれたおかげです。
ただ私が表に出ることはやっぱり良くないことなんです。私は死者なのは変わりありませんので」
「うん、でも、でもね。また会えたことだけで嬉しいよ。
ほら、ミリルさんも生まれ変わったんだってさ。
アザリスさんの娘になったんだよ。信じられる?」
「ええ、私は以前から知っていました。イナミ様、あっ、いけない、イナミ…… イナミが私を訪ねて来てくれればお伝えすることもできたのですが」
そう言ってイリーナさんは少し困ったような顔を見せた。
本当に何をやっていたんだ、私は。もし、私がもう少しちゃんとしてて、イリーナさんに会いに行っていれば、こんなに落ち込むことはなかったのかもしれない。
「そうなんだ、ごめんね、私ずっと落ち込んでて……」
本当に、私は何をやっていたんだろう。
大事なことも、何かのチャンスも、すべて逃してしまった。
私が引きこもってなければ、解決できた事はたくさんあったはずなのに。
「でも、あんまり生まれ変わりのことは言わないほうがいいかもしれませんね。
あまり多くの人に認知されてしまうと、前世と縁が結ばれてしまう可能性があります」
「それってダメな事なの?」
私がそう聞くとイリーナさんは、少し悲しそうに目を伏せた。
「自分の前世とはいえ死者ですからね。死を招きかねないです。
ですから、さっき神様がポロッと言ってしまった事は、この場のことだけにして、これ以上広めないでくださいね。口に出していう事も本来は厳禁なんです」
「だって、イナミが落ち込んでいるから……」
と、オスマンティウスは少し拗ねたように言い訳した。
その様子は、以前のオスマンティウスのように思える。今はイリーナさんが分離しているからだろうか?
「わかっています。わかっていますとも神様。私達はもう一心同体なのですから」
イリーナさんはオスマンティウスの掌の上から、上を見上げオスマンティウスを仰ぎ見ていた。
本当に嬉しそうに見上げている。
二人のそんな姿を見ただけで、それだけでもなんだか満たされてしまう。
「ありがとう、本当にありがとう……」
「えっ、ちょっと待ってください、うちの子大丈夫なんですか? ねえ? ちょっと?」
アザリスさんが心配そうに、ミリルちゃんと小さなイリーナさんを見比べながら狼狽えている。
「大丈夫ですよ、アザリス。いざとなったら神様もイナミ様もいるので。
とはいえ、私ももう死者なので皆様と強い縁を結んでしまうと大変です。
長く表に出ていることも良くないどころか、本来許されることではないんです。
なので、短くて申し訳ないのですが、今日のところはこの辺で失礼させて頂きます」
「うん、うん。また、また話そうね」
「はい、では、失礼いたします」
その後丁寧にお辞儀した後、イリーナさんの形をしていたものは崩れ去った。
本当に短い、数度言葉を交わしただけだけど嬉しかった。
心から嬉しかったと思えた。
「今のようなこと、ミリルさんにも出来るの?」
「肉体がもうない。だから記憶がないから無理ね。
あとエッタも言ってた通り、本当はあんまり良くないことなの。
死者本人にそのつもりがなくても、死者と縁を結んでしまうと死を招くどころか、死を振りまくことになるのよ。
まあ、イナミほどの魂の持ち主なら関係がないのだけれども、他の人はそうも言ってられないでしょう?
だから、あんまり死者に会いたいだなんて言わないでね。それは本来自然の摂理に反する事なの。
今日だけ…… そうね、今日だけの特別だと思って置いてほしい」
「ありがとう、うん。でもよかった。
本当に良かった……」
「そう? あなたが元気になってくれれば、悩んだけれど言ったかいがあるわ。
死んだっていう事実は変わらないのだけれどもね」
確かに二人が死んだってことは変わりない。
けど、こうやって再会、完全な再会ではないのだけれども、再会出来たことが嬉しくて仕方がなかった。
「そうなんだけどね。うん……
でも、だとすると、少しきつく当たりすぎたかなって……」
「きつく当たったって誰に?」
その言葉に、オスマンティウスの表情が少し厳しくなる。
何かを察してしまったようだ。
「グリ…… エルマ……」
その表情にたじろいだ私は少し口籠もりながらもその名を口にした。
「話されたのですか?」
驚いたようにアンリエッタさんが確認してきた。
その表情には、怒りが読み取れる。この人はやっぱり許していない。そう一瞬で理解できた。それも許していないどころか殺したいほど憎んでいることが伺えるほどに。
あと、オスマンティウスからも怒り、いや、憤りに似た感情を感じることができた。
「念話で一度だけ……」
あの時は思いの丈を有り余る魔力に載せて念話の魔術を使いはしたが、受信した側はさぞ大変な事になっていただろうと今更ながら思い当たる。
「まさかとは思うけど、イナミは許すつもりなの?」
厳しい顔でオスマンティウスが詰め寄ってきた。
その様子をアンリエッタさんも険しい様子で見守っている。
「いや、わ、わからない。わからないよ……」
そう言うと、それまでに感情をあっさり捨て、オスマンティウスは呆れた顔を見せた。
「そう。イナミはお人好しだからね。
けど、神となったわたしから言うと、あれはもう断罪すべきよ。
人を殺しすぎているわ。その数ももう百や二百じゃないのよ?」
「そんなに…… そんなことになってたのね……」
そんな報告も受けた気がする。
でも愚かな私はそれを関係ないの一言で聞かなかったことにしてしまった。
「ええ、あなたが逃げたせいで犠牲になった人が増えたのよ」
「オ、オスマンティウス様……」
アザリスさんが私を助けようと、声をかけてくれたけども、オスマンティウスに一睨みされて押し黙った。
あの眼で睨まれたら、誰でもおよびごしになってしまうのは仕方がない。
何もかも見透かすかのようなあの眼は私でも不安になる。
「アザリスは黙って。これは大事なことよ?
