【第2話】魔王、頭痛と吐き気に襲われる
目を開けると、太陽の光に照らされ緑色に輝く木々の葉、そしてその奥に広がる晴天の青空とそこを漂う幾つかの雲が見えた。
少し遅れて、青い氷のような空気が唯一露出している顔を撫でる。
そして、背中に重なり合うように分厚く茂った植物の感触を認識したところで、俺の意識は正常に稼働を開始した。
「……なんで森の中?」
稼働を開始した意識に対して、俺の脳は周回遅れ程度について来れていなかった。
先日雨でも降ったのだろうか、背中にかすかな湿り気を感じながらも体を起こし辺りを見渡す。
空を突き刺す槍のような樹木や、宝石のように青く澄んだ湧き水が流れる小川を確認できることから、ここが森の中であることは簡単に理解できるのだが、何故? というのが中々頭では理解することが出来なかった。
夢遊病的な何かに発症してしまったかもしれない。
睡眠中、それも眠りの深い状態下で徘徊する代表的な例として夢遊病があり、強いストレスや悩みを抱える者に発症するケースが多いらしい。
確かにぼっちに限界を感じていた俺にとっては有り得ない話ではない。
然し、いよいよ考えてみると、今の俺はそう行った類のものを拗らせてしまったわけではなさそうな気がしてくる。
単純な話で俺の家、要するに魔王城の近隣にこのような森は存在しない。
なら結局なんなんだ?
俺は周回遅れの脳を必死に働かせ、今に至るまでの出来事を振り返る。
朝起きて、寝室から出ることなく午前中を過ごして、昼飯を食うために城の菜園に向かおうとして、そして頭に幻聴が聞こえて……!
そうだ、俺は謎の幻聴を聞いたのだ。
ようやく脳がペースを上げたのか、少しずつ頭が冴えてきた。
確か、俺のことを誰も知らない千年後の世界で領主やってみなよ! のような内容だったな、で俺が……思い出すと痛すぎて恥ずかしいが、脱ぼっちがなんたらとか叫んで、そして意識が急に遠のいて今に至って……。
あれ? もしかしてここって千年後の世界?
俺の脳は都合が良いらしく、そんな考えが頭の中でふと過る。
だとすると、俺が聞いた声は幻聴ではなく、何者かが俺に語りかけ、そして実際にそいつが俺を何らかの方法で千年後に転移させたことになる。
然しそんなことがあり得るだろうが、確かに世の中には人や物を一瞬で別の場所に転移させる力を持つ者は存在する。
だがそれを未来にまで適用できる力など聞いたこともない。だがこれは……いや実は本当に俺が夢遊病なのか?
頭の中を様々な憶測が堂々巡りするが、一向に答えが出る気はしなかった。
そもそも情報が少なすぎる、もう一度あの時の声の内容を思い出そう。
近くの小川を流れる水をひと掬いし、叩きつけるように両手で顔を軽く叩いた。
冷たい水が、顔に程よい刺激を与え頭もより冴えた気がする。
そして瞬間、あの時の声のある一言が唐突に俺の頭をよぎった。
力の大半を失う……だったよな。
力とは抽象的で幅広い意味で捉える事ができるが、『スキル』のことを指しているのだろうか?
身体能力、知力、精神力など力という文字がつく単語はこの世に数多に存在するが、世間一般にただ単に力という単語のみで表現されるものは『スキル』であることが多い。
命の次に大事なものは何だ?
