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異世界転生したら吸血鬼にされたけど美少女の生血が美味しいからまあいいかなって。  作者: 只野誠
第四章:イナミさんが異世界に来て泣きました。

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異世界転生して裏切りと別れと別れ。

 イナミ領が正式に認可されて七年という歳月が経った。

 その間、特に気になるような事も……

 んー、色々あった。七年という歳月を舐めてはいけない。

 後にして思うとこの七年がこの世界に来て一番楽しかった時間だったかもしれない。これから数年の内に色んなことが起きる。本当にいろんなことが。

 でも、それは未来のこと。

 それに七年の間にも色んなことはあった。

 例えば、無事アザリスさんの母親の肉体を回収できたとか、無事アンリエッタさんが男の子を出産したとか、ミャラルさんが聖歌隊を辞めて服飾ギルドの若旦那と結婚したとか。

 あっ、あとアザリスさんも去年結婚した。しかもラルフさんと。

 何歳差の歳の差婚何だろう、二回り位離れてる気がするけど、というかいつの間にそんな仲に?

 ま、まあ、いいや。当人達の問題だし幸せそうに見えるしね。ラルフさんも今ではオスマンティウス教の司祭で立場ある人なんだしね。

 教祖の護衛であるアザリスさんと司祭ということで、なにかと接点は多かったんだと思うけど、ほんと、いつどこで意気投合したんだか。

 後、イシュがとうとう精霊化し始めて、繭の中に閉じこもったりもしている。けど、いつ精霊として目覚めるかはまだわからないらしい。

 グリエルマさんは今も忙しそうにしていて吸血鬼なのに目に隈を作るくらい働いてるし、ミリルさんも修道院長として忙しそうだ。

 ミリルさんは今でも書類仕事は嫌だとぼやいている。体を動かす仕事のほうが今で性に合っているともぼやいてたっけ。

 シースさんも副院長として以上の大量の仕事をこなしているし、クロエさんはイナミ領修道院直属第一聖歌隊隊長にまでなっている。

 貴族でない彼女が聖歌隊隊長にまで出世できたことは異例といっていいかもしれない。

 それだけに風当たりは強いんだけど、このイナミ領では貴族の権力もどこ吹く風だ。イナミ領だけで活動している分にはなんの問題もないし、なんか問題あったら私からクレームが行くからね。

 今やイナミ領は他のどの領地よりも発言権どころか軍事力も高い。

 これも新型ゴーレムのおかげだけどね。いまや新型ゴーレム一機で騎士団数大隊分の戦力になってしまっているからね。

 一気に勢力図を塗り替えてしまった。騎士団にも十数機貸し出しているし、他の領主にも貸し出してたりする。

 もう人から見ても魔物からしても、新型ゴーレム自体が過剰戦力になりつつあって少し王都のほうでも問題になっているらしい。

 けど、今更新型ゴーレムに対して、どうこう言える人は既にいない。

 それほどまでイナミ領の権力は圧倒的になってしまった。

 それに一日中休みなく働いてくれるし、警備から建築作業までこなしてくれるどころか、頼めば大概のことができるしね。

 戦えば、亜人、魔獣は相手にならず、妖魔とだって渡り合える戦闘力すらある。まあ、その分貸出料もかなりお高めにしているんだけどね。そしてそのおかげでイナミ領は大変潤っている。

 妖魔は空を飛べる者が多いので、大陸の北側にいても対妖魔対策として用心のために新型ゴーレムを借りていく領主は多いのだ。

 イシュが居なくなった亜人特区も、新型ゴーレムで治安維持している部分も多いし、何よりも海の魔神退治にも必要なので、アレクシスさんが生産を止めるのを許さない。つまりは誰も何も言えない状態なのだ。

 アレクシスさんはそもそも政治というか権力に興味はないし、私もイナミ領が潤えばいいや程度にか考えてないけどね。

 ただそれ以上のことを考えている人もいることは事実だけど、新型ゴーレムは結局は私の思い通りになるからね、変なことにもならないよ。

 未だに変なこと、この大陸の覇権を、だなんて持ちかけてくる人はいるんだけどね。私はそんなものに興味はない。

 うーん、新型ゴーレムの話を話し出すと私は止まらなくなっちゃうので、この辺にしとこう。

 話は戻って、最初のころ私の世話をしてくれていたパティちゃんとヴィラちゃんもクロエさんの隊に所属している。二人とも立派になって聖歌隊の隊長補佐として頑張っている。もうそろそろちゃん付で呼んではいけない気もするけど、癖になってて抜けない。

 この七年私の世話をしてくれていたミア、ミイ、ミウの三人も今春から見習いを卒業し正式な聖歌隊としてクロエさんの元にいる。

 この三人には無理いって長い間私の世話をしてもらっていたけど、それもそろそろ限界だ。今年からは聖歌隊として頑張ってもらうしかない。

 今年からは新しい見らないの子達が、それはもう大勢私のお世話係というかお付きというか、そんな感じのものになってるんだけど、一気に増えすぎて名前もまともに覚えられてない。

 せめて五、六人ならわかるんだけど、一気に何十人もよ? 名前を覚えることを破棄した私を攻めないで欲しい。

 ついでにミア、ミイ、ミウの育った三人は、別に三つ子ではないし、容姿も似ていない。

 こちらの世界の言葉で、「ひふみ」といった感じで数数えの意味が強い言葉なのかもしれない。もしかしたら奴隷だった時に適当に、或いは魔術の才能順につけられた名前だったのかもね。

 今年から聖歌隊として立派に育って働いてくれている。

 こうやって考えていくと、やっぱりイナミ領になる前となった後で、知り合った人達とでは思い入れが違うかもしれない。

 イナミ領になった後だと大量に人が雪崩れ込んできて、名前を覚えていない人のほうが多いくらいだ。

 後は、まあ、あんまりいいことじゃないけどイリーナさんの容体が悪化して寝たきりになってしまったことくらいかな。

 イリーナさんはもう三年も寝たきり生活をしている。

 容体が悪化した一番の理由は、分不相応な奇跡の力を手にれてしまったせいだ。

 魂の状態を直接見る事ができる神眼を開花させたイリーナさんは、その眼の負荷に耐えきれなかったようだ。

 精霊鋼で内臓を傷つけられたせいもあるのかもしれないけれど、一番の要因は神眼の負荷が大きいせいだと思う。

 私とオスマンティウスの魔術で負荷軽減はしてはいるけれども、完全に負荷を消せるわけではない。

 イリーナさんの容体が悪化した当初オスマンティウスの取り乱し方は酷かったけど、三年も経った今では落ち着いてはいる。

 とはいえ、今も一日の大半をイリーナさんと過ごしているのは変わらないんだけども。

 そんなオスマンティウスの容姿は、容姿だけは、なんていうかもう完全に大人の女だ。人間でいうところの二十歳前後かな。

 歳を取らなく容姿も変わらない私と比べると、もうオスマンティウスのほうが姉で私のほうが妹に見えるくらいだ。

 まあ、オスマンティウスは相変わらず真っ白い塩の肌と濃い緑の髪と瞳で、人間離れした容姿ではあるんだけれども。

 性格は多少変わりは、いや、成長したけれども、私だけは七年前とそう変わらないように思っている。

 そんなオスマンティウスは最近、知識欲に目覚めたらしくいろんなことを調べたり学んだりしている。

 恐らく脳という器官が完成し機能し始めてるんだと思う。

 そういう訳かどうか本心は知らないけれども、最近よく修道院の講義に参加したがる。

 今も歴史の講義を受けに来ていて、私はそれに付き添って講義に参加している。未だにたまに暴走するこの神様を止められるのはこの世の中でもはや数名だけなのだ。

 けど、歴史の講義も中々楽しい。今受けているものはちょっと問題ありだけれども。

 楽しいと思える一つとして、地球の歴史との違いがある。

 例えば、〇〇朝とか〇〇王朝とかの朝の意味。地球では大体王様なんかが支配していた時代を示す意味だったと思うんだけれども、こっちでは貴族の支配している領での時代を示す意味になるって感じなのよね。意味合い的には似てはいるけどね。

 大体は家名の名前がそのままつく、例えば、古イニアチア朝だと、イニアチア家が統治していた領地と時代という意味になって、古が付いているので最古のものという意味となり、またこの『古』が付いているということは一度別の貴族へと統治が変わり再びイニアチア家が取り戻していることを意味している。

 取り戻した場合、新しい時代として新イニアチア朝と言う名称になる。ついでに入れ替わりが更に起きると、第二○○朝とか第三〇〇朝とかなったりするらしい。

 貴族が治めている領地、これ自体が小さな国みたいなものなのかもしれない。それの集合体を形だけでも聖王様が統治していると考えてもいいのかも?

 だから、聖王様は強力な権力を持っているけれども、それを実際に行使することない象徴的な立場に落ち着いているんだと思う。

 私がそんなことに思いふけっている今も講師が歴史の話をしているが、内容はやっぱり眉をしかめるものだ。

 それを私は軽く聞き流してはいるけれども、オスマンティウスは真剣に聞きノートに書き写している。

 真剣に講義を受けていないのには一応理由がある。

 今講義をおこなっている講師が元教会の司祭様だからだ。それ自体が問題な訳じゃない。ただ講義の内容に偏見が随所にみられ、私の調べた歴史とは少し違いが見て取れるからだ。

 まあ、当人はそれを偏見だとは思っていないんだろうけど。教会の神様に盲目的なところがあり教会がどんなに素晴らしかったかを今も語っている。

 宗教として、精霊神殿とその勢力を二分していた教会の権威は今や地に落ちている。

 私が教会の心臓部ともいえる本教会を、文字通り粉微塵にしてしまったことに要因がないとは言い切れない。

 いや、あれがきっかけとなり雪崩式に教会は失墜していった。

 もちろん理由はそれだけじゃない。教会が小精霊を情報源として酷使していたことも明らかになったのも大きい。

 まあ、それが明らかになったのも私が本教会を粉々にしちゃったせいだけれども。

 小精霊は正確には精霊には含まれない。けれど、その不当な小精霊の扱いに流石に怒った精霊界の意向を受けた精霊神殿と精霊を信仰していた世論に押されて、教会は破滅の一歩をたどっていった。

 今や神都周辺のみ盛んな宗教であり、王都の本教会跡地には形だけの本教会があるだけだ。

 あとは大陸の南部東側の新天地か。その開拓に教会はかけていてそれが失敗すれば教会は今度こそ終わりかもしれない。

 まあ、そんな感じで教会から大量の失業者が出てしまったわけだけれども、責任を少し感じていた私は希望する者を雇い入れた。

 歴史の授業をしている講師もその一人だけど、流石に嘘の、というよりは偏見に満ちた歴史、それを講義として教えるのは良くない。ミリルさんかシースさんに後で言っておこう。

 今ここで指摘してやるのは簡単だけれども、私は精霊だ。しかも大精霊だ、更に言ってしまうとこのイナミ領で一番偉い。

 どれくらいえらいかというと、神様として、いや、オスマンティウスが神様だから、その上の存在として君臨してしまっている。

 そんな私が講義中に口出ししてみなよ、あの講師また職を失うことになる。裏でこっそりと正してもらおうと思う。

 私も少しは自分の立場を理解して、成長したのかもしれない。

 まあ、神殿側も多少誇張した歴史を記録しているようだけど、教会よりは偏見に満ちてはいない。

 ここで講師を続けるには偏見も誇張もない正確な歴史をまず学んでもらわなければならない、と私は思っている。 

 なぜ歴史の間違いがわかるかって? そりゃ実際に歴史を見て生きてきているアレクシスさんがいるからだ。

 アレクシスさんに聞けば、記録されている歴史と実際の歴史の差なんてすぐにわかってしまう。

 あの英雄さんは歴史にも興味がない。それだけに見たものをそのまま話してくれる。そこに偏見や誇張もないから凄い助かっている。まさに歴史の生き証人だ。

 特に眠気もないけど欠伸が出た。それを見たオスマンティウスがムッとした顔を見せるが私は笑って返した。

 講義が終わった後で、オスマンティウスに、

「さっきの講義は話半分くらいで覚えておいてね」

 と釘を刺しておく。

「あら、なんで?」

 と、不思議そうにオスマンティウスは返してくる。

「んー、ちょっと間違ってるからね、後でミリルさんかシースさんに言って訂正してもらうようにしとくよ」

「え? イナミのところでは間違っているのを教えているの?」

 と、心底驚いた顔をしている。この神様はまだ人を疑うという事を覚えてない。

 そろそろ人を疑うことを覚えていい気はするけど、オスマンティウスの周りはオスマンティウスの信者ばかりだ。自分の信仰する神様に嘘をつく信者はそうはいないんだと思う。

 と、いうか、イナミ領では嘘をつく人間自体が極端に少ない。それは今でも代理領主のグリエルマさんが嘘を見抜く奇跡を持っていると信じられているのが大きい。

 そんな状況が重なってか、非情に騙されやすい神様が出来上がってしまっていてちょっと心配にはなる。

「だから話半分にしといてって言ってるのよ。

 本人はそんなつもりはないんだろうけどね。

 そんなことより、これからイリーナさんのところに帰るのよね? 私もお見舞い行っていい?

