5.パンケーキは小麦粉の上位互換だから
前回のあらすじ
コウモリに追いかけられ、刃物を突き付けられた挙句、本も失くしてしまった雪花は、早めに就寝した。
次の朝、私はスマホの着信音で目を覚ました。外はまだ暗い時間だった。
朝から誰が、何の用事?
寝ぼけたまま、スマホのロックを解除した。
桜田ミリアからの新着メッセージが4件入っていた。
しぶしぶ起き上がって、メッセージアプリを起動させる。
ミリアからのメッセージはどれも短かった。
『ねぇ、ニュース見た?』
『あれって、ホントなの?』
『絶対ウソだよね? 昨日まで、あんなに元気だったもん』
『雪花、返事してよ』
まだまだ眠たい時間の私には、ミリアが何を言っているのかさっぱり分からない。
『何の話よ?』
と、メッセージを送りかえして、ベッドにもぐりこんだ。すると、10秒以内にまた着信音が鳴った。
ミリアのヤツ、冬宮雪花には絶対に2度寝させまいと、心に決めているのね。
私はそんなのんきなことを考えながら、再びメッセージを確認した。
あるネット記事へのリンクが、送られてきていた。それについてミリアからのコメントは、ついていない。
とにかくこれを読んでみろってことね。はいはい、分かったわよ。
リンクをタップした。すると、こんな大見出しが表示された。
『森の中での少女殺害 犯人は人狼か?』
ミリアが時事ネタに興味を示すなんて、珍しい。と思いながら、画面をスクロールしていく。
『昨日未明、美琴市内の森林で、少女の遺体が発見された』
美琴市って、ここじゃないの。
記事の作成日時を確認すると、今日の日付が書いてあった。
昨日、うちの市で遺体が見つかって、その速報記事がこれってわけね。
物騒な話。
私は先を読み進める。
『遺体には複数の噛み跡があり、現在のところ、警察は人狼の犯行とみて、捜査を進めている』
人狼、か。と私はひとりごちた。
この町には、空を飛べる少年がいるぐらいだから、人狼も当然いる。知り合いには人狼はいないが、この近くに何人か住んでいるというのは、きいたことがある気がする。
さらに続きの文面に、視線を走らせた。
『関係者の調べによると、遺体の身元は市内の高校に通う赤川涼子さんだということが明らかに・・・』
私は文章を最後まで読まなかった。殴られたような衝撃を受けた。
赤川涼子って?
もう一度文章を読んだ。やっぱり、遺体の身元は赤川涼子だと、記事は断言している。
あの赤川が? クラスメイトの? 昨日『バイキン男とアンパン男』で一緒だった、あの赤川のこと?
赤川が死んだ?
何よそれ。
私は昨日最後に会った時の、赤川の様子を思い返した。
白いワンピに、赤トレンチで、髪はこだわりの店で染めてもらった金髪。アルテミスに食い気味で話しかけ、コートをほめられて喜んでいた。特に変わった様子はなかった。
赤川が、死んだ?
そんなことって、ある?
でも確か赤川は『森の向こうに住んでいるおばあちゃんに会いに行く』という趣旨のことを言っていた。赤川が昨日、森の中にいた可能性は十分にあるということだ。赤川の祖母の家までは、森を通過していくのが一番の近道だ。
でも、だからって、赤川が殺される理由がわからない。
訳が分からなくなって、私はミリアにこう返信した。
『たぶん嘘よ、そんなの。タチの悪いデマだって。最近、そういうの、多いでしょ?』
しかしそのあと、学校から、この事件を受けての休校連絡が来て、それがデマではないということが確定した。
***
「赤川さんって、昨日の?」
アルテミスはニュース記事を見てあぜんとした。私は、いてもたってもいられなくなって、とりあえずアルテミスをたたき起こして、ミリアから送られてきた記事を見せつけていた。
私はうなずいた。赤川と特別、仲が良かったわけではないが、昨日会ったばかりの友達が死んだというショックで、私は落ち着きを失っていた。
「赤川さんが亡くなったのは森の中、か」
アルテミスは記事をスクロールしながら、思案げにつぶやいた。私はまたうなずいた。本当は言いたいこともあったが、心の中がぐちゃぐちゃで、言葉にできそうになかった。
見かねたアルテミスは、私にスマホを返して言った。
「雪花ちゃん。深呼吸して、1回落ち着こう。それから、警察に連絡しよう」
私は何度か息を深く吸っては、吐くことを繰り返した。ちょっとは気分がマシになった。
アルテミスがいてくれてよかったと思った。1人だったら、今頃どうしていただろうか。
「なんで警察?」
私は尋ねると、アルテミスはスマホの画面を指した。
「ほら、記事の最後に、警察は情報提供を呼び掛けているって書いてあるだろ。赤川さんが森に入ったのは、おそらく僕らと別れたすぐ後だよ」
ああ、そうか。私は彼が言わんとしていることを察した。
「私たちは、生きている赤川に出会った、最後の人間なのね」
「犯人を除いて、ね」
私はその事実に、呆然としていた。
