7.Don't forget the animals that you made.
前回のあらすじ
「空気って誰のものだと思う?」とか聞かれたって、「誰のものでもないとしか、言いようがないんですけど」と思いながら、雪花は自室へと階段を上っていた。
さっきの空気の話、何だったんだろ。
と思いながら、2階から4階まで、トントンと階段を全段とばしで登っていく。ハイジャンパーの私にとって、階段を一段一段上るなんて、時間の無駄でしかない。
4階の窓からは、月がよく見えた。私が3階を空室にして4階を自分の部屋にしていたのは、このためだ。ここはやっぱり、眺めがいい。
窓から見える町の景色に、視線が吸い寄せられた。
窓辺までいって、そこから外を見下ろした。
神殿の屋根の向こうに広がっているのは、桜町の夜の風景だ。
桜町は日本の田舎町のくせに、洋風の町のつくりをしている。城みたいな神殿もあるし、道は砂色の石畳が多いし、駅前には広場だってある。
ただし、日本の田舎町なので、街灯は非常に少ない。
だって、あんなに月が明るいんですもの。街灯なんて必要ないわ。
・・・とでも思ったんですか、桜町の公共政策課の皆さん?
もしそうなら、それは大間違いだ。新月の日は、この窓からの夜景は限りなく黒一色に近い。
家々の窓から漏れる明かりだけでは、夜の闇に立ち向かうには貧弱すぎる。
ただ、今日はいつもと様子が違った。満月に近似できる具合の月のほかに、もう一つ大きな光源が見える。ここから少し離れた住宅街の中だ。
あんなところで、一体何が光っているのか。
私はそこで、その赤い光源から煙が立ち上っているのに気付いた。
火事だ。
背筋がぞわっとした。一郎の家のことが、頭をよぎった。あの家に火をつけた放火犯は、まだ見つかっていない。
もしかして同一犯?
というか、タイミング的にそうとしか思えない。
一郎は今頃、どこにいると言っていたっけ。
確か二郎の家に上がり込んで、お泊り会をしているはずだ。
なんだか、嫌な予感がする。
私はスマホで、すぐに119番通報をし、そのあと110番通報もした。
今すぐ警察が出向けば、まだ近くをうろついている放火犯を、捕まえられるかもしれない。
***
2階にジャンプで戻ると、アルテミスはまだ起きていた。控えめなボリュームでテレビがついていた。
「あれ、雪花ちゃん」
アルテミスは一人で、まったりしていた。どうしたの、と彼は言った。彼はまだ、この事態に気付いていない。
私は切羽詰まった声で言った。
「アルテミス、火事よ」
「え、どこで?」
アルテミスがリモコンを手に取った。テレビが消えた。
私は首を振った。
「分からない・・・けど、嫌な予感がするの」
「へーぇ、それで『一緒に見に行こう』って、アルテミスお兄さんを誘いに来たわけだ」
言い方はむかつくが、そういうことだ。私はしぶしぶうなずいた。
「っていうか、あなた何歳なのよ。私より年下か、少なくとも同い年でしょ? 何が『アルテミスお兄さん』よ。調子に乗ってんじゃないわよ」
私が腹立たし気にまくしたてると、アルテミスは「心外だな」と私をちょっと見下した。
「かけてもいいけど、雪花ちゃんより、僕のほうが長く生きてるよ」
そのあふれる自信は、どこからやってくるのよ。
「で、一緒に来るの、来ないの?」
私が問うと、アルテミスは立ち上がった。
「もちろん行くよ。こんな夜中に、女の子を一人で行かせるわけには、いかないから」
「あなた一体、何様のつもりなの」
私が意地っぽくなっていうと、アルテミスは決め顔でかっこつけた。
「月島或斗。月の女神さ」
・・・セリフがかっこよくないから、許すか。
っていうかそれ、どこかの小学生探偵のセリフのパクリよね。
***
火事現場へ早足で向かった。もう日付をこえているので、道中に人の姿はまったくと言っていいほど見当たらない。
「アルテミスのほうが年上とか、やっぱり無理があるんじゃない?」
私はさっきの話題を蒸し返した。
「なんで?」
とアルテミスに訊かれた。
なんでって言われても・・・。ちょっと返答に困った。
「何となく。雰囲気が。全体的に。年下感がある」
私が言うと、アルテミスはほおをかいた。
「月人は地球人より体の成長が遅いもんな・・・年下と思われても仕方ないか。あのね、月は自転周期が、地球でいう27日と7時間強ある。つまり月での1日は、地球での1か月弱に当たるんだ」
「そん長いの?」
急に何の話だと思いつつ、驚いた。地球に一番近い天体のくせに、全然違うのね。
「そう。だからだと思うけど、月人は地球人より、ゆったり成長して、ゆったり老いていく」
「へぇ? でもだからって、必ずしもアルテミスのほうが年上とは、言い切れないんじゃない?」
私が粘ってみると、アルテミスはうーん、と言葉を選ぶ。
「僕ね、地球人が初めて月に来た時、月のテレビ局がその様子を中継してて、それを家族で見てたの、今でも覚えてるよ」
「・・・あなた、いったい何年子供の姿で生きるつもり?」
アポロ11号が月へ行ったのは、1969年だ。
「あ、でも、月人が使ってる暦で数えると、僕と雪花ちゃん、同い年ぐらいだよ」
とアルテミスは笑った。だが、私はもはやそんなことなど、頭に入ってきていない。
コイツが太陽暦で40歳超えてるとか。
ありえないわ!