 王都の美味しいお菓子が手に入ったのよ」

 そう言った後、私の後に数名ついてきている聖歌隊の見習いの子達にそのお菓子を取ってきてと頼んでおく。

 数名が速やかに離れていった。優秀な子達。優秀な子達なんだけど……

 やっぱりこの見習の子達が増えて名前すらろくに覚えれてないのよね。

 あんまりよくないとは思うんだけど、どうしても人の名前覚えるの苦手なのよ。顔を見ればわかるんだけどね。名前が思い出せないのよ。

 ついでにオスマンティウスはイリーナさん以外の付き人はいらないと断っている。今はいないが連れていても護衛のアザリスさんくらいだろうか。

 それも護衛というよりは、遊び友達の感覚で連れまわしているだけだけれども。

「ええ、もちろん、イナミが来てくれるならエッタも喜ぶわ」

 そんなことを話ながら修道院内を歩いて行くと、小さい人影が勢いよく走ってきた。

 お付きの見習いの子達がその人影に対し制ししようとするのを私は手だけで大丈夫だから必要ないよ、と意思表示した。

 お付きの子たちも私の意思をすぐに理解するし、その人影の正体にすぐに気づき安心する。

「あっ、待ちなさい、アリュウス!」

 小さい人影を叱咤する声も少し遠くから聞こえる。

 人影は私の元まで猛ダッシュで駆け寄ってきて、私の胸に飛び込んできた。

「イナミ様、イナミ様! おはようごさいます」

「アリュウス君、もうこんにちはの時間だよ」

 と言って、私は飛び込んできたアリュウス君の頭を優しくなでた。

 光の精霊アリュウス。精霊王とアンリエッタさんのお子様だ。

 元気で無邪気な男の子ですんごくかわいい。

 精霊と人の混血児は生まれたときからすぐに精霊となる。通常の精霊の子のように小精霊として生きる期間はない。

 小精霊と精霊の一番の違いは肉体を持っているかいないか、だからね。

 自分の肉体を持って生まれてくる混血種は、本来の精霊とは完全に別なのだろう。

 一応私と同じ第二位の位を持つ精霊で、私が、いや、アンティルローデさんの親が月の女王で、アリュウス君の親は太陽の精霊の精霊王なので、同じ二位の位だけどアリュウス君のほうが精霊としての格は高そうだ。

 まあ、精霊王が正式に自分の子と認めたわけでないけれどもね。

 にしてもだ、そういった趣味は私にはないんだけれども、凄い美少年でドキドキしちゃう。

 流石精霊王とアンリエッタさんの子だ。アレクシスさんも子供の頃はこんな感じだったんだろうか。

 少し間をおいてから、小走りにアンリエッタさんとそのお付き、そしてアリュウス君にお付きの聖歌隊の見習いの子達がやってきた。

 アリュウス君はまだ幼いけど精霊、しかも光の精霊だからね、人の足で追いかけるのは大変なんだろうな、と思う。

 まだ少し遠くからで走りながらではあるが、アンリエッタさんが声をあげた。

「すみません、イナミ様。アリュウス、こっちへ来て、イナミ様に謝りなさい」

「いえ、いいですよ」

 アンリエッタさん、すっかりお母さんしている。

 こんなかわいい子の体を魔王の封じ込めのために使わなければならないかと思うと罪悪感が凄い。

 アザリスさんのお母さん、彼女はアンと名乗っていたそうだ。アンはアザリスさんから見て祖母の名前なんだけどね。

 もしかしたら、隠し子であった彼女には名を与えられていなかったのかもしれない、それで自分の母親の名を名乗っていたのかもしれないが、その真相を知っている者はもうこの世にはいない。

 とにかくアンさんの肉体は確保してあり、修道院の地下神殿に氷に覆われたまま大事に保管されている。

 アリュウス君が魔王化する前に、アンの肉体へアリュウスくんの魂を移し、アンさんの肉体を魔王化封印のために使うという案もあった。

 けれど、精霊界でならいざ知らず、この人界で精霊の肉体の取り換えをすることは少なからず危険が伴うそうだ。

 人界はそれほど穢れに満ちているのだ。

 精霊の肉体交換は穢れのない精霊界でなら安全に行えるが、穢れに満ちている人界で精霊が一時的とはいえ魂だけになる行為は魂が穢れに汚染される危険が伴う。

 私は規格外の魔力量からそんな心配はないし、そもそも神というか転生者の魂は穢れを退ける。アンティルローデさんは魂が多少汚染されるくらいのことは何とも思っていないどころか、今思うと彼女は魔女と呼ばれ魔王付き従う半分妖魔化しているような人物だ、そもそも気にするはずがない。

 いや、魂が少なからず汚染されていたからこそ、魔女として振舞っていたのかもしれない。

 どちらにせよ、幼いアリュウス君とは違う。彼の魂はまだ幼く弱い。簡単に汚染されてしまう。

 だからその危険は少ない方がいい。アリュウス君からアンさんの肉体へ移してアンさんの肉体が魔王化始めたらアリュウス君の肉体へ戻る、と、アリュウス君の肉体が魔王化し始めてアンさんの肉体に移すのでは、魂が汚染される危険度が二倍違う。

 では、精霊界へ行ってという話もあったが、精霊界から正式に拒否された。

 魔王化が始まるということは穢れが集まってくるということなのだから、精霊界に穢れを持ち込むことは許されない。とのことだ。

 まあね、わからない話ではない。精霊界には人界に降りる前の小精霊の原体とも言うべき存在も無数に存在する。

 要は精霊の赤ちゃんたちだ。その存在は非情に穢れに弱い。瘴気の臭気とも言うべき邪気に触れただけでも簡単に死んでしまう。

 魔王が倒された後、精霊界が精霊門を閉めるのは、魔王に集中されていた穢れが一気に世界に拡散され、それにより精霊界まで穢れが入り込むのを阻止するためだ。

 なら、最初のアリュウス君からアンさんの肉体へ移すだけでも、とアンリエッタさんから懇願されたが、アンさんの肉体が腐れ沼に保管されていたことを理由に精霊界から断られた。

 アンさんの肉体には瘴気どころか邪気も染みついていないが、精霊界も自分たちの子の命が関わってくる話だ。慎重にならざる得ないんだと思う。

 そんなわけで、アリュウス君の魂は魔王化が始まったら、アンさんの肉体に移されることが決定しているし、その準備も既に完了している。

 しかし、しかしだよ。いたいけな美少年の魂がいきなり産経婦の肉体へと移されると思うと……

 性癖歪んじゃうんじゃないかと、私は思ってしまうのです…… 心配してしまうのです……

 まあ、他に方法はないんだけど。

 そう考えるとアリュウス君を純粋な目で見れなくなってしまうのは私だけなんだろうか?

「アリュウス君は日向ぼっこかな?」

「はい! ボク、日の光が好きなので!」

 元気いっぱいに答えてくれた。

 か、かわいい。

 アンリエッタさんがやっと私の元までたどり着き、私にぴったりと抱き着いているアリュウス君を優しく引きはがした。

「イナミ様、本当に申し訳ありません。ご無礼を」

「いえいえ、同じ精霊だしね、気にしないで。

 アンリエッタさんは今日はお仕事お休みなの?」

「はい、久しぶりに休日をもらえました」

 少し疲れているように見える。

 今アンリエッタさんはグリエルマさんの元で色々学んでもらっている。

 彼女は巫女の資格を失いはしたが、次期大巫女エルドリアに違いはないのだ。

 まあ、そもそも、巫女が処女でならない理由が理由だけに、彼女の場合は問題もなにもないんだけれどもね。

 教会が失墜し、イナミ領の勢力が急成長した今、神殿側も次期大巫女エルドリアのアンリエッタさんを次の代理領主にしたいらしい。

 グリエルマさんもそれを受けて彼女に仕事を教えて鍛えているって感じかな。

 あ、あと、吸血鬼的にアンリエッタさんは好物ではなくなっているので、一緒に仕事をする上でグリエルマさんの吸血衝動的にも楽だって話ね。

 グリエルマさんも代理領主の仕事から解放されれば、神託の件に集中できるだろうしね。

 まあ、あと歳を取らない吸血鬼のグリエルマさんをあんまり長く目立つ地位に置いておくというのもあんまりよくない。

 私は精霊だから歳を取らないのは当たり前だけど、グリエルマさんは一応周りには人間として認知されているからね。

「じゃあ、せっかくの休日だし邪魔しちゃ悪いわね」

「いえ、とんでもございません」

 アンリエッタさんはあふれ出る笑顔でそう言った。

 アリュウス君と一緒に居られるのが本当に嬉しんだろう。

 やっぱり魔王化の件を考えると気が重くなってしまう。早くて後二、三年で魔王化が始まってしまう。

 まあ、アリュウス君が最有力候補なだけで魔王になると決まったわけではないけれど。

 ただやっぱりこの親子の大切な時間は大切にして欲しい。

 アリュウス君は死ぬわけじゃないけど、かなり年上の女性の体になっちゃうんだしアンリエッタさんの心情を考えるとね。今の二人の時間を大切にして欲しくなる。

「アリュウス君、またね」

「はい、イナミ様またです!」

 元気に両手で手を振ってくれるアリュウス君はやっぱりかわいい。

 あんないたいけな子が数年後には、母親より年上の女性の肉体になってしまうと考えると……

 ああ、でもアンさんの肉体の見た目は二十歳手前くらいなんだけどね。精霊だからかそのくらいの年齢で成長が止まってしまうのよね。

 魔王化するよりはマシだけど、やっぱり性癖歪んじゃうよねぇ? 恋愛対象とかどうなっちゃうのかしら? これから思春期の時期も来るだろうに。


 アンリエッタさんとアリュウス君と別れ、修道院内にあるオスマンティウスの聖堂を目指す。

 オスマンティウスとイリーナさんは今そこに住んでいるし、近くにラルフさんとアザリスさんの住居もある。ラルフさんはアレクシスさんと並んでこのグレル台地の修道院内に住んでいる数少ない男性の一人だ。

 たった七年で聖堂教は凄まじい布教を見せた。さすがに神殿にはまだ届かないまでも、落ち目の教会よりは信者数もはるかに多い。

 そうにまでなった今の聖堂も以前の物となんら変わっていない。聖堂の壮大さはあるが、豪華さや煌びやかさといった物はなく、シンプルで、まあ、壮大なんだ。でっかくて立派だけど飾りっけなし。ある意味神々しい。

 そんな聖堂に着き、オスマンティウスの居住区へと進む。

 オスマンティウスの居住区というよりはイリーナさんの居住区と言った方がいいかもしれない。オスマンティウスに衣食住全部必要ないし。

 ああ、でも最近は出来合いの服をよく着てる。おしゃれにでも目覚めたのかしら? それともイリーナさんの影響かな?