私は人を守護する神になるの。だから、人に仇なす存在は許せないの」
そうオスマンティウスは断言した。神になる、と。
「それも望まれたから?」
私がそう聞くと、
「ええ、だって神様はそういうものでしょう?」
そう答えた。
確かにそうかもしれない。そう思えてしまう。
そう望まれたから神である。神様とはそういう存在なのかもしれない。
オスマンティウスを見ていると、本当にそう思える。
だって、オスマンティウス自身は本来、神になるだなんてめんどくさそうで興味もなさそう、と、私にはそう思えてならない。
本当のオスマンティウスは、自分の興味のあること以外無関心な奴だ。本当に純粋で無邪気な奴なんだ。
「とりあえず、これ以上犠牲者を出さないようには手配する……
でも、私に…… 私には誰かを裁くことなんてできないよ」
私に人を殺すことができるか、そう問われれば出来ないと思う。
確かに、襲ってくるような相手なら、迎え撃つ過程で殺してしまうこともあるかもしれない。それだって本当は殺したくはない。
それなのに、私の魔力が恐ろしいからって逃げ出したであろう相手を、追い打ちをかけ殺すようなことは私にはできない。
それが憎かろうと顔見知りならなおのことだ。
「その力を持っているのに?」
「だから怖いんだよ。その力を振るう事が……」
そうだ、力を振るうのは怖い。
破壊的な魔術なんかはいくらだって思いつく。
例えば、ゲームの魔法のように、隕石を降らすとか、核爆発の攻撃呪文とか。
核爆発のほうは私の知識が曖昧だから、難しいかもしれないけれど、隕石を降らすのなら出来なくはない。
でも、そんな魔術や魔法をこの世界で使おうだなんて思わない。
私には過ぎた力だ。私には扱えきれるとは思えない。
「そう。そうなのかもね、イナミはお人好しだからね。
なら、王子様にでも頼んでみたらいいじゃない」
そう言って怒ったようにオスマンティスは部屋から出ていった。
オスマンティウスの言っていいることは正しいのかもしれない。
けど、私に多くは求めないでよ。
私はそんなすごい存在じゃない。そう求められたからって、そうなるだなんてできないんだよ。
元々私はただのひきこもりなんだから。
「オスマンティウス様はイナミ様に強くあって欲しいんですね。
オスマンティウス様自身、あの眼とイリーナ様と同化することで得たしまった知識と力に翻弄されているのかもしれないですね」
アリュウスさんがそう言った。
中身は子供のはずなのに妙に大人びている、肉体の入れ替えってそういうものなの?
