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4.なんて仕事熱心なヤツだ

前回のあらすじ


雪花は今日もエスケープを決めこんで町ブラ中。

堂島兄弟は引っ越し準備のために、雪花をおいて行ってしまった。

 またもや、することのなくなった私は、昨日アルテミスとのファーストコンタクトを果たした十字路に戻ってきていた。


 南の壁にボルダリングホールドがついた建物を見上げた。昨日、ハイジャンプで屋根上に上がらせてもらった家だ。


 こんなにわかりやすく凹凸がある建物なのに。

 どうしてアルテミスは、自力で下りられなかったんだろう。


 もしかして月には、ボルダリング、無いのかな。


 私は、建物をぼんやり見上げて、気づいた。


 下からだと、ボルダリングホールドがこれでもかというぐらい、びっしりついているのが見える。でも、屋根の上からだと、ひさしに隠れて見えにくいのかも。


 見えにくいってだけで、見えてたとは思うけど。

 

 あんまり、気にしないことにした。


   ***


 そういえば、昨日の夜に読みかけていた本を、カバンに入れてきたんだった。

 それを思い出した私は、カフェにでも行って読書タイムを楽しもう、と進む道を変えた。


 今日は天気もいいし、屋外の席で読書なんかも、悪くない。


 というわけで向かったのは『白柳(しろやぎ)カフェ』。白柳蘭子さんが営む小さなカフェで、彼女の子供たちも、よく店のお手伝いをしている。あそこのパンケーキと紅茶のセットは、まさに絶品だ。


「いらっしゃーい!」

 今日出迎えてくれたのは、白柳家の末っ子、白柳七海だ。七海はまだ小学生だから、この時間に帰宅していてもおかしくはない。


「あ、雪花ちゃんだー。もしかして・・・っ?」

 七海の無邪気な問いかけに、私も笑って答える。


「うん。今日も、学校サボってきちゃった」

「やっぱりね。でも、カフェに来てくれて嬉しいから、七海、先生には黙ってるからね」


「ありがとう」

 私はそう言って、テラス席へ向かった。


   ***


 注文したパンケーキは今日も絶品だった。七海はパンケーキを運んできた後も、しばらく私の横でおしゃべりしていた。


「美月お姉ちゃんが、昨日言ってたんだけどね、雪花ちゃんがクラスの子の机、蹴っ飛ばしたって。ほんとなの?」

「ホントよ」


「えっ、うっそ! 雪花ちゃん、怒るとコワいタイプ?」

「かもね」


 七海は7人兄弟の末っ子だ。白柳家は母子家庭で、母蘭子は毎日、カフェと子育ての両立に奔走している。


 大家族の母子家庭だと、大変そうだと思われがちだが、長男の太一と長女双葉は、もう働きに出る年齢なので、生活に困っている様子はない。8人で楽しく暮らしている。


 ちなみに白柳美月は3番目の子で、私のクラスメイトだ。


   ***


 「七海ちゃーん」

 パンケーキを食べ終わったころ、店の奥から蘭子さんの声が響いた。

「ごめーん、小麦粉、切らしちゃったから、買いにいってきてくれない?」


「いいよーっ!」

 七海はぴょんと立ち上がると、私に言った。

「じゃあね、雪花ちゃん! また、おしゃべりしようね」


「そうね。また来るわ」

「約束だよっ」

 七海はそう言い残すと、手を振りながら店の奥へと消えた。


 私は本を取り出すと、昨日しおりを挟んだページを開いた。


   ***


 どのぐらいの時間、本に没頭していたのだろうか。気づけば、世界は夕方になっていた。本には時間を吹っ飛ばす効能があると思う。


 そろそろ家に帰るか。これからもアルテミスを泊めてあげるつもりなら、2人暮らしみたいな生活にも慣れなければいけない。


 代金を支払ってから、店を出ようとしたとき、

「すみません、ちょっといいですか」

と、不意に話しかけられた。


 話しかけてきたのは、長身で痩せた男だった。私のいる場所と道の間を、ふさぐように立っている。


「なんですか」

 私は警戒しながら答えた。一応愛想よくふるまってはいるものの、この男からはなんだか怪しいオーラが漂っている。アニメだったら、背景に紫のもやもやが発生する種の人間だ。