 その気になれば、凝った服のデザインも色さえ気にしなければ、塩で再現して作れちゃうのが今のオスマンティウスだ。

 塩ならもう自由自在で私の魔力を分け与えなくとも、オスマンティウス自身の魔力は聖都にいる精霊にだって負けてはない。

 また魔術への理解も私ほどではないけれど、かなり深く理解している。もっとも私のように術式を視覚で認識出るわけじゃないけどね。

 にしても、本が意外と多い、最近のオスマンティウスの趣味のせいか、それとも寝たきりのイリーナさんのための物か。

 そこらかしこに本が山隅になっている。イリーナさんが元気ならこの辺も片付いているんだろうけど、ここの物にイリーナさん以外が触るとオスマンティウスが不機嫌になるせいで整理する人がいないんだ。

 聖堂教の信者の人達も見守ることしかできない。

 あと調理場も広い。聞いた話では聖堂で働く信者の食事もここで作ってるんだとか。

 調理場には数人の信者達が今も働いていた。オスマンティウスを見ると言葉はかけずスッとお辞儀だけをして自分たちの仕事を続けている。

 神様というよりは会社の上司のような? いや、信者というよりメイド的な? そんな感じにも思えなくはない。

 オスマンティウスは物を食べれるようにまでなったけれど、味覚はまだないそうだ。

 まあ、食べると言っても胃の中で食べた物を無理やり塩に変化させて吸収しているだだけれども。

 イリーナさんの寝室に行くと、聖堂教の信者の娘がちょうど食事を持ってきて食事の準備をし始めている所だった。

 ああ、今はちょうどお昼時か。そりゃ調理場が忙しそうにしてたわけだ。

 私のお付きの見習いの子達は人数が多いのでこのまま室内に入ると手狭だ。イリーナさんの部屋の前で一度解散させてそのまま昼食に行かせとこう。

 頑なに忠実なリーダー格の子だけがイリーナさんの部屋の前に居座って…… いやいや、言い方が悪い。待機、うん、そうね、待機してくれているようだけど、そこまでしなくていいのに、と私は思ってしまう。

 まあ、その子にしてみれば、仕事であり使命なのだからそれを無理やり止めさすのもかわいそう、って事なのよね?

 私にはよくわからないし、あんまりお付きの人はいらないんだけどなぁ。

 うーんと、今ここの神殿関係のトップはミリルさんじゃなくて、アンリエッタさんになるのよね?

 ミリルさんは修道院長のほうが忙しくて兼任できてないだけだけど。まあ、そのアンリエッタさんも最近忙しそうだけど。

 ああ、さっきお付きの人減らしてって言っとけばよかったかな? いやいや、当人たちの前ではさすがに言えないよね。

 今度機会があったらお願いしておこう。私は周りに人が多いと落ち着かないのよ。

「神様、お帰りなさいませ」

 と、急に帰ってきた自らからが崇める神に、オスマンティウス教の信者の娘が挨拶をした。

 オスマンティウスがイリーナさん以外からも『神様』って呼ばれるのには、未だに吹き出しそうになる。

 だって、オスマンティウスよ? まだまだ子供みたいなものだよ?

 まあ、この世の中でそんなこと考えているの私くらいだけどね。

「ご苦労様。下がっていいわよ」

 オスマンティウスがそう言うと、信者の娘さんが一瞬迷った表情を見せたけれど、深々とお辞儀をして部屋を出ていった。

 たぶんオスマンティウスとイリーナさんの世話をしたかったんだと思う。

 聖歌隊の見習いの子達もそうだけど信者の人達は本当に真面目なのよね。

 まあ、信者の人からしたら信仰対象に直接仕えれるんだから嬉しくないわけないか。

 そういう意味じゃ私のお付きの子達も…… いや、人数だけは減らしてもらおう。一人か二人で十分だし、なんならいないでくれたほうが気が楽なんだよ、私は。

「神様、お帰りなさいませ。

 イナミ様もいらっしゃいませ。

 歴史の講義でしたよね、どうでしたか?」

 昼食のためかベッドから身を起こしていたイリーナさんが出迎えてくれた。

 その顔はやっぱりやつれている。顔色も良くない。

 それどころか体もやせ細っている。

 オスマンティウスが慣れた手つきで、用意されていた昼食をベッド用の介護テーブルへと並べていく。

 オスマンティウスがいるときはいつもイリーナさんの世話はオスマンティウスが行っているそうだ。

 最初イリーナさんは遠慮していたが、オスマンティウスが「わたしがしたいの」と、押し切ってしまった。

 信者さんたちはそれを見て、なんて慈悲深い神様だ、と言っていたけど、オスマンティウスがここまでするのは多分イリーナさんだけだぞ。

 それだけ、オスマンティウスにとってイリーナさんは特別なんだろう。

「教会の神様は思ってたより凄そうよ。

 もちろん、イナミも負けてないけれど」

 と、オスマンティウスは語った。話半分でっていった私の話はもう既に忘れ去られているかもしれない。

「私は神様じゃないから比較しないでいいよ。

 比べるならオスマンティウス、あなたとでしょう?」

 と、私は反論した。

「わ、わたし?

 わたしには人に伝えるべき知恵なんてなにもないわよ?」

 オスマンティウスの自己評価は意外と厳しい。その根底にはイリーナさんを救えなかった自分の無力さを知っているからかもしれない。

 もしかしたら、それがあったからこそ今は知識にどん欲になっているのかもしれない。

「いやぁ、あれは前世の記憶の産物だと思うよ」

 私がそう言うと、イリーナさんが表情をパッとさせた。

「と、いう事はやはりイナミ様と教会の神達は同郷なのですか?」

「同郷…… うーん、同郷って言っていいのかな。まあ、同じ日本ぽいのよね、証拠はまだないんだけれど、そうね、多分一緒の世界よね」

「日出神の国、ですね。教会から押収した資料にその事が書かれてたと思います」

 よくよくこの部屋を見渡すと教会から押収した門外不出の資料がその辺の机の上に転がっていたりする。

 その資料から得た知識なのか、日出、神の国か。うーん、神の国ねぇ?

 たぶんこれらの資料はオスマンティウスが無断で持ち出したんだろうけどね。いくら門外不出だからって神様のオスマンティウスにそれを注意できる人間はやっぱり少ない。

 管理しているシースさんに後で教えてあげないと、多分頭を抱えているはずだ。

 いや、シースさんなら読み終わったら返してくださいね、くらいですませそうだ。あの人マイペースだし。

「そんな大したものじゃないと思うんだけど。

 まあ、現状だと同じ国っていう意味でなら、そうぽいかな。

 時代は少し違うみたいだけどね」

「イナミとその神様達どっちが凄いの?」

 オスマンティウスの言う凄いがどういった意味なのかはわからないけど、教会の神様達は伝承通りでも、それほど強い力があったとは思えない。

 ただ相手は複数いるし、数々の奇跡と言うべき力を持っていたらしい。恐らくはあの管理者から貰った物だろうけど。

「向こうは二十八柱なのよ? 私がかなうわけないじゃない」

 そう、教会の神様は二十八柱も存在するのだ。それを理由に私は話をはぐらかす。

 二十八柱、ただしそれは設定上だけなのだけれども。

「でも実際には半分ほど神の座は空席だったと、確か二十席に満たなかったと文献にはありました」

 イリーナさんが付け加えてくれる。

 私が教会から押収した文献を読んだ限りだと、存在していた神は十五柱か十六柱。この辺の正確な人数はちょっと文章だけだと不明瞭なのよね、なにせ千年も前の話だしね。

 アレクシスさんに聞いても全員と会ったわけではないからボクにもわからない、と言われてしまった。

 で、残りはイリーナさんも言っている通り空席だったらしい。だいたい半数は空席だったらしいのよね。

 そのことについて文献やら資料を読み漁っていくと、少し予想はできるんだけどね。

 意外と教会の神様は、子供っぽいところもちらほら見えてくるし、全員が全員仲が良かったわけでもなさそうなのよね。

 ただ教会に保存されていた文献には、最後には全員で神の国へと帰還したとされている。

「らしいわね……

 それと教会の残した記録を見る限り、私のような馬鹿みたいに魔力が高い人は居なかったってさ。

 これはアレクシスさんにも確認したけど、魔力だけなら私が断然上みたいね。

 そこは相変わらず謎なんだけど。なんで私だけこんな魔力量が多いのかしらね。ちょっと困るくらい多いのよね、ほんと。

 ただそのかわりってわけじゃないんだけど、神様達はなんらかの神通力とも言うべき奇跡の力を持ってたみたいだけどね。

 それが厄介なのよ、魔術どころか魔法のほうでも再現できないようなのもあるからね」

「預言の神の予知や創成の神の残した物ですよね?」

 そう、預言だ。未来予測。実はこの世界の法を捻じ曲げてまで行う魔法ですら、未来予測は難しい。

 なのに預言の神と呼ばれる神様はポンポンと預言を残し、それを正確に当てている。

 さっきもいった通り恐らくは異世界転生したときに管理者から貰った能力なんだろうけどね。

 まさに奇跡で神様の力だ。神通力だ。

 そしてその力の一部が、隔世遺伝的に発動したのが、グリエルマさんやイリーナさんの奇跡の力の正体だと私は考えている。

 つまり奇跡の力を発現させた家系は、教会の神様に限らないが、転生者の子孫である可能性が高い、と睨んでいる。

 ついでにこの世界の貴族の魔力が高いのは、その先祖に精霊と交わった者がいるからだ。聖王家からしてそうだし。

 混血種が迫害され始めたのは、魔王のシステムが出来てから。それ以前は尊ばられる存在だっただろうに。

「預言の神様のはともかく、創成の神様の残したものは完全に地球での知識ね、鉄道とか建築技術とか、その辺そうよね。

 王都があれだけ発展していた理由も教会の神様達が地球の知識を色々伝えたからって話だし。

 まあ、そりゃ信仰されるよって気はするよ、しかも千年も前にだもの」

 千年前は本気でファンタジーした世界だったんだろうなぁ、もしかしたら私が考えるよりより自然的というか原始的な暮らしをしていたのかもしれない。

 精霊は基本自然を愛するからね。

 そんな世界に近代的な知識を断片的にでも持ち込まれたら、しかも奇跡の力を持つ集団がだよ。

 そりゃ神様扱いされるよねって話だよね。まあ、持ち込まれた知識も技術も失われた物のほうが多いみたいだけど。

 けど王都の様子を見ると失われなかった技術もあるんだ、と実感させられてしまう。

「日本と地球ってどう違うの?」

 オスマンティウスが不思議そうに聞いてきた。

「ああ、うーん、地球は惑星でそこの中にある国が日本なんだけど、どう説明していいものか。

 あっ、例えなんだけど、この大陸が地球で、そこに領地がいっぱいあるじゃん? その領地が国って感じなのよ? わかる?」

「惑星? 大陸、国……? 領地はわかるわ」

 あー、もう、一国しかない世界でどう国を説明したらいいのかわからないよ。

 オスマンティウスは明らかに頭に疑問符を浮かべている。

 こういうのは頭のいい物知りに聞いた方が間違いないんだよ。

「ごめん、シースさんか…… アレクシスさん辺りに説明してもらってくれる?

 私じゃ上手く伝えられないよ」

「むぅ、イナミは困るとすぐその二人を頼る!!」

「だって物知りなんだもの。

 間違ったことを教えられるよりはいいでしょう?」

 うん、間違いを教えるよりは数倍いいはずだ。間違ってない。

 説明が下手なんじゃない、下手だけど。あと説明するのが面倒な訳じゃない、いや、面倒だけど。

 うん、まあ、諸々面倒なんだ。でも、間違った知識を教えるよりはいいでしょ?