***
火災現場に着いた時には、すでに火は消えていた。空気が煙に満ちていて、せき込みそうだ。
立ち込める煙幕の向こうから、人の話し声が聞こえてきた。
「またもや、こんがりだな・・・いや、今回は生焼けか」
「うるせぇ、せっかくの僕のマイホームだったんだぞ・・・」
やっぱりか。
私はこの声をきいて確信した。
燃えたのは、堂島二郎の木の家だ。
「一郎君、二郎君!」
私は2人のもとへ駆け寄った。2人とも、けがはしていないようだった。
一郎が私たちに気付いて、手を挙げた。
「お、雪花じゃん。あと白髪君も。こんな遅い時間に、どうしたの?」
家が燃えてるのが見えたから駆け付けた、という旨を伝えた。あと、アルテミスは『白髪君』呼ばわりされるのに飽き飽きしたのか、おなじみの月島或斗を名乗る作業を付け足した。
「もしかして、消防車と警察を呼んでくれたのは、君たち?」
二郎がきくので、私はうなずいた。
いやぁ、ありがたい、と二郎は言った。
「一郎の家が燃えたこともあって、昨日消火器を爆買いしたんだけど、それでは全然、消火が追い付かなかったよ。マジ無念」
言われてみれば、そのあたりには使用済みの消火器が無数に散乱していた。
いったい、何本買ったのよ?
「ま、でも、ちょっとは燃え広がりを食い止められただろ。ほら見ろよ、二郎。お前の家、全部古典的な燃料でできてた割に、原型とどめてんぞ」
一郎は二郎を慰めた。
二郎の木の家は、全部が木材で作られていたわりには、結構家っぽい形が残っていた。しかも、半分ぐらいは無傷だった。完膚なきまでに焼け落ちた一郎の家と比べたら、ずいぶんとマシだ。
どっちにしろ、もう住めないかもだけど。
家の前には我が町の放火事件担当、岩山雷人の姿が見えた。私の通報で駆け付けたんだろう。岩山は堂島兄弟のほうにやってきた。
「いやぁ、堂島さん。2日続けて火事って、結構心に来ませんか? お疲れです。たぶん今回も放火です。キッチンの反対側から火が出てるみたいだし、新築なんだから、コンセント周りにホコリがたまって自然発火したわけでもないでしょ。あーほんと、お疲れです。強く生きてください。はい」
岩山は、真面目な顔でそう言い切った。そして、一郎と二郎の肩を『ドンマイ』と、真顔でたたいた。 彼は普段から冷静沈着・・・というか表情があまり変わらない。
「強く生きます。はい」
二郎は言った。岩山のしゃべり方をまねしているところを見ると、二郎も一郎と同じく、すぐ立ち直りそうだ。
堂島兄弟のメンタルって、ダイヤモンド級ね。
***
「あーそうだ。ところで、燃えずに残ってる方の壁に、落書きみたいなのが残ってるんですが、身に覚えはありますか?」
岩山の問いかけに、二郎は首を横に振った。
「あいにく僕は、新築には落書きしないタチなんです」
普通はそうだろうな、と思ったが口には出さなかった。
みんなでその落書きとやらを、見学しに行った。
「うーわ、ナニコレ。センスねぇな」
二郎は落書きを見て、うめくように言った。目も当てられないとでもいうように、目を手で覆っている。
一方、私とアルテミスは、それを見て強めの既視感に襲われた。
木の家の燃え残った壁には、黒いスプレーで大きく文字が書かれていたのだ。
『75 26 99 o 42 85 42』
赤川のもとに残されていた暗号と、非常に似た構造だった。
「ななじゅーご、にじゅーろく、ななじゅーご、オー、よんじゅーに、はちじゅーご、よんじゅーに」
私は暗号を読み上げた。後半の『42 85 42』なんか、特に赤川の暗号と酷似している。赤川のほうは、アルファベットのxの後に『42 85 42 85』が続いた。
2つの別々の事件に、同じ構造の暗号。
ここから分かることは・・・?