***
それから私たちは、それぞれのスマホから記事の最後に載っていた『情報提供ダイヤル』の番号に電話をかけた。
「だめ、つながらない」
私はまたしても『話し中』の音が流れたので、電話を切った。さっきから何回もやっているが、ずっとこの調子だ。一向につながる気配はない。
「こっちもダメだ。話し中だって」
アルテミスも電話を切った。彼はため息をつく。
「結構大きめな事件だから、みんな赤川さんのこととか、人狼のこととか、ちょっとでも知ってることがあったら、電話してみてるのかもしれない」
私はそれに同意した。
「そうね、それに、ここの管轄の交番、あまり大きくないから、人数が足りてないってのも、理由の一つだと思うわ」
私は諦めてスマホを手放した。
「直接交番に行ってみたほうが、案外早いかもね」
私の意見に、アルテミスも賛同した。
***
交番へ行く道すがら、私たちはまたしても播飛太に出会った。彼は基本的にヒマで、町のいたるところを飛び回っているから、町のほとんどの人は1日1回のペースで、飛太に遭遇している。レア度星1の少年だ。
「雪ちゃんだー! おはよー!」
飛太は空から手を振った。今日はまたしても、ティンカーベルが一緒ではない。
そのことについてきくと、
「なんか、元気ないみたいで、誘っても家から出てこないんだよねぇ。鐘ちゃん、昨日もお花畑に遊びに行って、寝ちゃってたから、風邪でも引いたのかな。顔色もよくなかったし」
と、飛太はたいして心配している様子もなく答えた。
「あ、ねーねー、それより、きいた?」
飛太がウワサ好きの女子みたいなセリフを発した。正直そんな気分ではないが、飛太は私の気持ちなど構わずに話し続ける。
「堂島一郎君のことなんだけどさ」
堂島一郎は、昨日であった堂島三兄弟の長男だ。『屋根瓦の代わりに屋根がワラ』と言って、大爆笑している彼の姿が思い浮かんだ。
ちょっとおバカさんだが、気さくで優しい人だ。
「一郎君が、どうかしたの?」
と、私は尋ねた。アルテミスは堂島一郎が誰のことかわからないので、黙って聞いていた。
飛太はとっておきの情報を開示するノリで、声を潜めた。
「一郎君の新しい家、昨日の夜、燃えちゃったらしいよ」
「えっ?」
飛太は私の驚いた反応を見て、満足そうに笑った。
なんか腹立つわね。
私は急いで、顔を真顔に戻した。
「放火だったんだって」
飛太は言った。
「えー、嘘でしょ」
私は返した。一郎が、放火されるほどの恨みを買うようなことを、できるとは思えない。
それとも放火犯は、無作為に家を選んで火をつけたのか。
わらの屋根だとよく燃えるから、放火犯的には楽しいのかも。
いや、放火犯の気持ちなんて、知らないけど。
「嘘だと思うなら、見に行って来たら? 一郎君の家は、この道をまっすぐ行ったところだからさ」
飛太の言葉に、私は「そうするわ」と答えた。
どのみち、そのルートを通るのが、交番へ行くにはベストだ。
***
「っていうか、あれー? よく見たら君、この前、ボルダリングな建物の屋根の上で、立ち往生してた人じゃん!」
飛太はアルテミスを指して言った。そういえばアルテミスは、あのあと飛太に助けてもらって地上に降りたんだっけ。
アルテミスは「やっぱり覚えられてたか」と、恥ずかしそうにした。
「この前は、どうもありがとう」
「うん。それはいいんだけどさ・・・お大事にね」
飛太はそう言いながら、心の底から憐れむような視線をアルテミスに向けた。
「え、なんで?」
とアルテミスは混乱した顔つきを見せた。
飛太は深刻な表情になった。
「最近、あ年寄りの間で、髪が白くなる病気が流行ってるんだって! 特効薬はまだ、ないらしいよ。コワイ病気だァ」
飛太は言いながら、飛び去って行った。
ワンテンポ遅れて、アルテミスが叫んだ。
「僕の髪色は生まれつきだから! あとそれ、病気じゃないから!」
去りゆく飛太は、その声が聞こえたようで、こちらを振り返って、口を開いた。
「タコの上にも100年だぜ、べいべぇー!」
飛太はそう絶叫すると、角を曲がって姿を消した。アルテミスがぽかんとして、取り残される。
アレに比べたら、一郎だって、アインシュタインレベルね。
あと、タコがかわいそうだから、100年も乗らないであげてほしい。
「アイツ、たまに謎のことわざリミックスを披露するんだけど、特に意味はないみたいだから。気にしないに越したことはないわよ」
と、私はアルテミスを引き連れて、一郎の家へ向かった。
***
「な、こんがり焼けてるだろ?」
一郎は私たちを見るなり、そう言って燃えてしまった新居を指した。
わらの屋根・・・と称したかやぶき屋根は、きれいに焼け落ちてなくなっていた。昨日の写真では真っ白だった壁も、焼け焦げたりすすがついたりで、悲惨な状態だった。燃えずに残っている物は、ほとんどない。
「ダジャレより、火災対策を優先すべきだったわね」
