8-1.オプティマイザー
前回のあらすじ
行方不明だった猟師、森本良治が発見されたが、彼は事件当時の記憶を失っていた。
日野は、久川に『播飛太が事件現場で見たのは、赤川の幽霊だったのでは』と言われ、涙目になった。
「記憶を失っている間、森本さんはなぜ丸一日、飲まず食わずだったんだろうか?」
日野は幽霊ショックを振り払い、問題を提起した。
「記憶を失ってたんじゃなくて、そもそも気を失ってどこかに倒れていた、とか」
アルテミスは言った。
日野はううんと腕を組む。
「だとするとなぜ、森本さんは倒れていたのか?」
私は深く考えずに、適当に意見を述べる。
「事件を目撃してしまって、犯人に殴り倒された・・・とか。それはないか。殺人犯が、目撃者を殺さないのは不自然かも」
「いや、犯人の狙いが赤川さんのみだったのなら、それもありえなくはない」
日野は私の意見をフォローした。
「憶測ばっかりじゃ、しょうがない。論より証拠だ。森本さんが森で倒れていたのなら、その証拠を探さなきゃならない」
日野はそういうと、すっくと立ちあがった。
倒れてた証拠って、なに?
と思ったが、何も言わないでおいた。ひとまず日野がやる気になったんなら、それでいいだろう。
それに探せば何かしら、事件に関係することが見つかるかもしれない。
少なくとも何もしないでいるよりは、何かしていた方がいい。
だが、さすがにこんなものを見つけるとは、思いもしなかった。
道から少しそれた場所に、廃屋が建っているのを日野が発見した。
いかにも倒壊寸前な古い小屋だったが、扉にかかっていた南京錠だけは、光沢が残っていた。ここだけ新しい感じがする。南京錠だけ、あとから誰かが取り付けたのだろうか。
だが、見つけて驚いたのはそれじゃない。
廃屋近くの木の上。
最初に気付いたのは日野だった。
「うおあああっ! 誰だ!」
日野が真っ青になって叫び始めたので、私もアルテミスもギョッとして1歩下がった。
そして、木の上を見てさらにギョッとした。
そこにいたのは、コウモリだった。
「待ってください。いったん休戦しましょう」
コウモリはそういうと、抵抗の意志がないことを示すために、両手を上げた。
***
日野は心を落ち着けるのに、しばらく時間を要した。コウモリはその間、本当に何もアクションを起こさず、ただひたすらに棒立ちしていた。アルテミスが目の前にいるのに、こちらに近づいて来ようともしない。
「で、アンタはこんなところで、何やってたんだ」
ようやく落ち着いた日野は、職質口調でそう言って手帳を取り出した。
「話すと長いのですが・・・」
コウモリは、相変わらずな抑揚のない声で語り始めた。
***
話は昨日の夜にさかのぼる。
コウモリは夜中の12時半ごろ、泊っているホテルに戻るべく駅へと向かっていた。ホテルは桜町から3駅ほどのところにとってある。
こんな時間まで桜町をうろついていたのには、ちゃんとわけがある。
月からの使いとして、アルテミスを探し出すという使命を果たすため・・・というわけではない。
せっかくだから地球の酒でもたしなんでみようと、バーで過ごしていたところ、完全に酔ってしまい、少し意識がはっきりしたころには、日付をまたいでいたのだ。
まだ酔いが残った状態で歩いていると、突然どこからともなく、前方に見覚えのある姿が現れた。彼の特徴的な白い毛が、月に照らされている。
あの白髪頭、アルテミスに違いない。
酔ってはいたが、基本的に仕事熱心なコウモリは、追跡を開始した。
***
「え、月島或斗がいたの?」
私は口をはさんだ。
単純に驚いたのと、コウモリにアルテミスの偽名をさりげなく伝えるためだ。
コウモリは察しがよかった。
「ええ、というか月島そっくりの人間がいた、のほうが正しいんですが。それは追って説明します」
コウモリは話を再開した。
***
月島は想像以上に足が速かった。『すぐに追いつけるだろう』と高をくくっていたコウモリだったが、結果一度も追いつくことができなかった。
この前会ったとき、彼はこんなに足が速かっただろうか、とコウモリはふと考えた。
まあ、自分は酒に酔っているので、追い付けないのはそれが原因だと言われれば、それでしまいだ。
それでも何とか月島を見失わずに追跡し続けたコウモリは、いつの間にか森の中に迷い込んでいた。月島は森の中の、細い一本道を軽快に走っていく。