「人を探しているんです」

と彼は言った。

「白い髪の少年なんですが。昨日、一緒にいましたよね?」


 私はそのとき、ハッとした。今日は黒服ではないから分からなかったが、こいつ、昨日アルテミスを追ってたやつだ。


 コウモリって名前なんだっけ。

 朝はセンス無いな、と思ったが、この人の場合、その名前に雰囲気がぴったり合っていた。


「あのあと、彼がどこへ行ったか、ご存じではありませんか?」

 コウモリは私の目を覗き込むように、たたみかけた。


「知りません」

 私はそういうと、荷物をぐっとつかんで、素早く男の横から道へ飛び出した。


 なんか、この人、雰囲気が怖い。

 私はそのまま、走り出した。


「待ちなさい」

 コウモリが後ろから、追いかけてくるのがわかった。


   ***


 私はひたすら、走って逃げた。コウモリを引き連れたまま家に帰りたくないので、適当に道を選んで、でたらめに走り続けた。


 途中、ハイジャンプで屋根に上ったり、屋根伝いに移動したりしたが、撒くことができなかった。今日のコウモリは、執念がすごかった。昨日見たときよりもずっと、切羽詰まってるって感じだ。


「昨日はそのジャンプ力で撒かれてしまったようですが、今日はそうはいきません」

 彼は抑揚のない声で言った。


 私は走ったりジャンプしたりで、すでに息が上がっていたが、コウモリのほうは、全くそんな気配はない。


 ダメだ。このままじゃ、いつか捕まっちゃう。


 私は屋根から飛び降りて、陸路に切り替えた。

 屋根の上を走るのは、目立ちすぎて逃走には向いていない。地上でどこか隠れられそうなところを探して、やり過ごした方が、まだ勝算はありそうだ。


 その考えは甘かった。


 隠れるためにはまず、コウモリと十分な距離をとらなければならない。私が隠れるところを彼に見られては、意味がないからだ。


 しかし、それがなかなか、うまくいかない。コウモリは特に急いだ様子も見せず、悠々と距離を詰めてくる。


 私は走りながら、どんどん自分の中で不安が増していくのを感じた。頭のなかで、思考がぐるぐる回った。


 コウモリに捕まったら、どうなるんだろうか。

 そりゃあもちろん、アルテミスの居場所を聞かれるんだろうけど。

 ほかには?


 もし答えなかったらどうなるんだろう?

 もしかして私、犯罪者をかくまった罪で、何かされるんだろうか?


 月の法律は何一つ知らないが、地球では罪人をかくまうのも、犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪で、3年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられる。月に同様の法律があっても、おかしくはない。


 どうしよう。

 いっそ、コウモリに私の家の場所を教えてしまおうか。


 そんなことも考えたが、結局首を振った。

 ダメダメ。だって、昨日アルテミスに言っちゃったじゃない。『どうせならあなたの願いが、叶えばいいわ』って。助けるって、約束したようなものだ。それを裏切るなんて。


 増してくる恐怖を抑え込みながら、走り続けた。すがる想いで、次の角を曲がった。

 しかし、いつもは人があふれているはずの夕方だというのに、なぜか誰にも出会わない。


 誰か、誰でもいいから。

 助けて。


 ついに、私の体力は限界を迎えた。道のちょっとした窪みに、足を取られた。

 体のバランスが崩れる。


 すると後ろから、左腕をつかまれた。体が引き戻される。


「そんなに一生懸命逃げていたところを見ると、何か隠しているようですね」

 すぐ後ろから声が聞こえた。


 コウモリだ。私は捕まったんだ。


 一人で逃げ続けるのが、こんなにつらくて、しんどいなんて。

 いままでそんなこと、考えたこともなかった。


 泣きたい気持ちを押さえて、私は最後の抵抗を試みた。

「離しなさいよ」

と、左腕に渾身の力をこめて、コウモリの手を振り払おうとした。


 だがコウモリは、体格のわりに力はすごく強かった。コウモリは私を、離さなかった。


「教えてくれるだけでいいんです。白髪の少年は、どこですか?」

 コウモリが問いかけた。

「知らないって、言ってるでしょ」

 私は彼をにらみつけた。彼は何を思ったのか、そんな私を見て、ため息をついた。


 コウモリは右手で、何かを取り出した。それが、パチンと音を立てて、開く。


 折り畳み式ナイフだ。

 それに気づいて、ぞっとした。

 