なら私も、もう少し強くありたかったなぁ。
私は、凄い魔力を持っていようが、魔術への理解がいくら深かろうが、前世の弱い自分と変わらないようにしか思えない。
アンティルローデさんのような魔女と呼ばれる人になりたいとは思わないけど、もう少し強い人間にはなりたかった。
「アリュウスくん、まるで大人みたいですね」
アザリスさんが私の思っていたことを代弁してくれた。
「こら、アザリス。私のことは母様と呼びなさいって、いつも言ってるじゃない」
そして、年下の血のつながった母親に怒られた。改めて訳が分からない。
まだ中身が年下の、自分の半分以下どころか三分の一より少し長く生きてしかいない母親に怒られるというのは、どういった気分なんだろうか。
「そんなこと言われても無理ですよ、アリュウスくんの魔力の波動が変わったわけじゃないんですから、私にとっては元気な男の子の頃のアリュウス君のイメージが強いんです。
それに本当の母親はとても厳しい人でした。私を愛してはくれましたけれどね。生きることに必死だったんです」
アザリスさんはそう言うが、アリュウスさんはそれを優しそうに微笑みながら見つめていた。
その顔は本当の娘を見ているように思えてならない。
「まったく困った子ですね、魔力だけで人を判断するんだから。
それなら、私が今度はちゃんと末代まで愛してあげるわ」
その様子から見て、アリュウスさんの方が力関係は上のように思える。
アザリスさんもなんだかんだで満更でもなさそうな表情を見せている。
アンさんは炎の精霊だったそうなので、アリュウスさん今は光と炎の精霊という事になっている。
特例的な複合精霊だ。本来なら炎の精霊になるのだけれども、長い事魂が抜けていた体だったので、二つの属性が同居する形になったんだとか。
ついでにアリュウスさんは誰とも盟約を結んでいないし、精霊門も持っていないので精霊としての力はそれほど強くはない。
また精霊神殿により祀られることも拒んでいるそうだ。
もしかしたら人として、アザリスさんと親子と生きていきたいのかもしれない。
「ア、アリュウス…… さん。そのー、具合とかどう? その体で不自由はない?」
その様子を見ていたアンリエッタさんが少し不安そうにアリュウスさんに話しかけた。
魂は自分の息子のものだが、精霊的解釈ではもう赤の他人なのだ。
そのことは理解していても、感情は殺しきれてない。
「はい、アンリエッタ様。ご心配お掛けして申し訳ございません」
「アリュウス…… そ、そんな他人行儀にしなくても……
ほら、私のことを母様って私を呼んでくれてもいいのですよ?」
そう言ってアンリエッタさんはぎこちなく笑うけれど、悲しみを隠しきれていない。
生きていて記憶も引き継いでいるとはいえ、アリュウスさんはアザリスさんの母親になっているのだから。
「実際のところ、難しい話なのです。アンリエッタ様。
今の私は貴女の子であったアリュウスの記憶と、アザリスの母親のアンの記憶が同時に存在しているんです。
精霊の記憶は精神に刻まれますが、人の記憶は肉体に記憶されます。
その二つが混ざり合ってしまっています、本来はどちらか一方に偏らないといけないのです。
肉体をアン様の物を使わさせていただく以上、アン様として生きていこうと私は思うのです」
そうなのか。私はアンティルローデさんの記憶なんてこれぽっちも受け継いでないんだけど。
やっぱり私の場合は異例中の異例のことなんだろうなあ。
異世界転生を司る管理人を出しぬいて、この体に呼びこまれたようなものだし。
「でも、ほら、名前はアリュウスのままじゃない? ね?」
アンリエッタさんが追いすがる。
いたたまれなくて見てられない。が、気持ちはわからないでもない。
アリュウス君からアリュウスさんへの変わりようは、正直、生まれ変わったのとさほど変わりはないとさえ思う。
「名は魂に刻まれるものですからね。ほら、イナミ様も肉体は別の方の物ですが、今もイナミと名乗られているじゃないですか」
「私は、自然とそうなっただけで意識してそうしてたわけでもないんだけど……」
私の場合はやっぱり普通の状態じゃないのよね。
例としてあげられても困る。
「神様の言葉じゃないですが、これも自然の節理です」
アリュウスさんはそう言ってニッコリと笑って見せた。
それとは対照的に、アンリエッタさんは今にも泣きそうな表情を見せた。
「そ、それじゃあ、私のアリュウスは……」
それを見たアリュウスさんが本当に困った顔を見せた。
そして、深いため息を着いた後、
「しかたないですね、母様は。本当にたまにですよ。こちらのボクが顔を出すのは」
と、そう言った。
そう言われたアンリエッタさんは泣きながら、アリュウスさんに抱き着いた。
アリュウスさんがアンリエッタさんを優しく抱きしめる。
これじゃあどっちが子供かわからない。
と言っても、まあ、精霊だから、肉体が変わったから、と、そう割り切れるものじゃないよね。
アリュウスさんとアンリエッタさんが二人でなんか盛り上がっているところを横目に、アザリスさんが少し恥ずかしそうに私に話しかけてきた。
「ところで、主様、ちょっとご相談があるんですけど」
アザリスさんは、なんだか妙にもじもじとしている。
照れくさそうな表情もしている。
私は抱きっぱなしにだっていたミリルちゃんをベッドに戻し、アザリスさんのほうを向いた。
「な、なに?」
「実は今、旦那と揉めてまして……」
「そうなの?」
あんまりもめているようには思えないけど、やっぱり年の差婚は辛いのかしら?
そんなことを考えたりしていたが、
「はい、結婚したはいいもの、未だにまだどちらの家名を名乗るか決めてないんですよ。
私の家は、聞いた話じゃお取り潰しになったらしんですよね。
で、旦那のカーディン家でいいって言ってるんですが、カーディン家よりグラリエータ家のほうが格式が上だから復興してそっちを名乗るべきだと……」
アザリスさんは顔を赤らめ、くねくねと科を作って見せた。
なんかしらないけど、ちょっとむかついた。
「なに、のろけ?」
そう言ってため息をついた。
そんなのどっちだっていいじゃない。どうせこのイナミ領では貴族の格式なんてものあってないような物なんだし。
「ち、違いますよ」
そう言ってアザリスさんはやっぱり顔を赤らめた。
こういうのって、のろけじゃないの?