「放火を起こしたのと、赤川さんを殺したのは、同一人物?」
「もしくは別々の人物が、事前に示し合わせて同じ暗号を残したか、だね」
アルテミスはそう言うと、この暗号を写真に収めた。
***
岩山から、高橋を経由して、日野のLINEを入手した。さっそく日野に、暗号の写真を送った。
写真の後に
『もしかしたら堂島一郎君の家が燃えたときにも、同様のメッセージが残っていたのかもしれませんね』
と、アルテミスが追加でメッセージを打った。
残念なことに、一郎の家はものの見事に焼失したので、今となっては犯人が残していたかもしれないメッセージを見つけるすべはない。
もう夜中の1時近いのに、日野からの返信は早かった。
『了解。明日から、赤川事件と一連の放火事件の関連を調べる。ほかにも気づいたことがあったら、教えてくれ』
ほんと、捜査状況すぐ漏洩するわよね、日野さん。
***
「殺人事件を起こした奴が、俺のいる家ばっかり狙って放火してるのか」
一郎は「気味悪いな」とつぶやいて、身震いした。
そんな一郎に、二郎が優しく寄り添った。
「でも一郎は、人に恨まれるようなこと、できないだろ。そこまで頭の回転、速くないじゃないか。きっと、偶然だよ」
「そーかもな。いや、きっとそうだ!」
二郎の独特な慰めに、一郎はそう言ってうなずいた。
「確かに俺、人を陥れたりできるほど、頭良くないな。アハハ! さすが我が弟だ、いいこと言うじゃねぇか」
それでいいのか、一郎。
私は一郎のポジティブさには底がないことを知った。
***
次の朝。私のもとに、学校からのお知らせメールが送られてきた。
今日から通常授業を再開するとの連絡だった。
しかも、1限は授業の代わりに全校集会があるという。
ナチュラルに、サボりたい。
が、とりあえず登校することにした。どんなことにも一度は抗ってみるのが、冬宮雪花流だ。
教室へ行くと、桜田ミリアと目が合った。ミリアとは昨日、喧嘩別れしたきりだ。
ああ、なんか気まずい。
席に着いた。ミリアは隣の席に座って、何か言いたげにこっちを見た。
「おはよう」
私は言った。
ミリアは、少し表情を緩めた。
「おはよう。・・・あの、昨日はごめん。あたし、ちょっと、どうかしてたかも。雪花のおかげで、冷静になれた」
私も表情が緩んだ。
アルテミスがわざわざ、神殿で祈ってくれただけのことはあった。
「私も言い過ぎたわ。ごめんね」
学校に来た甲斐が、あったようだ。
***
「ねぇ雪花。昨日一緒にいた白髪の男の子って、誰だったの?」
ミリアは訊いた。
ああアイツ、と私は答える。
「月島或斗って子だけど」
「へぇ、日本人なんだ」
ミリアは意外そうに言った。
確かに日本人ぽくはない見た目だ。かといって、外国人に見えるわけでもない。
宇宙人には、全く見えないのが救いだ。
「前からの知り合いなの?」
ミリアはアルテミスの話題を、深く掘り下げた。なんだか、最後に会った赤川との会話を思い出した。
「んー、そういうわけでもないけど」
ミリアは私の返事を聞いて、真剣な声で訴えた。
「あのね。私、今日の朝、学校に来るとき、播飛太に会ってね、きいちゃったの」
出た、レア度星1の空飛ぶ少年。
空飛べるのに星1って、ゲームならまず無さそうな設定だ。
***
ミリアの話は、こうだ。
「あ、サグラダファミリアちゃんだー! おっはよー」
学校に行く途中、空から播飛太の声が降ってきた。
「桜田ミリアですーっ。もう、ちゃんと覚えてよね」
ミリアは上に向かって言い返した。
飛太は「あっはは、ごめーん」と笑った。
こいつ、永遠に覚える気配がないな、とミリアは思った。
「ティンクは、今日も一緒じゃないの?」
と尋ねたところ、彼女は今日も体調が悪く、家から出てこなかったらしい。
「風邪、早く治るといいね」
ミリアは言った。
飛太は「そうだね」とうなずくと、話題を変えた。
「あのさ、昨日僕、鋳掛屋の鐘ちゃんに言われて、夜中に暗がりの森に行ったんだ」
「へー」
鋳掛屋の鐘ちゃんとは、ティンカーベルのことだ。飛太だけがなぜか、彼女のことをそう呼んでいる。
飛太は話をつづけた。
「なんか、暗がりの森の中のお花畑で、花飾りを作って遊んでたみたいなんだけど、それを落としてきちゃったから、とってきてほしいって頼まれたんだよ。夜1時ぐらいかな。で、鐘ちゃんに言われたところに行ってみると、そこは赤川涼子ちゃんの事件現場のすぐ近くだったんだよ」