追っ手を振り切るのに、こんな一本道を選んぶとは。月島は何を考えているのだろうか。
月島は立ち入り禁止の黄色いテープを飛び越え、さらに森の奥へと走っていく。
仕方ないので、コウモリも追いかけた。
***
「昨日、飛太が見たのはそれだったのね」
私は独り言をつぶやいた。
***
コウモリは、もうしばらく走らされた。そして月島は、ようやく立ち止まった。彼はこちらを振り返った。
「ねえ、僕、飲むことにしたよ」
月島は突然そう言った。
コウモリは「え?」と聞き返した。
月島はじれったそうに言い直した。
「だから、忘却の薬だよ。飲むから、早くちょうだい」
コウモリは息切れしながら、酔った頭をできる限り働かせた。
今まであれだけ逃げ回っていたくせに。
どういう風の吹き回しだ。
コウモリは薬を渡すのをためらった。さっきからうすうす感じていたが、目の前にいる月島そっくりの少年は、何かと不審な点が多い。
月島はイライラと声を荒げた。
「早く渡せよ。気が変わっちゃうかもしれないだろ」
コウモリは黙ったままだった。
月島はこんな言葉遣いだっただろうか、と思った。
もともと疑いだしたらきりがない性格というのもあるが、やはりこの少年に薬を渡すのはためらわれる。
そこでコウモリは、彼を試してみることにした。
「そんなに薬が欲しいなら、この前みたいに、やってみたらどうですか。私を一時行動不能にするほどの一撃を、見事に食らわせてくれたじゃないですか」
コウモリとしては、この前月島が撃ってきたピンクのしびれる矢のことを言ったつもりだった。
が、目の前の少年には、それが伝わらなかった。
「じゃ、そうさせてもらうよ」
彼が取り出したのは、猟銃だった。
次の瞬間、コウモリはわき腹のあたりに強烈な痛みを感じた。
さらに次の一瞬で、後頭部を強く殴られた。
コウモリの意識は、少しの間途切れた。
視界が完全にブラックアウトした。
次に気付いた時、コウモリは地面に倒れていた。急いで確認すると、忘却の薬は奪われていた。
こうしてコウモリは、先ほどの少年が本物の月島ではないことを証明した引き換えに、忘却の薬を奪われてしまったのだ。
こうしちゃいられない、とコウモリは立ち上がった。さっきの偽月島を追いかけて、できれば薬を取り返したい。
***
「え、ちょっと待って。わき腹を撃たれた上に、頭殴られたばっかりなのに、もう立てるほど元気になったの?」
今度はアルテミスが口をはさんだ。
「しびれる矢の時もそうだったけど、復活早すぎない?」
コウモリは、こともなげに言った。
「私は傷の治りが、非常に速い体質なんです。それに、痛覚刺激には強い方なので。撃たれるぐらい、平気です」
「強すぎるんだよな」
アルテミスの目には、もはや畏怖の念すら浮かんでいた。
***
コウモリは立ち上がり、耳を澄ました。
金属同士がぶつかるような、チャリンという音が聞こえた。道から少し外れたところだ。
音を追ってたどり着いたのが、この廃屋だった。
コウモリが木の陰に隠れて見守る中、偽月島は廃屋の扉にかかっていた南京錠を開けた。偽月島がカギをしまう時、再びチャリンと音がした。金属音の正体はそれだった。
そしてコウモリが、ここからどうするべきか考えているとき、驚くべきことが起こった。
廃屋のドアを開ける寸前、偽月島が全く別人の姿に変身したのだ。
偽月島は、輪郭がぼやけたかと思うと、あっという間に赤いコートを着た少女に姿を変えた。
「お水、持ってきたよ」
偽月島だった少女は、そう言いながら廃屋に入っていった。
声も完全に女性のものだった。月島の面影は、毛ほども残っていなかった。
少女の声に反応して、廃屋内から声が聞こえた。
「涼子ちゃんか…生きてたんだな! けがは?大丈夫なのか?」
中から聞こえるのは男性の声で、驚きと安堵が入り混じっていた。
「はい、これ飲んで」
涼子と呼ばれた少女は言った。
それからすぐに、
「っ・・・何だ、これは! 水じゃないな?」
と男性が叫んだのが聞こえた。
たぶん忘却の薬を飲まされたのだろう、と思った。あの薬には、特有の苦みがある。
「さあ、事件のことなんて、全部忘れてしまえ」
少女は静かに言った。
その直後、少女が廃屋から出てくる気配を察知したコウモリは、手近な木に素早く昇って、身を潜めた。
木の上で少女をやり過ごすと、急激な眠気に襲われた。傷の治りが早いとはいえ、さすがに銃で撃たれた傷は大きい。