 コウモリは月人だ。地球の法律には、縛られない。

 月の法律に『地球人を傷つけてはならない』という条文が、果たしてあるのか。


 ああ、こんなことなら、学校、エスケープしなきゃよかった。

 それかエスケープした後、おとなしく家に帰ればよかった。


「さっき、近くの店で買ったものです。こんなに早く、切れ味を試すことになるとは思いませんでした」

 コウモリは言った。刃渡りは10cmにも満たない、小さなナイフだ。


 だが、そんなこと、何の気休めにもならない。


 これが一度、首に刺しこまれたりすれば、それが10cmであっても5cmであっても、同じだ。

 死ぬほど痛いし、たぶん死ぬ。


「警察呼ぶわよ」

と、腕をバタバタさせた。が、左腕をつかまれていて、思うようにカバンからスマホを取り出すことができなかった。


 首に冷たいものが当たった。

 私は動くのをやめた。

 目をぎゅっと閉じた。


 私は必死の思いで、自分に言い聞かせた。


 コウモリは私から、アルテミスのことを聞き出すまで、私を殺しはしないわよ。

 ナイフは首にあててるだけ。

 だから、落ち着いて。冬宮雪花。


 だめだった。やはりナイフは怖い。動悸がして、くらくらしてきた。

「アルテミスは、どこですか」

 コウモリは感情のない声で言った。それは、遠くから聞こえるようにも、近くから聞こえるようにも感じた。


「教えるわけ・・・ないでしょ」

 私の声は震えていた。

 頭の中は、真っ白だった。


 そのとき。

「コウモリ。雪花ちゃんをはなせ」


 私たちの背後から、声がした。

 コウモリが私ごと、振り返った。


 そこにはアルテミスが立っていた。

 どこで手に入れたのか、弓矢まで持っている。


 アルテミスが矢をつがえた。

 首に当たったナイフが、少し動いた。


 そして、アルテミスが放った矢は、コウモリの心臓を貫いた。


 コウモリの体がびくっと震えた。彼の手からナイフが滑り落ちる。

 ナイフが地面に、音を立てて転がった。

 

 コウモリはその場に、ばったりと倒れた。


   ***


「危なかったね」

 アルテミスは疲れ果てた私をベンチに座らせ、自分も横に座った。

 私の心臓はまだ、人生最高の速度で脈打ち続けていた。


「自販機でお茶買ったけど、飲む?」

 アルテミスが差し出したペットボトルを、私はありがたく受け取った。冷たい液体が体に染みわたる。ああ、ちょっと、生きた心地がしてきたかも。


 ペットボトルのふたを閉めた。

 私は、うつむいたまま動きを止めた。


「ねえ」

とアルテミスに問いかけた。

「昨日、私が『なんで追いかけられてるの』ってきいたとき、『さぁ・・・』って答えたでしょ。あれ、何でだったの」


 アルテミスは、急に何を言い出すのかと、珍獣を見る目を私に向けた。

「なんで、そんなこと訊くの?」


「いいから答えて」

 私がきつい口調で言うと、アルテミスは分かったよ、と観念した。


「あの時は、言いたくなかったんだよ。僕がコウモリから逃げてたのは、僕の勝手だから。雪花ちゃんまで、巻き込みたくなかったんだ。・・・でも、今日は結局、僕のせいで、怖い目に合わせちゃったね。ごめんね、ホントに」


 私はうつむいたままだった。


「雪花ちゃん、大丈夫?」

 アルテミスは心配そうに私を覗き込んだ。


 今日、一人でコウモリから逃げて、それがどれほど大変なことか、初めて身をもって実感した。

 