「ほぇー」
赤川の話が出て、ミリアは内心平静ではなかったが、飛太にそのことは悟らせないようにした。
「で、花飾りを見つけて帰ろうと思った時、僕、見ちゃったんだよ。事件現場に白髪の男の子がいたんだ! ミリアちゃんと同じぐらいの年の子だよ。最近町に来たばっかりの人だ。new faceってやつ」
その子、知ってるかも。とミリアは思った。
昨日、雪花にはと一緒にいた子だ。白髪の少年なんて、彼ぐらいしか見たことがない。
「で?」
ミリアは先を促した。
「ね、よくさ、事件現場には犯人が戻ってくるって、言うじゃないか。思い返せば、平和だった桜町で事件がいっぱい起こるようになったのって、あの子が来てからなんだよね」
「へぇ・・・」
「うん。そう。それで、なんかコワイねって話。ミリアちゃん、気を付けて学校行ってね」
「え・・・ありがと」
ミリアは複雑な気持ちで、飛び去る飛太を見送った。
***
「それって、飛太は月島のことを殺人犯だと思ってるって話なの?」
私はミリアに確認した。
彼女はあいまいにうなずいた。
「あたしは別に、本気で信じたわけじゃないけど」
「私も、それはないと思うわ。飛太が白髪の少年を見たのは、夜中の1時でしょ。その時間なら、私と月島、一緒にいたから」
そのころ私たちは、二郎の家で見つけた暗号を、日野に送りつけていたところだ。
それを聞いたミリアは「えええっ」と叫んで立ちあがった。
教室中の視線が、こっちに集まった気がした。
「何よ急に」
私は恥ずかしくなって、ミリアに座るように合図した。
ミリアは立ったまま、また叫んだ。
「え、雪花と月島君って・・・そういう関係だったの?!」
「違うわ断じてそれはない!」
恋バナになると目の色が変わる人が、ここにもいた。
***
「まあでも、雪花。気を付けといたほうがいいよ、一応」
ミリアは言った。
そう言われても、私はアルテミスの何をどう気を付ければいいのか。
「別にそこまで気にする必要は、無いと思うけど」
私が言うと、ミリアは「ダメダメ、そんなの」とおせっかいを焼いた。
「雪花も、月島君と知り合って、そんなに経ってないんでしょ?」
「せいぜい4日目ってとこね」
「たった4日しか、一緒にいたことない人のこと、あんまり信用しすぎるのって、たぶんヤバイよ」
ミリアの言うことにも、一理あると思った。
考えてみれば、私はまだ、彼がどんな罪を犯して地球に来たのかさえ、知らない。
***
「えー、赤川さんのことで、我々は、えー、ひどく心を、えー、痛めて、えー、おります。えー、えー・・・」
全校集会の校長の話は、やはり中身がなく退屈だった。傾聴する価値をみじんも感じない。アメーバ以下のスピーチ力だ。
初老のおじさんが傷心してるって報告されても、私たちはどうしてあげることもできないし、何の得にもならない。
あー、帰りたい。
***
さらに、全校集会が終わったあとの、英語の授業がまた、絶妙にしょーもなかった。
英語の先生が教壇上から、高らかな声で教材を読み上げている。
「さぁ、リピートアフターミー。This is the hose that we must use」
生徒たちはやる気のない声で、後に続いた。
「でぃす いず ざ ほーす ざっ うぃ ますと ゆーず」
先生は満足そうにうなずいた。指し棒を生徒の一人に向けた。
「はい、鶴野君。訳してください」
鶴野は自分の不運を嘆きつつ、答えた。
「これは私たちが使わなければならないホースです」
「はいよろしい。では、次・・・」
その例文、いつ使うのよ。
私は復唱をやめて、机に突っ伏した。先生やクラスメイトの声が、遠くなっていく。
***
突っ伏したまま、授業を聞いていた。
「次いきますよ。Don't forget the animals that you made」
「どんと ふぉげっと じ あにまるず ざっちゅー めいど」
「はい、では冬宮さん。この文章、訳してちょうだい」
先生が私を指名した。私が寝ていて授業を聞いておらず、答えられないのを期待しているのだろう。
先生ってよく、そういうことするわよね。
でも生徒たちは往々にして、あなたの授業が面白くないから寝ているのよ?