「イナミだって、わたしと比べたら物知りなのに!!」

 そんな話を永遠としていた気がする。

 その様子をイリーナさんが笑顔で見守ってくれている。

 そんな他愛のない話をしばらくしてからか、イリーナさんが思い詰めたような表情を見せた。

「神様、すいません。少しイナミ様とお話があるのですが……」

「え? ああっ、うん、わかったわ。少しだけ席を外すわね」

 オスマンティウスも一瞬だけきょとんとしたが、すぐになにか思い当たったのか何か納得したようだ。

「え? なに? どうしたの二人共?」

 オスマンティウスは少し悲しそうな表情を見せてから、食べ終わったイリーナさんの食器を持って部屋を出ていった。

 それから少しの間沈黙があった。そして意を決したようにイリーナさんが口を開いた。

「イナミ様、お時間を頂き申し訳ございません。

 私はそう遠くないうちにこの世を去ると思います」

「それは……」

 否定の言葉が出てこない。私にもわかる。日に日に、ゆっくりと凄くゆっくりではあるが、イリーナさんの魂はその強さを弱めていっている。

 これは寿命のようなもので、私にもアレクシスさんにですら、どうにもできない。

「今はまだ平気ですが、三十歳を超えるようなことは万が一にもないと思っています」

「それは……」

 また否定の言葉は言えなかった。

 イリーナさんが三十歳になるまで六年以上ある。彼女はその年月をもう生きることはできない。寧ろその半分の年月ですら厳しいかもしれない。

 このままいけば数年もしないのち、イリーナさんは間違いなく死んでしまうと思う。

 また魂自体が著しく弱っているイリーナさんは、吸血鬼化することももはやできないし、本人も望んではいない。

 この弱った魂の状態で今際の際に行ったら、例え私の結界で穢れを防げても、すぐに魂が自我を保てず崩れて散ってしまう。

 魂の弱り具合でいったら、呪いで苦しめられていたグリエルマさんの比ではない。

 グリエルマさんは寿命自体はあるが呪いで弱らされていただけだが、イリーナさんはその寿命自体がもうないのだ。

 なんて説明したらしいのか、ゲームなんかで説明するなら、HPが減っていくのと最大HPが減っていく、そんな違いなのかな。

 ともかく手の尽くしようがない。

 それでも私とオスマンティウスの力で無理やりその寿命を引き伸ばしているのが今の状態なのだ。

「私は、私が死んだからこの眼を神様に譲りたいと考えています。

 いえ、そのために私が生まれてきたんだと最近は考えるようになっています」

「そんなことはないよ。

 もし仮にそうだったとしても、二人の仲はそれだけじゃなかったはずだよ?」

 その神眼を今すぐにでも移植してしまえば、と頭をよぎったけれど、その考えをすぐに否定する。

 この世界には縁の力がある。

 例え今すぐオスマンティウスに移植しても、その縁の力は切れずイリーナさんの命を吸い続けてしまう。いや、距離を離すことでより強力に命を吸いつくしてしまう可能性すらある。

 またこの神眼ともなれば、その縁の力は強く断ち切ることもできない。

 完全にオスマンティウスの物とするのなら、イリーナさんが死ぬことで縁が切れるのを待つしかない。

 また神眼自体の破壊も不可能だ。もし無理にでも破壊すれば、この神眼はイリーナさんの命を使い神眼だけでも再生しようとするらしい。まあ、試したことはないけれど情報元がアレクシスさんなので確かだと思う。

 なんでも運命の力で守られている、とのことだ。要はこの世界が欲している存在という事だ。

 そしてイリーナさんの言う通り、この世界はオスマンティウスに、この神眼が渡ることを望んでいるように私にも思える。

 そうなってしまうと、やはり手の尽くしようがない。

 言いたくはないけど、天命なんだって事になってしまう。

「ありがとうございます。でもきっとそうなのです。

 神様ならこの眼も存分に使うことができるでしょう。

 私が死んだら、この眼を神様に移植する手伝いをお願いしたいのです」

「このことはオスマンティウスも?」

 今は魔眼封じの包帯もしていない。

 私のことはさぞ眩しいだろうに、それでもイリーナさんはじっと私から目をそらさず見つめてくる。

「はい、知っています。この間、私のほうから頼みました。

 神様には、眼なんかいらないから出来る限り生きて欲しいと言われましたが。

 もちろん出来る限り神様のお傍にいるつもりではありますが、どちらにせよ、人と神の寿命は違います。

 いずれ別れの時は来ます。それが早いか遅いか、それだけのことです。

 私の使命は神様にお仕えし、この眼をお譲りすること。これは運命です」

「そうかも、知れないけれど……」

 イリーナさんの言葉を否定できなかった。なにか強い力を感じる。世界が、運命が、そうなるように仕向けているようにすら思う。

 そしてそれをイリーナさんは完全に悟ってしまっている。その決意は硬い。何よりイリーナさんは頑固だ。頑なにまで頑固だ。

 一度決めたことはそう簡単に曲げない。そういう人なのだ。 

 また私的にもこの七年という歳月だけでも実感せざる得なかった。

 成長し結婚していく人たちを見ると、容姿もなにもまるで変わらない自分とどうしても比べてしまう。

 別れの時はいずれ来ると。

「お願いします。

 イナミ様に断られたら、アレクシス様を頼るほかありません。

 できれば…… これは私の我儘なのですが、イナミ様にして欲しいのです。

 私の人生を変えてくださったイナミ様に最後も変えて欲しいのです」

 断れるはずもないし、私ならその願いも簡単に叶えられる。

「ああ、もう、わかったよ。でも、約束して。

 出来る限り精一杯オスマンティウスと生きるって」

 泣きそうになるのを必死に堪える。

「はい、それは言われるまでもありません」

 そう言ってイリーナさんは涙を流しながらニッコリと微笑んだ。

 彼女がこの世を去るのは今から一年半もなく、くしくもイリーナさんとオスマンティウスが初めて会った季節の頃だ。




 イリーナさんにそんなことを頼まれてから、一ヶ月くらい経ったころか。

 私は自室でぼぉーとしていた。

 もうすぐ夏が来る、そんな季節だ。

 初期の頃、不毛だったこの近辺の大地も今は十分に大地の恵みを恵んでくれている。

 この辺一帯が不毛だった原因である土地の塩分が大分抑えられてきているからだ。

 恐らくは塩の魔神グレルの影響でこの辺りの地中の塩分濃度が非情に高かったんだと思う。

 グレルが滅びその影響もやっと落ち着いてきたというべきなのか。

 井戸の水も今では塩辛くも無く、普通の井戸水となっている。

 これからは美味しいお野菜や果物が一杯取れんだろうなぁ、なんて考えていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

 ゆるみにゆるみまくっていた顔をシャキッとさせて返事をする。

「はい、どうぞ」

「失礼します」

 そう言って入ってきたのはシースさんだ。

 二十代前半のシースさんは、何とも言えない色香がある。端的に言ってしまうとスタイルがとてもいいのだ。

 ボンキュボンって奴なのだ。私というかアンティルローデさんもスタイルはいい。でもどちらかと言えばスレンダーな方だ。

 シースさんは同性の私から見てもその体つきはえっちいし、吸血鬼の私から見ればとても美味しそうに思えてしまう。

 いろんな意味でこの色香は毒だ。

「例の資料をまとめたので持ってまいりました」

「あ、ありがとう、大変だったでしょう。

 あれだけの資料見て回るの」

 七年前教会から押収した資料は想像を超えて多かった。

 私が連れていかれたあの地下、私が見せられたのはほんの一部分だけで、本来は私が思っていた以上に広大な広さだったらしい。

 荷馬車十何台で送られてきた物を見て、当時はさすがに焦ってしまった。

「いえ、課題として生徒にやらせたので、私はチェックだけですよ。

 本当は私自身で目を通したかったんですが、その暇はさすがにないですからね」

「あはは…… さすがシースさん」

 生徒とはいえ、その大半は貴族のお嬢さん方だしね。資料の取り扱いも丁寧だろう。

 最近は平民や商人の娘さんなんかも、この修道院に学問を学びに来ているのも増えて来たけどね。

 ああ、ミリルさんの意向が強く反応してこの修道院の生徒は基本女性だけだよ。学院ではないけど女学院って感じだよ。流石に講師の性別までは限定してないけど。

 講師ができるほど教養のある人材は流石にまだ少ないのよね。

 街のほうでも、共学の学び舎を作るって話もあるしね。まだまだ人材不足なのよね。

「しかし、調べてみると結構関りが深いですね。私達の身近な物だけでもアイアンウッドやらゴーレムやら、列車もですよね。あと建築関係や衣服なんかも影響が多いみたいですね」

「そうなんだよね、まさかアイアンウッドやゴーレムが、教会の神様達が作ったものだなんて思いもしなかったよ」

 私がよくお世話になっているアイアンウッドやゴーレムなんかは実は教会の神様達が作ったものだったのよね。

 それ以外にも教会の神様がこの世界に残していったものは数多く存在する。そりゃ大神官も心酔するわけだわ。

「日之国文字で『アイアンウッド』と『ゴーレム』ですね、これってイナミ様の国の文字なんですよね?」

 そう言ってシースさんは二枚の資料を持ってきた束の中から探し出して私に手渡してくれた。

 そこには下手というか、少しいびつに書かれた日本語のカタカナで『マイマソウソト』と『コーレム』と書き記されていた。文字というよりは記号というか紋様的な感じまでにはなってるけれど。

 そして、その詳細はこちらの世界の文字で書かれていた。

 マイマソウソト、つまりアイアンウッドは地母神と創成の神が協力してこの地に創造したと書かれている。

 その資料は写本であり原本ではない。しかも何度も手書きで写されたものだ。

 その過程で『アイアンウッド』は『マイマソウソト』に変化したんだと思う。

 まあ、何も知らない人にしたら、カタカナのンやソ、後ツやシなんかも区別はつきにくいもんね。ついでに『リ』の字も全部『ソ』としてまとめらてるし、あと濁点も省かれてるみたいね。

 紙があまり上級な物でもなかったのかもしれない。そもそも原本は紙ですらないだろうし。汚れやシミも目立つ資料も多いので、それは仕方がないのかもしれない。

 あと『ア』と『マ』の違いもわかりにくいよね。こちらもマにまとめられている。

 カタカナなんか知らない人が、何度も書き写していったらそんなことにもなるか。しかも千年も昔の話だよ。

 ついでにアイアンウッドは魔物から森を守るために森と荒れ地の境に、植えられたのが始まりだそうだ。

 地中の鉄を良質な鉄に変化させその身に蓄える、そのまま城壁の一部にも利用できる、と書かれているが、アイアンウッドが城壁の一部として利用されたことは結局ないらしい。

 ただ良質な鉄ってのはあっている。十二分に活用させていただいております。

 しかしゴーレムも元は教会の神様が作ったものだったのか。

 私はてっきりアンティルローデさんの作った術かと思ってたよ。

 アンティルローデさんの資料にもそんなこと書かれてなかったし、いや、失われたゴーレムの術を復活させたってそんなようなこと書かれてあった気もするなぁ。

 うーん、どうだったか、記憶が曖昧だなぁ。親方に貸しっぱなしのゴーレムの書を返してもらって確認しないと。

 でもそれなら、作業用ゴーレムがやけに重機ぽい機能や十徳ナイフばりのツールをその体内にしまい込んでいるのも、ちょっと納得できるかもね。

 結局は地球の技術の一部が使われていたって訳か。

 特に作業用ゴーレムの機能なんか、言われてみると確かに日本にいるときに見たことあるようなものが多いのよね。

「ありがとうシースさん。まあ、元からほぼ確定してたけどね。

 それに、だから何だってことなんだけど。

 でも、こうやって物的証拠が揃ってくると思うところもあるのよね。

 あと無駄に否定してくる教会子飼いの学者連中とかも黙らせれるし」

 それに同じ日本から来たからなんだというのだ。どうせもう彼らはこの世界にはいない。

「イナミ様と教会の神様がやってきた世界が同じだったことの証明になりますものね。

 まだ文句を言ってくる教会派の人たちには効くんじゃないんですか?」

 言い忘れてたけど、私の秘密は割と公然の秘密になりつつある。

 特にイナミ領になる前からいる聖歌隊の子達はすでに皆知っていることだ。私が異世界から来たこととか、半身が吸血鬼だとか既に知られていることだ。

 打ち明けたところで特に皆の態度が変わることはなかった。というか、やっぱりそんな秘密あったんですね、って感じで納得されてしまっている。

 にしても、未だに文句を、直接じゃないにしても言ってくる教会の残党には辟易される。

 教会はその力の大部分を確かに失った。けど残党というものはいるし、そもそも宗教だ。大昔とはいえ実在した神様を信じている者はまだまだ多い。

 私はもう特に敵視はしてないんだけど、向こうは未だに敵視してくる。

 最初にケンカ売ってきたのは教会側だし、確かに教会崩壊のきっかけは私かもしれないけど、結局は自業自得で教会は崩壊していったようなものだし。

 私を恨まないでくれると助かるんだけどなぁ、本当に。

「うん、効いてくれるといいけどね」

「その辺のことは預言書のほうに書かれていないんですか?」

 預言書。アレクシスさんは予測書と言った書物。今はアンティルローデさんの地下書庫に厳重に保管されている。あれはあんまり表に出していいものでもない。

 原本であるそれは強い魔力に守られ千年経った今でも劣化するどころか汚れ一つついてはいない。

 ただその本の内容は私の目から見ても預言書なんてものじゃない。

 あれはマニュアルだ。困った時のマニュアル。もしくは攻略本みたいな感じの物。

 無論、預言がまったく書かれていないわけではない。

 ただ預言の神様とやらが出来た預言は精々百年先が限界だったらしい。それでも十分凄いんだけどね。

 でも千年以上たっている今となっては過去の、しかも相当過去の話で意味がない。

 あとは、そう、予測書であって何か起きたときの対処法が書かれたものでしかない。

 が、その対処法の精度はかなり高いように思える。

 長い間教会で信じられ、狂信されてきたのも納得はできる代物なのは確かだ。

「そんなこと一言も書かれてないよ。

 それにこれはもう預言書じゃないよ、アレクシスさんも言ってた通り予測書、というよりはこれから起こるだろう事に対する注意書きと対処法なのかな。

 預言の部分もちゃんとあるけれど、それはもうとっくの昔に終わってるんだよ」

「そうなんですか? でもその本をイナミ様に譲ることも預言として書かれていたんですよね?」

 内容が割と過激なのもあり、預言書を読む許可を出せる人は少ない。

 私、アレクシスさん、グリエルマさん、後、院長のミリルさん。それと立場的にオスマンティウスとイリーナさんくらいだ。聖堂教の二人は読む権利はあるけれども読んではいないけれども。

 副院長のシースさんにも許可は出せていない。なんせ増えすぎた人類を間引く方法とか、小精霊から拷問のような酷い扱い方で情報を引き出すやり方まで書かれているくらいだ。

 おいそれと目に触れていい代物でもない。

 ミリルさんどころかグリエルマさんですら、眉をひそめる内容まで書かれている。

「それこそ全然違うわよ。教会が窮地な時にアレクシスさんがこの本を破棄しろって言ったら、それに従うようにって書かれてただけなのよね。

 それをどうしたら、あんな解釈になったのかしらね。

 さすがに妄信しすぎてるのよ」

 いや、まあ、窮地な時にって書かれている辺りは流石なんだけども。

「えっ、そうなんですか?