コウモリは幸い、眠れば治癒力が向上する体質だ。しばらく寝ていれば、傷もすっかり治るだろう。
どうせ終電も逃しているし、忘却の薬も失った。
コウモリは木の幹に体を預けると、眠りに引き込まれていった。
***
「そんなわけで、ここで寝ていました。さっき目が覚めたところです。先ほどは驚かせてしまって、すみません」
コウモリは話を終えた。
撃たれたはずの脇腹には、血の痕はついているものの、傷はもう残っていなかった。
日野は、ふうっと煙草の煙を吐いた。
「忘却の薬とか、変身とか、色々ききたいことはある。が、とりあえず話は分かった。あんた、名前は?」
日野が問いかけると、コウモリはすらすらと答えた。
「光本守男です」
私とアルテミスは、その答えに吹き出しそうになった。
コウモリ、あなた、一周まわってセンスあるわね。
***
「その月島少年に化けてたヤツは、変身術が使えるのか」
日野は話を整理し始めた。
「変身術って、実際に使える人、いるんですか?」
私が尋ねると、日野はうなずいた。
「俺もウワサでしか聞いたことがないが、日本には変身術に特化した一族がいるらしい。ホントに、何にでも完璧に変身しきれるらしいぞ。詐欺対策課の同僚が言ってた」
そんな人間がいるのか。すごいな。変身術なんて、漫画でしか出てこないと思ってた。
コウモリ改め光守も、感慨深げにつぶやいた。
「私も街で、空飛ぶ少年に出会って、驚きましたよ。地球には、いろいろな人がいるんですね」
コウモリも播飛太に出会ったのか。さすがレア度星1。
出現頻度の格が違うわ。
「で、その変身野郎は、赤川事件のことを知っていたわけだな」
日野は手帳に書き留めていく。彼は変身術の使い手を、ずばり『変身野郎』と名付けていた。
「知っているだけでなく、深くかかわっていると思います。そいつが真犯人って可能性も十分ある」
アルテミスが言った。
私はそれに続いて
「変身野郎が、月島君の次に変身したのは赤川涼子さん、廃屋の中に監禁されていたのは、森本良治さんですね。会話内容的に」
と付け加えた。
日野はそれも書きつけながら言った。
「そして変身野郎は、森本さんに忘却の薬を飲ませた、と。・・・ところで、忘却の薬ってなんだ?」
それを聞いたアルテミスは、とっさに絶叫した。
「え、知らないんですかっ!? 忘却の薬ですよ!?」
アルテミスのオーバーリアクションに、私は驚いた。木々の間で鳥たちが騒いだ。
アルテミスは口をあんぐりと開けて日野を見つめた。
『あぜんとしている』を体現したような風体だ。
日野は数秒後、少し高くなった声で、体裁を取り繕った。
「あ・・ああ、もちろん知ってるよ。忘却の薬だよな。ちょっと、きいてみただけじゃないかアハハ」
もちろん日野は忘却の薬なんて、知るわけがない。地球にはそんな薬、存在しない。
だが、アルテミスのこのリアクションの手前、知らないとは言えなくなってしまったようだ。
ああ、なるほど。
私はアルテミスの行動の意図を察した。
『地球人には、あまり月人のテクノロジーを詮索しないでほしい』ってことね。
うまいことかわしたじゃない、月人。
アルテミスの機転と演技力には、感服せざるを得ない。
「それで」
アルテミスはまた、元の口調に戻った。
「変身野郎はなぜ、光本さんが忘却の薬を持っているということを、知っていたんですか?」
アルテミスは責めるような目を、コウモリに向けた。地球人に忘却の薬を知らしめてはならない、というのが月人共通の認識らしい。
コウモリは「えっと・・・」と口ごもった。
「実は、昨日バーで大分と酔ってしまいまして・・・。そのとき誰かに話してしまったような・・・。申し訳ありません」
コウモリは力なく言って、頭をたれた。
アルテミスはやれやれ、と首を振った。私も呆れてしまった。
アルテミスの日野への機転も、むなしいわね。
酒って、百害あって一利なしだわ。
日野は話をもとに戻した。
「以上のことをまとめると。
森本さんはおそらく、赤川事件に関する何か重要なことを見てしまい、廃屋に監禁されていた。変身野郎が猟銃を持っていたことから、監禁したのは変身野郎その人だ。猟銃は、森本さんのものだろう。
変身野郎は、バーで光本さんの話を聞き、森本さんに忘却の薬を飲ませれば、目撃された内容を忘れてもらえると思った。そして光本さんから薬を奪うため、月島君に変身して光本さんの前に現れた。