「あっ、その話ですか。グラリエータ家の復興も可能ではありますが、証拠が少なすぎて時間がかかりますね。
カーディン家もほぼ断絶状態で似たようなものですが、ラルフさん本人が生きていますのでこちらのほうが簡単ですね」
と、アリュウス君成分を補充できたのか立ち直ったアンリエッタさんが教えてくれた。
まあ、真面目に難しそうなことを言ってはいるが、アンリエッタさんは未だにアリュウスさんに抱き着き頭を撫でられているままだけど。
「ほぼ断絶状態って……」
と、つい口にしてしまったけど、
「ほら、ラルフさんが最後の後継人だったらしいのですが、その…… 一時期消息不明になっていましたので……」
そう言われて思いだす。私のせいだ。
私のせいであの人、世捨て人になってたんだ。
でも、そのおかげで一度はイリーナさんが助かり、今はアザリスさんと夫婦になっている。
世の中わからないものだ。
「ああ、なるほど……
じゃあ、もう新しくオスマンティウス家とでも名乗りなよ。
ミリルちゃん、未来の巫女なんでしょう?」
「は? え?」
私の言葉にアザリスさんの目が点になった。
「ほら、イリーナさんだって、イリーナ・エッタ・オスマンティウスって名だったし」
「え? 良いんですか?
そんな勝手に神様の名前を頂いて……」
「あの子に、オスマンティウスって名付けたのは私だし。
それにオスマンティウスがいいって言えば、なにも問題ない話でしょう?」
「そうかもしれないですけど……?
イリーナ様の後を私の娘が継ぐんですか?
いや、確かに将来はオスマンティウス様の巫女だね、何て話は笑い話でしてましたけど」
やっぱりのろけじゃないか。
けど、アザリスさんは嬉しそうにしてはいるものの、それほど乗る気ではない。
いや、恐れ多いって奴なのかな?
それほどまでに最近のオスマンティウスは神様してるのか。
アザリスさんがそう思ってなくても、もう周りの信者たちはそうでないのかもしれない。
もう少し自分の部屋を出て周りを見て回らないとやっぱりダメなんだなぁ、と実感する。
まあ、でも、せっかく思いついちゃっただし実行しとこう。これもきっと運命だ。世界の意思に違いないと思い込むことにする。
「オスマンティウス、そこにまだいるんでしょう、いいよね?」
出ていったはずの、部屋の外にまだ黙って立ったままだったオスマンティウスに声をかける。
「い、いいわよ。あなたがそう言うなら……」
と、なぜか、少し嬉しそうな声で返事が返ってきた。
こうしてアザリスさんの家の家名は、神様の名を貰い、オスマンティウスに決まった。
代々オスマンティウスに仕える家系として長く名をつけ継がれる事となる。
それは家主であるラルフさんがいない間の出来事だけれども。
アザリスさん宅から帰ると、すぐに吸血鬼たちが根城にしている場所を傀儡兵で囲み、誰も出入りもできないようにした。
とりあえずこれで被害が拡大することももうないだろう。
一応、クロエさんに報告された時に、教会の勢力を返り討ちにした傀儡兵は破棄はしていた。
回収ではなく破棄。人を何人も殺した傀儡兵を使いまわす気にはなれなかったので、その場で自壊させてはいた。
現場には砂鉄とただの綿毛虫の糸だけが残されているはずだ。
何もかも遅かったことだけど、最低限のやれることはやったとその時は思っていた。
今更吸血鬼の拠点を囲ったからと言って、何が変わるわけでもない。
ただこれ以上犠牲者は増えはしないと思う。それだけだ。
その次の日、まるでタイミングを狙ったかのように聖王様から書状が届いた。
内容をかいつまんで端的にすると、だいたいこんな感じだ。
吸血鬼がこれほど大規模な集落を築いた事の一端は、精霊イナミに責任があるものとする。
その責任を持って吸血鬼グリエルマを他の吸血鬼共々殲滅せよ。
なお、その猶予は三百年とする。
責任の一端も何も、全部私の責任だ。私がどうにかしないといけない問題だ。言われないでもわかってはいる。わかってはいるけど決心はつかない。
けど、何? この猶予三百年って……
「アレクシスさん、ちょっといい。
聖王様からこんな書状が届いちゃって……」
剣の稽古中だったアレクシスさんに声をかける。
この修道院にも私が頼れる人は少なくなってしまった。
「ああ、見なくても知っているよ。
けど、悪いね。吸血鬼はボクの領分ではないんだ。悪しき存在で人類に仇名すものだけれども、ね。
吸血鬼という存在は精霊がこの世界に訪れる前より存在するものだしね。ボクが関与する、いや、いたずらに関与していいことじゃない。