 未だに教会の人達は、預言書を渡したのは予言通りだったと信じているそうですよ?」

 そう言っている人達の多くは預言書の内容を知りもしない。

 そもそも教会でも預言書を読めるのは本当に一握りの人物しかいなかったと言うし、これを大勢の人に公開することは流石に危険だ、書かれている内容が内容だけに。

 教会が失墜した原因の一旦もこの預言書はになっているんだしね。小精霊から情報を引き出す方法とか、読んでてえげつないし、それがばれて教会の失墜の決め手になったんだしね。

「まあ、今残ってる人たちは選りすぐりの教会の信徒さん達だしね」

 正直言ってしまうと、あまり積極的に関わりたくはない人達ではある。

 信仰のためなら自分の命など安いものだと妄信している人達なのだ。

 これ以上追い詰めようものなら、それこそ自爆特攻を仕掛けられてもおかしくはないようにすら思える。

 それにほっておいても少しづつその勢力は確実に弱まっていっている。

 将来的には自然消滅してくれると思うけれども、それは過激派が残っている今じゃなくていい話だ。

「そう言えば東側の教会の新領地。どうにかこうにか軌道に乗っているそうですね」

「そりゃそうよ、私がお金送ってあげてるんだから」

 ほっておいても勝手に追い詰められちゃうのを止めるためというか、全盛期の教会の勢力ならまだしも、今の教会に魔物や妖魔が現れる土地の開拓など無理だ。

 手助けしてあげなければ無駄どころか、開拓団は無駄に死ぬことになる。

 そんな感じなので、あと若干の罪の意識から資金提供やらなにやらしてあげている。

 今現在お金ははいて捨てるほどあるのでそこはもう問題じゃない。

「えぇ…… よくグリエルマ様が了承してくれましたね」

「いや、送らなきゃあそこの開拓失敗してただろうし。腐れ沼からも割と近いから妖魔も結構行き来してるのよ?」

 教会の勢力が崩れて行く過程で私への非難は凄かった。

 あの手この手で貴族たちから非難や嫌がらせを受けたもんだ。イナミ領で貴族の地位がないもののして扱うっていう法がなかったら、多分今のイナミ領の発展はさすがになかったと思う。

 今はないというか、言いたくても言えない力関係になっているけれども、潜在的にはいないわけはいない。

 そんなわけということもないけれども、言ってしまえばそれの懐柔策なんだよね。

 実際お金を払ってからは私への直接の非難はぴたっと止まった。回りくどい形で、非難してくるのはまだあるんだけどね。さっきの学者を使ってとか。

 それにこれはグリエルマさんの進言でもあったんだよね。

 そもそも彼女が嫌いなのは教会の上位陣だけであって、教会の神やその信徒が嫌いなわけではないのだから。

 その証拠に今も彼女は神より受けた神託の成就をなそうとしている。

 まあ、グリエルマさんは表向き教会出身の対教会強硬路線の領主ってことでやっているらしいので、そのことは知られていないし、ここでシースさんにいう事でもないんだけど。

 もう世間一般では権威ある教会ではなく、裏で酷いことをしていた教会と認識が変わってきてしまっている。

 グリエルマさんはそれを利用して教会の上層部を非難してたっけ。

 ついでに大神官はまだご健在で現在は神都にひきこもり中だ。

 こちらに何かする様子は今のところない。苦難の末、教会の崩壊を受け入れたようだ。そんな大神官に私は、お中元とお歳暮感覚で毎年年二回イナミ領珍味セットを送っている。

 それに対してどういった反応をしているかまではわからないけど。

「そう言えば…… 今思うとあそこにも新型ゴーレムも貸し出していましたっけ?

 じゃあ、もう教会の領地というよりイナミ様の領地なんじゃないんですか?

 ああ、なるほど飼い殺しって奴ですね。なるほどなるほど。ふむふむ。

 あっ、そうそう、新型ゴーレムは既存のゴーレムとは構造が違うので傀儡兵っていうのが正式な呼び名として決まったて学会から来てましたよ」

 飼い殺しって…… でも、まあ、そういう事よね。シースさんは察しが良くて助かる。

 で、えっと、なんだっけ? 新型ゴーレムの正式な呼び名?

「傀儡兵? 今更だなぁ。王都の学会だっけ? そんなこと言ってきたの」

 今更面倒なことを、と内心思ったけど、いつまでも新型ゴーレムって呼ぶのもどうかと思うので、それもありかもしれない。

 傀儡兵ねぇ。確かに私の傀儡ではあるんだろうけど。

 基本は術式に乗っ取って行動してるだけなんだけどね。ああ、でも命令権限は一番上に私が居るのか。

 確かに私の傀儡兵だよね。じゃあ、傀儡兵でいいか。

「そうですね、私の元所属していた図書館の上位組織ですね」

「あれ? 図書館って神殿の組織じゃなかったの?」

 図書館っていう組織があるのは知ってたけど、精霊神殿内の一組織だと勝手に思ってたわ。

 そもそも学会ってどんな組織だったっけ? たしか色んなことを決めていく組織であってたっけか?

 お偉い学者さんの集まりだったっけ?

 うーん、講義で聞いた気もするんだけどなぁ、もっとまじめに講義受けたほうがいいのかしらね。

「半々ですね、図書館には男性の方もいますし。主に神殿と学会が共同出資して出来た歴史などの情報を正確に記録、保管する組織が図書館です。

 教会は歴史を秘匿しがちだったですので、イナミ様が大量に資料を持ち帰ってきて公開してくれたので図書館の人たちも大喜びですよ。

 これで歴史の保管がはかどりますよ。

 イナミ様になら図書館も、過去のこと、特に歴史や伝承なんかで知りたいことがあれば、なんでも惜しみなく提供してくれるはずですよ」

 おお、それは助かる、って一瞬思ったけど、正直いらなかった。

 だって、そういう事にも詳しいアレクシスさんが身近にいるし。

「うーん、でもなあ、なんでも知っているアレクシスさんがいるからなぁ」

 そう、便利な英雄さんが身近にいるのだ。

 しかも今は割と暇そうにしている。手持ち無沙汰の英雄さんがいるのだ。

 何か聞けば、暇つぶしとばかりに色々丁寧に教えてくれるのだ。

「まあ、そうですよね……

 あっ、アレクシス様で思い出しました。アイアンウッドの瘴気に対する耐久性の件で聞きたいことがあるそうですけど」

「えぇー、相変わらずせっかちだなぁ。まだ実験途中よ。

 それにあれはアイアンウッドの品種改良みたいなものだから時間がかかるって言ってるのに、もう!!」

 アレクシスさんに腐れ沼を無くす方法も相談されている。

 広範囲に渡り瘴気と毒に汚染された大地を正常化させるのは難しいが方法がないわけでない。

 それに白羽の矢が立ったのは、色々とお世話になっているアイアンウッドだ。

 レビンさんのお手伝いで新型ゴーレム、もとい傀儡兵を派遣したときにわかったけれども、アイアンウッドの瘴気に対する耐性は元からかなり高い。

 鉄と魔力で成長するアイアンウッドだが、そのどちらかを瘴気に、もしくは鉄と魔力と瘴気で成長する植物に改良させてしまうのはどうだろうと私は考えている。だけど、中々上手くいかない。

 そして、それは今後必須の技術となる、はずだ。

 海の魔神と戦うまでには、どうにかして完成させなければならないし、実際出来なくもない、んだけれども流石にそう簡単にできる話ではないし、色々と実験していかなといけない。

 ただアンティルローデさんの地下神殿はそもそも瘴気を吸収し魔力を作り出すための神殿だ。

 これはとんでもなく大掛かりの儀式魔法で行われている。

 魔法のため私にもその内容の解析はできない。

 だけれども実際に現物はあるのだし、あの神殿の主な建材はアイアンウッドなのだ。

 アイアンウッドで瘴気を吸収し内部で魔力に変換することができればいいだけだ。

 いいだけだけれども、やっぱりそんな簡単にいく話じゃない。

 そんな簡単に行ったら瘴気やら邪気で苦しんだり、精霊が堕落するような事もなかっただろうし。

 今のところ進捗もなにもない、構想だけが空回りしている段階でしかない。

「進捗聞きたいだけじゃないですか、アレクシスさん今は……」

「あの英雄さん、暇を持て余しているものね」

 その進捗もないんだけどって心の中で愚痴ってしまう。

 ついでにそう簡単にできるもんじゃないって伝えてはいるんだけれどもね。やっぱり暇してるんだろうな、あの英雄さん。

「イッ、イナミ様!!」

 シースさんが周りに聞いている人がいないか気にしながら、私を慌ててたしなめる。

 流石に天下の英雄さんを暇人扱いするのは良くない。

「今回は次の魔王がほぼ確定しているし、新型ゴーレム…… じゃなかった、傀儡兵? 傀儡兵のおかげで並みの妖魔くらいなら対処できるしで、本人が数百年ぶりくらいの暇って言ってたもの」

 まあ、私がアレクシスさんに勝っているのは、魔力の量と魔術の開発くらいだものね。

 私が頑張らなければならない。だって、私も実は暇だもの。

 俗にいう政治な部分は、全部グリエルマさん任せだしね。私の仕事は祀られるだけだし、結局イナミ領が軌道に乗ってしまうと暇なのよ。

 やることはそれなりにあるけど、どれもアレクシスさんからの無理難題ばかりで、そうそう進捗が進むものでもないし、何百年ってかかる話よ。

 そもそも私に頼んでくるって事は、アレクシスさんが自身だけじゃ解決出来なかった問題ばかりだからね?