・・・なぜ月島君に変身したんだろう?」
日野はこんな具合で、独り言を滝のように流していく。
「もともと月島君に、渡す予定のものだったからでしょう。そのことも誰かに、話してしまったんでしょうね。あまりよく覚えていないんですが」
コウモリはあいまいな返答で、日野の追及をかわした。
日野は「よしっ」といった。
「これで1つ、大きな進展を得たぞ。変身野郎は少なくとも昨日の夜、光本さんがいたバーに顔を出している。それが客としてなのか、それとも店員としてなのかは分からないが、とりあえずこの情報だけでも、だいぶ犯人を絞り込めるぞ!」
日野はかなり嬉しそうだった。
***
「ああそうだ。雪花さん」
コウモリが私を呼んだ。
え、私? といぶかる私に、コウモリはうなずいた。
「先日は申し訳ありませんでした。こちらも、切羽詰まりすぎていました」
コウモリはそう言って、深々と頭を下げた。彼が言っているのは、私をナイフで脅したことについてだ。
「本当はあの日までに、月島を月へ連れ戻さなければいけなかったのです。いわゆる締め切り日というやつです。
私ももう、あとがない状況で、地球人のあなたを脅してしまいましたが、今となっては深く反省しております。
結局あなたが勇敢で、刃物を突き付けられても口を割らなかったので、締め切りには間に合いませんでしたし。おまけに、忘却の薬まで奪われてしまいました・・・」
ああ、とコウモリは悲痛な声を上げた。
「大目玉を食らうこと、間違いなしです」
あなたもいろいろ、大変なのね。
ちょっと同情心を覚えた。
***
「あなたに渡さなければいけないと思っていたんです」
コウモリが差し出したのは、探していた読みかけの本だった。
「屋根にジャンプなさったとき、落としてしまっていましたよ」
「わざわざ回収しててくれたの」
私は本を受け取った。
よかった、落とす前とほぼ変わっていない。
傷も汚れもついていない。
コウモリが回収して、大事に持っててくれたんだ。
「ありがとう」
私はにっこり笑った。
祈ればたいてい叶えてくれる。
うちの女神は優秀だ。
***
「ところで光本さん。どうして私の名前、知ってるの?」
私の問いに、コウモリは怪訝な顔をした。
「どうしてって・・・。月島が矢を撃ってくる直前に言ってたんですよ。『雪花ちゃんを放せ』って」
アルテミス・・・そんなアニメみたいなセリフを言っていたのね。
あの時はそれどころじゃなくて、そのことは私の記憶には残っていなかった。
なんか、恥ずかしい感じだった。
***
「忘却の薬は、副作用が強いんです」
コウモリは私とアルテミスに説明した。日野は少し離れたところで、別の作業をしている。
「あの薬を飲むと、しばらく意識を失います。数時間ですかね。その間に脳内の記憶が消去されます。消された記憶をを復元することは、月のテクノロジーをもってしても、ほぼ不可能です。きっとあの不運な猟師が、事件の記憶を取り戻すことはないでしょう」
「そうなの。・・・そうか、だから、昨日の真夜中に薬を飲まされたはずの森本さんは、今朝になるまで廃屋から出てこなかったのね。それまで、気を失っていたから」
私はそう言って、一人で納得した。
「副作用の中に、蕁麻疹も入ってなかった?」
アルテミスは訊いた。
コウモリは「よく知ってますね」とうなずいた。
「たぶん入っていたと思います。出ない人もいますし、出ても大体一日以内におさまりますが」
これで、森本の体に蕁麻疹が出ていたことにも、理由付けがなされた。
「奪われたのは、何年分の記憶を消せる量の薬だったの?」
アルテミスはまた尋ねた。コウモリは淡々と、正直に答えていく。
「10年前後です。森本さんが2日程度の記憶欠損で済んだのは、彼が少ししか薬を飲まなかったからでしょう」
「へぇ、10年か。ちなみに、予備の忘却の薬とか、持ってないの?」
「持っていませんよ。月島君は知らないかもしれませんが、あの薬はものすごく高価なものなんです。そんなに何本もストックを用意できる代物ではありません」
コウモリは深々とため息をついた。
「一度月に帰って、薬の入手からやり直さなければなりませんね」
アルテミスはコウモリの疲れ切った表情を、申し訳なさそうに見上げた。
「ごめんなさい」
コウモリは意外そうにアルテミスを見返したが、何も言わなかった。