 昨日は、アルテミスが、一人ぼっちで逃げていた。

 なのに私は、彼を屋根の上に置き去りにし、神殿まで案内もしてあげなかった。


 アルテミスがボルダリングホールドに気付かなかったのは、不注意じゃなくて、逃げるのに精いっぱいで、それどころじゃなかったのかもしれない。


 せっかく助けてもらえたと思ったのに、またすぐ見捨てられて、彼はつらかったに違いない。


 ひどいことを、したものだ。


「ごめんなさい」

 私は心の底から謝った。昨日の私は、バカだった。自分のことしか、考えてなかった。


 アルテミスは、私の唐突な謝罪に、かなり慌てた。

「なんで、雪花ちゃんが謝るのさ。君は何も悪くないって。謝るのは僕のほうだよ」


 確かに冬宮雪花が謝るのは、相当に珍しいことに違いない。それでも私は謝った。情けなくて、泣きそうだった。


 そしてそれを隠すように、私はアルテミスにくぎを刺した。

「言っとくけど、まだ私、あなたに『謝っていい』って、許可してないから。まだ禁止だから」


 アルテミスは、そんな私に優しく笑った。

「許可されなくても、謝るよ。本当に、100%、僕のせいだから」


 私はアルテミスに背を向ける方向に座りなおし、もう一度ペットボトルの中身をがぶ飲みした。


   ***


 少し落ち着いてきた私は、再びアルテミスに向きなおった。

「さっきの弓矢、どこで手に入れたのよ」


 アルテミスはそんな私の口調に、何を思ったか安心した表情を見せた。

「手に入れた、じゃなくて、もともと僕のだよ。今までずっと、持ってたし」


「嘘。あんな大きいもの、どうやって隠し持つのよ」

 私はそう言って、アルテミスの手元を見て、驚いた。

「っていうか、あなた、今も持ってないじゃない」

  思い返してみれば、ベンチに着いた時には、すでに弓矢はなくなっていた気がする。


「どこに置いてきたのよ」

 問い詰める私を見て、アルテミスは得意げに笑った。


「今も持ってるよ。ほら」

 アルテミスが言った途端、彼の右手にはさっきの弓が握られていた。


 その弓はよく見ると、普通の弓ではなかった。変わった作りをしている。というか、形は普通の弓だが、金色の光の粒みたいなものが集まって、その形を形作っていた。


 ホログラムみたい。


「矢も持ってるよ」

 アルテミスが言うと、彼の手の中には次々と矢が出現した。矢も、弓と同じく、様々な色の光の粒みたいなものが集まって、構成されている。


「どういう仕組み?」

 私はマジックの一種か何かなのか、と思って訊いた。


 アルテミスは言った。

「特殊な体質なんだよ、僕も。雪花ちゃんが、やたら高く跳べるみたいに、僕は何もないところから弓矢をゲットできる。どういう仕組みって聞かれると、僕もわからないんだけど」


 つまり、播飛太が空を飛べるのと同じように、アルテミスは弓矢を手に入れられるってこと?


 変人ばかりのこの町に住んでいる私でも、きいたことのない体質だった。


「すごいね」

 私は感嘆すると、アルテミスはにこっとした。

「でしょ?」


 ほめられてうれしくなったアルテミスは、カラフルな矢を一本一本私に見せながら説明してくれた。


「いろんな色の矢を出せるんだけど、色によって矢の効能は違うんだよ。例えばこの青い矢は、撃たれた人を眠りにつかせる。どこぞの小学生探偵が、恋人の父親にむかって、毎度撃ち込んでるアレと、同じようなものだ。


 で、こっちのピンクの矢は、撃たれた人は1時間ぐらい、体がしびれて動けなくなる。さっきコウモリに撃ち込んだのは、この矢だよ。


 この黄色い矢なんか、すごいよ。僕が何かお願いしてから、この矢を撃つと、当たった人はその願いをきいてくれるんだ。プチ祈りの女神だね。ただし、この矢の効力は30分程度だから、30分たつとその人は元に戻る。だから、何か買ってほしいものがあるときは、撃ってから30分以内に買ってもらう必要がある。


 それから、この黒い矢は、普通の矢と同じ。刺さったら、とても痛い。血が出る。スナック菓子の袋が開かないときとか、これで切って開けられる。この矢は人に向けて撃ったこと、ないな、さすがに。


 他にも色々あるけど、僕が個人的に便利だなと思ってるのは、この4つぐらいだ」


「じゃあ、さっきピンクの矢で撃たれたコウモリは、死んでないのね」

 私はちょっと安心した。アルテミスはうなずいた。


「今頃、全身が正座したあとみたいに、ビリビリなってると思う」

「それ・・・すごく嫌」

 想像しただけで、足がピリピリしてきた。


「でも、そんなに便利な能力があるんだったら、昨日追われてた時も、弓で撃退すればよかったんじゃないの?」

と私が言うと、アルテミスは首を横に振った。


「あの人も仕事で僕を追いかけてるだけだから。あんまり撃ったら、かわいそうだ。今日は、雪花ちゃんを傷つけないために、特別に撃っただけだよ」


 『雪花ちゃんのため』とか言われて、なんだか気恥ずかしくなった私は、声のトーンを変えた。

「そういえば、あなたさっき、コウモリが私を盾にしてたのに、撃ってきたわよね? もしちょっとでもズレてたら、あの矢、私に当たってたんだからね。当たったら、どうするつもりだったのよ」