 あのアレクシスさんが千年解決出来なかったものを、簡単に私に解決できるわけないんだよ。

 が、がんばるから少し時間をください。

「うー、まあ、あの方がお暇なのは良い事ですけどね」

「平和って事だもんね。

 魔王の封印がうまくいけば、それこそ恒久的なものになるけどね」

 アリュウス君の肉体の尊い犠牲はあるけれども。

 肉体は変わりこそすれ、死ぬわけではない。それで魔王が生まれてこなくなるなら、それは必要な犠牲なのかもしれない。

 それにアリュウス君、本人も割と乗る気だ。

 まあ、そう教育されてしまっているからね、可哀そうだけれども。

 それに身を呈しているという話なら、アレクシスさんも負けてはいない。それこそ気の長くなるほどの時間を魔王と戦い続けているのだから。

 しかも精神をそういう風に固定されているという半ば強制的にだよ。酷い話だ。

「アレクシス様は人類のために長い間戦って来てくれました。それがようやく終わるかもしれないですからね」

 シースさんはしみじみとそう言うが……

 んー、まあ、そう簡単に話は終わらないんだけどね。

 だってアレクシスさんは英雄だよ。英雄は真の平和を目指して次の戦いの場を求めるなのよ、シースさん達、いえ、人間のみんなにはまだ言えない事だけれどね。




 それから、また三ヶ月くらい立ったころか、夏ももう終わろうとしている頃、アンティルローデさんの神殿跡地、地下神殿の入口に安置しておいたイシュの繭に変化があった。

 朝から繭に魔力が溢れ内側から輝いている。

「イシュがとうとう精霊に…… 戻るのよね?」

 なんだか寂しい気がする。

 それ以前に妖魔の時だったイシュとは、恐らく別人のようになる、とアレクシスさんに聞かされていたからドキドキしてしまう。

 なんだかんだで私が異世界に来た時からずっと私を支えてくれていた存在だし。

 そのイシュが別人のようになると言われても、なぜかピンとこない。

 そんな不安な気持ちを抱えつつイシュの篭っている繭を見つめて時間が過ぎていく、日が暮れだした夕方頃には繭が少しづつ光となって消え始めた。

 そして完全に日が落ちた頃繭は全部消え去り、最後には白い、白いローブを深々と被った光り輝く人が立っていた。

「イシュなの?」

 と私が声をかけると、

「はい、私は鏡の精霊イシュヤーデです」

 とはっきりとした透き通るような声で答えた。イシュのあの、自分のことを我と言ったりするような口調でも、少しくぐもった喋り方でもない。

 ローブを深く被っているせいでその顔を、表情を、確かめることもできない。

「おめでとう、イシュヤーデ。精霊に戻ることができたね」

 と、アレクシスさんが声をかけた。

「ありがとうございます、アレクシス様。

 それと、イナミ様。この御恩、私は決して忘れはしません」

 私のことは、ずっと我が主って言ってたのになぁ、なんか寂しい。

「よかったね、イシュ。

 ああ、そうだ、精霊に戻れたし、主従の盟約も終わらせないと……」

 自然と少し涙が滲む。悲しいって思えてきてしまう。

 けれど、盟約の魔術によって私とイシュの縁はまだつながったままだ。

 自由を愛する精霊に取って、盟約の魔術は牢獄に閉じ込めておくことに等しい。

 イシュが私の元を去ってしまうのは正直寂しいが、盟約のをそのままにしておくのも可哀そうだ。

 それにそういう約束だったんだ。守ってあげなければならない。

「いえ、イナミ様。私は精霊に戻れた今も、あなたに感謝しあなたを主と思っております。

 妖魔に身を堕としていた身なれど、その思いだけは精霊に戻れた今の私の中でも脈々と受け継がれています。

 できることなら、このまま私をあなたの従者として仕えさせてください」

「え? いいの?」

 色んな感情が一気にこみ上げ涙が溢れてくる。

 他に何か言おうとしたが、考えが上手く纏まらなく声にならない。

「元よりそのつもりです」

 やっぱりイシュはイシュだ。うれしいやらなんやらで、涙が少し、いや、大量にぼれ落ちてしまう。

 けど、それに待ったをかけた人がいた。

 アレクシスさんだ。

「悪いんだがその話は待ってくれ、イシュヤーデ」

「アレクシス様?」

 少し訝し気にイシュが返答した。

 私というと、思考が停止して何も考えてはいなかった。

 その場を見守ることしか出来なかった。

「イナミ。申し訳ないんだがイシュヤーデの主をボクに譲ってはくれないか?」

「え? なんで?」

 イシュをアレクシスさんに渡す?

 何を言っているの?

 元々回っていなかった頭が更に混乱してくる。

「イシュヤーデもまたボクの計画に必要な存在なんだ」

 その言葉に私は何も考えず反射的に答えてしまう。

「そりゃアレクシスさんの計画で力の強い精霊は必要かもしれないけど、なんでイシュなの?

 アレクシスさんなら他の精霊でも従ってくれるんじゃない?」

「それは違う、イシュヤーデだからだ」

 だから、何でイシュなのよ。と私が言い返そうとしたとき、イシュ自身がその答えを口にした。

「私が鏡の精霊だからですね?」

「ああ」

 イシュの言葉にアレクシスさんが力強く頷いた。

「あー、そういうことね。

 けど、うーん……」

 その言葉で私もやっと理解できて、少しづつだけど頭が回り始める。

 イシュは鏡の精霊。月下の大鉄鏡という二つ名を神殿の経典だか聖典だかにさえ名を連ねる大精霊だ。

 アレクシスさんが簡単に妖魔から精霊に戻る方法を教えてくれたのは善意だったからかもしれないけれど、それだけではなかったのかもしれない。

 いや、あの頃はまだ精神をガッチガチに強制されていたはずだから、そんな他意はないか。完全な善意だったはずだ。

 やばい、まだ頭がぐちゃぐちゃで考えが上手く纏まらない。

「ダメかい?」

「いや、ダメってことはないんだけど……

 少し寂しいっていうか、なんていうか」

 自分でもどうしていいのかわからない。

 正直なところは、今まで通り私の配下、というよりは頼れる友人でいて欲しい。

 別に私の配下である必要性はないんだけど、なぜか取られちゃう気がして、嫌なのだ。

 理由らしい理由が思い浮かばず、ちゃんとした言葉にすることができない。もどかしくて心がざわざわする。

「そう言えばこの世界に来てイナミが一番最初に会ったのがイシュヤーデだったけ。

 けど、悪いとは思うけど、イシュヤーデは、その、適役なんだ」

「うん、だから、ね? 思入れが強いというか…… なんというか、上手く言葉にできないけど、その、うーん……

 イシュは、どう思うの?」

 そうだ、一番重要なのは私の気持ちじゃない、イシュの意志だ。

 そこを、それだけは尊重させてあげなくちゃいけない。

「私は…… 私はイナミ様の従者です。妖魔の時とはいえ、そうお約束しました。

 私はそれを違えるつもりはありません」

 イシュはそうはっきりと断言した。

 あっさり見限られるんじゃないかと思っていた私は、その言葉だけで胸がいっぱいで、もう何が何やらで。

「それでもかまわない。キミをボクの配下として縛るつもりはないよ。

 しかるべき時に力を貸してくれればいい」

 事情を知っているだけに私は何とも言えない。

 太陽の精霊と鏡の精霊。

 アレクシスさんの計画。

 確かにイシュならある意味切り札になりそうではある。

 そして、その時私は多分イシュのそばにはいない。

 盟約を結ぶならアレクシスさんがいいのも理解できる。

 けど、そうわかっていても、私の高ぶった感情は簡単に納得してくれない。

「私はイナミ様の命に従います」

 イシュはそう言って黙った。私の意志を何よりも尊重してくれるようだ。

 けど、私には選べない。イシュが自分で選んでくれた方が何倍も楽なことか。

「私のことはどうでもいいよ。イシュは、イシュ自身はどう思っているの?

 イシュも計画の話は知っているでしょう?」

 そうだ、今は私の感情はどうでもいいんだ。

 それに今すぐどうという話ではないし、盟約の魔術で主を変えたからと言って、イシュが私をないがしろにするようなことはない、と思いたい。

「はい、私もアレクシス様の計画には賛成です」

 そうか、賛成か。まあ、イシュならそうだよね。

 ということはここで私の運命も決まっちゃったって事なんだよね。

 まだまだ先の、遠い未来の話だけれども、私のゴールも決まってしまった。

「なら、そうね、うん。アレクシスさんに力を貸してあげて、イシュ。

 そうしてくれるなら、私も嬉しいよ」

「泣いておいでなのですか?」

 イシュが心配そうに問いかけてくる。

 深くかぶられたフードでその表情は見えない。いや、そもそもあのフードの下に表情があるとは限らない。

 イシュは鏡の精霊で、その姿は仮の物でしかないのだから。

 けど、本気で心配してくれているのだけは感じ取れる。それだけで十分だ。

「やっぱりちょっと寂しいかなって」

 寂しい。うん。ちょっとだけ寂しくて悲しい。

「待ってくれ、何もキミ達の仲を裂くだなんて考えてないよ。

 何なら、盟約の内容に、イシュヤーデは永遠にイナミ従者と入れてもいい」

「ありがとうございます。それならば私も憂いはありません」

 こうしてイシュはアレクシスさんと新しく主従の盟約を交わした。

 そうすることで精霊門を持たなくとも人界にて精霊の力を維持できるし、それ以上にアレクシスさんとイシュとの間で縁が結ばれる。それにより上位の存在、魔神や原初の精霊と相対する時にもそれは役に立つ。

 今回、アレクシスさんがイシュと盟約を結びたかったのは、この縁が重要なのだ。




 イシュが精霊に戻ってから、二週間くらいたったときか。

 定期報告に来ていたクロエさんからびっくりすることを聞いた。

「えっ? アザリスさんとラルフさんにお子さんが?」

「はい、そう聞いています」

 表情を変えずクロエさんはそう言った。

「えっ、去年結婚したと思ったらもう?」

 早い、というか、ん? 下手したら結婚前に出来てたんじゃないか?

 そ、そんなこともないのかな? 詳しく聞かなきゃわからないけど……

「ラルフ様は結構お歳を召していますからね、早くほしかったんじゃないでしょうか?」

 確かにラルフさんはもう中年でいい歳よね。

 それだけ考えると、早いうちに子供は作りたいだろうけれども。

「そ、そうなんだ。ミャラルさんとこはまだだよね?」

「あそこは…… ミャラルが服飾職人として頑張ってますからね、しばらくはないんじゃないでしょうか」

 元々は服屋さんの娘さんだったものね。それが魔王との戦争で孤児になって敵目的で聖歌隊に入っただけの話だしね。

 多分ミャラルさんの夢だったのよね、その夢がかなってよかったなぁ。

 この修道院の制服でも作って貰って大量発注でもしてもらおうかしら? かわいいのがいいな。

 今は皆自前の服だしね、貴族じゃない人も増えてきてるしいいかもしれない。

 職人全体の大元締めになった親方に話して、あとはミリルさんにも了承を得なくっちゃね。

「あー、なるほど。クロエさんはその辺どうなのよ?」

「わ、私ですか? 何を言ってるんですか、私は巫女ですよ、聖歌隊なのですよ。

 結婚など考えてもいませんよ、そもそも相手もいませんよ」

「ええ、そうなの? クロエさん美人さんなのになぁ。まあ、確かにここには男性自体少ないけど。

 でも、ミリルさんは実家からお見合いしろって色々言われてるらしいよ」

「院長は貴族の大家ですからね。あの地位を使って政略結婚でもさせたんでしょう」

 そう言ってクロエさんはため息をついた。

 お見合いの話が来るとミリルさんも機嫌が悪くなるからね。

「全部断ってるみたいだけどね」

「院長はイナミ様一筋ですからね」

 そう言ってクロエさんがいたずらっぽく笑った。

 無表情が多かったクロエさんも今は色んな表情を見せてくれるようになった。

 そりゃまあ、戦争なんてものを体験すればね、表情も無くなるよね。

「最近わかってきたんだけど、ミリルさんはやっぱりただの精霊フェチだよ。

 アリュウス君を前にしてちょっと目つきが怪しかったよ。なぜかアンリエッタさんは喜んでてたけど」

 ミリルさんは同性にもててるから本人もそういう趣味だと思ってたんだけど、なんか違うみたいね。

 ただの精霊フェチだよ、あの人は。

 私じゃなくても精霊なら誰でもいいんだよ。

「まあ、あの二人も色々ありますからね。

 それに院長が精霊好きなのははじめっからわかってたことなのでは?」

「んー、まあ、そうよね。でも、うぬぼれる訳じゃないんだけど、私は特別なのかなって、少し思ってたからさぁ……」

「寂しいんですね」

 そう言ってクロエさんは微笑んだ。

 精霊とそれに仕える巫女というよりは、友達的な感覚のほうが私は強い。

 他の神殿から来た人達は、そういった行いに怒ったり不思議がったりするが、当の私がそういう接し方を望んでいるんだからね。

 私のお付きもそういう子ばっかりならいいけど、どうも教会を破壊した精霊というのが独り歩きしてて、新しく来る見習いの子達は表には出さないものの私を内心怖がっているのよね。

 私の魔力がそれに拍車をかけてるしで。はぁ、ミアちゃん達の頃が懐かしい。あの子達、最後のほうは私のこと割とぞんざい扱ってたし。

 まあ、ぞんざいって程でもないか。友達的な感じで接しててくれたから楽だったのよ。

 あの子達は、ほら、他の神殿のこと知らないし、一からここで育っていったからさ。

 私の魔力もそういうものだとして認識してくれてるしで、なにかと楽なのよ。

「まあね。

 あっ、そうだ。聖歌隊の子達を連れて、アザリスさんのお祝いに行こうよ」

「ああ、いいですね。パティもヴィラも喜ぶでしょうし」


「で、私まだ馴れ初めすら聞いてなかったんだけど、子供が出来たんだって?」

 もうおなかが大きいのかと思ったけど、そんなことはなかった。

 いつも通りの姿のアザリスさんが私の質問に苦笑いを浮かべている。

「あっ、はい、主様。先週吐き気が、いえ、つわりがあったので念のため調べてもらったら妊娠してました。

 まだ安定もしてるかどうかもわからないんですけどね」

 ってことは、流石に結婚前から出来てたわけじゃないのかな。

「で、馴れ初めは?」

「ど、どうしても? ですか?」

 アザリスさんの目線が明らかに泳いでいる。

 あんまり言いたくないのかしら?