なんていうのかな、この世界で吸血鬼が生まれることは自然の一環なんだ。
そういう意味ではイナミが何かするのもおかしい話だけれども、けど、今回の場合は違うだろ?」
「そうね、全部私のせいだもの……」
そうだ、私のせいだ。
何もかもがタイミングが悪かった。
グリエルマの話を聞かず、魔神テッカロスの亡霊に会いに行かなければ……
神眼を持ったオスマンティウスなら、山の魔神の呪いの魔法も解けていたに違いない。
でも、私がここを留守にしなかったら、イリーナさんは神眼に目覚めなかったかもしれないし、テッカロスの心臓を持ち帰らなければ、オスマンティウスも今のような神様にはなっていなかったかもしれない。
やっぱりこれは運命だったのかしら……
なんだかすべてが繋がってるようにさえ思えてきてしまう。
「ただ、ボクも見通しが甘かったよ。本当にすまない。
グリエルマがあんな行動を取るだなんて、考えもしていなかった。
穢れに汚染されなければ大丈夫な物とばかり高をくくっていたのも事実だ」
アレクシスさんも悲しそうに、伏目がちでそう言った。
この人知を超えた英雄はグリエルマのことを今はどう思っているんだろう。
一緒に魔王と戦った仲間ですら、ただの守るべき人類のうちの一人として思っていたのだろうか。
そんな人が吸血鬼となり大量の犠牲者まで出した今、自分が手を出す問題じゃないと言ってはいるけれども、実際はどう思っているんだろうか。
「私もそう……
グリエルマだし、英雄だし、大丈夫って思ってた……
凄い…… 悩んでいたのに、気づいてあげられなかった……」
「イナミ様……」
アレクシスさんについて回っているイシュが心配そうに私を見ている。
もし、イシュが、落ち込んでいるときに私の傍にいてくれたら、私はあそこまで引きこもってはいなかったのかな、なんて思ったりもする。
だめだ、弱い私はすぐに誰かに頼りたくなってしまう。
そうわかっていても頼らざる得ない。
「ねえ、イシュ。どうすればいいと思う? 私どうすればいいのかな?
グリエルマを殺せばいいの?
私にはできないよ。どんなに憎く思っていても殺すだなんて……」
「なら、私が……」
と、イシュが言いかけた瞬間、アレクシスさんがそれを止めた。
「イシュヤーデ。これはイナミが乗り越えなければならない問題だ。
いずれ、だけどね。
三百年という期間は、この世界の一巡を意味する言葉でもあるんだ、それと、永遠という意味もある時間だ。
あくまで意味だけで、本当に猶予が永遠とあるわけじゃないけれどね。
要は、期間は特に求めないけど、そっちで勝手にけりを付けてくれ、って事だよ。
聖王なりにイナミに気遣いしたんだろう。
もうこの世界の実質の支配者はイナミ。キミなんだからね」
「なにそれ、悪いのは全部私なのに。
私に配慮したっていうの?
もう…… 配慮なんかせずただ命じてくれる方が楽だったのに。
少し考える時間をください。私が決心する時間を……」
結末は決まっている。
ただ決心がつかないだけ。それだけだ。
なんなら、傀儡兵に命令するだけで全てを終わらせてくれる。
それでも、私には決心がつかない。
「ああ、どんな決定でもイナミが決めるなら、それでいいと思うよ」
アレクシスさんはそう言って優しく見守ってくれていた。
イシュは少し歯がゆそうにしていたが、これはやっぱり私がしなくちゃいけないことなんだと思う。
私はいろんなことを頭に巡らせ、ベッドにもぐりこんだ。
どうしようか悩む。どうするべきなのか。
ただ結末は決まっている。簡単なことだ。
私にグリエルマが殺せるのか。人を殺せるのか。
そんな勇気が私にあるのか?
人を殺した後、私は私でいられるのか。
そんな答えが出ないことをグルグルと考えていた。
どんなに悩んでも答えは出ない。
どうするのがいいんだろう、どうすべきなのか、いくら悩んでも意気地のない私は答えを出せない。
考えがまとまらずベッドの上で目をつぶり悩んでいると、
「……ミ様、イナ…… 助けて……」
誰かが私に助けを求めることがすぐ近くで聞こえた。
けど、この部屋には今は私しかいない。ドアが開いた気配もない。
そもそも誰かが近くにいれば私は気が付けるはずだった。
なんだろう、と思い、ゆっくりと目を開けるとそこにはシースさんがいた。
「シースさん……?」
なぜかシースさんは浮いていた。しかも半透明だった。
「イナミ様! 助けてください、私死んじゃいました!!」
シースさんは涙目でそう訴えてきた。
死んだ? 何言ってるの?