「僕は弓矢は外さないよ」

 彼は妙に自信に満ち溢れて言った。

「だてにアルテミスの名前で、生きてきたわけじゃないからね」


「?」

 私は何を言われたのか分からなくて、ボケッとした顔をさらした。


 そのあと、猛烈な勢いでスマホを立ち上げた私は、アルテミスとはギリシャ神話に出てくる月の女神の名だと知った。アルテミスは月を司る女神であると同時に、狩猟の女神でもあり、その弓矢の腕は百発百中だったという。


   ***


「そろそろ、帰ろ」

 日が沈みかけたころ、私はやっと足に力が入るようになった。人生でこれだけ必死に走った日はほかにないから、明日は筋肉痛に悩まされるかもしれないが、今日のところは大丈夫そうだ。


「コウモリが動けるようになる前にね」

 アルテミスも立ち上がった。彼の手からは、弓も矢も消えていた。


 そうだ、あんまりのんびりしている時間はない。コウモリは1時間で、また行動を再開する。まだコウモリが撃たれてから20分程度だが、急ぐに越したことはない。


   ***


「アルテミスって、女神の名前なのね」

 私は歩きながら言った。アルテミスはそうだよ、と答えた。


「僕の両親は、本当は女の子が欲しかったみたいでさ。男なのに、女神の名前になったのはそのせいだ。別に、あんまり気にしてないけど」


「そういえば、ご両親は、あなたが月に帰ってこないこと、心配してないの?」


「うん。二人とも、僕が小さい時に、いなくなったから」

「そうなの・・・」


 私も両親はいないから、アルテミスを特別気の毒だとは思わなかった。ただ少し、仲間意識じみた共感がわいた。


 そこに、

「あー、冬宮じゃん!」

と手を振りながら、前から一人の少女が歩いてきた。白いワンピースに、赤いフード付きトレンチコート、コートにたれるくせ毛の金髪。


「赤川さん」

 私も目の前の彼女に、呼びかけ返した。今日『バイキン男とアンパン男』の授業で一緒だった、赤川涼子だ。


「ちょっと、冬宮。あんた、彼氏いたの?!」

 赤川は私と並んで歩くアルテミスを見て、絶叫に近い声を上げた。

「違うわよ」

 私は即座に否定した。


 赤川はおしゃれと恋バナ以外に興味を示さないが、逆におしゃれや恋のことなら、無限時間でもしゃべり続ける。ここは、彼女と早めに別れて、先を急いだほうがよさそうだ。


 そんな思いをよそに、赤川はしゃべり続けた。

「違うの? なんだ、びっくりさせないでよ。っていうか、ねぇ君、髪の毛すっごくキレイに染まってるね。どこの美容院で染めてもらったの? っていうか、白に染めるって、センスいいね。初めて見たかも。あと、彼女っている? 連絡先、交換していい? あ、あたし、赤川涼子。よろしくね」


 赤川はアルテミスに興味津々だ。


「行くわよ」

 私はアルテミスをつついた。あ、うん、と彼は、赤川に圧倒されながらうなずいた。


「僕の髪色は、地毛だよ。あと彼女はいないけど、募集もしてない。残念なんだけど」

とアルテミスは律義に答えた。そして、通り過ぎざま、赤川に気を使ったのか

「その赤いコート、似合ってるよ」

とさりげなく褒めた。


 それは間違いだった。

「えっ、ホントー? このコート、超お気に入りなの-」

 赤川はアルテミスの行く手をふさいだ。


 あーあ。

 私はアルテミスとともに、立ち止まった。


 アルテミスはどうやら、赤川の『無限時間おしゃれトークモード』のボタンを押してしまったらしい。

 

 アルテミスも、「これは、やらかしたな」と、一瞬だけ表情に出した。


 これは、なかなか帰れなくなりそうだ。

 私たちがそう覚悟したとき、思わぬ助け舟・・・というか、さらなる脅威がやってくることとなった。


「見つけましたよ。今度こそ、逃がしはしない」

 後ろから聞こえてきたのは、まだ倒れているはずの、コウモリの声だった。


   ***

 