「無理にとは言わないけど?」

 と、私が言うと冷や汗を垂らしながら観念したように了承してくれた。

 ここではあんまり聞けない恋バナに、パティちゃんやヴィラちゃん達も興味津々だ。

「はい、言います。

 端的に言ってしまうと、酒の勢いで間違いが起きたというやつで、そのまま責任を取る形で結婚しました」

「はっ? 酒の勢い? ()られたの?」

 ちょ、ちょっとまって、以前のラルフさんならいざ知らず、今のラルフさんは本当に世捨て人のような人物だよ?

 私のせいとは言え、聖人にして廃人のような人だよ?

 その人が酒の勢いでアザリスさんを襲ったの?

 いや、不味い。ミアちゃん達にはさすがにまだ早い話か? ど、どうする?

「おっ、襲いました。襲ってしまいました」

「え? 襲った? アザリスさんが? 襲ったの? 襲われたじゃなくて?」

 なにしてんの、こいつ。

 これは聖歌隊の子達には聞かせたらダメな話なんじゃないかな?

「はい、ほら、基本、ここ女しかいないじゃないですか。

 英雄様は、恐れ多いというか、確かに美形ではあるんですが、私からするとやっぱり魔力の量が主様ほどじゃないですが、アホみたいに多くて怖いんですよ。近寄りがたいんですよ」

「アザリスさんって、魔力に敏感よね」

「そうじゃないと生きていけない環境下で育ちましたので」

 なるほど。だから異様に魔力に対して敏感なのか。

 まあ、実際、精霊や妖魔は魔力量で実力を図るっていうしね。それは間違いじゃないのかもしれない。

 無意識にでも生存本能がそうさせていたのかしらね?

「ああ、うん、というか、それにしたって責任を取る形って……」

「はい、酒で酔った欲情した私が襲ったら旦那が泣いてイナミ様に許しを乞っていたので、そんなに泣くなら責任と取るという事で話がまとまって……」

「あっ、うん、なんか、なんかごめん」

 そりゃ言いたくないよね。

 なんかごめんね、聞いてしまって。

「いえ、いいんです。私年上好みなので」

 年上好きだったのか、そういえば一時期滞在してたレビンさんとも仲良くしてて、色々稽古も付けてもらってたっけ?

 そのおかげで、アレクシスさんの剣の練習相手くらいはできるようになったんだよね、アザリスさん。

「そういえば、レビンさんとも一時期仲良かったよね」

「師匠ですか? 流石に師匠は上すぎますね。もうお爺ちゃんの域じゃないですが。

 そう言えば、あの人も大概化物でしたね」

「しかも、魔力も持たないただの人間なのよ? 信じられる?」

 ついでに私は今でも信じられない。なんだあの人間。正真正銘のただの人間なのに本気で人間やめてるよ。

 結局頼んでおいたアザリスさんの母親の亡骸も簡単に取ってきやがった。しかもたった三日で。

 色々おぜん立てはしてあげたけど、それでも難しいかと思ってたのに、あっさりとこなしやがってさ。

 しかも途中であった妖魔を数体ブチ倒してきたらしい。魔力を持たない人間のやることじゃない。

 それどころか、妖魔王の砦から呪物ともいうような魔道具も数点持ち帰ってきてるし、ほんと何者なのよ。

 いや、何者でもないただの人なのは知っているんだけれどもさ、本物の化物というか、達人というか。そんな人よね。理解が及ばない。

「いやー、本当に化物でしたね、今どこで何をしてるか知りませんけど」

 私は今どこで何をしているか実は知っているんだけど。

 一瞬迷ったけど、ここには信頼のおける人間しかいない。教えてあげちゃおう。

「今はズー・ルーの頭目と一緒に引っ越して亜人特区でこっそり営業してるらしいよ。これ極秘事項なのでみんな秘密ね」

「は? え? あの妖魔、王都から出たらまずいって話じゃなかったでしたっけ?」

 アザリスさんはあの時一緒にいたものね。そうよね、知っているのよね。

 あの頭目は聖王との約束で王都から出ちゃいけなかったのよね。

 でも、情勢が変わって色々怪しくなったって、あっさり約束破ってお引越ししたみたい。

 亜人相手に何やってるかまでは知らないけど、まあ、殺し屋やってるんだろうなぁ。殺人の妖魔だし。

「お得意様がつぶれちゃって喰いぶちがないからって、お引越ししたみたいよ。私が手引きしてあげたんだから。

 未だに名前もわからないけどね、あの妖魔」

「だ、大丈夫なんですか? 妖魔なんですよね?」

 妖魔は妖魔だけどどうなんだろうね。ズー・ルー自体は教会の神様が来る前から、そして、その後も聖王の許可を貰って人と共に歩んできているような妖魔だし。

 それにあの妖魔に限っては、人が人を殺すことを目的としているので、人類にとって害悪ではあるけれども完全な敵ではないのよね。

 心を許せる相手じゃないけれども、目的だけははっきりしているので交渉は可能なのよね。

「亜人特区をまとめるには、なんだかんだで妖魔のほうが都合がいいのよ。

 殺し屋業を廃業したわけでもないんだけど、まあ、色々と密約もあるから大丈夫だとは思うよ」

 まあ、本当に裏で動いてくれているかどうかはわかんないけどね。聖王との約束も簡単に破っちゃったし。

 でも一応約束の上では、裏から亜人特区の取りまとめをしてくれているはずだ。

 しかし、亜人相手に殺し屋商売ってどうなのかな?

「まあ、主様がそれでいいなら私からいう事はなにもないですけど」

 と、アザリスさんはそう言いはするものの、妖魔とも身近に接する機会が多かった彼女にとっては、妖魔は畏怖する存在であるように感じているんだと思う。妖魔なんてそもそも信じてはいないんだろう。

 まあ、少なくとも私の知り合いには手を出させない、と一応口約束ではあるけれどもしてきたから平気だとは思うけど。

「イナミ様、私もその話初めて聞いたんですけど?」

 と、怒りを押し殺したクロエさんが私の後ろに立って腕組みをしていた。パティちゃんとヴィラちゃんもムスッとした顔をしている。

 イリーナさんに大怪我させた連中だものね、その気持ちもわからなくはない。

「あっ、クロエさん、だ、大丈夫よ、グリエルマさんもミリルさんも知ってる話だから、あっ、でも他の皆も他言無用よ?」

 そう言って見回すと、聖歌隊のみんなが微妙な表情をしていた。

 その表情は、大丈夫なのか、って心配している意味合いが多そうではあるんだけどね。

 でも確かに無理やりにでも盟約くらい結ばせとけばよかったかしらね?

 でもそれだと精霊に戻っちゃうのか。相変わらず難儀な妖魔だよなぁ。






 私はミリル・ハイセンエム。

 今は光栄なことに私ごときが、このイナミ領の修道院の院長をやらさせて頂いている。

 院長の地位は他の神殿長と同等だ。イナミ領には神殿がないのでその代わりというわけだ。

 しかも、いまや一大勢力となったイナミ領のだ。大巫女様を除けば神殿でもほぼ最高位と言っても実際過言ではない。

 たった七年という歳月の間に、経済力も軍事力も他の領地を圧倒してしまった。

 特に軍事力は凄まじく圧倒的だ。

 イナミ領と他の領地全てが相手でも、問題なく勝ててしまうほどにだ。もちろんイナミ様もアレクシス様も抜きにしてだ。

 またこの精霊領の主、イナミ様が住むこの修道院の院長である私の地位は、この領地の代理領主と同等の地位が与えられている。

 神殿においては実質二番目の、領主的には群を抜いて一位の地位と同等なのだ、その地位の高さに未だに眩暈がする。

 私はそんな高い地位がふさわしい人間ではないというのに。

 この地へ来た時は貴族のしがらみが嫌で逃げて来たようなものだが、この地位はそのしがらみを更にこじれさせてくれた。

 実家では私をハイセンエムの当主に、と話が上がってきてしまっているくらいだ。

 私は巫女だから跡目を作れないと断ってきたが、色んな所からあの手この手を使い圧力をかけてくるし、見合いの話を毎週のように送り付けてくる。

 まったく困ったものだ。兄の病弱ぷりもイナミ様に治してもらったというのに。兄でなんの問題もないだろうに。

 その恩も含めて私はイナミ様に生涯尽くさなければならないというのに。そもそも継承権は破棄してきたはずなんだがな、まったくこれだから貴族という人種は。

 私ももう二十代後半だ。神殿の巫女でならそうでもないが、貴族の娘としては既に行き遅れの次期だ。

 姉さんも結局は十代のうちに政略結婚させられてたしな。

 そういえば、イシュヤーデ、いや、もうイシュヤーデ様と呼ばないといけないのか。

 妖魔の時期を知っているだけに妙な気分だが、相手はあの月下の大鉄鏡の大精霊だ。敬意を払わなければならない。

 けど、聖典に名が乗っているだけで、何をしたという精霊ではないんだよな。

 ただ月見をしていただけの精霊だしな。その姿がとても幻想的だった、という話なだけで。特に何をなしたという精霊ではなかったよな?

 だが、その知名度だけは聖典に出てくる精霊の中でもやけに高い。

 初めのほうで習う事が多いので記憶に残りやすいだけなのかもしれないが。

 今となっては、そんなことを思っていても口に出しては言えやしない。

 しかし、イシュヤーデ様もなんだかな。あれほどイナミ様のことを我が主、我が主と言ってたにも関わらず、精霊に戻るや否やアレクシス様に仕えだしやがった。

 イナミ様がどれだけお前を信頼し頼りにしていたことか。

 まあ、妖魔が精霊に戻ると、別人のようなものになるって話だし、仕方がないのかもしれない。それに相手がアレクシス様だしな。

 しかし、しかしだな、イナミ様のあの落ち込みっぷりは頂けないよなぁ。

 イナミ様は、こう、いつでも輝いていて欲しいんだ。

 そうイナミ様にはいつだって笑顔で笑っていて欲しい。

 もう乙女とは言えない歳なのかもしれないが私も処女だ。久しぶりに私の血を吸ってもらってイナミ様には元気になって頂くというのはどうだ?