「はっ? え?」
まるで理解が追い付かない。
というか、頭の中が真っ白になり思考が止まる。
「とにかく早く助けてください! このままじゃ私、穢れに汚染されてしまいます!!」
「えええ、ちょっ、ちょっと待って?
え? なに? 半透明? 浮いてる? え? あれ? これ幽霊なの?」
「はい、そうです、私死んで幽霊になっちゃったみたいで、穢れに追われてるんです!!」
死んで幽霊? 穢れに追われている?
何を言っているのか、言葉の意味は理解できるけど脳みそが処理しきれない。
とにかく穢れに追われているから助けて欲しいって事でいいのよね?
それ以外のことは後で考えるとして?
「ちょ、ちょっと待って、ええっと、えー!?
えっ、えええ、んーと、と、とりあえず、穢れを寄せ付けない結界を張ればいいの?」
「は、はい、もうそこまで迫ってきてるんです、助けてください!!
このままじゃ、私、魔物になっちゃいますよ!!」
とりあえずパンっと手を叩いて穢れを断絶する結界をシースさんの幽霊? 幽霊なのかな? これ? に施した。
「こ、これで、この結界で平気なんですか? まだ穢れが迫って来てますけど?」
「いや、とりあえずその結界があれば穢れは侵入できないはずだけど……
ちょっと、状況説明してくれる? 死んだって本当? どういうことなの?」
グリエルマに施したのと同種の術だ。
ただあまりにも急だったの簡易用ではあるんだけど。
後で本腰入れて掛けなおさないといけないかもしれない。掛けなおすなら魔術より魔法でのほうがこの手のものはいいはずだし。
魔法のほうが効果も強く確実だ。
にしても、追いかけられるってことは、穢れ自体がシースさんを認識して追いかけてきてるってこと?
その辺もどうにかしないといけないかもしれない。ただそれは魔術には難しい、けど魔法の領域なら簡単なことだ。
「あっ、ほんとですね、穢れが寄ってくるけど、入れないみたいですね、流石です!!
た、助かりました……
やっと一息付けますよ。はぁ、助かりました。ありがとうございます、イナミ様!!
なるほどなるほど、こうやって幽霊は汚染されて穢れを纏う存在になるんですねぇ」
シースさんの癖か、幽霊について考察まで始まっている。
死んでも魔物好きなのか。というか、今はそれどこの話ではない。
死んだってどういう事よ?
「幽霊の考察はいいから、死んだってどういう事? 誰かに殺されたの?」
あまりにも理解できずに声を荒げてしまう。
一瞬グリエルマのことが頭を過るけど、流石にグリエルマが私の近くに近づけば気づくし、そもそもあの傀儡兵に囲まれた地域から脱出は不可能だ。
じゃあ、だれが? と思うけど、もちろん心当たりはない。怒っているわけじゃないんだけど、とにかく早く事象を聞いて現状を理解したい。
死んだ直後で魂があるような状態なら、まだ助けられる可能性だってある…… かも? いや、ないかなぁ。なさそうだよなぁ。
例え死体に魂を戻して定着させても、もう死者であるならば死者との縁があるから、死から逃れるのは難しい、下手をすれば縁を結んだ身近な人たちにまで死の縁を振りまいてしまう可能性すらある。
ダメだ、それを考えると不用意に助けるだなんてことはできない。
「あっ、いえ、多分なんですけどね、いつものように仕事をしながら寝落ちしてしまってて、気が付いたら自分を見下ろす形に視点がなってたんですよ。
見た感じ息もしてなかったから、死んだんじゃないかと?
で、穢れが私めがけて寄ってきてたんで、急いでイナミ様に助けを求めて逃げて来たって感じです」
「え? えぇ…… と、とりあえずシースさんの体のほう見に行こうか?
ただ単に体から魂が抜けてるだけなら、まだ死んでいるわけじゃなさそうだし」
と、言いつつも穢れに追われるという事は、やはり死んだんじゃないかとも思えてしまう。
どういう理屈かはわからないけど。もしかしたら死者は穢れに好かれやすい、とか?
とにかく早い方がいい。急ごう。
「はい、院長室で机に倒れ込んでいると思います」
私は幽霊? になったシースさんを連れて、院長室へと急いだ。
確かにこのあたりから穢れがそこはかとなく感じることができる。シースさんを追ってきたんだろうけど、私が近づくと眩しいとばかりに霧散していった。
院長室まで行くと、机に倒れ込んでいるシースさんがいた。死体にも穢れがまとわりついている。
息はしていないし、徐々に冷たくなってきている。
脈もないし心臓も完全に止まっていた。これは完全に死んでいる。
「え? うそ、ほんとに死んでる……?」
「でしょう? どうしましょう。私、魔物は好きでしたが自分が魔物になるだなんてことは考えていなかったんですが……」
「ちょっと、それどころじゃないでしょう!?