 「ちょっと、1時間は倒れてるんじゃなかったの? まだ30分弱しか、経ってないけど」

とアルテミスを問いただした。アルテミスも相当焦っていた。


「効き目には個人差があるんだよ・・・それにしても早すぎる。まさか?」


 アルテミスと私は、コウモリをじっと観察した。彼は歩き方が不自然で、顔が何とも言えない感じに引きつっていた。


 私たちは同じ結論に達した。


「しびれの効果はまだ切れていないけど、我慢して無理やり追ってきたのね!」

「なんて仕事熱心なヤツだ!」


 確かに、正座した後のしびれかたなら、たとえそれが全身に広がっていようとも、何とか無視できる可能性はある。


 私たちはコウモリの執着心に恐怖しつつ、感嘆した。


「えええ、ちょっと、いきなり何、あのおじさんコワーイ」

 赤川は状況を飲み込めずにいたが、行動は速かった。

「あ、あたし、森の向こうに住んでるおばあちゃんに、会いに行くんだった。じゃあね、冬宮たち」

 赤川は風のように、その場からいなくなった。


「私たちも、行くよ」

 私とアルテミスも走り出す。コウモリはしびれて感覚のないはずの体を引きずって、追跡を再開した。


 が、そこで、今度こそ本物の助け舟がやってきた。

「お言葉ですが、あの子たちに何の用ですか」

 現れたのは、見知らぬ男性だった。彼はコウモリと私たちの間に、立ちふさがった。


「あなたには、関係がありません」

 さらに進もうとするコウモリに、男性は大胆にも近づいていった。


「関係ないことは、ないですよ。町に子供を狙う不審者がいるなら、その子たちを守るのが町の大人の役目ですから」

 彼はコウモリを不審者呼ばわりすると、ちらっとこっちを振り返った。「今のうちに、行って」と彼は言った。


 ああ、ホントはああいう人が、小説の主人公に向いてるんだろうな。


「ここはあの人に任せて、逃げよう」

 アルテミスは私の手を引いて、動き出した。


「待て」

「行かせませんよ」

 コウモリの行く手を、男性がふさいだ。コウモリと男性の攻防が続いた。


「あの子たちに、何の用があるんですか?」

「私は、あの少年に、薬を飲ませなければならないのです」


「何の薬ですか?」

「忘却の薬です・・・」


 2人の会話が、どんどん遠ざかっていく。


   ***


「忘却の薬って何よ」

 塔に帰って一息ついた私は、唐突に話を振った。私たちは見知らぬ男性の助けにより、無事コウモリから逃げおおせていた。


 スマホを見ながら、うとうとしていたアルテミスは、はっと目を覚ました。アルテミスはスマホを置いた。ところで、どうでもいいけど、月人もスマホって持ってるのね。地球暮らしが長いからかな。

 

 アルテミスはあくび交じりに答えた。

「竹取物語のエンディングに出てくる『天の羽衣』を飲み薬に改良した劇薬」

 そう言われた私は「えーっと」と竹取物語のラストシーンを脳内検索した。


「たしか、かぐや姫は月に帰るとき、天の羽衣を着たことによって、地球での出来事をすべて忘れてしまうんだったわね?」

 あやふやな記憶をたどって、何とか結論を出した。


「さすが雪花ちゃん、よく知ってるね。あったまイイ!」

「お世辞は結構よ」

 私はアルテミスの雑な誉め言葉をはねつけて、さらに質問を重ねた。

「どうしてコウモリは、あなたにその薬を飲ませるの?」


 アルテミスは、少し遠い目をした。

「月に帰るときの、決まりなんだ。昔から、それこそかぐや姫の時代から、ずっと続く伝統だよ。たぶん、魔よけみたいな意味で、やってるんだと思うけど。地球人で言うところの、葬式から帰った時に、塩をまくイメージ」


 私はキッチンへ行くと、熱いお茶を2人分淹れて、片方をアルテミスに渡した。


「ありがとう」

 アルテミスはお茶を飲みながら、話をつづけた。


「僕が月に帰りたくないのは、月より地球のほうが好きってことのほかに、もう一つ理由がある。それが、あの忘却の薬だ。月人は地球から帰るとき、必ずアレを飲まされるんだけど、僕は今まで地球で暮らしてきた思い出を、どうしても忘れたくないんだ」