私が言うと、一郎は「ううむ、無念なり」と、大げさに表情を作って、腕組みして見せた。
意外と落ち込んでないのね。
ちょっと安心した。
アルテミスは、一郎を見ておおおと声を上げた。
「堂島一郎さんて、この人のことだったのか」
「そういう君は、昨日の!」
と一郎は、アルテミスに気が付くと、驚いた。
「何よあなたたち、知り合いなの?」
私が言うと、一郎は
「昨日、雪花と別れたあと、もとの家からここまで家具を運んでたんだけどな、さすがに一人じゃ重くて。へたばってるところに、この子が来て、運ぶの手伝ってくれたんだ」
と笑った。
「そうそう、たまたま通りかかっただけだったんだけど。一人で大きな冷蔵庫を運んでたから、さすがに無理があるなーと思って」
アルテミスが付け加えた。
なんだ、昨日は『学校以外でなおかつアルテミスがいない場所』を探してたのに、意外と近くにいたんじゃない。
「この家、昨日引っ越してきたばっかだけど、もう住めなさそうだな、残念だぜ」
一郎は、焼けはてた家をみて嘆いた。
「今日から、どこで生活するの?」
と、一郎にきいてみた。彼は、
「仕方ないから、二郎の家にでも泊めてもらおうかなー。弟と2人で楽しくお泊り会だ」
と楽観的に構えていた。
新築の家を一晩で燃やされた男にしては、なかなかタフだと思った。
***
さらに道を進み、私たちは交番にたどり着いた。
「『パトロール中』だって」
アルテミスは交番の入り口にかかっている札の文字を読み上げた。
狭い交番の中には、人の姿は見当たらない。
ここの交番の警察官は、普段なら「こんな平和な街で、事件とか、起きねぇよ笑」と言いながら、だらだらしているだけだが、さすがに殺人事件と放火が起こった日には、仕事する気になったらしい。
でもだからって、私たちがせっかく訪ねてきたときにかぎって、パトロール中って。
「ほんと、タイミング悪いわ」
イラついて交番のドアを軽く蹴った。バシッと、音が鳴った。
「もはやアレスだな」
と、アルテミスはつぶやいた。
あとで調べた情報によると、アレスはギリシャ神話の戦争を司る神だった。
***
「一郎君の家、ホントに放火なのかな?」
歩きながら、アルテミスに問いかけた。
電話もつながらない、交番にも人がいないという状況で、次のアクションに窮した私たちは、白柳カフェに向かっていた。昨日失くした本が、もしかしたら白柳カフェにあるかもしれないと思ったのだ。
赤川が死んだショックはまだ残っているはずだが、赤川の死体や、赤川の家族なんかに会っていないせいか、彼女の死の現実感は、徐々に薄れてきていた。
だって、赤川が死んだことは、私が泣こうが喚こうが、どうしようもないことだ。
いつも通りのペースをできるだけ貫いて生きるのが、現時点での最適解よね。
「というと?」
アルテミスは私と並んで歩いていた。
普通に会話しているようにふるまっているが、曲がり角に差し掛かるたびに歩みが遅くなったり、たまに意味もなく後ろを振り返ったりしているところを見ると、コウモリのことをかなり警戒しているようだ。
赤川が死んだからって、コウモリがアルテミスの追跡をやめる理由にはならない。だが、あまりにも気を張りすぎているアルテミスを見ていると、なんだか心配だ。
「やっぱり、彼の家が放火される理由って、無いと思うの。まあ放火犯が、あの燃えやすそうな屋根に、この上なく魅せられたって可能性も、なくはないけど。それよりは、一郎君の不注意による出火のほうが、現実的にありえそう」
「そういうことか。うーん、でも僕は、放火だと思うよ」
アルテミスは若干後ろを気にしながら、言った。昨日私がコウモリに襲撃されてから、余計に気を使っているような気がする。
「根拠を述べなさい。100字以内」
私は唐突に指示を出した。アルテミスは「え、100字?」と指折り数え始める。
「昨日一郎君の家に冷蔵庫を運び込んだ時、家の中にキッチンがなかった。毎日BBQで生きるんだって息巻いてたよ。コンセントもなかった。あの家に出火元になるものは何もなかったから、放火ではないと思う。96字だよ」
アルテミスはどや顔で解答した。私はその解答に、違和感を覚えつつ考えこむ。
「どう? 今の、何点ぐらい?」
アルテミスがきいた。ちょっとわくわくした声になっている。
「2つほど疑問点があるわ。だから、10点中6点で」
「うー、びみょいなー」
アルテミスは少し悔しそうにうめいた。月人も、テスト形式だと燃えるのね。
ひとまずアルテミスの緊張は、少しとけたようだ。
あんまり警戒状態で過ごし続けると、寿命が縮むと聞いたことがある。
それに、昨日から私ばっかりアルテミスに優しくしてもらったから、たまには逆転しないとね。
「ねね、疑問って?」
アルテミスはどこか楽しそうにきいてきた。
もしかしてアルテミスって、テスト形式だとものすごく燃えるタイプなのかな?