私は顔を上げた。
先生は、冬宮雪花が「すみません先生、寝ちゃってました」と謝るようなかわいげのある生徒ではないことを、理解すべきだ。
「私の知り合いに創造神はいないので、その文章を使うことって、人生において、無いと思います。ので、帰ります」
私は既にまとめてあった荷物を持って、立ち上がった。
どのみち今日は、エスケープする気満々で来ていた。
「今日という今日は、行かせませんよ」
先生は教室のドアの前に立ちふさがった。
やれやれだ。私はくるりと踵を返す。
先生は勝ち誇った。
「そうそう冬宮さん。ちゃんと席に戻って、今の文章を日本語に訳してくださいね。はい、Don't forget the animals that you made!」
あんたは悪役ヒロインか、と言いたくなるような口調だった。
私は自席を通り過ぎて、窓を開けた。ここから地面までは10メートル程度しかない。
「では、失礼します」
私は窓から教室を飛び出した。
ハイジャンパーかつ比較的ゆっくり地面に落ちる能力を持つ者にとっては、窓からの脱出のほうがドアからの脱出より効率がいい。たとえそこが3階の教室であったとしても。
ストンと地面に降りた私は、振り返って教室の窓を仰いだ。
当たり前だが、同じルートで追いかけて来る者はいない。窓際席の、ミリアと酒田養命が私に小さく手を振っていた。私も手を振り返した。
ここからは見えないけれど、先生、怒り狂ってるのかな。
そう思うとすっきりした。
そして心の中で先生をなじった。
何なのよ『あなたが作った動物を忘れないでください』って。
その文章、いつ誰にどんな状況で言えばいいの。
ホント、益体もないわ。
***
「あ、やっぱり来たんだ。待ってたよ」
校門を出たところにアルテミスがいたので、私は驚いた。
「待ってたって・・・いつから?」
「10分ぐらい前から。エスケープするなら、そろそろかなと思って」
なんでこいつに、そんなことまで予測されなきゃいけないの。
っていうか、何を材料に私のエスケープ時刻なんて予測するのよ。
全然意味わかんないんだけど。
何はともあれ、アルテミスと一緒に行動することにした。どういう原理か知らないが、わざわざ待っててくれたんだから、薄情に突き放すわけにもいかない。
「桜田ミリアって子が、『「昨日、白髪の少年が夜中に事件現場に現れた」って播飛太が言ってた』って言ってた」
私は伝聞に伝聞を重ねた情報を、アルテミスに提供した。
「どう思う?」
「いや、どう思うってきかれても」
アルテミスは困り顔になった。
「それは僕じゃないし。飛太君の見間違いか、もしくは僕以外に白髪の少年がいるのか、どっちかだろうね」
やっぱそう考えるのが普通よね。
でも私の知る限り、アルテミス以外に白髪少年はいない。
「あ、そうだ。誰かが僕に変装して、事件現場に行った、とかどう?」
「何のためによ」
私はアルテミスの渾身のアイデアを一蹴した。
***
朝っぱらからエスケープをかました私は、月人の少年を伴って暗がりの森へと向かっていた。事件現場に、飛太がアルテミスと見間違いそうなものがあるのかどうか、検証しに行こうということになったのだ。
たぶん今日も現場にいるのは、日野、久川、高橋ぐらいだ。後半2人に至っては、現場にいるかどうかも怪しい。
あの人たちなら、私たちが来ても「いらっしゃい」ぐらいしか、言わないだろう。
我が町の警官たちは、警戒というものを知らない。
森の入り口に着くと、救急車が停車していた。
「日野さん、タバコ吸いすぎて、肺炎でぶっ倒れたのか」
「久川さん、キャンディーの食べ過ぎで倒れたのね」
私たちの予想は、2つとも外れた。