「なんで? 月人にとっての地球は、私たちで言う刑務所なんでしょ? 普通、あまり覚えていたくはないと思うけれど」


「そうだね。法律上は、その通りだ。でも、地球の刑務所と違うところは、囚人は地球上にとどまっている限りは、なにをしても自由ってこと。つまり、雪花ちゃんたちにとっての日常生活こそが、月人にとっての刑罰に当たる」


「ひどいこと、言うのね」

 それを聞いて、アルテミスは笑った。


「ホントだよ。僕にとっては月の生活のほうが、よっぽど悪夢なんだけどなぁ。そりゃ確かに、月のほうがテクノロジーは進んでるけど、逆にいえば、それ以外は全部地球の方が優れてるから」


「そうなんだ」

 月に行ったことがない私には、判断しようがない話だ。

 私は熱いお茶をすすった。


 アルテミスの昔話は続いた。私はたまに口をはさみながら、それを聞いていた。


「僕は、地球のとある竹林の中に置き去りにされた。竹林に置き去りにするのも、もはや形式的な伝統だね。もうだいぶ昔の話なんだけど、かぐや姫が地球に飛ばされたときは、体のサイズを縮められて、竹の中に閉じ込められたんだよ。結構やばいよね。もし運が悪かったら、竹が切られたときに一緒に切断されちゃう。半分死刑みたいなもんだよ。


 僕の罪は、そこまで重くなかったから、ただナチュラルに竹林に放り出されただけだったんだけどね」


 私はお茶のカップを置いた。

「かぐや姫って、実話なの?」


「そうだよ。月人として初めて地球に島流しにされた人として、月の歴史の教科書に載ってる」


 そうか、日本最古の物語は、実はドキュメンタリー作品だったのか。

 これはぜひとも、考古学者に教えてあげたい事実だわ。


「竹林で一人になった僕を見つけてくれたのは、その近くに住んでいた老夫婦だった。ほんとに優しい人たちでさ、僕は月にいたときより楽しく、幸せに過ごせたよ。この町よりも、もっと田舎の村だったんだけど、友達も何人かできた。僕はその村で、何年も暮らした。


 でも先月、僕の刑期は遂に終わりを迎えた。先々月ぐらいまでは『ああ、もうすぐ帰らないといけないのか』って、自分一人で寂しがってるだけだったんだけど。いざ迎えがやってくると、老夫婦も友達も、みんなで僕のこと、必死で引き留めてくれて・・・。こんないい人たちのこと、絶対、忘れたくないなって、思ったんだよ」

 アルテミスは、切ない目でこの話を締めくくった。


「その願い、私もかなってほしいよ」

 私が言うと、アルテミスは嬉しいような、びっくりしたような顔になった。


   ***


 しんみりした空気を振り払いたくて、私は訊いた。

「ところで、天の羽衣を飲み薬に変えるって、どういうことなの? 衣服 to 薬って、あんまり想像つかないけど」


 それを聞いたアルテミスは、珍しく考え込んだ。

「あんまり深く考えたこと無かったな。確かに、どうなってるんだろう」


 月人にも、わからないのか。

 じゃあ、地球人の私が考えてもわからないのは当然ね。

 私もアルテミスも、答えを出すのをあきらめた。


   ***

 

 寝るには早い時間だった。私は読みかけの本のことを思い出して、カバンを漁った。


 しばらくカバンを漁り続けていると、私の様子がおかしいことに気付いたアルテミスは、声をかけた。

「どうしたの?」


 私は、ショックを声に出さないように、首を振った。

「読みかけの本、どこかに落としてきちゃったみたい。白柳カフェか、コウモリから逃げてたときか、わかんないけど」


 そっか、とアルテミスは、私の肩にポンと手を置いた。

「ドンマイ」


 ほんと、ついてないわ。

 

 落ち込む私に、アルテミスは言った。

「今日のところは本を読まずに、早めに寝ろってことだよ。神の思し召しってやつ」


「じゃあ、そうする」

 珍しく素直な返事をした私を見て、アルテミスはおやすみ、といった。


 私たちに、嵐の前の静けさが訪れた。







 





 


 




 



cast紹介4


アルテミス


月から来た少年。

弓矢がうまい。

一応これでも罪人。

月の追っ手から逃げている。

かぐや姫と月の女神アルテミスの、中間みたいなキャラ設定を持つ。

月人は生まれつき白髪の人も珍しくないため、逆に地球人に白髪の若者が少なすぎることにいまだ慣れずにいる。

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