地球にもたまにいるわね、そういう人。
鶴野とか、その典型例だ。
えーっとね、と私はさっき感じた違和感を口にする。
「キッチンがないのはBBQの下りで、何とか納得できるとして、なぜコンセントがないの? あと、一郎君はなぜ、コンセントのない家に、冷蔵庫を運んだの?」
アルテミスはたっぷり1分ほど考えたが、最後には首を振った。
「それは僕にもわからない。一郎君以外には、分からないんじゃないかな」
「満点解答」
「やったね」
***
白柳カフェで店番をしていたのは、七海と美月だった。
「あー、雪花ちゃんだー! あれ? あと、小麦粉のお兄さんだ! いらっしゃいませー」
白柳七海は、今日も無邪気に出迎えた。七海を見ていると、なんだか癒される。
「こんにちは」 「やぁ」
私とアルテミスは、にっこり笑った。
「っていうか、小麦粉のお兄さんなの?」
私はアルテミスに尋ねた。アルテミスは「そうみたいだね」と、七海を見た。
七海は言った。
「昨日、雪花とちゃんにバイバイしたあと、小麦粉買いに行ったんだけど、その時すれ違ったんだよねーっ」
「そうだね」
アルテミスは認めた。七海はつづけた。
「で、お兄さんの髪が、あんまり真っ白だったから、七海、お兄さんがパン屋のおじさんに、小麦粉かけられたのかの思って。びっくりしちゃったの」
「どんな状況だよ、それ」
横で聞いていた姉の美月は、吹き出しながらツッコミを入れた。
「だってーっ! ほんとに、そう思ったんだもん」
七海はぷくっと、ほおを膨らました。はいはい、と美月は軽く受け流した。
私は一連の話を聞きながら、思った。
昨日は『学校以外でなおかつアルテミスがいない場所』を探してたのに、結局ずっと近くにいるじゃない。
逆になぜ、コウモリに捕まるまで出会わなかったのか、不思議なぐらいだわ。
***
「雪花は今日も、パンケーキセットにする? あと、小麦粉君、ご注文は?」
美月は私たちに尋ねた。私は美月のネーミングセンスに、にやけた。
「私はそれでいいわ。小麦粉boyは?」
「・・僕もそれで」
アルテミスはとても、もの言いたげな顔をしていた。
「あ、美月、待って」
私は注文を取って、立ち去ろうとする美月を引き留めた。
「何?」
「あの、昨日、私ここに、本を忘れてってない? 昨日ここで読んだ後、どこかで失くしちゃって」
美月は「残念だけど」と首を振った。
「昨日店の片づけしたのは、あたしと双葉姉ちゃんだけど、忘れ物はなかったよ」
「そう。ありがと」
本当はこれを訊くために、来たようなものだったのだけれど。やっぱりコウモリに追われて、走ったりハイジャンプしたりしてる間に落ちたのね。残念。
見つかるといいんだけど。
「きっとそのうち見つかるよ。元気だしてよ、パンケーキgirl」
アルテミスはちゃっかり、ニックネームをつけ返してきた。
「パンケーキは小麦粉の上位互換だから」
私は苦し紛れの反抗を試みる。
「上位ではあるけど、互換ではないよ」
私はアルテミスに、論破された。
cast紹介5
播飛太
空飛ぶ少年。
ぱんぴーた、と読む。
ピーターパンに似た名前をしている。
緑の服を着ていることが多い。
ティンカーベルと非常に仲がいい。
頭があまりよろしくない。
ことわざリミックスを趣味とする。
レア度星1。
毎日会える。