と、とりあえず人呼んで!!
えっと、誰か!! 起きて!! 今すぐ来て!!!
あ、アレクシスさんと、オスマンティウスも呼んで!!!
あああああ、もう! アンリエッタさんも呼んで来て! 今すぐに!!!」
私は真夜中に力の限り叫んだ。
真夜中に私が思いつく限り、偉そうな人達を全員呼びつけてしまった。
まあ、結果から言えばそれは正解だったのだけれども。
だって、この修道院の院長は、この領地の領主と同等の地位を持っているんだよ? しかも、それなりの短期間の間に二人も死んだなんて。
私の手には余ることだもの。
ただ、死んだ本人が、割とのほほんと幽霊ながらにしているので悲壮感がまるでないのが何とも言えないけど。
「幽霊…… だね。けど、こんな幽霊はボクも初めて見た。
生まれたての幽霊? いや、死にたてのっていうのかな……」
アレクシスさんもあっけにとられたようにシースさんを珍しいものを見るように見ている。
まあ、珍しいんだろうけども。
何この状態は、なんなの?
「え? シースまで死んじゃったの?
この修道院呪われているんじゃないの?」
と、無責任なことをオスマンティウスが言ってくる。
その言い方は神様ぽくはない。地が出ているぞ。神様。
でも本当に呪われてるんじゃないの?
誰の呪い? アンティルローデさん? いや、あの人は転生したはずだから一番ありそうなのは塩の魔神グレル?
でも、魔術や魔法は感じないし、強い縁なら私には見えるはずだし……
それ以前に、その手のものなら流石にオスマンティウスが気づいてくれるはずだ。
「え? シース? シースまで亡くなったのですか?
この浮いているの、シースですよね? え? 幽霊? え? ええ!?」
と、アンリエッタさんは困惑するばかりだ。
これが普通の反応だよね?
アンリエッタさんは、シースさんの幽霊を指で突いているが、触れはしないようだ。
やっぱり実体はない、みたいだけど。
「はい、どうも私死んじゃったみたいですね、ははは」
そしてシースさんはマイペースだ。
自分が死んじゃって、はははって笑えるものなの?
死んだ本人がこんなんだから、本当に悲壮感もなにもない。
「ど、毒殺か何かですか?」
と、アンリエッタさんが聞いてくる。
どう見ても外傷はない。そう疑いたくなるのもわかる。
毒物を感知する魔術はあるが、それは既知の毒にしか反応できない。
新しい毒なんかは検知できないので、それを使われたらわからない。それ故、新しい毒が発見され次第魔術を作り直さなければならない。それでも有用な魔術ではあるけれど。
とりあえず毒物感知の魔術を行ったところ、人を殺せるような毒はこの部屋には存在しなかった。
もちろんシースさんの死体からも検知はされなかった。
少なくとも既知の毒による毒殺ではなさそうだ。
「うーん、とりあえずそう言ったものではないようだけれども……
外的要因はなさそうだし、苦しんでいる様子もない、まるで寝落ちしてそのまま死んだような?」
アレクシスさんも毒殺には否定的だが、死因はわからないように思える。
これはもしかしてあれなのかな?
「もしかして過労死?」
私はなんとなく思い当たったので口にした。
「過労死? なんだいそれは?」
「働きすぎて疲れて死んじゃうってこと……」
この世界では、過労死なんて言葉はあんまり一般的な事じゃないのかもしれない。
それ以上に、死因はいっぱいある世界だからね。
魔術も万能じゃないというか、病気には意外と無力だし。下手に魔術があるせいで医療技術があんまり発展してないのよね。
ウィルスとか菌の観念すらあるか怪しいレベルなのよね。
「あー、じゃあ、そうかもしれませんね、私ここ一週間まともに寝てなかったですし……」
「そ、そんな他人事みたいに……」
「イナミ、あなた死者に好かれすぎてない?」
「え? 私、私自身吸血鬼だから、死の縁を皆に振りまいてたってこと!?」
あ、ありうる。だ、だから私の周りでこんなにも死者が?
わ、私のせいなの?