例えばこの問いに対して、大多数のものは『スキル』と答えるだろう。
兵士として努めるような奴は『剣術スキル』や『弓術スキル』がないと生還率が大きく下がるし、鍛冶師は『鍛治スキル』、商人は『目利きスキル』がないとそもそも仕事としてやっていけない。
それほど『スキル』は自分自身の生活に密着している。要するにスキルを失うと、大多数の人間は生活基盤が成り立たなくなってしまうのだ。
『スキル』には五級から五段の十段階にて評価される習熟度が存在することも、『スキル』が命の次に大事たる所以であると個人的には思う。
同じ『剣術』スキルを持つもの同士でも、六段の剣士と六級の剣士が対峙した場合、六段の剣士はそこらへんの木の枝程度で六級の剣士を圧倒するだろう。
鍛冶師であれば、六級の鍛治師が世界最高品質の特殊な鉱石で作った剣より、六段の鍛冶師がどこにでもあるような安価な鉱石で作った剣の方が性能は高いだろう。
要するに、スキルの習熟度と生活レベルは概ね比例する、スキルが無くなれば今までの通りの生活等できなくなってしまうのだ。
条件さえ満たせば複数の所持が可能であるスキルであるが、俺が所持するスキルは一つしかない。
それは【魔王スキル】、勇者すら逃げ出す程の力を得る代わりに、ぼっちになってしまうという魔王特有のスキルである。
この世界がもし本当に千年後の世界であるなら、恐らく俺の『魔王スキル』の力が低下、もしくはスキル使用に対して何かしらの制約がかけられているのだろう。
一瞬スキルの力が失われているかもしれないという事に躊躇したが、まあ問題ない。
話が本当であれば、俺はこの世界で領主になるそうなので、そもそも【魔王スキル】など必要ないはずだからな。
確認しておく必要がある。
【魔王スキル】と一緒くたにしているが、出来ることは多種多様である。
暗黒魔法、洗脳、魔獣のテイム、数えるとキリがない。
「一番分かりやすいのは魔法かな、単純に威力を確認すれば良いだけだし」
手っ取り早く楽、という理由で俺は魔法の威力を確認するといったやりかたで検証を行うことにした。
辺りに利用できる何かがないかと散策して5分程度経った頃、俺の五倍程度の大きさをもつ岩が視界に入った。
もうこれで良いだろう。
魔法の威力検証の実験台をその岩に決めた俺は、体の中で水のように流れる液体が右手に収束していくようなイメージで魔力を込める。
俺が扱おうとしているのは【暗黒魔法:イレイズ】、魔王スキルを3級もしくは暗黒魔道士スキルを2段まで習熟させることで習得することができる魔法である。
この魔法の効果は極めて単純。手元から両手の拳程度の大きさの球体が放たれ、生き物、物体に限らず触れたもの全てを消滅させるのだ。
さあ、どうなる。
準備完了と同時に俺は大岩に向かって質量のない黒い球体のようなもの、イレイズを放つ。
本来の俺の力なら、あの球体が岩に当たった瞬間岩が丸ごと消滅するはずなのだが……え?
黒い球体は大岩にぶつかると同時に触れた箇所を消滅させていく、そして消滅箇所は次第にあっという間に大きくなり、ほんの一瞬で大岩を丸ごと消滅させてしまった。
普段の魔王の力そのものであった。
どうやら力は衰えていないらしい、むしろ絶好調だ。
じゃあ力の大半を失うというのはどういう意味だ?
スキルのことではないのか?
いや、もしかしたらスキルを使うことで何かデメリットが発生するのか?
あらゆる可能性について思考していると、突然俺の頭に形容しがたい痛みが走り、体は平衡感覚を失ったかのように揺れた。
例えるならば、いつかは忘れたがあまりにも暇すぎて酒を浴びるほど飲んだ後に、その場で20回程回転した後のようなあの時の感覚と似ている。
今まで『スキル』を使った時にこんなことになったことは一度も無かった……つまりこれが力の大半を失うってことか?
恐らくそうだと自分に言い聞かせる。
ということはこの世界も本当に千年後の世界かもしれない。
だがこれはきつい、二日酔いの痛みを何倍にもしたような痛みだ。
そして勿論そんな俺を心配し看病してくれるものなどこの場所にはいない、いやこの場所でなくてもいない。
体調を崩した時に誰も看病してくれない、ぼっちの地味に辛い瞬間の一つだ。
俺はそれから30分程度体をおこす事が出来ず、爽やかな風が吹く森でうつ伏せになっていた。