森で救護されていたのは、行方不明だった猟師、森本良治だった。彼は木にもたれて座っていた。その周りを救急隊員たちが、わさわさ動いている。
「軽い衰弱状態です。それに逆向性健忘、といいますか。いわゆる記憶喪失の症状がみられます」
救急隊の一人は話しているのが聞こえた。
森本は自分の名前や家の場所はちゃんと覚えていたが、おとといから昨日までの出来事を全く思い出すことができないようだった。逆にいえば、おとといから今日までに起こったこと以外に関する記憶は、すべて正常だった。
おとといは赤川が死んだ日だ。
「事件に関して何か目撃してしまって、一時的に記憶を失っている可能性もなくはないですね。人間は、あまりにもつらい出来事に直面したとき、それを無理やり忘れることによって、精神の安定を図ろうとすることがありますから」
救急隊員は日野と久川に説明した。
久川は言った。
「きくところによると、森本さんは赤川さんを幼少のころから知っていて、とてもかわいがっていたとか。もし事件を見てしまったのなら、ショックは大きいでしょうね」
日野は煙草の煙を吐いた。
「そうか・・・そうなると、彼から事件につながる目撃証言は得られそうにないな」
「ええ、彼の記憶が戻るまでは」
日野は歯がゆそうに舌打ちした。
***
森本はそのあと、病院で詳しい検査を受けた。
「どうやら森本さんは、おとといの夜から今まで、飲まず食わずだったようだ。衰弱が見られたのはそのせいだ。記憶の抜け落ちている期間は、赤川事件発生前後から今日の朝まで。あと、アレルギーのような蕁麻疹が出ていたらしい」
と、なぜか日野は私たちにも教えてくれた。
「何のアレルギーだろう」
アルテミスはつぶやいた。何か思うところがあるような口ぶりだった。
***
結局、事件現場にはアルテミスと見間違いそうなものは、何もなかった。半ば予期していたことだ。
ミリアが飛太から聞いた話を、今度は日野にしてみた。久川も横でその話を聞いた。
「で、現場で目撃されたのは、月島君ではないんですね?」
久川が念押しした。
「月島君はその時、私と一緒に堂島二郎君の家にいましたから、違います。そのことは堂島一郎君と二郎君、あと桜町交番の岩山さんも、証明してくれると思います」
私がアルテミスのアリバイを立証すると、日野はうなずいた。
「確か、放火現場に残っていた暗号文をLINEで送ってくれたのが、夜中の1時頃だったな」
日野が言うと、久川も納得した。
「でも、白髪の少年って、かなりレアだぞ。俺は、君以外知らないな」
日野は私たちと同じ思考をたどった。
久川は、そんな日野の横顔を見て何か思いついたらしく、そっと日野の耳に顔を近づけた。
「ここは殺人現場ですよね。こんな場所で見える白っぽいものなんて、たいして多くないですよ。もしかして、赤川さんが『さっさと事件を解決しろ』と、霊界から僕らに言いに来た・・・なんて。ね、日野さん?」
それを聞いた日野は、急激に顔色が悪くなった。
「お・・・俺は、幽霊とか・・・信じて・・・信じてないからな」
日野さんって、意外と迷信に弱いタイプなのね。
そのことを明らかにわかっていて、この話を振った久川は
「じゃ、僕は堂島一郎宅に、燃え残ってるものがないか、探してきます」
と、どこかへ行ってしまった。
日野は、久川を涙目で見送った。
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堂島三郎
堂島三兄弟の末っ子。
3人の中では一番物知り。
読書家。
もともと兄弟3人で暮らしていたレンガの家に、今は一人で住んでいる。
一郎が家から冷蔵庫を持って行ってしまい、非常に困っている。