「いや、それはないよ。イナミの魂が発する魔力はとても清浄なものだし、死者の縁なんかとは無縁だよ、寧ろ遠ざけているまである」
「確かに王子様のいう通りね。イナミから死の縁は見えないし」
アレクシスさんとオスマンティウスから私が原因ということの否定の言葉を貰えた。
この二人が言うなら、それは正しんだろうし、私が原因って事は……
ああ、いや、私がだらしないせいで、シースさんに仕事が溜まってそれで……
「しかし、こんな真夜中まで毎日仕事をしていたのかい?」
アレクシスさんが若干呆れがちに幽霊になったシースさんを咎めた。
もうお説教を聞かせたところで遅いのかもしれないけれども。
「いえ、この時間はいつも趣味の魔物研究の時間ですねぇ。私は日が落ちたら仕事はしないので。
そもそも手に余るお仕事は全部下の人に振ってしまうので」
あっ、私のせいでもないかも。
ちょっと不謹慎だけど安心してしまう自分がいる。
「いやぁ、今はクサレヌマオオゼンチュウについて調べてたんですよねぇ。
つい熱中してしまいまして。腐れ沼で唯一妖魔以外で生存が確認できている生物なんですが、腐れ沼を無くそうって話出てるじゃないですか。
だから早いうちに研究しときたくてですね」
「そ、そんなことのために命を落としたのか……」
アレクシスさんがため息交じりにぼやいた。
「いえ、いえいえ、クサレヌマオオゼンチュウはすごいんですよ!!
進化の過程で、腐れ沼の毒、すなわち瘴気を体内で分解することができるように進化しているんですよ! 凄いですよね? ね?
しかもそれを栄養として……」
「ま、待ってくれ、それ生物なのか?」
アレクシスさんが目を大きくして驚いている。
この英雄、千年この世界を救い続けている大英雄さんでも知らないことがあるのか。
「瘴気を体内で分解?」
けど、流石にそれは驚きだ。
穢れは生きとし生きるものの敵のようなものだ。死そのものと言っても過言ではない。
それを体内で分解できる生物が存在する? にわかには信じがたいけど……
「はい、一応魔物の分類ではありますけれど、歴とした生物ですね。
毒蟲の妖魔の子ではないかと言われてますね」
「あっ、レビンさんが通りすがりにぶち殺した妖魔の一人だ」
聞き覚ええのある名だった。
レビンさんが行きがけの駄賃とばかりに倒した妖魔の名にそんなのがあったはずだ。
「えぇ…… 貴重な魔獣の親なのに……」
それを聞いてシースさんが残念がる。
確かに貴重かもしれないが、その何とかって虫は魔獣で、妖魔は人類の敵でしょうに。
しかも、妖魔は精霊神殿の仇敵でしょうに。
だ、だめだ、シースさんはマイペース過ぎる。とはいえ、イナミ領では魔獣はなんだかんだで利用されているのよね。
その何とかって虫も利用できれば…… いや、穢れを無くすのに必要な研究なんじゃないの?
「いや、待ってくれ、瘴気を分解するっていう話、詳しく教えてくれ」
アレクシスさんも興味津々というか、この世界を本当の意味で救う上で必要不可欠な問題の一つだ。
興味がない訳がない。
「え? まだ研究途中でもよければ……」
アレクシスさんの問いかけに、シースさんはクサレヌマオオゼンチュウについて得意げに語りだした。
その話は、朝を迎え昼過ぎまで続くのだが、アレクシスさんが真剣に聞いている以上誰もその場から去ることもできず、シースさんの死体も机にずっと倒れ込んだままにされていた。
シースさんの葬儀はその日の夕方から行われたが、葬式に故人自身が出席するというよくわからない状況下で葬式は幕を閉じた。
その場にいた全員が、なんなのこれ? と思っていたことだと思う。
だけど、このシースさんの研究成果が元となって、将来的に瘴気を取り込み成長するアイアンウッドが誕生する事となる。
それが出来上がるまでには長い年月かかることにはなるけれども。
また、その後、修道院の院長の座が三カ月ほど空席となるが、なし崩し的にアレクシスさんが就任し、すぐに精霊に戻ったイシュ引き継ぐこととなった。
前例のない事だったけれども、元妖魔だったとはいえ、アレクシスさん配下の大精霊、しかも有名な月下の大鉄鏡の精霊が引き継ぐという事で、反対する者は誰もいなかった。
イシュはそのまま精霊界に戻るまでの三百年近くの間、私の修道院の院長を務めあげる事となる。
ついでに幽霊となったシースさんは一応は死者なので、地下神殿の禁書庫に軟禁という形になった。
これは公然の秘密という奴だ。後世には禁書庫の女主人という怪談話にはなるくらいだ。
軟禁という状況だけれども、死者は死者なので死の縁を呼んでしまう。
頻繁には人と会うようなことはなにかと危険なのだ。
まあ、本人は禁書庫暮らしを大層気に入ってるようだけど禁書も何も読み放題と。
こうして、また大事な人を何人も失いつつもイナミ領は進んでいく。
続きはたぶん一か月後くらい。
誤字脱字は多いと思います。
教えてくれると助かります。
この部分(章)と次の部分(章)で、この物語は当初の予定通り終わりです。
話的には後五話といった感じです。
番外編を除けばだいたい当初の予定通りです。
何が番外編だったのかはわからないですが。
思ってたより話をまとめられなかったり、詰め込めなかったりしただけです。