 少し年齢を重ねてしまったがイナミ様はまだ私の血を気に入ってくれるだろうか。

 そ、そうだな。久しぶりに血を吸って頂こう。

 ここ最近忙しかったせいか、イナミ様に血を捧げていないしな。

 うんうん、悪くない思い付きだ。

 夜ももう遅くなってしまったが、まだイナミ様は起きておられるだろうし、ちょっと行ってみるか、善は急げだ。

 もうすぐ今している仕事もきりが付くし、きりが付いたらすぐ実行だ。

 明日の朝忘れずに日光浴しなければならない。私はグリエルマのように吸血鬼になる気はないからな。好きでなったわけではないのも理解はしているが。

 それから小一時間程度だろうか、なんとか今日中に終わらせないといけない仕事は片付いた。

 さてと、仕事も一区切りしたし行くか。

 そうやって期待と欲望で胸をふくらましながら、私は夜の修道院を速足で歩いていた。

 気持ちが高ぶり早歩きになってしまうのも仕方あるまい。

 もう夏も終わりかけの季節だ。まだ肌寒くはないが蒸し暑い時期は終わりを告げている。

 この時期までなれば野生の綿毛虫ももう数少ない。季節のせいもあるが、乱獲されてその数を減らしている。

 イナミ様じゃないけど、たしかにあの虫は少し気持ち悪い。

 綿毛のように飛んでいる姿こそ美しいが、結構大きな虫で夏から秋まで人を噛み吸血する。しかも喰われた場所は二、三日非常に強いかゆみがある。場合によっては痛みまである。

 色々と利用価値のある虫とは言え、元魔物で厄介な虫であることには変わりはない。

 まあ、今となっては日が落ちたこの時間なら藪にでもわざわざ入らな限り出会うこともないだろうが。

 ついでに、生きたまま捕まえて綿毛虫の飼育場に持っていくとそこそこの金額で買い取ってくれるそうだ。貴族の出でない子供達のささやかな収入源だったりもする。

 本当にこの町は豊かになった。豊かになっただけではない、平和で穏やかだ。それになによりここでは貴族のしがらみも少ない。本当に良い街だ。

 ほんの数年前まで魔物と戦いながら過ごしていたのが嘘のようだ。

 イナミ様の部屋に向かう途中で、ふらふらと出歩いているグリエルマを見かけた。

 彼女は私を同等として扱ってくれるが、未だに助けられることのほうが多い。流石は十三英雄の一人だ。私とは器が違う。並ぶことで何かと思い知らされる。

 彼女の後釜にアンリエッタを鍛えているというが、アンリエッタに彼女の後釜が勤まるのだろうか。

 まあ、その時は私が助けてやるしかあるまい。私にどれだけ助けられるかは疑問だがな。

 グリエルマは私に気づかず神殿跡地へと入っていった。

 私の行き先はその隣のイナミ様のお部屋なのだけれども少し気になる。

 ただ隣と言ってもそれなりに距離があるから、わざわざ追いかけるような事はしたくはない、のだが。

 地下神殿、いや、禁書庫に用事か?

 最近働きすぎだ。イナミ様のお力で吸血鬼となって死の運命から逃れたそうだが。

 その吸血鬼であるはずなのに疲労を隠せてはいないよな。

 大丈夫だろうか? 

 確かに忙しいが吸血鬼が疲弊するほどではないと思うのだが。そもそも吸血鬼は疲弊するのか?

 まあ、物のついでだ。少しくらい様子を見ていくか。

 神殿跡地に入る。この神殿はかの魔女、アンティルローデの物だったとか。全盛期のエルドリア様に破壊され今は文字通り跡地でしかない。

 しかし、その跡地はイナミ様発祥の地として今も残されているし、地下神殿への隠された入口でもある。

 その入り口は巧妙に隠されてはいるが、ここは禁足地だ。一部の許された者しか入ることは許されない。

 そもそもイナミ様の結界が張ってあって、許可なき者は入ることも出来ないのだが。

 グリエルマも私も幸い自由に出入りできる立場だ。

 神殿跡に入ると地下神殿へと続く仕掛けが開きっぱなしになっている。

 開きっぱなしの扉をくぐり階段を降りる。

 地下神殿への入口の開けっ放しは流石に不味いだろう、と思うが、それほどにも余裕がないのか?

 禁書庫には誰もいない。

 地下神殿のほうか。地下神殿へと向かうと、氷に覆われたアザリスの母親の姿がすぐに目に入る。

 とても美しい方だ。将来的にはアリュウス様の次の肉体となる予定だ。

 そう思うと胸がぞわぞわする。アリュウス様の肉体が生贄となるのは残念なことだが、それで魔王という存在そのものが封じれるのなら、それは素晴らしい事だろう。

 千年もの間戦い続けてきた歴史が終わるのだ。

 アリュウス様も死ぬわけではないのだからな。そのためのアザリスの母親の肉体なのだ。

 それにこの肉体に移ったアリュウス様というのも少し気になるところだ。

 男性なのか、女性なのか、そもそも精霊には性別などあってないようなものだが、どうなるんだろうな。

 そう思うとちょっと変な目でアリュウス様を見てしまう。我ながら不謹慎だな、私ももう少し分別を付けるべきだ。

 しかし、ここにもいない?

 と、思っていると神殿の端に倒れているグリエルマを発見することができた。

 息も絶え絶えのようだ。神殿の壁に寄りかかるように倒れ込んでいる。

「グリエルマ代理領主、だいじょうぶか?」

「ミ、ミリル院長……? どうしてこんなところへ?」

 本当にどうしてだろうな。まるで吸い寄せられるように後を追ってしまった。

 吸血鬼には人を惹きつける視線を持つ言うがそんなこともあるまい。

 そういう事なら、既に私は先約済みだ。イナミ様以外の魅惑に視線は受け付けはしない。既にイナミ様に一度魅惑されているからな。

 そのことでイナミ様から何度も謝罪をされたっけか。寧ろ私はもっと魅惑されてみたいものだったが、それこそ恥も外聞も気にしない程度に魅惑してくださって構わなかったのに。

 そもそも、視線を合わせる前に、私の心はイナミ様に盗まれていた。これだけは自信を持って言える。

「久しぶりにイナミ様に会いに行こうと思ったところでな、フラフラと歩いている貴女を見つけたんだ。

 大丈夫なのか? その体なら、心配はないかと思うのだが」

 吸血鬼がここまで弱るとはどういうことだ?

 外敵からの魔術的な攻撃か? それならイナミ様が気づかないわけないだろうし。

 さすがに仕事のし過ぎでという事もさすがにないだろう?

「この神殿には邪気どころか瘴気を吸収する効果があります」

 グリエルマがそう言った。

 瘴気。

 穢れだ。邪悪なものを邪悪とする根本だ。

 邪悪な存在は例外なく瘴気、あるいは瘴気から発する邪気を纏うという。

 また瘴気は魂を穢し堕落させるという。その存在自体が邪悪そのものなのだ。

 吸血鬼に噛まれた者の魂は、穢れを寄せ付けるという。

 それはもちろん吸血鬼自体にも当てはまる。

 吸血鬼の彼女が瘴気を気にするという事は、まさかイナミ様が掛けられた術が解けかかっているのか?

「貴女に掛けられたイナミ様の結界が解けかかっているのですか?」

 彼女の魂は吸血鬼の物であり、穢れと呼ばれるものをどうしても引き付けてしまう。それはもう自然の節理だ。どうしょうもないことだ。

 吸血鬼は精霊がこの世界にやってくる以前から存在した病のようなものだという。

 穢れにより魂を汚染され狂ったように血を求める。言わば太古からある病で呪いの類だ。

 だが、彼女の魂はイナミ様の魔術でその太古から存在する呪いすら受け付けていないはずだ。

 そのおかげで狂うことなく正常な精神を今も維持出来ている。

「いいえ、あの方のかけた結界は今も私の魂と邪気から完全に断絶してくれています」

「なら、なぜ?」

 やはりイナミ様の魔術は正常に働いている。あの方の魔術は群を抜いて精度が高い。

 それは同じ魔術でありながら、まったく別の技術にすら思えるほどのものだ。そのイナミ様が行った魔術がそう簡単に解けるどころか緩むことすら私には信じられない。

 それにイナミ様はグリエルマとは縁で結ばれているから、仮に結界の魔術が破られてもすぐにわかるはずと言っておられた。

 ではなぜ、グリエルマはこんなに憔悴しきっている?

「ですが、ふと夢のように見るのです。結界のすぐ向こう側に、私の魂を穢さんとし迫りくる大量の邪気が……

 目を閉じればそんなことばかりで、少し気が滅入ってしまっていて」

「だからここで邪気払いを?」

「はい」

 なるほど。それで最近目にクマを作るほど疲れていたのか。

 さっさとイナミ様に相談すれば解決してくれるじゃないか?

「そのことをイナミ様には?」

「言ってません、これは私の、ただの気の迷いですので」

「どう見てもただの気の迷いには思えませんよ。

 明日にでもイナミ様に相談するべきです、あの方ならどうにかしてくれるはずですよ」

 気の迷いだけでこんなにやつれるものか。

 それでもなお仕事の手を緩めない彼女を褒めるべき、なのか?

 どちらにせよ、しばらく休んだ方がいいのかもしれない。彼女は働きすぎだ。

「そ、それだけじゃない……

 あまり近寄らないでください」

「なぜ?」

 近寄るな、と?

 私はそんなに嫌われていたのか?

 そんなことはないと思いたいのだが。

 こう見えて同性にだけは、もてて来たと思っていたのだが、その自信が揺らいでしまう。

「貴女も知っているでしょう?

 今の私は吸血鬼なのです。

 魂を汚染されていないので正気を保ってはいられますが、吸血衝動までは抑えきれないのです」

「十分な量の血を貰っていたはずでは?」

「量だけなら、私はいやしくもイナミ様以上に飲んでいるでしょうね。

 でも、この身は欲するんです。血の渇きはどんなにあさましく、いくら血を啜ったところで収まらないのです」

「だが、イナミ様は……」

「あの方と比べないでください。

 あの方は正真正銘、神です。いえ、神以上の存在です。

 そんな存在をわたくしと、矮小で卑しい、わたくしと比べないでください……

 わたくしは、英雄などと呼ばれてはいますが、所詮はただの人間なのです、いえ、もう人間ですらない。

 化物です、卑しい吸血鬼なのですよ」

 悲鳴じみた声でグリエルマは叫ぶように言い放った。

 彼女は聖女だ。もう聖女ではないが、それでも聖女たらんとしているのだろう。

 本当はイナミ様のように乙女の首筋に噛みつきたいのだろう。

 なるほどな。

 今日はイナミ様に、と思っていましたが、日ごろの恩返しだ。今日はグリエルマに私の血を分け与えよう。

「仕方ないですね。本当はイナミ様に吸って頂こうかと思っていたんですが、今宵だけは貴女に私の血を分けてあげますよ」

「いけない、ダメです。わたくしはわたくしを、自身を、制御できる自信はもうないんです」

 そういいつつもグリエルマの視線は私の顔、の少した首筋のあ辺りに集中している。

 本人も見ないように、と目線をそらすのだが、すぐに目線が私の首筋の辺りに戻ってきている。

 そうかそうか、んー、ちょっと悪くない気分だ。いつだって求められるのは、そう嫌いじゃない。グリエルマのように美しい相手ならなおさらだ。

「大丈夫ですよ、私は再生者です。

 我が家伝来の再生魔術は伊達ではありませんよ

 多少血を多く吸われたところで明日の仕事にも響きはしませんよ」

 私はそう言って、服をはだけさせ首筋を露にする。

「ダメです、やめなさい、やめてくだ…… さい…… お願いだから……」

 彼女はそう言いつつも私の首筋から目を離せないでいた。そして、その意に反して私の首筋に寄ってきていいる。

 そんなに血を吸いたかったのか、もっと早く気づいてやるべきだった。

 血を吸われながら何度もイナミ様にあんまり再生の魔術を過信するな、と再三注意されていたことを思い出していた。

 私は最後にそんなことを考えていた。






 翌朝、冷たくなったミリルさんが修道院の庭園の真ん中に丁寧に寝かされているのが発見された。

 首筋には牙の噛み跡がありその傷は癒えてはいない。

 既に日の光に当たっているミリルさんはもう吸血鬼になることもないだろう。

 彼女の魂は既にここにはない。

 この世界でも死んだ者は蘇らない。その例外の一つとしてあるのが吸血鬼となって復活する外法だ。

 それも魂あってのこと。

 今の彼女にはそれがない。吸血鬼に血を吸われてから死ねば、その魂は呪いとも言うべき穢れに束縛されその場に留まる。

 けどその束縛は安定しないうちなら日光で簡単に解かれてしまう。だから、彼女の魂は束縛から解除され、この場にはもうないのだ、もうどこにも存在しないのだ。

 彼女の表情は安らかなものだったけれども。

 私はミリルさんの亡骸を見て泣いた。

 どうしょうもなく涙が止まらなかった。

 自分の馬鹿さ加減に呆れて怒り来るった。

 もう少しグリエルマの動向を気にしてやるべきだった。

 悲しみと怒りが私を支配して、イナミの町全体を揺らすほどの魔力を見せた。

 その日を境にグリエルマの姿をこのイナミ領で見た者はいない。





続きはまとめてからか個別にするか考え中。

それにより1~3か月後くらい。



誤字脱字は多いと思います。

教えてくれると助かります。




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